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栗原美和子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原夏美から転送)
くりはら みわこ
栗原 美和子
生年月日 (1964-12-15) 1964年12月15日(60歳)
出生地 福岡県直方市
職業 プロデューサー
事務所 フジテレビ共同テレビLaLa TV⇒共同テレビ
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栗原 美和子(くりはら みわこ、1964年(昭和39年)12月15日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー共同テレビ執行役員、制作センター第1制作部ゼネラルプロデューサー。

フジテレビドラマプロデューサー、LaLa TVエグゼクティブプロデューサーを歴任した。

来歴・人物

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福岡県直方市出身。実家は日蓮宗の寺院。

1987年早稲田大学第一文学部卒業後、フジテレビ入社。新入社員研修の際、講師役の横澤彪に「同じ誕生日ですね。」と話しかけ、直接第二制作部への配属を直訴したという[1]バラエティ番組ADディレクターとして『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも!』などの制作に携わった後、深夜ローカルのお笑い番組『笑いの殿堂』(ビデオ化、舞台化もされている)のAPを務める。この番組では、ウッチャンナンチャン内村光良が栗原に扮し物真似を披露。「栗原スーザン美和子」としてわがままな女を演じた。

1992年より第一制作部に移り、ドラマを手がけることとなり、『仰げば尊し』(1994年)でプロデューサーデビュー。『For You』(1995年)、『ピュア』(1996年)、『ドク』(1996年)、『バージンロード』(1997年)、『ムコ殿』(2001年)、『人にやさしく』(2002年)など数々のヒット作品をプロデュースした。また『お台場明石城』などのバラエティ番組にも出演。「明石城」では奉行(企画の品評役)の一人として出演し、「(TBSの)サンデージャポンしか見てないんですよ」という発言がきっかけとなり、2005年10月9日の同番組にVTR出演した。

共同テレビに出向

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2009年、フジテレビから子会社の共同テレビに出向。

2011年8月、LaLa TVのエグゼクティブプロデューサーに就任。

2013年いっぱいでLaLaTVとの契約を終了し、2014年より共同テレビに再出向、2022年より現職。

私生活

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2007年猿まわしコンビ「太郎次郎」の村﨑太郎と結婚[2]。翌2008年10月、自身と村﨑の2人を元にした私小説『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎)を上梓した。

2008年12月28日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)に手記を寄せた。竹本輝之プロデューサー(当時)宛に寄せた手記で栗原は、フジテレビ社員としてではなく一個人として書いたと前置きし、番組の差別問題を特集した回の第1弾の放送(11月16日)を母親が観たことに触れた。手記の内容は、差別問題特集の第2弾(12月28日放送)で公開され、それには村﨑もゲスト出演している。

2010年6月、村﨑との共著『橋はかかる』(ポプラ社刊)を出版。この本は全国学校図書館協議会の選定図書に認定され、2人で全国の人権問題に関するセミナーなどで講師も務めた。

2015年、前年より別居していた村﨑と離婚。

執筆活動

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本名のほか、原夏美というペンネームでも執筆活動を展開している。原名義でのデビュー作は、2004年に放送されたドラマ『東京湾景〜Destiny of Love〜』の脚本。また、2005年には小説『スタートライン 盲目のスプリンター』も著し[3]、同年には自らのプロデュースで『スタートライン〜涙のスプリンター〜』としてドラマ化した(脚本:いずみ吉紘)。

プロデュース作品

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連続ドラマ

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スペシャルドラマ

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映画

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著書

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原夏美名義

共著

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  • 村崎太郎、栗原美和子 『橋はかかる』ポプラ社、2010年6月。ISBN 978-4591118535

脚注・出典

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  1. ^ 『テレビの企画書 新番組はどうやって生まれるか?』
  2. ^ 栗原は、この年3月に放送された、村﨑の著書を原作とする単発ドラマ『太郎と次郎〜反省ザルとボクの夢〜』のプロデューサーを務めている。
  3. ^ 原夏美『スタートライン 盲目のスプリンター』講談社、2005年、362頁。ISBN 978-4062129152 

関連項目

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外部リンク

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