コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉野周太郎 (10代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉野周太郎
よしの しゅうたろう
生年月日 1871年5月30日
出生地 陸奥国白河郡
(現福島県白河市
没年月日 (1937-05-22) 1937年5月22日(65歳没)
前職 福島県信用組合連合会理事長
配偶者 吉野トミ
親族 養父・9代 吉野周太郎(貴族院議員)
娘婿・堀切善兵衛(衆議院議長)

在任期間 1925年9月29日 - 1928年10月27日
テンプレートを表示

10代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1871年5月30日明治4年4月12日[1][2]〉 - 1937年昭和12年〉5月22日[1][3])は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家政治家貴族院多額納税者議員。旧姓は伊藤、幼名は要三[1][2]。福島経済界の「巨人」と称された[1][4]

経歴

[編集]

陸奥国白河郡、後の福島県西白河郡白河町(現白河市)で素封家・伊藤善右衛門の三男として生まれ[1][4]、1888年(明治21年)7月、信夫郡八島田村(信夫郡野田村吾妻町を経て現:福島市八島田)の9代吉野周太郎の婿養子となる[1][4]。1911年(明治44年)8月、養父の死去に伴い家督を継承し、同年11月、10代周太郎を襲名した[2]

養父の築いた多額の財産により、福島第六銀行頭取、第百七銀行頭取、福島銀行[注 1]頭取、武蔵野銀行頭取、岩代銀行頭取、福島電灯社長、夏井川水電取締役会長、福島羽二重取締役会長、福島県購買組合連合会理事長、同県信用組合連合会理事長などを務めた[1][2][3][4][5]

1925年(大正14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられた[3][6]昭和金融恐慌世界恐慌により財産を失い[1][4]、貴族院議員を1928年(昭和3年)10月27日に辞職した[3][7]。手形濫発事件で同年11月2日、福島地方裁判所から懲役2年6月の実刑判決[8]。これにより従七位返上を命じられ[9]勲六等及び大礼記念章を褫奪された[10]

親族

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 現在の福島銀行とは異なる銀行。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『福島県史 第22巻』525頁。
  2. ^ a b c d 『福島誌上県人会』28頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』228頁。
  4. ^ a b c d e 『福島大百科事典』1015頁。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第8版』ヨ59-60頁。
  6. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
  7. ^ 『官報』第554号、昭和3年10月29日。
  8. ^ 吉野周太郎氏 懲役二年半」『朝鮮新聞』1928年11月3日、5面。2024年3月18日閲覧。
  9. ^ 官報 1931年3月13日 二九五頁
  10. ^ 官報 1931年3月20日 四四六頁

参考文献

[編集]
  • 松沢忠雄編『福島誌上県人会』福島県友会出版部、1923年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 福島民報社編『福島大百科事典』福島民報社、1980年。