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吉野周太郎 (9代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉野周太郎
よしの しゅうたろう
生年月日 1851年12月24日
出生地 日本の旗 日本 陸奥国信夫郡八島田村
(現福島県福島市八島田)
没年月日 (1911-08-02) 1911年8月2日(59歳没)
前職 第百七国立銀行頭取
子女 婿養子・吉野周太郎

在任期間 1904年9月29日 - 1911年8月2日
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9代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1851年12月24日(嘉永4年12月2日[1])- 1911年明治44年)8月2日[2][3])は、明治期の実業家政治家貴族院多額納税者議員。幼名・九八郎[1]

経歴

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陸奥国信夫郡八島田村[4]福島県信夫郡野田村吾妻町を経て現:福島市八島田。当時は越後新発田藩の領地。)に於いて名主吉野安兵衛の四男として生まれる[1]。兄・周太郎の死後に9代周太郎を襲名し、1898年(明治31年)4月に家督を相続した[1]

1897年(明治30年)以降、第百七国立銀行取締役、同頭取などを務めた[1][2]。1904年(明治37年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[2][5]、 1911年8月、在任中に死去した[2][6]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録』第2版、514頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』228頁。
  3. ^ 『明治過去帳』1224頁。
  4. ^ a b 『福島大百科事典』1015頁。
  5. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  6. ^ 『官報』第8439号、明治44年8月8日。
  7. ^ 『福島県史 第22巻』525頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 福島民報社編『福島大百科事典』福島民報社、1980年。
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 人事興信所編『人事興信録』第2版、1908年。