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前田耕作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 耕作
人物情報
生誕 (1933-02-01) 1933年2月1日
日本の旗 日本三重県亀山市
死没 (2022-10-11) 2022年10月11日(89歳没)
出身校 名古屋大学
学問
研究分野 美学美術史
研究機関 和光大学
公式サイト
アフガニスタン文化研究所
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前田 耕作(まえだ こうさく、1933年2月1日[1] - 2022年10月11日)は、日本の西南アジア文化研究者。アフガニスタン文化研究所所長・和光大学名誉教授。

経歴

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1933年、三重県亀山市生まれ[2]名古屋大学文学部哲学科で学び、美学・美術史学を専攻。1957年、名古屋大学文学部を卒業。1964年、名古屋大学アフガニスタン学術調査団の一員としてバーミヤンを訪れる。以降、アジアやオリエント諸地域においてフィールドワークを行った。

1975年、和光大学教授となる。2003年3月に和光大学を退職し、名誉教授となった。アフガニスタン文化研究所を設立し、主催した。

2022年10月11日、右腎臓がんにより死去[3]。蔵書は「シルクロード文庫」(東京都中野区)として管理されている[4]

務めた役職

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人物

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前田と交流のあった安仲卓二は、前田の性格について「とにかく弁舌と思索に富む方でかつ自由。権威的な決め付けが嫌いで、失敗や逸脱を恐れない、越境する思想家であった」「小さな手帳を手に壁画に向かう姿、遺跡や風景をカメラに収める姿、数十メートルはあるハシゴを登っていく姿、遺跡修復の作業員たちと談笑する姿――。学者というと研究室に閉じこもっている印象があるが、前田さんは常にフィールドに立つ人だった。その姿は7世紀、中国から西域へ求法の旅に出た高僧、玄奘三蔵の姿と重なって見えた」と回想している[5]

受賞・栄典

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研究内容・業績

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著書

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共編著

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訳書

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監修・解説

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評伝

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  • 白鳥正夫「第4章 バーミヤン遺跡の継続調査―前田耕作・アフガニスタン往還半世紀」-『シルクロードの現代日本人列伝』三五館、2014年
  • 清岡央 聞き手・編「第1章 アフガニスタン バーミヤン遺跡―人間の事象はすべて文化の内に」-『オリエント古代の探求―日本人研究者が行く最前線』中央公論新社、2021年

脚注

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  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 日本ウズベキスタン協会:協会の活動状況・会員からの寄稿”. 日本ウズベキスタン協会. 2013年10月27日閲覧。
  3. ^ “前田耕作さん死去 89歳、アフガン遺跡研究”. 読売新聞. (2022年10月14日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/20221014-OYT1T50077/ 2022年10月14日閲覧。 
  4. ^ 「シルクロード文庫」が中野区に3月開設 東西交流史の研究書など1万点以上 故前田耕作さんの遺志受け継ぎ
  5. ^ 安仲卓二「シルクロード文庫 知の森に アフガン遺跡研究・前田耕作さんの遺志継ぎ、都内に書庫開設」『日本経済新聞』2023年3月9日朝刊、文化面。