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大井義昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大井 義昌(おおい ぎしょう、1876年明治9年)3月6日[1][2][3] - 1952年昭和27年)9月9日[2][3])は、日本政治家富山県氷見市長(1期)。

来歴

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富山県砺波郡西部金屋村(のち砺波郡北般若村東砺波郡北般若村→西砺波郡戸出町、現在の高岡市)生まれ[2]1900年(明治33年)富山県師範学校[2]。東砺波郡内の小学校の校長を務める。その後、氷見郡婦負郡視学となり、1920年(大正9年)氷見町長に就任する[2]。在任中は氷見漁港改修や富山県立氷見中学校(現在の富山県立氷見高等学校)の設立などに力を入れた[2]。町長は1930年(昭和5年)まで務めた[2]

戦後は日本社会党に入り、県連副会長、氷見郡支部長、日本農民組合富山県連会長などを歴任した[2]1947年(昭和22年)の総選挙富山2区)と富山県知事選挙に立候補したが、いずれの選挙も落選した[4]。同年、富山県農業委員に就任[4]1951年(昭和26年)の氷見町長選挙に立候補して当選[4]。翌1952年(昭和27年)8月、氷見町は近隣の村と合併し、氷見市が発足。その翌月、現職のまま死去した[1][4]

脚注

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  1. ^ a b 『日本の歴代市長』第2巻 152頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『富山大百科事典』上巻、268頁。
  3. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』181頁。
  4. ^ a b c d 『富山大百科事典』上巻、269頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 富山大百科事典編集事務局編『富山大百科事典』上巻、北日本新聞社、1994年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。