善竹玄三郎
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善竹 玄三郎(ぜんちく げんざぶろう、1914年5月23日 - 2011年9月26日)は、日本の狂言方大蔵流能楽師。本名・茂山喜三(しげやま きぞう)。
本名 | 茂山喜三(しげやま きぞう) |
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生年月日 | 1914年5月23日 |
没年月日 | 2011年9月26日(97歳没) |
出生地 | 日本・兵庫県神戸市 |
職業 | 能楽師 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1919年‐1999年 |
活動内容 | 能楽(能・狂言) |
配偶者 | あり |
著名な家族 |
子供:善竹長徳 孫:善竹徳一郎 曾孫:善竹高徳 |
経歴
[編集]1914年、初世善竹彌五郎の三男として生まれる。兄に初世善竹忠一郎[1]が、弟に善竹圭五郎[2]がいる。子に善竹長徳がいる。孫に善竹徳一郎がいる。 金春流宗家より父彌五郎が善竹の姓を受け[3]、一家をあげて改姓した。
1919年、5歳で狂言「以呂波」のシテで初舞台。
1935年、日本大学大阪中学校を卒業する。
1951年、「三番三」を披く。
1953年、「釣狐」を披く。
1960年、「花子」を披く。
1999年4月、「蛸」のシテを最後に85歳で狂言方を引退した。
2011年9月26日、老衰の為死去。享年98(満97歳没)[4]。初世彌五郎の5人の子息ではもっとも長命かつ、最後の存命人物であった。また、晩年は曾孫・高徳の初舞台を楽しみにしていたという。
脚注
[編集]- ^ “善竹 忠一郎(初世)”. 新撰 芸能人物事典 明治〜平成(日外アソシエーツ). 2022年2月22日閲覧。
- ^ “善竹 圭五郎”. 新撰 芸能人物事典 明治〜平成(日外アソシエーツ). 2022年2月22日閲覧。
- ^ “昭和の名跡、後世へ 襲名披露する大蔵流狂言師 忠一郎改め善竹弥五郎”. 毎日新聞. (2018年10月25日) 2021年2月2日閲覧。
- ^ 文化デジタルライブラリー(2022年5月22日閲覧)