壱岐国
壱岐国 | |
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■-壱岐国 ■-西海道 | |
別称 | 壱州(いっしゅう) |
所属 | 西海道 |
相当領域 | 長崎県壱岐市(壱岐島) |
諸元 | |
国力 | 下国 |
距離 | 遠国 |
郡・郷数 | 2郡11郷 |
国内主要施設 | |
壱岐国府 | (推定)長崎県壱岐市 |
壱岐国分寺 | 長崎県壱岐市(壱岐国分寺跡) |
壱岐国分尼寺 | (未詳) |
一宮 |
天手長男神社(長崎県壱岐市) 興神社(長崎県壱岐市) |
壱岐国(いきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。
沿革
[編集]史料上の初見は、中国の史書である三国志 (歴史書)のいわゆる魏志倭人伝に「一大國」としてある。『魏略』の逸文、『梁書』、『隋書』では一支國と記述される。『先代旧事本紀』「国造本紀」によると、継体朝に天津水凝の後裔である上毛布直が伊吉嶋造に任じられとされ、その子孫の壱岐氏が代々嶋造(国造に相当)を継承した。
古くは壱岐のほか、伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉など様々に表記され、「いき」または「ゆき」と読んだ。令制国としての壱岐国が7世紀に設けられると、しだいに壱岐と書いて「いき」と読むことが定着した。壱岐国は、「島」という行政単位として壱岐島とも呼ばれ、その国司は島司とも呼ばれた。
近世以降の沿革
[編集]国内の施設
[編集]国府
[編集]国府は石田郡にあった。壱岐市芦辺町湯岳興触の興神社付近ではないかと推測されるが、他にも場所は諸説あり遺跡もまだ見つかっていない。
島分寺・島分尼寺
[編集]- 壱岐国分寺跡
- 長崎県壱岐市芦辺町中野郷西触。
神社
[編集]- 壱伎郡 住吉神社 (壱岐市芦辺町)
- 壱伎郡 兵主神社 - 八幡神社(壱岐市勝本町)ほか論社1社。
- 壱伎郡 月読神社 - 八幡神社(壱岐市芦辺町)ほか論社1社。
- 壱伎郡 中津神社 - 聖母宮(壱岐市勝本町)ほか論社1社。
- 石田郡 天手長男神社 - 興神社(壱岐市芦辺町) ほか論社1社。
- 石田郡 天手長比売神社 - 現在は天手長男神社に合祀。
- 石田郡 海神社 - 名神大社ではない。
一宮は天手長男神社である。しかし、郷ノ浦町にある現在「天手長男神社」とされている神社が本当に壱岐国一宮・式内社の天手長男神社であるかどうかの明証はない。式内社・天手長男神社を現在地に比定したのは国学者の橘三喜である。三喜は「たながお」という社名から郷ノ浦町田中触に天手長男神社があったと考え、実際に田中触に荒れはてた祭祀場の跡を発見したのでこれが式内社・天手長男神社であるとしたものである。三喜の報告に基づき、平戸藩主の命によって社殿等が整備された。近年の研究では、壱岐市芦辺町の興神社(こうじんじゃ)が本来の式内社・一宮の天手長男神社であったとする説が有力となっている。
安国寺利生塔
[編集]- 安国寺 - 長崎県壱岐市芦辺町深江栄触。
地域
[編集]郡
[編集]江戸時代の藩
[編集]人物
[編集]国司
[編集]- 1.板持安麿 :天平二年正月(730年1月)見
- 2.田部息麿 :神護景雲三年六月(769年7月)任
- 3.眞菅王 :権守、弘仁六年九月(815年10月)任
- 4.広根王 :権守、承和九年七月(842年8月)任
- 5.賀茂直岑 :元慶三年十一月(879年12月)見
- 6.菅原清鑒 :天慶二年十一月(939年12月)任
- 7.(姓欠)如松 :天暦四年閏五月(950年6月)見
- 8.藤原理忠 :寛仁三年四月(1019年5月)見
- 9.藤原義定 :応徳二年(1085年)任
- 10.(姓欠)定清 :嘉保二年(1095年)任
- 11.大江佐忠 :天永中見
- 12.音部明兼 :大治元年二月(1126年2月)任
- 13.藤原頼業 :康治二年正月(1143年1月)任
- 14.藤原公俊 :久安五年三月(1149年4月)任
- 15.藤原邦綱 :久寿中任
- 16.(姓欠)貞知 :平治元年一二月(1160年1月)見
- 17.藤原頼経 :永万二年二月(1166年2月)任
- 18.(姓欠)盛業 :治承二年十一月(1178年12月)見
- 19.源俊光 :治承四年正月(1180年1月)任、同年二月(1180年2月)罷
- 20.平知親 :寿永二年十一月(1183年12月)見
- 21.平親明 :正治元年九月(1199年9月)任
- 22.(姓欠)信久 :建暦二年正月(1212年1月)見
- 23.源康実 :建保元年正月(1213年1月)任
- 24.葛西清重 :承久元年正月(1219年1月)見
- 25.三善為重 :承久二年四月(1220年5月)任
- 26.(姓欠)公尚 :承久四年四月(1222年5月)見
- 27.藤原祐康 :安貞元年一二月(1228年1月)任
- 28.高階時宗 :安貞二年正月(1228年2月)任
- 29.清原宣業 :寛喜元年一二月(1229年12月)任
- 30.藤原業教 :寛喜二年正月(1230年1月)任、同三年二月(1231年3月)罷
- 31.中原行兼 :寛喜三年二月(1231年3月)任
- 32.中原師胤 :天福元年正月(1233年2月)任
- 33.惟宗朝直 :嘉禎元年十一月(1235年12月)見
- 34.三浦光村 :嘉禎三年正月(1237年1月)任、
- 35.佐々木泰綱 :嘉禎三年一二月(1237年12月)任、暦仁元年八月(1238年9月)罷
- 36.中原師世 :仁治元年正月(1240年1月)任
- 37.源兼頼 :寛元三年正月(1245年1月)任
- 38.藤原兼倫 :宝治二年正月(1248年1月)任、建長二年正月(1250年2月)罷
- 39.藤原基政 :建長三年正月(1251年1月)任
- 40.三善倫経 :弘安六年一二月(1283年12月)任
- 41.橘邦範 :弘安七年十一月(1284年12月)任
- 42.藤原祐兼 :正応元年三月(1288年4月)任
- 43.藤原遠業 :正応元年四月(1288年5月)任
- 44.源忠宗 :正応元年九月(1288年9月)任
- 45.平清秀 :貞和四年一二月(1348年12月)任
- 46.大内名欠 :延文三年一二月(1358年12月)見
- 47.藤原清徳 :正平一四年七月(1359年7月)見
- 48.(姓欠)信明 :明徳元年八月(1390年9月)見
※『長崎県史』より
守護
[編集]鎌倉幕府
[編集]室町幕府
[編集]【この期間は守護職不在の可能性あり】
- 1378年~1395年 - 今川貞世
武家官位としての壱岐守
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江戸時代
[編集]律令制の駅
[編集]- 優通駅(ゆうずえき):石田郷に所在した。
- 何周駅(かすえき):可須郷に所在した。
参考文献
[編集]- 国別守護・戦国大名辞典
- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]- 壱岐島
- 令制国一覧
- 壱岐市
- 一支国 - 魏志倭人伝に登場する邪馬台国までの経路上の一国。壱岐島に比定する説が有力視される。
- 壱岐 (戦艦)‐旧日本海軍の戦艦、海防艦。元はロシア帝国海軍の戦艦インペラートル・ニコライ1世。艦名は壱岐国に因む。