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前田昌保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 昌保
個人情報
国籍日本の旗 日本
生誕 (1914-03-10) 1914年3月10日(110歳)
スポーツ
競技バスケットボール

前田 昌保(まえだ まさやす、1914年3月10日 - 生没不明)は、日本のバスケットボール選手・指導者。1936年ベルリンオリンピックに出場。1956年メルボルン1960年ローマの2大会でオリンピック日本代表チームのコーチを務めた。

経歴・人物

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立教大学に入学。1933年から1936年にかけてバスケットボール部主将を務めた[1]。1934年には第10回極東選手権競技大会(マニラ)に出場した[1]

1936年、立教大学経済学部商学科を卒業[2]1936年ベルリンオリンピックに出場した[3][4]

第二次世界大戦後は立教大学でバスケットボールの指導に当たるとともに[4][注釈 1]1956年メルボルンオリンピック[4]1960年ローマオリンピック[4][5]で日本代表チームのコーチを務めた[4]

1951年時点で東邦ワラパルプ(現在の東邦特殊パルプ[6])取締役社長[7]。ローマオリンピック当時も東邦ワラパルプ所属とある[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 立教大学バスケットボール部の「年表」によれば、1949年から1959年まで「スタッフ」の一人として名が挙げられている[1]。前田の在任中に同じくスタッフを務めた人物としては、山田正司・谷芳郎・加瀬正巳・佐伯正博らの名が挙げられる[1]

出典

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  1. ^ a b c d 創部1921年~2022 年表”. 立教大学バスケットボール部. 2023年7月10日閲覧。
  2. ^ オリンピック(夏季)に出場した立教生・校友”. 立教大学. 2019年10月11日閲覧。
  3. ^ Masayasu Maeda Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月10日閲覧。
  4. ^ a b c d e 小林哲夫 (2022年12月30日). “55年ぶり箱根駅伝出場の立教大、かつては「スポーツ最強大学」だった 全盛期の“大学日本一”列伝”. AERA.dot. 2023年7月10日閲覧。
  5. ^ 谷釜尋徳 2018, p. 28.
  6. ^ 会社案内”. 東邦特殊パルプ. 2019年10月11日閲覧。
  7. ^ 各界で活躍する校友たち 金融、証券界を中心に」『立教大学新聞』1951年12月21日、5面。2023年7月10日閲覧。
  8. ^ 谷釜尋徳 2018, p. 29.

参考文献

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  • 谷釜尋徳「オリンピック競技大会におけるバスケットボール日本代表チームの強化の実際」『バスケットボール研究』第4号、日本バスケットボール学会、2018年。doi:10.34396/jsbs.4.0_27