大久保常春
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(大久保為春から転送)
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 延宝3年3月2日(1675年3月27日) |
死没 | 享保13年9月9日(1728年10月11日) |
別名 | 為春 |
墓所 | 東京都世田谷区太子堂の最勝寺 |
官位 | 従五位下、山城守、佐渡守、従四位下 |
幕府 | 江戸幕府 若年寄、老中 |
藩 | 近江国内→下野烏山藩主 |
氏族 | 大久保氏 |
父母 | 父:大久保忠高 |
兄弟 | 常春、忠宜 |
妻 | 正室:牧野忠貴の娘、継室:本多正永の娘 |
子 | 忠胤、次男、忠篤 |
大久保 常春(おおくぼ つねはる)は、江戸時代中期の大名。下野烏山藩初代藩主。江戸幕府の若年寄、老中。烏山藩大久保家2代。
生涯
[編集]留守居、側衆などを歴任した大久保忠高の次男として生まれる。元禄12年(1699年)、父の隠居に伴い近江国内の領地1万石を相続する。その後、若年寄を経て老中となった。享保10年(1725年)には下野烏山に移封され、加増されて最終的に3万石となる。享保13年(1728年)、老中となるが同年に在職のまま死去した。享年54。
経歴
[編集]- 1675年(延宝3年) 生まれ
- 1699年(元禄12年) 家督相続(9月16日)
- 1711年(正徳元年) 側衆(9月5日)
- 1713年(正徳3年) 若年寄(8月3日)
- 1718年(享保3年) 5000石加増(3月3日)
- 1725年(享保10年) 烏山に国替(10月18日)
- 1728年(享保13年) 老中(5月15日~9月9日)、1万石加増、死去(9月9日)、享年54
官歴
[編集]系譜
[編集]父母
- 大久保忠高(父)
正室、継室
側室
- 小林氏
子女
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『大久保常春公顕彰碑』大久保常春公顕彰会委員専門委員(大野和三、喜多山治、黒﨑與四郎、田村英雄、中村登志夫、萩原紀夫、北條光二、皆川晃、柳忠一郎、龍福宏明)2001年10月1日
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