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古布庄村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こうのしょうそん
古布庄村
廃止日 1954年2月1日
廃止理由 新設合併
八橋町浦安町下郷村上郷村古布庄村東伯町
現在の自治体 東伯郡琴浦町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,943
国勢調査、1950年)
隣接自治体 上中山村赤碕町、下郷村、栄村倉吉市関金町日野郡江府町西伯郡大山町
古布庄村役場
所在地 鳥取県東伯郡古布庄村大字古長
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古布庄村(こうのしょうそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡琴浦町の一部にあたる。

地理

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加勢蛇川中流の河岸段丘に位置していた[2]

歴史

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  • 1887年(明治20年)派出所設置[3]
  • 1889年(明治22年)
    • 同年、駐在所を設置[3]
    • 10月1日、町村制の施行により、八橋郡法万村、杉地村、八反田村、宮場村、矢下村、古長村、別宮村が合併して村制施行し、古布庄村が発足[1][2]。旧村名を継承した法万、杉地、八反田、宮場、矢下、古長、別宮の7大字を編成[2]三本杉村との組合役場を古布庄村大字古長に設置[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1900年(明治33年)5月1日、東伯郡三本杉村と合併し古布庄村が存続[1][2]。旧三本杉村の大字三本杉・中津原・野井倉を継承し10大字となる[2][4]
  • 1937年(昭和12年)古布庄郵便取扱所が開設され、その後、古長郵便局となる[3]
  • 1953年(昭和28年)村営診療所開設[3]。古布庄公民館開設[3]
  • 1954年(昭和29年)2月1日、東伯郡八橋町、浦安町、下郷村、上郷村と合併し東伯町を新設して廃止された[1][2]。合併後、東伯町大字法万・杉地・八反田・宮場・矢下・古長・別宮・三本杉・中津原・野井倉となる[2]

産業

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  • 農業

教育

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  • 1887年(明治20年)古長尋常小学校が開校し、古長簡易小学校を併置[3]。1907年(明治40年)高等科を併置し古長尋常高等小学校となる[3]。1916年(大正5年)古布庄尋常高等小学校に改称[3]。1941年(昭和16年)古布庄国民学校に改称[3]。1947年(昭和22年)古布庄小学校に改称[3]
  • 1947年、古布庄小学校校舎の一部を用いて古布庄中学校開校[3]。1950年(昭和25年)聖郷中学校に統合され同校古布庄分教場となる[3]

脚注

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  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』307-308頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』327頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 「古長〈東伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』681頁。
  4. ^ 「三本杉〈東伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』378頁。

参考文献

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関連項目

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