南小樽駅
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南小樽駅 | |
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駅舎(2017年5月) | |
みなみおたる Minami-Otaru | |
◄S15 小樽 (1.6 km) (2.1 km) 小樽築港 S13► | |
所在地 | 北海道小樽市住吉町10番7号 |
駅番号 | ○S14 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■函館本線 |
キロ程 | 254.1 km(函館起点) |
電報略号 | タル |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
1,586[* 1][注釈 1]人/日(降車客含まず) -2022年- |
開業年月日 | 1880年(明治13年)11月28日[1] |
備考 |
南小樽駅 | |
---|---|
みなみおたる Minami-Otaru | |
(2.8 km) 手宮► | |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 手宮線(貨物線) |
キロ程 | 0.0 km(南小樽起点) |
開業年月日 | 1880年(明治13年)11月28日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)11月5日[1] |
南小樽駅(みなみおたるえき)は、北海道小樽市住吉町にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号はS14。電報略号はタル。事務管理コードは▲130116[2][3]。
快速「エアポート」「ニセコライナー」の停車駅であり、「南樽」(なんたる)の愛称で親しまれ[4]、駅構内のサクラは小樽市の桜の名所の1つになっている[5]。
歴史
[編集]- 1880年(明治13年)
- 1881年(明治14年)
- 5月:開運町駅が小樽大火によって焼失。第2住吉隧道を挟んだ反対側(手宮方)、入舟町陸橋(当時)手前の住吉町に移転。
- 5月22日:住吉駅(すみよしえき)に改称[1]。
- 1888年(明治21年)4月:官営幌内鉄道が北有社に運輸業務譲渡[1]。
- 1889年(明治22年)12月11日:北有社の事業譲渡に伴い、北海道炭礦鉄道に移管[1]。
- 1891年(明治24年):現在の駅構内に相当する第2住吉隧道が切通しとなる[6]。
- 1898年(明治31年)度下期(当年9月1日以降翌年3月末までの間):駅舎増築及び模様替え[注釈 2]。
- 1900年(明治33年)6月11日:小樽駅と改称[7]。
- 1905年(明治38年)8月1日:北海道鉄道高島駅(現在の小樽駅) - 当駅間開業[1][4]。
- 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線が国有化され、官設鉄道に移管[1][4]。
- 1907年(明治40年)7月1日:北海道鉄道が国有化され、帝国鉄道庁に移管。手宮駅 - 当駅間旅客営業休止。
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、当駅を含む函館駅 - 旭川駅間が函館本線、当駅 - 手宮駅間が手宮線となる。
- 1910年(明治43年)
- 1912年(大正元年)8月11日:手宮線全線の旅客営業再開。
- 1920年(大正9年)6月15日:中央小樽駅(旧高島駅)が小樽駅に改称されるのに伴い、南小樽駅と改称[注釈 3][1][4]。
- 1943年(昭和18年)
- 10月1日:手宮線全線の旅客営業休止。
- 11月20日:手宮線が全線単線化[10]。
- 1948年(昭和23年)11月10日:手宮線全線の旅客営業再開。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承[4]。
- 1954年(昭和29年)月日不明:跨線橋を架け替え[新聞 2]。
- 1958年(昭和33年)4月15日:現駅舎となる[4]。
- 1962年(昭和37年)5月14日:手宮線全線の旅客営業廃止。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)10月1日:手小荷物輸送(チッキ)を自動車代行便に切り替え[4]。
- 1968年(昭和43年)8月28日:小樽駅 - 滝川駅間が電化(交流20,000V・50Hz)[4]。
- 1982年(昭和57年)3月1日:荷物取扱い廃止[12]。
- 1985年(昭和60年)11月5日:手宮線廃止[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[4]。
- 1988年(昭和63年)1月14日:コンビニエンスストア「ジャストロール」(後のサンクス、現在はセブン-イレブン)開店[13]。
- 1999年(平成11年)1月28日:簡易自動改札機導入[4]。
- 2001年(平成13年)4月1日:駅業務を「日交観北海道」(現在の北海道ジェイ・アール・サービスネット)に委託[新聞 1][4]。
- 2004年(平成16年)12月:駅ホーム嵩上げ・駅ホーム上屋増設工事[4]。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリング実施[JR北 1]。
- 2008年(平成20年)10月25日:ICカードKitaca使用開始[JR北 2]。
- 2017年(平成29年)2月5日:簡易自動改札機を更新し、自動改札機を設置。
- 2019年(令和元年)9月28日:バリアフリー化工事に伴い、列車の停車位置を変更。
- 2021年(令和3年)3月:バリアフリー化に伴い、跨線橋を架け替え[新聞 2]。
- 2022年(令和4年)9月17日:改札内エレベーターが供用開始し、バリアフリー化工事が完了[JR北 3][新聞 3]。
- 2024年(令和6年)度:話せる券売機を設置(予定)[JR北 4]。
駅構造
[編集]島式ホーム1面2線を有する地上駅。掘割の下を線路が走っているためホームだけが低くなっており、駅舎・ホーム間の移動は跨線橋で行なう。ホーム上には量徳橋(市道住吉線)が架かっている。駅舎・ホームの間に旧手宮線の名残を見ることができる。
小樽駅管理の業務委託駅(北海道ジェイ・アール・サービスネット受託)である。みどりの窓口・自動券売機・自動改札機・セブン-イレブン(北海道キヨスク運営)設置[14]。
2022年9月17日には、新たに改札内にエレベーターが供用開始された(これに合わせ階段の旧跨線橋が撤去され新たな通路と階段が設置された)[JR北 3][新聞 3]。
のりば
[編集]駅舎側より記載。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
2 | ■函館本線 | 下り | 札幌・岩見沢・新千歳空港方面 |
1 | 上り | 小樽・倶知安方面 |
(出典:JR北海道:駅の情報検索)
-
改札口(2017年5月)
-
量徳橋と駅ホーム(2010年5月)
-
駅ホーム(2017年5月)
-
跨線橋(2017年5月)
-
駅名標
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1920年(大正 | 9年)411,154 | (1126.4) | [15] | ||
1921年(大正10年) | 374,330 | (1025.6) | |||
1922年(大正11年) | 383,397 | (1050.4) | |||
1923年(大正12年) | 415,230 | (1134.5) | |||
1924年(大正13年) | 455,820 | (1248.8) | |||
1925年(大正14年) | 488,454 | (1338.2) | |||
1926年(昭和1年) | 524,587 | (1437.2) | |||
1927年(昭和2年) | 537,558 | (1468.7) | |||
1928年(昭和3年) | 561,679 | (1538.8) | |||
1929年(昭和4年) | 572,967 | (1569.8) | |||
1930年(昭和5年) | 499,488 | (1368.5) | |||
1931年(昭和6年) | 517,918 | (1415.1) | |||
1932年(昭和7年) | 477,453 | (1308.1) | |||
1934年(昭和9年) | 753,809 | (2065.2) | |||
1935年(昭和10年) | 501,598 | (1370.5) | |||
1936年(昭和11年) | 523,916 | (1435.4) | |||
1937年(昭和12年) | 555,818 | (1522.8) | |||
1948年(昭和23年) | 871,335 | (2387.2) | |||
1949年(昭和24年) | 976,532 | (2675.4) | |||
1950年(昭和25年) | 953,802 | (2613.2) | |||
1951年(昭和26年) | 1,060,381 | (2897.2) | |||
1952年(昭和27年) | 1,160,749 | (3180.1) | |||
1953年(昭和28年) | 1,004,599 | (2752.3) | |||
1954年(昭和29年) | 822,642 | (2253.8) | |||
1955年(昭和30年) | 786,058 | (2147.7) | |||
1956年(昭和31年) | 830,919 | (2276.5) | |||
1957年(昭和32年) | 858,675 | (2352.5) | |||
1958年(昭和33年) | 917,756 | (2514.4) | |||
1959年(昭和34年) | 951,000 | (2598.4) | [16][注釈 4] | 以下、年間値は千人単位のものを人換算 | |
1960年(昭和35年) | 1,037,000 | (2841.1) | |||
1961年(昭和36年) | 1,019,000 | (2791.8) | |||
1962年(昭和37年) | 969,000 | (2654.8) | |||
1963年(昭和38年) | 1,047,000 | (2860.7) | |||
1964年(昭和39年) | 1,110,000 | (3041.1) | |||
1965年(昭和40年) | 1,095,000 | (3000.0) | |||
1966年(昭和41年) | 1,072,000 | (2937.0) | |||
1967年(昭和42年) | 969,000 | (2647.5) | |||
1968年(昭和43年) | 959,000 | (2627.4) | |||
1969年(昭和44年) | 860,000 | (2356.2) | |||
1970年(昭和45年) | 817,000 | (2238.4) | |||
1971年(昭和46年) | 779,000 | (2128.4) | |||
1972年(昭和47年) | 723,000 | (1980.8) | |||
1973年(昭和48年) | 660,000 | (1808.2) | |||
1974年(昭和49年) | 688,000 | (1884.9) | |||
1975年(昭和50年) | 705,000 | (1926.2) | |||
1976年(昭和51年) | 766,000 | (2098.6) | |||
1977年(昭和52年) | 733,000 | (2008.2) | |||
1978年(昭和53年) | 704,000 | 1,901.0 | [16][17] | ||
1979年(昭和54年) | 660,000 | (1803.3) | [16] | ||
1980年(昭和55年) | 616,000 | (1687.7) | |||
1981年(昭和56年) | 536,000 | (1468.5) | |||
1982年(昭和57年) | 504,000 | (1380.8) | |||
1983年(昭和58年) | 498,000 | (1360.7) | |||
1984年(昭和59年) | 501,000 | (1372.6) | |||
1985年(昭和60年) | 477,000 | (1306.8) | |||
1986年(昭和61年) | 488,000 | (1337.0) | |||
1987年(昭和62年) | 497,000 | (1357.9) | |||
1988年(昭和63年) | 506,000 | (1386.3) | |||
1989年(平成元年) | 540,000 | (1479.5) | |||
1990年(平成 | 2年)554,000 | (1517.8) | |||
1991年(平成 | 3年)562,000 | (1535.5) | |||
1992年(平成 | 4年)610,000 | (1671.2) | |||
1993年(平成 | 5年)614,000 | (1682.2) | |||
1994年(平成 | 6年)603,000 | (1652.1) | |||
1995年(平成 | 7年)589,000 | (1609.3) | |||
1996年(平成 | 8年)568,000 | (1556.2) | |||
1998年(平成10年) | 558,000 | (1528.8) | [* 2] | ||
1999年(平成11年) | 646,000 | (1765.0) | |||
2000年(平成12年) | 683,000 | (1871.2) | |||
2001年(平成13年) | 710,000 | (1945.2) | |||
2002年(平成14年) | 695,000 | (1904.1) | |||
2003年(平成15年) | 664,000 | (1814.2) | [* 3] | ||
2004年(平成16年) | 629,000 | (1723.3) | [* 4] | ||
2005年(平成17年) | 614,000 | (1682.2) | [* 5] | ||
2006年(平成18年) | 630,000 | (1726.0) | |||
2007年(平成19年) | 652,000 | (1781.4) | |||
2008年(平成20年) | 647,000 | (1772.6) | |||
2009年(平成21年) | 644,000 | (1764.4) | |||
2010年(平成22年) | 645,000 | (1767.1) | [* 6] | ||
2011年(平成23年) | 645,000 | (1762.3) | |||
2012年(平成24年) | 635,000 | (1739.7) | |||
2013年(平成25年) | 649,000 | (1778.1) | [* 7] | ||
2014年(平成26年) | 649,000 | (1778.1) | |||
2015年(平成27年) | 641,000 | (1751.4) | |||
2016年(平成28年) | 658,000 | (1802.7) | [* 8] | ||
2017年(平成29年) | 707,000 | (1937.0) | |||
2018年(平成30年) | 740,000 | (2027.4) | [* 9] | ||
2019年(令和元年) | 728,000 | (1989.1) | [* 10] | ||
2020年(令和 | 2年)456,000 | (1249.3) | [* 11] | ||
2021年(令和 | 3年)481,000 | (1317.8) | [* 1] | ||
2022年(令和 | 4年)579,000 | (1586.3) |
駅周辺
[編集]メルヘン交差点まで徒歩約8分、龍徳寺まで徒歩約10分に位置している。
- 北海道龍谷学園 双葉中学校・双葉高等学校
- 小樽市立病院
- 北海道社会事業協会小樽病院(小樽協会病院)
- 小樽市夜間急病センター
- 住吉神社
- 南樽市場
- やわらぎ斎場小樽
バス路線
[編集]- 「南小樽駅前」停留所
- 「住吉神社前」停留所
- 北海道中央バス - 小樽市内線(おたもい営業所)、小樽市内線の一部、桂岡方面、札幌方面(真栄営業所)
- ジェイ・アール北海道バス 小樽駅方面、札幌方面[18]
隣の駅
[編集]かつて存在した路線
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 年間乗車人員(単位:千人)を日数で割ったもの
- ^ 北海道炭礦鉄道会社 第十九回営業報告、写真集「小樽」小樽史談会編 国書刊行会 昭和54年出版 P60 No.83及び84、北海道鉄道百年史 上巻 P41手前挿付ページ写真「住吉(現・南小樽)停車場」及びP141写真「住吉停車場」の比較によれば、官営時代の西欧風建屋から北海道炭礦鉄道に特徴のある切妻の建屋に変更されている。なお、北海道鉄道百年史のP41の住吉隧道の横から駅構内を俯瞰している写真(または外部リンクの田本写真帳の写真)と比較すれば、国書刊行会出版写真集No.83の写真中央は住吉停車場で右は水天宮裏隧道ではなく住吉隧道。
- ^ 旧小樽駅をまちの中心部と思って間違える客が少なくなかったために改称したと言われている[8]。なお、この際当局は所在地名より「入舟」とする意向だったが、反対派の陳情などもあり、「南小樽」となった[9]。
- ^ 『小樽市史』第10巻には単位の記載が欠落しているが、年間乗客数を千人単位で表したものと推測されるため、本表ではそのようにみなす。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『鉄道ジャーナル』第20巻第13号、鉄道ジャーナル社、1986年12月、15-22頁。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、215頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “JR南小樽駅開業125年!11/28の乗降人員クイズ実施!”. 小樽ジャーナル. 小樽ジャーナル社 (2005年11月25日). 2017年5月27日閲覧。
- ^ “JR南小樽駅”. 桜の情報. 小樽市. 2017年5月27日閲覧。
- ^ 北海道炭礦鉄道会社 第五回営業報告。
- ^ 『官報』 1900年06月09日 逓信省彙報「停車場改称」(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “小樽駅の“今・昔”そしてこれから” (PDF). 広報おたる. 小樽市 (2011年). 2017年5月27日閲覧。
- ^ 『小樽歴史年表』歴史文化研究所2006年
- ^ 北海道鉄道百年史 下巻 P59。
- ^ 札幌工事局70年史 1977年3月発行、P208 工事工程表より。
- ^ “日本国有鉄道公示第145号”. 官報. (1982年2月27日)
- ^ “JR初のコンビニエンス 南小樽駅に開店”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1988年1月15日). 2016年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月27日閲覧。
- ^ “セブン-イレブン北海道ST南小樽店”. 北海道キヨスク. 2017年5月27日閲覧。
- ^ 『小樽市史』 4巻、小樽市、1961年9月10日、708-710頁。doi:10.11501/9570536 。
- ^ a b c 『小樽市史』 10巻、小樽市、2000年2月15日、784頁。doi:10.11501/9572267 。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、812頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ “路線バス | 小樽方面”. ジェイ・アール北海道バス. 2018年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月22日閲覧。
- 小樽市統計書
- ^ a b “小樽市統計書 令和5年版” (PDF). 小樽市. p. 80 (2020年). 2024年6月19日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 平成15年版” (PDF). 小樽市. p. 78. 2004年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月11日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 平成16年版” (PDF). 小樽市. p. 78. 2005年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月11日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 平成21年版” (PDF). 小樽市. p. 80. 2010年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月11日閲覧。
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- ^ “小樽市統計書 平成25年版” (PDF). 小樽市. p. 80 (2013年). 2018年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月7日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 平成28年版” (PDF). 小樽市. p. 77 (2016年). 2020年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月7日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 平成30年版” (PDF). 小樽市. p. 77 (2018年). 2019年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月22日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 令和元年版” (PDF). 小樽市. p. 77 (2019年). 2021年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月16日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 令和2年版” (PDF). 小樽市. p. 77 (2020年). 2022年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月28日閲覧。
- ^ “小樽市統計書 令和3年版” (PDF). 小樽市. p. 78 (2021年). 2022年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月11日閲覧。
JR北海道
[編集]- ^ 『駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ 。2014年9月6日閲覧。
- ^ 『Kitacaサービス開始日決定について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2008年9月10日。オリジナルの2008年9月13日時点におけるアーカイブ 。2015年6月12日閲覧。
- ^ a b 『「南小樽駅バリアフリー化完成式典」を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2022年9月1日。オリジナルの2022年9月1日時点におけるアーカイブ 。2022年9月1日閲覧。
- ^ “業務運営の効率化~システムチェンジ” (PDF). 北海道旅客鉄道. 2024年10月14日閲覧。
新聞記事
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 南小樽|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 田本写真帳より住吉停車場 - 函館市中央図書館所蔵デジタルアーカイブ 右上写真に住吉駅。官営時代の西欧風出窓を持つ駅舎と1本の副本線を有する小さな構内、その先すぐに入舟町陸橋が写っている。写真奥の低山は水天宮山。(客車に "PORONAI RAILWAY OF HOKKAIDO" と書かれていることから、幌内鉄道時代の写真と認められる。)
- 大正・昭和初期の南小樽駅構内(北海道立図書館北方資料デジタルライブラリー)(14枚目の写真を手動で選択してください) 中央右手は手宮線用単式ホーム(この時期はまだ手宮線が複線だったので手宮線札幌方面用。)。右端下側に島式ホームへの跨線橋。駅舎は単式ホームより先の小樽駅側に見える切妻に特徴のある平屋の建物で、間を一般道の踏切が横切る一風変わった配置になっており、その部分には屋根まで設置されている。