城義臣
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城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11日[1] - 1976年(昭和51年)9月21日)は日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。
経歴
[編集]1904年(明治37年)、熊本県に生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法文学部哲学科を卒業し、1929年(昭和4年)に早稲田大学政治経済学部を卒業する。
法政大学社会学研究室助手・講師、九州日報編集局員、日本ピアノ輸入・帝國土地建物・甲南航空工業・天産航空部品・城興産・竜門木材工業各取締役、私塾城山学舎舎主、福岡文化学園理事長兼校長を歴任する。
1948年の参議院熊本県選挙区補欠選挙に日本自由党から出馬し、当選する。第3次吉田内閣で行政管理政務次官に就任し、自由党政務調査会副会長、同党顧問を務める。
1976年(昭和51年)9月21日死去、71歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される[2]。