垂柳遺跡
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所在地 | 青森県南津軽郡田舎館村大字垂柳 |
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座標 | 北緯40度37分55.8秒 東経140度33分56.7秒 / 北緯40.632167度 東経140.565750度座標: 北緯40度37分55.8秒 東経140度33分56.7秒 / 北緯40.632167度 東経140.565750度 |
種類 | 遺跡 |
歴史 | |
時代 | 弥生時代中期 |
登録日 | 2000年4月11日 |
垂柳遺跡(たれやなぎいせき)は、青森県南津軽郡田舎館村にある弥生時代中期の遺跡。国の史跡に指定されている。
概要
[編集]1981年(昭和56年)の国道102号バイパス化工事の試掘調査に際して弥生時代の水田跡が10面程発見された。[1]
遺跡周辺からは弥生土器の出土事例があり遺跡の存在が想定されており[2]、地元の中学教諭が出土遺物を収集し調査・研究していた。
1958年(昭和33年)秋に東北大学による発掘調査が行われた。その結果、稲作農業が弥生時代中期後半の田舎館式土器期には成立していたことが証明された。その後、1982年(昭和57年)から翌83年の2か年にわたる県教育委員会の発掘調査により畔で区画された656面の水田跡が検出され[3]、それまで東北地方北部における弥生時代の水田稲作は否定的であったが、津軽平野のみであるが稲作をはじめとする弥生文化が受容されていた可能性が濃くなった[4]。
また、遺跡から北西20キロメートル地点に位置する青森県弘前市で発見された砂沢遺跡においても弥生前期末の水田跡と水田稲作と関係する遠賀川式土器が確認されており、稲作文化の北限と位置づけられている。
2000年(平成12年)4月11日、国の史跡に指定された[5]。
主な出土品
[編集]所在地
[編集]- 〒038-1112 青森県南津軽郡田舎館村大字垂柳
アクセス・交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 「新編弘前市史」編纂委員会『新編弘前市史 通史編1(自然・原始)』弘前市企画部企画課、2001年3月、352頁。
- ^ 1955年(昭和30年)から翌年にかけての圃場整備に際しては、一帯から多量の土器とともに炭化米が出土している。
- ^ 浅瀬石川の氾濫によると思われる火山灰を含む土砂が水田一体に流入し覆われていたため、保存状態が良好であった。広報いなかだて 2020年9月号2024年7月10日閲覧
- ^ 村越潔「青森県の黎明」『青森県の歴史』山川出版社〈県史〉、2000年2月、26頁。ISBN 4-634-32020-7。
- ^ “垂柳遺跡”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b c 青森県 垂柳遺跡出土品 2024年7月10日閲覧
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 田舎館村埋蔵文化センター・田舎館村博物館 - ウェイバックマシン(2023年12月22日アーカイブ分)
- 垂柳遺跡 - あおもりの文化財(青森県)
- 垂柳遺跡 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- 大阪府立弥生文化博物館 弥生博のカイトとリュウさん 遺跡へ行こう! その5 弥生米の終着駅 垂柳遺跡