勝谷村
表示
かつたにそん 勝谷村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 鹿野町(初代)、勝谷村、小鷲河村 → 鹿野町 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 気高郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.9 km2 |
総人口 |
1,567人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 鹿野町(初代)、浜村町、瑞穂村、逢坂村 |
勝谷村役場 | |
所在地 | 鳥取県気高郡勝谷村大字宮方字松河原155ノ1番地、156ノ1番地 |
座標 | 北緯35度28分44秒 東経134度03分11秒 / 北緯35.47875度 東経134.05292度座標: 北緯35度28分44秒 東経134度03分11秒 / 北緯35.47875度 東経134.05292度 |
特記事項 | 座標は現在の勝谷地区公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
勝谷村(かつたにそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市鹿野町宮方・鹿野町今市・鹿野町岡木・鹿野町乙亥正・鹿野町寺内・鹿野町中園に相当する。河内川左岸および浜村川流域に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の気多郡勝宿上郷(かちやどかみのごう)に属する玉川村・今市村・寺内村・宮方村・中園村、および勝宿下郷(かちやどしものごう)に属する木梨村・岡井村・梶掛村・重山村があった[1]。
沿革
[編集]- 安永2年(1773年) - 妙見村が宮方村と改称する[1]。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 島根県の管轄となる。
- 1877年(明治10年)5月22日[1]
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 勝見村(後の正条村大字勝見)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[3]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、今市村・宮方村・岡木村・乙亥正村・寺内村・中園村が合併して村制施行し、気多郡勝谷村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を宮方村に設置[1][4]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡勝谷村となる。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「勝谷村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「勝谷村大字◯◯」と改称[5]。
- 1929年(昭和4年)9月25日 - 役場位置を大字宮方字松河原155ノ1番地、156ノ1番地に変更[6]。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 鹿野町(初代)・小鷲河村と合併し、改めて鹿野町(2代)が発足。同日勝谷村廃止[7]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 飯田秀仲 | 1889年(明治22年)11月13日 | 1892年(明治25年)3月2日 | |
2 | 小谷茂雄 | 1892年(明治25年)4月5日 | 1893年(明治26年)6月 | |
3 | 徳田榮三郎 | 1894年(明治27年)10月25日 | 1898年(明治31年)10月24日 | |
4 | 薄墨松太郎 | 1898年(明治31年)11月8日 | 1902年(明治35年)11月8日 | |
5 | 山名文藏 | 1902年(明治35年)11月14日 | 1906年(明治39年)11月14日 | |
6 | 薄墨松太郎 | 1906年(明治39年)12月13日 | 1908年(明治41年)2月21日 | |
7 | 恩田梅造 | 1908年(明治41年)3月11日 | 1908年(明治41年)4月21日 | |
8 | 谷口豊次郎 | 1908年(明治41年)5月2日 | 1908年(明治41年)8月29日 | |
9 | 戸板壽雄 | 1908年(明治41年)8月28日 | 1911年(明治44年)7月12日 | |
10 | 恩田梅造 | 1911年(明治44年)10月5日 | 1912年(明治45年)7月24日 | |
11 | 高木儀實 | 1912年(大正元年) | 1913年(大正2年)2月6日 | |
12 | 中原守三郎 | 1913年(大正2年)2月3日 | 1914年(大正3年)4月28日 | |
13 | 飯田浅吉 | 1914年(大正3年)5月12日 | 1922年(大正11年)5月11日 | |
14 | 岡崎亀藏 | 1922年(大正11年)6月14日 | 1932年(昭和7年)5月23日 | |
15 | 鈴木三郎 | 1932年(昭和7年)6月4日 | 1936年(昭和11年)6月3日 | |
16 | 薄墨全迪 | 1936年(昭和11年)6月9日 | 1940年(昭和15年)6月8日 | |
17 | 中原勝己 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1948年(昭和23年)7月6日 | |
18 | 秦源吉 | 1948年(昭和23年)8月13日 | 1952年(昭和27年)8月12日 | |
19 | 田中修 | 1952年(昭和27年)8月13日 | 1955年(昭和30年)6月30日 | |
参考文献 - 鹿野町誌. 別巻(鹿野町誌編集委員会、1995年) |
教育
[編集]- 勝谷村立勝谷小学校(後の鹿野町立勝谷小学校、2001年に統合により新・鹿野小学校となり閉校)
交通
[編集]- 最寄りの駅:浜村駅
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 気高町誌(気高町教育委員会、1977年)
- ^ 西いなば気楽里通信R3.11月号(道の駅西いなば気楽里)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年12月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「村役場位置変更」『官報』1929年10月09日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第313号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 第2628号』1955年6月28日(鳥取県立公文書館)