古川久吉 (1846年生の実業家)
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古川 久吉[1](ふるかわ きゅうきち[2]、1846年6月13日(弘化3年5月20日)[3] - 1925年(大正14年)7月7日[4])は、日本の商人(米穀商)[1]、政治家(広島市会議員)[1]、広島県の大地主[1][5]、広島県多額納税者[1][6]、醸造家[1]、実業家[2]、資産家[7]。族籍は広島県平民[3][6][8][9]。
人物
[編集]広島市観音村[1](現・広島県広島市西区観音地区)生まれ。古川伊三郎の長男[3][6][9]。後家督を相続する[3][6]。維新前より米穀商を営み、旧藩の御用を勤める[1]。1870年、醤油醸造を始める[1]。
1882年、堺町に於いて清酒醸造を兼営する[1]。1887年、紙屋町へ酒造場を増築する[1]。1889年、自家の向かいへ移転し、専らその発展に努力し、実地の状勢に応じ醤油酒醸造の石数を年々増加し外国に輸出するに至り酒造業は賃貸に改め、専心優良の醤油醸造に腐心する[1]。
広島産業銀行、藝備銀行各取締役[8]、藝備鉄道、廣島銀行、広島商業銀行、広島貯蓄銀行各監査役などをつとめる[6][9]。
市郡町村に亘り土地を所有する大地主であり、家屋数百戸を建築貸与し、市民より尊重される[1]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[10]。本籍は広島市[10]。住所は広島市堺町四丁目[3][11](現・広島市中区堺町)。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 古川家
- 父・伊三郎(広島平民)[6][9]
- 長男・久吉(1870年 - ?、前名・芳蔵、醸造家、藝備銀行取締役[12]、広島株式取引所理事[13])- 1925年、家督を相続し、前名芳蔵を改める[12]。
- 孫[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『広島県紳士名鑑』広島市之部145頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ a b 『日本現今人名辞典』ふ14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』ふ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ 『官報 1925年09月17日』官報 第3921号 451頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月7日閲覧。
- ^ 『広島県下役員録』2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』ふ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月15日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』ふ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』ふ32 - 33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月15日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』貴族院多額納税議員互選者住所氏名 広島県467頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c 『紺綬褒章名鑑 大正8年〜昭和16年』13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月18日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』フ94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』フ86頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月14日閲覧。
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』下巻、社団法人霞会館、1996年、733頁。
参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 佐古豊次郎編『広島県下役員録』広島独立通信社、1909年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1925年09月17日』日本マイクロ写真、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 大正8年〜昭和16年』総理府賞勲局、1986年。