大井義昌
表示
大井 義昌(おおい ぎしょう、1876年(明治9年)3月6日[1][2][3] - 1952年(昭和27年)9月9日[2][3])は、日本の政治家。富山県氷見市長(1期)。
来歴
[編集]富山県砺波郡西部金屋村(のち砺波郡北般若村→東砺波郡北般若村→西砺波郡戸出町、現在の高岡市)生まれ[2]。1900年(明治33年)富山県師範学校卒[2]。東砺波郡内の小学校の校長を務める。その後、氷見郡と婦負郡の視学となり、1920年(大正9年)氷見町長に就任する[2]。在任中は氷見漁港改修や富山県立氷見中学校(現在の富山県立氷見高等学校)の設立などに力を入れた[2]。町長は1930年(昭和5年)まで務めた[2]。
戦後は日本社会党に入り、県連副会長、氷見郡支部長、日本農民組合富山県連会長などを歴任した[2]。1947年(昭和22年)の総選挙(富山2区)と富山県知事選挙に立候補したが、いずれの選挙も落選した[4]。同年、富山県農業委員に就任[4]。1951年(昭和26年)の氷見町長選挙に立候補して当選[4]。翌1952年(昭和27年)8月、氷見町は近隣の村と合併し、氷見市が発足。その翌月、現職のまま死去した[1][4]。