コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

南渕時高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南淵時高から転送)
南渕 時高
福山ローズファイターズ 監督 #86
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府東大阪市
生年月日 (1965-10-29) 1965年10月29日(59歳)
身長
体重
170 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手
プロ入り 1989年 ドラフト4位
初出場 1990年6月16日
最終出場 2000年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

南渕 時高(みなみぶち ときたか、1965年10月29日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手内野手)、野球指導者。

現役時代は粘り強い打撃で相手投手に嫌がられる打者としてチームを支えた[要出典]

経歴

[編集]

小学4年生の時にソフトボールを始め、中学入学後にボーイズリーグに入って本格的に野球を始める[1]天理高校時代は、3年次の1983年遊撃手として第65回全国選手権に出場。1回戦で岐阜一高に完封負け[2]

高校卒業後は、青山学院大学に進学。東都大学リーグでは1984年秋季リーグから一部昇格を果たすが、優勝には届かなかった。一部リーグ通算88試合に出場し、打率.327(312打数102安打)、6本塁打、39打点。ベストナイン(遊撃手)2回受賞。4年時は主将を務めた。大学同期に内山正博投手がいる[3]。大学生時代には、同じ東都大学リーグで駒澤大学野村謙二郎と遊撃手のベストナインを争ったことがあった[1]

大学卒業後は、社会人野球東芝に進み、1988年都市対抗に出場。準々決勝で新日本製鐵堺野茂英雄をKOし、快勝。準決勝では適時打を放ち、大昭和製紙北海道を降す。決勝ではNTT東海に9回裏サヨナラ勝ち、5年ぶりの優勝を飾った[4]。続く同年の日本選手権でも順調に勝ち進み、決勝では本田技研熊本と対戦、大学同期の内山投手を打ち崩し、優勝。都市対抗、日本選手権の同一年制覇は史上初である。この大会では準決勝で本塁打を放つなど攻守の要として活躍し、最高殊勲選手賞を獲得[5]。同年の社会人ベストナイン(遊撃手)にも選出される。1989年にも都市対抗に連続出場。同年は第9回インターコンチネンタルカップ、第15回アジア野球選手権大会日本代表に選出された。東芝のチームメートには丹波健二菊池総らがいる。

1989年度プロ野球ドラフト会議にてロッテオリオンズから4位指名を受け、入団。

1991年シーズンには佐藤健一らと遊撃手のレギュラーを争い[6]、翌1992年シーズンには定位置を確保する[7]1993年シーズンには当時の日本記録である14打席連続出塁を達成。この年チーム唯一のスポーツ紙の一面を飾った。この年のオフに年俸が上がったのには「一面に載ってロッテの宣伝になった」ことも理由だったという[7]1995年シーズンから二塁手に回る。これについて本人は「遊撃手として誇りをもってやって来たのに、ショート失格の烙印を押されて左遷されたようで、悔しかった」と後日話している[7]1996年シーズンには初の規定打席(18位、打率.264)に達する[6]。同年4月には無本塁打ながら打率0.349、2打点を記録し、月間MVPを受賞[8]。しかし翌1997年シーズンには小坂誠の入団によって内野陣が再編成され、堀幸一が二塁に戻されたこともあって出場機会が激減、シーズン後半にはほとんど出番がなくなる[6]。同年のシーズンオフに読売ジャイアンツ阪神タイガースも獲得しようとしていたようだが中日ドラゴンズへ移籍。移籍1年目の1998年シーズンには、控え内野手として起用される[6]1999年に中日はセ・リーグ優勝を果たすが、当人はちょうどその時ふくらはぎを痛めるなどして離脱していたことで、優勝の思い出は無いという[6]同年の日本シリーズには出場選手として登録されていたが出場機会は無く[6]、同年オフに戦力外通告を受ける[6]

2000年シーズンには、当時監督に在任していた仰木彬にパンチ力を買われ、オリックス・ブルーウェーブへ移籍したものの[6][9]、同年オフに前年に続いて戦力外通告を受け[6]、同シーズン限りで現役を引退[6]

引退後は一時期、ヤングリーグ所属の中学硬式野球チーム「ヤングパドレス」の監督として指導をしていた。その後、サンリーグ所属の中学硬式野球チーム「奈良サンマリーンズ」の総監督を務めた。一方、プロ野球マスターズリーグでは名古屋80D'sersに所属していたが、2006年より大阪ロマンズに所属した。[要出典]

2017年より、独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズで野手総合コーチを務める[10]2020年11月20日、東京ヤクルトスワローズから育成ドラフト2位指名を受けた赤羽由紘の素質を伸ばした育成手腕などを評価され、2021年もコーチ契約を更新したことが発表された[11]。同年シーズン終了後の10月9日、退任が発表された[12]。10月30日、2022年よりリーグ戦を開始する日本海オセアンリーグ福井ネクサスエレファンツ(福井ワイルドラプターズに代わる新球団)で監督に就任することが発表された[13]。シーズン開幕後の4月24日に、体調不良による休養を球団に申し入れ、ヘッドコーチ兼投手コーチの吉田篤史が監督代行に就任した[14]。5月31日、福井球団は「諸般の事情」により南渕との監督契約を解除したと発表した[15]

2023年1月25日、ベイサイドリーグ(日本海オセアンリーグが改組改称)の本部長に就任することが発表された[16]

2024年からは、広島県福山市に所在するクラブチームの福山ローズファイターズの監督に就任。

人物

[編集]

「ブチ」とよく呼ばれている[7]。同い年である古田敦也池山隆寛とは以前から親交があり、彼らからもこう呼ばれている[要出典]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1990 ロッテ 37 96 80 12 21 8 0 0 29 5 2 1 2 0 13 0 1 13 4 .263 .372 .363 .735
1991 104 263 214 21 53 14 4 3 84 24 0 3 16 0 32 0 1 30 9 .248 .348 .393 .741
1992 105 362 299 34 76 16 2 3 105 27 2 1 24 2 35 1 2 40 6 .254 .334 .351 .685
1993 107 294 220 37 60 12 2 1 79 22 4 2 25 3 44 0 2 25 4 .273 .394 .359 .753
1994 111 375 319 29 88 19 1 6 127 39 1 3 11 5 38 1 2 29 7 .276 .352 .398 .750
1995 107 355 303 24 82 10 1 4 106 31 5 0 14 3 33 0 2 26 6 .271 .343 .350 .693
1996 128 518 439 41 116 22 1 5 155 38 7 1 29 2 48 2 0 36 12 .264 .335 .353 .688
1997 35 82 73 5 15 3 0 0 18 1 0 0 1 0 8 0 0 10 3 .205 .284 .247 .531
1998 中日 66 97 87 1 23 6 0 0 29 13 0 0 0 0 9 1 1 9 2 .264 .340 .333 .674
1999 16 16 14 1 2 2 0 0 4 1 0 0 0 1 1 0 0 1 1 .143 .188 .286 .473
2000 オリックス 8 9 7 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 0 0 2 0 .286 .444 .286 .730
通算:11年 824 2467 2055 206 538 112 11 22 738 201 21 11 122 16 263 5 11 221 54 .262 .346 .359 .705

表彰

[編集]

記録

[編集]
初記録
その他の記録
  • 14打席連続出塁(1993年7月16日 - 25日) ※当時のNPB記録[17]

背番号

[編集]
  • 31 (1990年 - 1991年途中、1998年 - 1999年)
  • 7 (1991年途中 - 1996年)※シーズン途中に広島東洋カープから復帰し、一旦7を着用していた高沢秀昭(移籍前には31を着用)と背番号を交換
  • 1 (1997年)
  • 35 (2000年)
  • 76(2017年 - 2021年)
  • 77(2022年)

関連情報

[編集]

著書

[編集]

出演

[編集]

映画

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 週刊ベースボール 2024年9月23日号 シリーズ連載『レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し 南渕時高・1』(64頁 - 66頁)
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 神宮球場ガイドブック1988年春号 ベースボールマガジン社編
  4. ^ 日本野球連盟『都市対抗野球大会60年史』毎日新聞社 1990年
  5. ^ 社会人野球日本選手権大会40年史 日本野球連盟
  6. ^ a b c d e f g h i j 週刊ベースボール 2024年10月7日号 シリーズ連載『レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し 南渕時高・3』(64頁 - 66頁)
  7. ^ a b c d 週刊ベースボール 2024年9月30日号 シリーズ連載『レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し 南渕時高・2』(64頁 - 66頁)
  8. ^ スポーツニッポン 1996年5月9日付 4面
  9. ^ 『プロ野球選手写真名鑑』日刊スポーツ、2000年、[要ページ番号]
  10. ^ 南渕コーチ就任のお知らせ
  11. ^ 信濃、南渕コーチの契約更新発表 福地コーチは退団信毎Web
  12. ^ 南渕コーチ退団のお知らせ - 信濃グランセローズ(2021年10月9日)2021年10月9日閲覧。
  13. ^ 福井ネクサスエレファンツ 監督就任のお知らせ - 日本海オセアンリーグ(2021年10月30日)2021年10月30日閲覧。
  14. ^ 福井ネクサスエレファンツ [@nexuselephants] (2022年4月24日). "【監督 南渕時高の休養と監督代行について】". X(旧Twitter)より2022年4月24日閲覧
  15. ^ 監督契約解除について - 日本海オセアンリーグ(2022年5月31日)2022年6月7日閲覧。
  16. ^ ベイサイドリーグ [@BSL_indyball] (2023年1月25日). "リーグ運営体制について". X(旧Twitter)より2023年1月25日閲覧
  17. ^ 『94スポニチプロ野球手帳』スポーツニッポン新聞社、1994年、166頁。 
  18. ^ 映画『レフトフライ』上映会”. 信濃グランセローズ (2017年12月1日). 2018年6月17日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]