吉川朝経
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 治承6年(1182年) |
死没 | 仁治元年10月3日(1240年10月19日)[1] |
改名 | 経兼[1]→朝経→常全(法名)[1] |
別名 | 二郎[1] |
官位 | 左衛門尉[1] |
主君 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 藤原南家工藤流吉川氏 |
父母 | 父:吉川友兼[1] |
妻 | 船越維定女 |
子 | 経光[1] |
吉川 朝経(きっかわ ともつね)は、鎌倉時代の武士、御家人。吉川氏3代当主。
生涯
[編集]正治2年(1200年)の梶原景時一族追討(梶原景時の変)の際に父吉川友兼を失うも、亡父の功と本人の功を讃えられて加増され、梶原氏の所領であった播磨国福井荘の地頭に任ぜられた。
嫡男である経光とは生年が僅か10年しか変わらないため、兄弟もしくは親戚筋からの養子の可能性もある。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。
- 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:84027305。
- 北広島町史
- 中国新聞社『歴史紀行 安芸吉川氏』新人物往来社、1988年6月。ISBN 4-404-01517-8。