吉野周太郎 (9代)
表示
吉野周太郎 よしの しゅうたろう | |
---|---|
| |
生年月日 | 1851年12月24日 |
出生地 |
日本 陸奥国信夫郡八島田村 (現福島県福島市八島田) |
没年月日 | 1911年8月2日(59歳没) |
前職 | 第百七国立銀行頭取 |
子女 | 婿養子・吉野周太郎 |
在任期間 | 1904年9月29日 - 1911年8月2日 |
9代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1851年12月24日(嘉永4年12月2日[1])- 1911年(明治44年)8月2日[2][3])は、明治期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・九八郎[1]。
経歴
[編集]陸奥国信夫郡八島田村[4](福島県信夫郡野田村、吾妻町を経て現:福島市八島田。当時は越後新発田藩の領地。)に於いて名主吉野安兵衛の四男として生まれる[1]。兄・周太郎の死後に9代周太郎を襲名し、1898年(明治31年)4月に家督を相続した[1]。
1897年(明治30年)以降、第百七国立銀行取締役、同頭取などを務めた[1][2]。1904年(明治37年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[2][5]、 1911年8月、在任中に死去した[2][6]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 福島民報社編『福島大百科事典』福島民報社、1980年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 人事興信所編『人事興信録』第2版、1908年。