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利用者:Olegushka/sandbox


共同汽船株式会社(きょうどうきせん)は、かつて存在した海運会社で、兵庫県神戸市に本社を置いていた。明石海峡大橋開通時の1998年平成10年)4月5日に全航路を廃止し、法人としても解散となった。

本項では、同社の前身である阿波国共同汽船株式会社(あわのくにきょうどうきせん)時代からの歴史についても概説する。

沿革

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共同汽船株式会社は、1887年明治20年)9月徳島の藍商人等が共同出資して設立した海運会社阿波国共同汽船株式会社をその前身とし、1968年(昭和43年)に「共同汽船株式会社」に改称されたものである。「阿波国共同汽船」を設立した当時、大阪 - 徳島間の海運は大阪商船の独占状態にあったため運賃が高騰していた。当時の徳島の特産品であったを大阪に海輸して富を築いていた徳島の藍商人等はこれを嫌い、より適正な運賃で大阪へ運搬する手段として自前で海運業を起こして設立されたのが「阿波国共同汽船」であった。「阿波国共同汽船」が初めて投入した船舶は太陽丸(87トン)で、徳島 - 大阪航路に就航した。

「阿波国共同汽船」の当初の設立目的は「藍の適正価格での輸送」にあったが、それが一応の収束をみた後は「阿波国共同鉄道」を起業して徳島県内を吉野川沿いに横切る徳島線徳島駅小松島間に鉄道を敷設(現在の牟岐線徳島駅 - 中田駅間および、特定地方交通線として廃止された小松島線)、徳島の鉄道沿線と大阪・和歌山間を小松島港経由で結ぶ輸送経路の確立に大きく寄与した。なお、共同出資会社の「阿波国共同鉄道」は当時の鉄道行政機関であった鉄道院から敷設仮免許を受けた後、「阿波国共同汽船」に買収されている。「阿波国共同汽船」は、この徳島 - 小松島間鉄道完成前の徳島 - 小松島航路に第15共同丸(25トン)を就航させ、さらに徳島 - 小松島間の鉄道線開設後には第28共同丸(1,000トン)を就航させ、大阪 - 小松島 - 徳島ルートの輸送力を確保した。

なお、徳島 - 小松島間の鉄道路線は、1913年大正2年)4月20日の開業と同時に鉄道院に借上げられ、鉄道院が運営した。その後、1917年大正6年)9月1日付けで、鉄道路線は正式に国有化されることとなった。

その後、「阿波国共同汽船」は日本全国に航路を広げ、最盛期には北支航路および西鮮航路にも航路を有する一方、小松島航路へのシフトにより、1922年(大正11年)に徳島 - 阪神航路を休止したことで反発を招き、1923年(大正12年)に徳島繁栄組汽船部が同航路を開設すると、1925年(大正14年)には徳島航路を復活させ、これに徳島急行商船も参入、食事サービス競争などで競争は激化したが、数年に及ぶ競争により徳島航路が定着したことから1935年(昭和10年)には徳島繁栄組が妥協し、1935年に阿波国共同汽船が吸収合併する形で決着した。

その間、小松島航路では共同運航の大阪商船とともに船質改善が進められ、もと青函連絡船で日本最初のタービン船、比羅夫丸(1,534トン・大阪商船)、田村丸(1,529トン・阿波国共同汽船)の姉妹船が就航し、一部便の和歌浦寄港により、南海電気鉄道及び阪和電気鉄道との連絡運輸も開始された。また、大阪商船は1931年(昭和6年)、傍系の摂陽商船に小松島航路と船舶を移管し、以後阿波国共同汽船と摂陽商船による共同経営とされた。

1934年に摂陽商船がディーゼル船・山水丸(812トン)を新造すると、阿波国共同汽船も1937年に


戦時中には経済活動の統制を受け、他の海運業者と共同出資して関西汽船を設立して航路移管したり、ライバル会社であった「徳島繁栄組」と合併するなどして航路自体が統合整理されることとなった。

太平洋戦争終結後、「阿波国共同汽船」は戦時中に関西汽船へと運航移管していた阿摂航路の返還を要求して受諾される。その結果、大阪 - 小松島航路は当社あきつ丸(1,038トン)と関西汽船の太平丸(966トン)、おとわ丸(910トン)、山水丸(822トン)との共同運航、そして同航路大阪 - 徳島航路は当社による単独運航となったが、戦前に就航していたうらら丸(初代・407トン)は南洋で失われており、当初は貨物船・阿津丸(160トン)が就航、続いて西日本汽船より在来貨客船・太西丸(228トン)、金城丸(330トン)を用船(のちに買船)して貨客航路の体制に復した[1]のち、1955年(昭和30年)にあき丸(386トン)、1961年(昭和36年)にうらら丸(2代・467トン)の新造船が投入された。

戦後の高度経済成長期には鉄道の電化に伴う高速化や、南海電気鉄道とその系列海運会社による和歌山港経由での本四連絡ルートといった強力なライバルの出現、自動車の一般普及による小口輸送のシェアシフトにより貨客船は次第に利用が低迷、1965年共正汽船と共同で深日港 - 徳島港間に新規フェリー航路(徳島フェリー)を開設[2]1968年に社名を「阿波国共同汽船」から「共同汽船」に改称する。続いて1971年に大阪 - 徳島航路を関西汽船・共正汽船と共同運航の徳島阪神フェリー[2]1974年には大阪 - 小松島航路を小松島フェリーとして[2]、各航路に新造カーフェリーを投入、貨客船輸送からフェリー輸送へとシフトした。

1975年には神戸 - 洲本航路を関西汽船から買収、引き継いだ在来客船は1977年に廃止する一方、高速艇を増備・増発し、大阪航路を開設、1985年大鳴門橋開通後は津名港で鳴門・徳島方面とのバス連絡を強化するなど全盛期を迎えた。

しかしながら、大鳴門橋開通では徳島フェリーが減船・減便となり、1993年に小松島フェリー、徳島フェリーは相次いで休廃止された[2]1998年4月には明石海峡大橋の開通により会社存続が困難になると予想されたことから、徳島阪神フェリーと阪神淡路航路の高速艇を最後に撤退、会社も解散となった。



安田産業汽船

航路

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[3]

  • 崎辺田 - 佐瀬 - 大村
11.5km、一日4往復
  • 大村 - レース場 - 大草 - 舟津
9km、一日6往復

[4]

  • 大村 - 佐瀬 - 崎辺田
11.5km、一日2往復、大村ボート開催中は3往復
  • 大村レース場 - 大草 - 船津
9km、一日2往復、復航3便、ボート開催中は8往復、復航9便

[5]

  • 大村レース場 - 時津
18km、不定期
  • 時津 - 長崎空港
1982年1月10日事業開始

船舶

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1951年6月進水、木造、10.81総トン、焼玉機関、機関出力30ps、航海速力7ノット、旅客定員23名
1960年1月20日進水、木造、19.30総トン→12.01総トン、ディーゼル、機関出力45ps→100ps、航海速力7.5ノット→9ノット、旅客定員25名→51名
1956年1月24日進水、木造、14.64総トン、ディーゼル、機関出力45ps、航海速力7ノット、旅客定員25名→30名
1963年12月16日進水、木造、11.80総トン、ディーゼル、機関出力60ps、航海速力7.5ノット、旅客定員60名
  • 第二福島丸[4]
1960年10月進水、鋼製、78.45総トン、ディーゼル、機関出力100ps、航海速力7.8ノット、旅客定員96名
深寿造船工業建造、1979年12月進水、FRP製、19.96総トン、ディーゼル2基、機関出力360ps、航海速力22.0ノット、旅客定員139名
  • おおむら[7]
東九州造船所建造、1976年4月竣工、FRP製、19.54総トン、ディーゼル1基、機関出力350ps、航海速力18.5ノット、旅客定員58名
  • おおむら3[8]
深寿造船工業建造、1976年9月竣工、FRP製、18.53総トン、ディーゼル1基、機関出力350ps、航海速力23.00ノット、旅客定員71名
深寿造船工業建造、1976年12月進水、FRP製、18.57総トン、ディーゼル、機関出力350ps、航海速力23.00ノット、旅客定員71名
  • おおむら7[9]
深寿造船工業建造、1977年12月進水、FRP製、18.62総トン、ディーゼル、機関出力350ps、航海速力23.00ノット、旅客定員71名
1976年8月進水、FRP製、14.51総トン、ディーゼル、機関出力275ps、航海速力23.00ノット、旅客定員55名
  • げんかい3[6]
南海造船建造、1982年3月進水、FRP製、ディーゼル3基、機関出力900ps、航海速力23.0ノット、旅客定員100名
南海造船建造、1983年5月竣工、FRP製、15総トン、ディーゼル2基、機関出力700ps、航海速力25ノット、旅客定員104名
南海造船建造、1984年10月竣工、FRP製、19総トン、ディーゼル2基、機関出力920ps、航海速力25ノット、旅客定員123名
  • エアポートライナー1[12]
ファントムマリーン石島造船建造、1985年4月竣工、FRP製、5総トン未満、ディーゼル2基、機関出力220ps、航海速力30ノット、旅客定員19名
  • エアポートライナー5[6]
南海造船建造、1985年7月進水、FRP製、7.9総トン、ディーゼル3基、機関出力495ps、航海速力27.0ノット、旅客定員44名
  • エアポートライナー7[6]
南海造船建造、1986年3月進水、FRP製、12総トン、ディーゼル2基、機関出力550ps、航海速力25.0ノット、旅客定員66名
  • エアポートライナー8[6]
南海造船建造、1986年3月進水、FRP製、12総トン、ディーゼル2基、機関出力550ps、航海速力27.0ノット、旅客定員66名
  • エアポートライナー10[6]
南海造船建造、1986年12月進水、FRP製、12総トン、ディーゼル2基、機関出力640ps、航海速力27.0ノット、旅客定員66名
  • エアポートライナー11[6]
南海造船建造、1987年2月進水、FRP製、12総トン、ディーゼル2基、機関出力640ps、航海速力27.0ノット、旅客定員67名
  • エアポートライナー13[6]
南海造船建造、1987年4月進水、FRP製、12総トン、ディーゼル2基、機関出力700ps、航海速力27.0ノット、旅客定員66名
  • エアポートライナー15[6]
南海造船建造、1987年7月進水、FRP製、12総トン、ディーゼル2基、機関出力640ps、航海速力27.0ノット、旅客定員66名
  • エアポートライナー17[6]
南海造船建造、1987年7月進水、FRP製、12総トン、ディーゼル2基、機関出力640ps、航海速力27.0ノット、旅客定員66名
  • トリトン[6]
深寿造船工業建造、1986年7月進水、FRP製、19総トン、ディーゼル2基、機関出力920ps、航海速力23.0ノット。旅客定員238名
  • ながさき5[6]
深寿造船工業建造、1980年4月進水、FRP製、4.9総トン、ディーゼル1基、機関出力275ps、航海速力23.0ノット、旅客定員22名
  • ながさき7[6]
深寿造船工業建造、1980年7月進水、FRP製、4.9総トン、ディーゼル1基、機関出力275ps、航海速力23.0ノット、旅客定員22名
  • ナガサキ8[6]
南海造船建造、1987年7月進水、FRP製、8.5総トン、ディーゼル1基、機関出力320ps、航海速力27.0ノット、旅客定員36名
  • ナガサキ10[6]
南海造船建造、1987年8月進水、FRP製、8.5総トン、ディーゼル1基、機関出力320ps、航海速力27.0ノット、旅客定員36名
南海造船建造、1988年3月竣工、FRP製、106総トン、ディーゼル2基、機関出力2,000ps、航海速力25ノット、旅客定員231名
  • オーシャンライナー[14]
上原造船所建造、1988年4月竣工、FRP製、19総トン、ディーゼル2基、機関出力820ps、航海速力27ノット、旅客定員88名
  • オーシャンライナー3[15]
上原造船所建造、1988年9月進水、FRP製、19総トン、ディーゼル2基、機関出力820ps、航海速力27.0ノット、旅客定員88名
  • オーシャンライナー5[16]
南海造船建造、1989年2月進水、FRP製、19総トン、ディーゼル2基、機関出力940ps、航海速力27ノット、旅客定員97名
  • オーシャンライナー7[17]
南海造船建造、1989年2月進水、FRP製、19総トン、ディーゼル2基、機関出力940ps、航海速力27ノット、旅客定員97名
  • オーシャンライナー8[16]
南海造船建造、1989年2月進水、FRP製、19総トン、ディーゼル2基、機関出力940ps、航海速力27ノット、旅客定員97名
  • オーシャンライナー10[18]
南海造船建造、1988年5月進水、FRP製、19.00総トン、ディーゼル、機関出力1,020ps、航海速力27.0ノット、旅客定員99名
  • ニューながさき[16]
深寿造船工業建造、1973年12月進水、FRP製、46総トン、ディーゼル2基、機関出力1,400ps、航海速力24.0ノット、旅客定員120名、もと「ながさき」
  • にっしょう

防予汽船発足時の航路

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[19]

  • 三津浜 - 高浜 - 伊保田 - 久賀 - 柳井
航路距離62.2km、一日3往復。
現在の防予フェリー及び周防大島松山フェリーの航路。
  • 伊保田 - 柱島 - 倉橋 - 須川 - 西宇大- 大向 - 重生 - 光ヶ瀬 - 宇和木 - 早瀬 - 大君 - 柿浦 - 呉中央 - 川原石 - 宇品港
航路距離60.8km、一日1往復。
  • 小泊 - 小瀬 - 沖家室 - 地家室 - 外入 - 安下庄 - 戸田 - 柳井
航路距離40.4km、一日1往復。
  • 川原石 - 鍋 - 渡ノ子 - 田原 - 柿浦 - 大君 - 早瀬 - 宇和木 - 光ヶ瀬 - 重生 - 大向 - 西宇土 - 須川 - 倉橋 - 柱島 - 伊保田
航路距離62.5km、一日1往復。
  • 袋内 - 納 - 音戸 - 鍋 - 呉中央 - 呉川原石
航路距離20.6km、一日4往復。

1961年開設

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  • 伊保田 - 柱島 - 端島 - 黒髪 - 岩国
航路距離45.40km、一日2往復、他に柱島 - 岩国一日1往復

1964年開設

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  • 東平郡 - 西平郡 - 柳井[20]
航路距離38.10km、一日2往復。

1961年8月1日現在の航路

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[21]

  • 三津浜 - 高浜 - 伊保田 - 久賀 - 柳井
航路距離62.20km、一日4往復
  • 伊保田 - 柱島 - 倉橋 - 須川 - 西宇土 - 大向 - 重生 - 光ヶ瀬 - 宇和木 - 早瀬 - 大君 - 柿浦 - 呉中央 - 川原石 - 宇品
航路距離60.80km、一日1往復
  • 小泊 - 小積 - 沖家室 - 外入 - 安下庄 - 戸田 - 柳井
航路距離40.40km、一日1往復
  • 川原石 - 鍋 - 渡ノ子 - 田原 - 柿浦 - 大君 - 早瀬 - 宇和木 - 光ヶ瀬 - 重生 - 大向 - 西宇土 - 須川 - 倉橋
航路距離41.90km、一日1往復
  • 袋内 - 納 - 音戸 - 鍋 - 呉中央 - 川原石
航路距離20.60km、一日4往復
  • 伊保田 - 柱島 - 端島 - 黒髪 - 岩国
航路距離45.40km、一日2往復、他に柱島 - 岩国一日1往復

1966年8月1日現在の航路

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[22]

  • 三津浜 - 高浜 - 伊保田 - 久賀 - 柳井
航路距離62.20km、一日7往復(F1P2)
  • 高浜 - 伊保田 - 柱島 - 端島 - 黒島 - 岩国
航路距離75.50km、一日2往復、他に柱島 - 岩国週6往復
  • 開作 - 小松 - 笠佐 - 柳井
航路距離5.70km、一日26往復、他に開作 - 小松1往復、小松 - 柳井11往復(F2P1)
  • 東平郡 - 西平郡 - 柳井
航路距離38.10km、一日2往復

1967年8月1日現在の航路

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[23]

  • 三津浜 - 高浜 - 伊保田 - 久賀 - 柳井
航路距離 62.20km、一日9往復、他に伊保田 - 柳井4往復
  • 高浜 - 伊保田 - 柱島 - 黒島 - 岩国
航路距離75.50km、一日4往復、他に柱島 - 岩国1往復
  • 開作 - 小松 - 笠佐 - 柳井
航路距離5.70km、一日40往復、他に小松 - 柳井10往復
  • 東平郡 - 西平郡 - 柳井
航路距離38.10km、一日2往復




過去の船舶(旅客船)

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1917年9月進水、登録長28.7m、型幅5.5m、型深さ2.7m、木造、瀬戸内海汽船より用船
124.28総トン、焼玉機関、機関出力240ps、航海速力9ノット、旅客定員203名
1927年2月進水、新三菱重工業神戸造船所建造、鋼製、瀬戸内海汽船より用船
160.36総トン、登録長33.2m、型幅5.5m、型深さ2.9m、ディーゼル1基、機関出力320ps、航海速力9ノット、旅客定員214名
  • 第一江田島丸[24]
1933年4月進水、木造、瀬戸内海汽船より用船
39.53総トン、登録長19.6m、型幅3.7m、型深さ1.5m、焼玉機関、機関出力105ps、航海速力8ノット、旅客定員65名
藤井一建造、1936年6月竣工、木造船、もと芸備商船
36.53総トン、登録長19.75m、幅3.85m、深さ1.50m、焼玉機関、85ps、航海速力7.5ノット、旅客定員90名
1936年12月進水、木造
65.77総トン、登録長22.8m、型幅4.3m、型深さ1.6m、焼玉機関、機関出力120ps、航海速力9ノット、旅客定員75名
1938年4月進水、木造、もと瀬戸内海汽船
58.49総トン、登録長21.6m、型幅4.2m、型深さ1.8m、焼玉機関、機関出力115ps、航海速力9ノット、旅客定員74名
1939年4月進水、木造
49.97総トン、登録長20.3m、型幅4.0m、型深さ1.5m、焼玉機関、機関出力105ps、航海速力9ノット、旅客定員70名
1942年4月進水、松浦鉄工造船所建造、鋼製、瀬戸内海汽船より用船
134.10総トン、登録長28.6m、型幅5.3m、型深さ2.3m、ディーゼル1基、機関出力150ps、航海速力9ノット、旅客定員203名
1942年4月進水、木造、瀬戸内海汽船より用船
97.57総トン、登録長25.3m、型幅5.1m、型深さ2.1m、焼玉機関、機関出力200ps、航海速力9ノット、旅客定員127名
福山造船所建造、1950年7月竣工、木造
49.27総トン、登録長22.71m、幅3.92m、深さ1.58m、焼玉機関、140ps、航海速力9.5ノット、旅客定員106名
深江造船所建造、1950年8月竣工、木造
97.56総トン、登録長25.30m、幅5.12m、深さ2.13m、焼玉機関、200ps、航海速力10.5ノット、旅客定員148名
1954年8月進水、木造、瀬戸内海汽船より用船
32.87総トン、焼玉機関、機関出力70ps、航海速力8ノット、旅客定員46名
  • すみれ
1956年11月進水、木造、用船
12.83総トン、ディーゼル1基、機関出力30ps、航海速力8ノット、旅客定員36名
1956年12月進水
164.11総トン、ディーゼル1基、420ps、航海速力11ノット、旅客定員199名
1960年7月進水、木造、芸備商船より用船
28.43総トン、登録長15.4m、型幅4.3m、型深さ1.3m、ディーゼル1基、機関出力60ps、航海速力8ノット、旅客定員147名
土佐造船鉄工所建造、1961年4月6日竣工、国内旅客船公団共有
190.26総トン、全長32.400m、型幅6.200m、型深さ2.800m、ディーゼル1基、450ps、航海速力11.76ノット、旅客定員376名
引退後、西海沿岸商船に売船[29]
宇品造船所建造、1962年3月31日竣工、特定船舶整備公団共有
195.82総トン、全長32.29m、型幅6.20m、型深さ2.80m、ディーゼル1基、495ps、航海速力11.5ノット、旅客定員357名(1.5時間未満)
引退後、三友汽船に売船、「第三和加丸」に改名[31]
1962年3月進水、木造船
32.66総トン、ディーゼル1基、90ps、航海速力10ノット、旅客定員141名
武田造船建造、1963年3月竣工
36.09総トン、登録長18.51m、幅4.29m、深さ1.61m、ディーゼル1基、90ps、最大速力10ノット、旅客定員180名
1966年3月進水、木造船
26.54総トン、ディーゼル1基、75ps、航海速力9ノット、旅客定員72名



木原海運有限会社[26] 崎戸航路は崎戸商船に譲渡[32]、馬込航路は西海沿岸商船に譲渡・合併[33]

  • 馬込 - 太田和 - 黒口 - 天久保 - 面高 - 佐世保[24]

1960年9月13日免許、30.5km、一日3往復

  • 崎戸 - 太田尾 - 大島 - 黒瀬 - 面高 - 佐世保[34]

1950年1月4日免許、20.7浬、個人事業

  • 蛎浦 - 浅浦 - 大島 - 馬込 - 佐世保

40.0km、一日2往復[24]

  • 第三鹿島丸
1949年12月進水、木造
50.36総トン、焼玉機関、機関出力120ps、航海速力8ノット、旅客定員55名
1961年3月進水、松浦鉄工造船所建造、特定船舶整備公団共有
61.17総トン、登録長10.09m、型幅4.50m、型深さ2.00m、ディーゼル1基、機関出力160ps、航海速力9.5ノット、旅客定員102名




鯛福丸合資

  • 鯛ノ浦 - 岩瀬浦 - 奈良尾 - 福江[34]
20浬、一日1往復[34]
74.0km、一日1往復[36][24][37]
48.0km、一日1往復[26]
  • 鯛福丸
1949年12月進水、木造
19.96総トン、焼玉機関、機関出力30ps、航海速力7.5ノット、旅客定員45名[34]
48.85総トン、焼玉機関、機関出力75ps、航海速力8.5ノット、旅客定員49名[36]

五島西海汽船株式会社 長崎県南松浦郡若松町 1957年2月6日免許

  • 土井浦 - 福江
26.0km、一日1往復[36][24]
  • 土井浦 - 汐池 - 東風留 - 福江
28.5km、一日1往復[26]
1957年7月進水、木造
29.62総トン、焼玉機関、機関出力50ps、航海速力8ノット、旅客定員36名

長海運株式会社 長崎県福江市蕨町 1955年9月1日免許

  • 観音平 - 宮原 - 戸岐 - 樫ノ浦 - 福江
14.5km、一日1往復[36][24][37][26]

1956年8月31日免許

  • 久賀 - 蕨 - 大串 - 宿輪 - 浦 - 五輪 - 福江
40.7km、一日1往復[36][24][37][26]
  • 第一長丸
1957年12月進水、木造
92.30総トン、ディーゼル1基、機関出力210ps、航海速力8.5ノット、旅客定員65名
  • 第二長丸
1956年7月進水、木造
15.45総トン、ディーゼル1基、機関出力50ps、航海速力7ノット、旅客定員18名

江口伊勢松 長崎県南松浦郡奈留島村浦郷 1955年6月2日免許

  • 大串 - 宿輪 - 浦 - 福江
20浬、一日1往復[34]
  • 奈留島 - 福江
19.9km、一日1往復[36][24]
1950年9月進水、木造
19.42総トン、焼玉機関、機関出力50ps、航海速力7ノット、旅客定員43名
1956年4月進水、木造
46.58総トン、焼玉機関、機関出力90ps、航海速力8ノット、旅客定員51名

五島商船株式会社 長崎県福江市福江町字東町19 資本金100万円 1960年6月11日創立[38] 1966年、山口繁実を合併

航路

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  • 福江 - 奈留 - 伊福貴 - 本窯 - 土井浦 - 佐尾 - 奈良尾 - 岩瀬浦 -鯛の浦[39]
66.0km、一日1往復[40]

船舶

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1930年3月進水、松浦造船所建造、もと九州商船
113.38総トン、登録長28.96m、型幅5.50m、型深さ2.48m、焼玉機関、機関出力200ps、航海速力9ノット、旅客定員98名
1966年解体[42]
1954年12月竣工、三菱重工業下関造船所建造、もと九州商船
148.20総トン、全長31.88m、型幅5.70m、型深さ2.60m、ディーゼル1基、機関出力400ps、航海速力11ノット、旅客定員165名
引退後、西海商船に売船

山口繁実

  • 青方 - 浜ノ浦 - 飯ノ瀬戸 - 日ノ島 - 若松 - 神戸 - 桐古里 - 佐尾 - 福江[44]
108.3km、一日1往復
  • 青方 - 有福 - 日ノ島 - 郷ノ首 - 若松 - 神部 - 桐古里 - 佐尾 - 福江[45]
108.3km、一日1往復
  • 繁丸
1958年5月進水、長崎造船建造
52.83→71.18総トン、登録長20.78m、型幅4.40m、型深さ2.10m、焼玉機関、機関出力120→180ps、最大速力8.5ノット→航海速力9ノット、旅客定員50名

佐世保海上交通

航路

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  • 佐世保 - 俵ヶ浦 - 鹿子前[34]
30浬、一日1往復
  • 佐世保 - 西海橋 - 鹿子前 - 佐世保[46]
一日1便、所要時間4時間30分、3 - 11月運航
1955年3月開設[47]

船舶

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1955年7月進水、木造。
79.01総トン、ディーゼル1基、機関出力120ps、航海速力8.0ノット、旅客定員192名。
1944年7月進水、木造。
25.26総トン、ディーゼル1基、機関出力90ps、航海速力9.0ノット、旅客定員32名。



九州郵船 航路 1935年12月末現在の命令航路[49]

  • 釜山博多線 - 珠丸800総トン、年183回
  • 長崎壱岐対馬釜山線 - 博丸549総トン、月6回

1936年3月末現在の命令航路[50]

  • 対馬壱岐博多線 - 使用1隻
  • 長崎壱岐対馬線 - 使用1隻

1936年4月1日現在の命令航路[51]

  • 九州西鮮大連線 - 東祥丸1,236総トン、月4回

  • 博多釜山下関線
  • 釜山中国阪神線

[52] 博多港発着の航路

  • 博多、釜山線 - 毎日1回
  • 博多、壱岐、対馬線 - 毎日1回
  • 博多、大連線 - 毎月2回

[53] 長崎県命令航路

  • 対馬壱岐博多線
総トン数500t以上最強速力12ノット以上の汽船1隻
毎月27回以上一年324回以上
寄港地 厳原 - 郷ノ浦又は勝本若しくは芦辺及び瀬戸 - 博多
  • 長崎壱岐対馬線
総トン数500t以上最強速力10ノット以上の汽船1隻
毎月6回以上一年72回以上
寄港地 長崎 - 佐世保 - 田助 - 郷ノ浦又は勝本及び厳原 - 比田勝又は佐須奈
但し毎航西泊及び比田勝又は佐須奈より釜山に、又長崎より三角に延航することを得

[54] 長崎港発着の定期航路

  • 満鮮鹿児島線
月2回、1,200総トン級、1隻
同一航路を朝鮮郵船が月6回、1,300総トン級、2隻

[55]

  • 釜山博多線
珠丸800総トン、月14航海以上
  • 対馬壱岐博多線
睦丸520総トン、毎日1航海
  • 長崎壱岐対馬線
長崎 - 佐世保 - 田助 - 壱岐 - 厳原 - 鶏知 - 比田勝 - 佐須奈 - 釜山
博丸549総トン、月6航海
  • 九州西鮮大連線
鹿児島 - 三角 - 長崎 - 博多 - 仁川 - 新義州 - 大連
東祥丸1,236総トン、月2航海
  • 北九州朝鮮線
下関 - 博多 - 釜山
縣丸302総トン、月15航海

船舶

1937年4月進水、342総トン、登録長39.70m、焼玉機関、機関出力300ps、航海速力8.0ノット、貨物船
1943年進水、228総トン、登録長43.86m、ディーゼル1基、機関出力640ps、航海速力12.0ノット
1944年進水、259総トン、登録長44.27m、焼玉機関、機関出力160ps、航海速力8ノット、旅客定員13名
1930年3月進水、111総トン、登録長28.85m、焼玉機関、機関出力120ps、航海速力9.0ノット、旅客定員101名
1902年建造、1935年8月買船、1,035総トン
1918年5月進水、1,236総トン、公称660hp、航海速力9ノット
1924年11月進水、800総トン、公称890hp
1923年3月進水、520総トン、公称610hp
1931年10月進水、302総トン、公称290hp、1936年11月2日、下関竹の子島沖でアメリカ船と衝突、沈没[65]
1934年建造、226総トン
1934年11月進水、330総トン、公称210hp
1921年3月進水、1935年12月2日買船、365総トン、公称680hp、1936年3月17日沈没により登録抹消
1927年5月進水、549総トン、公称410hp
三原造船建造、1937年2月竣工、181総トン、12.00ノット
1929年7月進水、32総トン、木造、公称36hp
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