安藤喜春
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1941年(82 - 83歳) |
選手情報 | |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。
来歴・人物
[編集]沼津東高等学校では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、静岡高に延長14回逆転サヨナラ負け。1959年に社会人野球の大昭和製紙に入社、10年間遊撃手として活躍した[1][2]。1961年の都市対抗では準決勝に進むが、新三菱重工に敗退[3]。1968年には全日本代表のメンバーにも選ばれた[1]。
1969年から大昭和製紙北海道の監督を務め、1974年の都市対抗野球で北海道のチームで初の優勝を果たし[3]、同年には社会人ベストナインの特別表彰を受けている[1][4]。
1980年から古巣の大昭和製紙の監督を務め、1980年の都市対抗でチームを優勝に導いた[1]。一時、富士市立吉原商業高等学校の監督となり、再度大昭和製紙の監督を1992年まで務めた。
1989年の第15回アジア野球選手権大会では全日本チームの監督を務めた[1]。