喜連川氏春
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛文10年5月11日(1670年6月28日) |
死没 | 享保6年6月25日(1721年7月19日) |
別名 | 戌王丸(幼名)→氏春 |
戒名 | 太常院殿天山道公大居士 |
墓所 | 栃木県さくら市喜連川の龍光寺 |
官位 | 左兵衛督 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継→吉宗 |
藩 | 下野喜連川藩主 |
氏族 | 足利氏(宮原家→喜連川家) |
父母 |
父:宮原義辰、母:側室某氏 養父:喜連川昭氏 |
兄弟 | 宮原義真、氏春、杉浦政令正室 |
妻 | 正室:喜連川昭氏の長女 |
子 | 茂氏、娘(前田長泰正室) |
喜連川 氏春(きつれがわ うじはる)は、江戸時代中期の大名。下野喜連川藩の第4代藩主。
生涯
[編集]寛文10年(1670年)5月11日、足利家一門の高家で下野国足利郡駒場村(現在の栃木県足利市)に1040石を領していた宮原義辰の次男として生まれる。喜連川昭氏の嫡子(養嗣子)だったその弟氏信が早世したため、生まれた直後の同年7月23日に昭氏の養嗣子となった。
天和2年(1682年)7月28日に徳川綱吉に御目見し、正徳3年(1713年)に昭氏が死去したために、正徳4年(1714年)1月19日に跡を継いだ。享保6年(1721年)6月25日に死去。享年52。
跡を長男の茂氏が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 喜連川昭氏の娘
子女