多良見町
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(多良見村から転送)
たらみちょう 多良見町 | |||||
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廃止日 | 2005年3月1日[1] | ||||
廃止理由 |
新設合併 諫早市、多良見町、森山町、飯盛町、高来町、小長井町 → 諫早市[1] | ||||
現在の自治体 | 諫早市[1] | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 長崎県 | ||||
郡 | 西彼杵郡 | ||||
市町村コード | 42306-8 | ||||
面積 | 37.88 km2. | ||||
総人口 |
17,063人 (推計人口、2005年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 長崎市、諫早市、西彼杵郡長与町 | ||||
町の木 | マキ | ||||
町の花 | キク | ||||
多良見町役場 | |||||
所在地 |
〒859-0495 長崎県西彼杵郡多良見町化屋名1800番地 | ||||
外部リンク | 多良見町(アーカイブ版) | ||||
座標 | 北緯32度49分55秒 東経129度59分00秒 / 北緯32.83181度 東経129.98344度座標: 北緯32度49分55秒 東経129度59分00秒 / 北緯32.83181度 東経129.98344度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2005年(平成17年)3月1日に諫早市、森山町、飯盛町、高来町、小長井町と合併。新生諫早市の一部となった[1]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西彼杵郡喜々津村、大草村、伊木力村がそれぞれ単独村制にて成立する。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 喜々津村、大草村、伊木力村が合併し、多良見村が発足。
- 1965年(昭和40年)11月23日 - 町制施行し多良見町となる。
- 2005年(平成17年)3月1日 - 諫早市、森山町、飯盛町、高来町、小長井町と合併して、新しい諫早市となり[1]、多良見町は自治体として消滅。
姉妹都市
[編集]地名
[編集]旧喜々津村・旧大草村は「名」を、旧伊木力村は「郷」をそれぞれ行政区域とする[2]。大字は無し。
諫早市(初代)などとの新設合併時に「名」「郷」の文字を削除し、旧来の名・郷の名称に「多良見町」を冠称した町名に変更された。
- 旧喜々津村
- 市布名
- 囲名
- 木床名(きどこ)
- 化屋名(けや)[3]
- 中里名
- 西川内名
- 旧大草村
- 西園名
- 野副名
- 東園名
- 元釜名
- 旧伊木力村
- 佐瀬郷
- 野川内郷
- 舟津郷
- 山川内郷
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]高速道路・有料道路
[編集]一般道路
[編集]観光・名所
[編集]- のぞみ公園
- 琴ノ尾公園(烽火台跡)
- 旧長崎街道
- 西川内虚空蔵山公園
- 桜並木(国道207号線古川)
- なごみの里運動公園
- 諫早市サッカー場
- 伊木力遺跡 - 日本最古である縄文前期の桃の種が出土。九州で唯一、縄文時代の丸木舟(早期~前期)も出土[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 武内靖広(2015年3月2日). “諫早市:合併10周年 関係者らが記念式典 貢献の個人、団体を表彰”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 行政区単位の表記違いについて、喜々津村・大草村は江戸期の佐賀藩領、伊木力村は大村藩領に属していた事による。喜々津村と大草村は廃藩置県当初は佐賀県に属したのち、明治5年に長崎県の所属となった。
- ^ 諫早市(初代)などとの新設合併時に一部がシーサイドに分離。
- ^ 松藤, 和人、西脇, 対名夫、水ノ江, 和同『伊木力遺跡』 第2次発掘調査概報長崎県西彼杵郡多良見町化屋名1800、1986年7月31日(原著1986年7月31日)。doi:10.24484/sitereports.46589。 NCID BN01958330 。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
関連項目
[編集]- 長崎県の廃止市町村一覧
- 諫早市の地名
- たらみ - ゼリーなどのフルーツデザートで知られる製菓メーカー(2012年以降はダイドードリンコの子会社)。1969年、当時の多良見町で「多良見青果」として創業したが、1971年に長崎県長崎市に移転。