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善竹忠一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

善竹 忠一郎(ぜんちく ちゅういちろう)は、能楽師狂言方大蔵流名跡。現在は空き名跡。

初世

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初世善竹ぜんちく 忠一郎ちゅういちろう
本名 茂山 忠一
別名義 茂山 忠一良
生年月日 (1910-01-25) 1910年1月25日
没年月日 (1987-05-23) 1987年5月23日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本兵庫県神戸市
死没地 日本の旗 日本東京都
職業 能楽師
ジャンル 舞台
活動内容 能楽(能・狂言)
著名な家族 父:初世善竹彌五郎
兄弟:二十四世大藏彌右衛門善竹玄三郎善竹幸四郎善竹圭五郎
長男:二世善竹彌五郎
次男:善竹忠重
孫:善竹隆司
孫:善竹隆平
孫:善竹忠亮
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初世善竹 忠一郎(ぜんちく ちゅういちろう、1910年明治43年)1月25日 - 1987年昭和62年)5月23日)は、狂言方大蔵流能楽師

初世善竹彌五郎の長男として兵庫県神戸市に生まれた[1]。後に京都に移住し、旧制京都紫野中学校(現・京都市立紫野高等学校)中退した後、父及び祖父であった2世茂山忠三郎から能楽を学ぶ[1]

1916年大正5年)に初めて舞台に立った後[1]1963年(昭和38年)に日本能楽会会員となる[1]1981年(昭和56年)には勲五等双光旭日章を受賞した[1]二世善竹彌五郎は長男。

脚注

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  1. ^ a b c d e 善竹 忠一郎(初世)”. 新撰 芸能人物事典 明治〜平成(日外アソシエーツ). 2022年2月22日閲覧。