利用者:Nekotasu/sandbox3
セリエBの戦い
[編集]カルチョ・スキャンダルでの厳しい処分により経営陣は刷新を迫られ、それまでサッカー界に関わりのなかったジョヴァンニ・コボッリ・ジッリが会長に、ジャン=クロード・ブランが代表取締役に就任した[1]。また、2005-06シーズンの経営赤字は3545万ユーロ(約53億円)になっており、前年から赤字が10倍に膨れ上がるほど厳しい状態だった[1]。 さらに、勝ち点を-17した状態からセリエBを戦わなければならなかった[2]。しかし、開幕戦引き分け後の6連勝で、8節には早くも借金を返済した[2]。カルチョ・スキャンダルの裁定は2度の審議を経て確定されたが、その後軽減の審議が再びなされ、ユヴェントスの勝ち点マイナスは9まで軽減されることになった[3]。不正で降格したユヴェントスだが、セリエAになかなか昇格できない相手クラブからすれば滅多にお目にかかることのできない選手がやってくることもあり、セリエB全体の観客は28%も増加した[4][5]。2007年1月20日には、デルピエロの500試合目となったバーリ戦に勝利し、単独首位に立った[6][7]。前年欧州3位であった収入は[8]半減することが予想されており、1年でのセリエA昇格が現実になってきた2007年3月にアニェッリ家は1億ユーロ以上の増資を決定した[9]。2007年5月19日、閉幕まで3節を残しセリエA昇格を決めた[10][11]。セリエBは所属22クラブ、6月末までシーズンが続く過酷なリーグだが[12]、セリエBでの闘いについて、ブッフォンは「ファンと触れ合うことと、プレーすることの喜びを再発見したんだ。」とポジティブに振り返っているが[13]、ネドヴェドは「セリエBでの1年は厳しく、困難で、長く、骨の折れるだった。」と述べている[14]。また、20ゴールで得点王を獲得したデルピエロは、降格した年にも関わらず「もう一度体験したい時」に2006年を挙げている[15]。
安定感のない新体制
[編集]2009年から会長に昇格したブランは、2006年当時「スクデットを争うのに3年かかる」と見込んでいた[16]。1年でセリエAに復帰し、2年連続で好成績を残すなど順調に進んでいると思われたが、2年連続でシーズン途中に監督が交代し盤石な基盤を整えることはできなかった[16]。モッジの後任にスポーツディレクターに就任したアレッシオ・セッコは、2004年から2年間チームマネージャーを務めたが、記者からは「モッジのカバン持ち」として知られていた[17]。アマチュアのセッコにユヴェントスの重職は荷が重く、元上司のモッジに助言を求めることはイメージ悪化のためにクラブから禁じられ、名門復活のための的確な補強ができなかった[17]。2009-10シーズン終了後、オーナーであるアニェッリ家は運営体制の改革に踏み切り、プロジェクトは4年で幕を閉じることとなった[18]。
2007-08
[編集]セリエB優勝が決定した2007年5月26日の試合後、1年での昇格に貢献したデシャン監督の退任が発表された[19]。6月4日には後任にクラウディオ・ラニエリの就任が発表された[20]。 補強予算の5000万ユーロからセルヒオ・ベルナルド・アルミロン、ティアゴ・メンデス、ジョルジュ・アンドラーデ、ヴィンチェンツォ・イアクインタを獲得した[21]。昇格後1戦目のリボルノ戦は5-1で快勝し[22]、開幕2連勝で首位に立つも[23]3節でウディネーゼに敗戦[24]。その後イタリアダービーの引き分けもあり、11節時点で4位まで順位を下げる[25]。トレゼゲは11試合で10得点を決めており、得点ランキングトップの活躍をしていた[26]。開幕前の予想では、UEFAカップ出場権獲得も難しいだろうという声もあった[27]。しかし、ユヴェントスは2位ローマと1ポイント差の3位と予想を覆す成績で新年を迎えた[27]。冬の移籍市場では、リヴァプールからモハメド・シソッコ、ラツィオからグリエルモ・ステンダルドをレンタルで獲得した[28]。2008年2月16日、2位争いの直接対決となったローマ戦で勝利し1ポイント差で肉薄する[29]。得点はデル・ピエロのFK1点だけで、90分守り切るというユヴェントスらしい勝利だった[30]。2008年4月12日のミラン戦は、チャンピオンズリーグ出場権を争う直接対決となった[31]。試合はデル・ピエロのゴールで先制するも、インザーギのドッピエッタで一時逆転される[31]。しかし、前半終了間際の同点弾、80分の決勝ゴールとサリハミジッチの2得点で再逆転に成功[31]。チャンピオンズリーグ出場権をほぼ手中に収めることになった[31]。シーズンは20勝12分6敗で3位で終え、セリエA復帰1年目、また夏の補強失敗を考えると奇跡的な復活になった[32]。シーズン前半はイアクインタの重用によりデル・ピエロはベンチスタートも多かったが、練習後も居残り調整を続ける努力をしていた[33]。2008年4月20日のアタランタ戦ではハットトリックを達成し、得点ランキングで3位に浮上[34]。21ゴールの内ラスト8試合で10ゴールを決める勢いで得点王に輝いた[32]。デル・ピエロは33歳で初のセリエA得点王となり、ユヴェントスからは2年連続の得点王排出となった[32]。
2008-09
[編集]ラニエリ監督が獲得を希望したアマウリ・カルヴァーリョ・デ・オリヴェイラには大金を使ったが、獲得間近だったシャビ・アロンソ[35]は破談し代わりにクリスティアン・ポウルセンを獲得[36]。オロフ・メルベリは移籍金ゼロで獲得し、下部組織出身のセバスティアン・ジョヴィンコ、パオロ・デ・チェリエ、クラウディオ・マルキジオを呼び戻した[36]。開幕から常に10人前後の負傷者が発生し[37]、前シーズン41点を決めたトレゼゲとデル・ピエロも、トレゼゲは膝の手術で離脱、デル・ピエロは開幕5試合でノーゴールと勝ちきれない試合が続く[38]。CLを含め3連続ドローの後[39]、パレルモ、ナポリに連敗[40]。9月21日から勝利することができず、11位まで順位を落とした[40]。そんな苦境で迎えた2008年10月21日のレアルマドリード戦に2-1で勝利する[41]。試合開始直後の猛攻からデル・ピエロが先制点を決め、そこからはカウンター戦術に切り替えスコア以上に圧倒した内容となった[41]。続く10月25日のトリノダービー[42]、11月1日のローマ戦に連勝し、ラニエリ監督も「日の出が見えた。」と復活を宣言した[43]。チャンピオンズリーグのグループリーグでは、レアルマドリードを抑え首位通過[44]、リーグ戦でも2位まで順位を上げ新年を迎えることができた[45]。前半戦を終え、首位インテルと3ポイント差まで迫るも[46]、追撃に失敗し徐々にポイントを離されてしまう[47]。1戦目は0-1で敗戦し、迎えたチャンピオンズリーグ決勝トーナメントのチェルシー戦は、イアクインタのゴールで先制するも守り切ることができず、2-2の引き分けで試合終了[48]。2戦合計スコアで上回れず、決勝トーナメント1回戦での敗退となった[48]。2009年4月18日、首位と2位の直接対決となったイタリアダービーは、後半ロスタイムのグリゲラの同点弾で引き分けに持ち込むことに成功[49]。しかし10ポイントの勝ち点差は縮まらず、優勝争いに決着が着いた形となった[50]。2009年5月18日、直近7試合で勝利することができず、チャンピオンズリーグ出場権が危うくなってきたユヴェントスは、ラニエリ監督の解任を発表した[51]。ユヴェントスがシーズン途中に監督を解任するのは40年ぶりのことだった[52]。ユースチームを率いていたチロ・フェラーラが暫定監督に就任し[53]、シエーナ戦に勝利しチャンピオンズリーグ出場を確定させる[54]。最終節のラツィオ戦は、退団が決まっていたネドヴェドのラストゲームとなった[55][注釈 1]。327試合に出場したネドヴェドは最後の試合でもアシストを記録し勝利に貢献、21勝6敗11分で2位という成績でシーズンを終了した[55]。前年より順位を上げ2位という好成績ながら、ライバルクラブが順当な優勝を果たしたシーズンとなった[58]。
2009-10
[編集]暫定監督だったフェラーラが正式に監督に就任[53]。強化目標であったジエゴ、フェリペ・メロを獲得しながら、マルティン・カセレスをレンタルで、カルチョポリでクラブを離れたファビオ・カンナヴァーロをフリーで獲得し、収支バランスを優先した動きで600万ユーロの黒字を計上した[59]。また、イブラヒモビッチの移籍により、インテルとの戦力差が縮まったと開幕前から期待が寄せられた[59][60]。新加入のジエゴをトップ下に据えた4-3-1-2の布陣で、前線からのプレッシングとショートカウンターを基本とする戦術はリッピ監督時代を彷彿とさせ[61]、2節目のローマ戦に勝利し開幕2連勝の上々のスタートとなった[62]。更に勝利を重ね、4連勝でサンプドリアと並び首位に立つ勢いを見せた[63]。しかし、その後3戦で1敗2分と勢いにブレーキがかかり、3位まで順位を下げてしまう[64][65][66]。引き分けに終わった2009年10月17日のフィオレンティーナ戦では、指揮官の消極的な姿勢にサポーターからブーイングが飛ばされた[66]。リーグ戦、チャンピオンズリーグに連敗し迎えた15節のイタリアダービーでは、フェラーラ監督は相手の攻撃を潰すフィジカル勝負を選択[67]。マルキージオの決勝点を守りきり2-1で勝利し、優勝戦線に踏みとどまった[67]。チャンピオンズリーグでは、グループステージ2位で迎えた第5節のボルドー戦に0-2で敗れ、対戦相手に首位通過を許す[68]。それでも、引き分けで決勝トーナメント進出が決まる[69]有利な状況で迎えた第6節バイエルン・ミュンヘン戦に、1-4で敗戦した[70]。前半は1-1で折り返したものの、後半は無謀なロングボールの放り込みが増え、得点のチャンスを作ることができず完敗と言える内容で、試合中継の視聴者からも監督への批判が集まった[70][71]。ユヴェントスにとっては、グループステージでの敗退は9年ぶりのことだった[70]。ユヴェントスは3位で新年を迎えることになるも、首位インテルとは9ポイントも離され[72]、2009年最後の試合は最下位のカターニアに敗れ、1963年以来の歴史的な敗北となった[73]。直近6試合で5敗目となり、フェラーラ監督も「どこから改善すべきか明確にできない」とお手上げ状態だった[73]。年明け後はさらに故障者も増え[74]、ホーム3連敗で6位まで順位を落とす[75]。コッパ・イタリアの準々決勝、インテル戦に敗れた翌日の2010年1月28日、フェラーラ監督の解任と後任にアルベルト・ザッケローニが就任することが発表された[76]。ザッケローニは、監督2戦目で得意の3バックを導入するが、2戦連続の引き分け[77]。ベッテガは「良い監督だが、魔法の杖は持っていない」と皮肉交じりのコメントを残し[78]、監督就任後初勝利は、3戦目のジェノア戦となった[79]。続くボローニャ戦に連勝し一時は4位に順位を上げるも[80]、その後は敗北が重なり順位を落とし[81][82]、ヨーロッパリーグでもフルアム相手に2選手が退場したことが響き[83]、4失点する大番狂わせでベスト16で敗退となった[84]。シーズンは7位で終了し、なんとかヨーロッパリーグ予選枠を得たものの、38戦16勝15敗7分という結果は過去数シーズンでも最悪の成績となった[85][18]。敗戦数、総得点、総失点では、20チーム制になってから最も悪い記録となった[86]。
アンドレア・アニェッリ就任と盟主復活へ
[編集]アニェッリ家当主のジョン・エルカーンは、より深く経営にコミットするため、1956年から5年間会長を務めたウンベルト・アニェッリの息子であるアンドレア・アニェッリに会長を委ねた[87]。移籍市場やチーム強化のプロがいなかったことを反省し、サンプドリアでゼネラルマネージャーを8年間務めたジュゼッペ・マロッタを引き抜いた[87][注釈 2]。マロッタはセリエCからキャリアを積み上げてきた叩き上げで、サンプドリアをセリエBからチャンピオンズリーグ出場まで引き上げた実績があった[87]。また、限られた予算で結果を出すことからも、イタリアで高く評価されていた[87]。マロッタはサンプドリアで仕事を共にしたルイジ・デルネーリを新監督に任命し、右腕の部下のファビオ・パラティチも引き抜いた[87]。
デル・ネーリ監督は、2000年代前半にミラクル・キエーヴォと称されたチームを率いていた頃から一貫して、スピードに乗ったサイド攻撃を活かした速攻攻撃型サッカーを志向していた[89][90]。マロッタは、サイドを主戦場とするシモーネ・ペペ、ミロシュ・クラシッチ、ホルヘ・マルティネスらを補強し、監督の戦術を後押しした[89]。また、マルコ・モッタ、アルマン・トラオレ、アルベルト・アクィラーニ、ファビオ・クアリャレッラはレンタルで獲得し、支出を抑えることに成功[91]。一方、守護神のジャンルイジ・ブッフォンがワールドカップ中に椎間板ヘルニアの手術を決断し、復帰まで4カ月かかる見込みとなったため、すぐさま代役としてマルコ・ストラーリを確保した[92]。
シーズン前哨戦のヨーロッパリーグの予選プレーオフに順調に勝利し[93]、補強の充実により地元メディアから優勝候補に推されるも、開幕戦でバーリに敗戦[94]。第2節のサンプドリア戦は、3-3の乱打戦となり勝利することはできず、15位に沈んでしまう[95]。序盤戦はメンバーを入れ替え試行錯誤していたが、中盤の構成が固まったことにより攻守のバランスが良くなり、期待されていたクラシッチがイタリアサッカーに適応し本領を発揮[96]。第3節で初勝利すると[97]、2010年9月26日の第5節から[98]2010年12月19日の第17節まで7勝6分という負けなしの成績で[99][100]、一時は2位まで順位を押し上げた[101]。一方、ヨーロッパリーグでは、5戦目にしてグループステージ敗退が決定した[102]。6戦6分という成績で、格下とみられていたポーランドのレフ・ポズナンにも勝利することができなかった[102][103]。年明けの第17節パルマ戦、第18節ナポリ戦に連敗[104]。早くもチャンピオンズリーグ出場圏内から弾き出されてしまう[105]。冬の移籍市場では、ルカ・トーニをフリーで、アンドレア・バルザーリを30万ユーロで、アレッサンドロ・マトリをレンタルでそれぞれ獲得し、総額180万ユーロに抑えた補強となった[106]。ブッフォンの復帰や[107]、新加入のアレッサンドロ・マトリの活躍でイタリアダービーも含めた2連勝で安泰かと思いきや[108][109]、クアリャレッラがシーズン終了の大けがを負ったり[110]、PKを見逃される不運で連敗したり[111]と浮き沈みが激しく、さらにレッチェ、ボローニャというプロビンチャクラブに連敗した後の第28節ミラン戦でも敗北し、3試合無得点で3連敗を喫する[112][113][114]。ミラン戦の敗因については、収支を優先した補強により、個の選手の能力に差があったためではないかと指摘されている[114]。7位に沈むチームには、試合中にも関わらず経営陣へのブーイングが響き[115]、第30節から32節までの3連勝は1年半ぶりのことだった[116]。第34節の引き分けでチャンピオンズリーグ出場が絶望的になり[117]、15勝10敗13分で7位という成績でシーズンを終え[118]、ヨーロッパリーグ出場も逃した[119]。2011年5月21日、デルネーリ監督の解任が発表され[120]、5年で5度目の監督解任と継続性の無さがあらわになった[121]。シーズンの不振について、中心選手の負傷と補強選手が活躍できなかったことが指摘されている[122]。新加入のボヌッチはしばしば失点に絡んだが[122]、冬に加入したバルザーリと合わせて、後に「"BBC"」と呼ばれる守備ユニットの礎が誕生したシーズンだったと言えるだろう[123]。
闘将の帰還
[編集]2011-12
[編集]2011年5月31日、現役時代に「"闘将"」と呼ばれ、ユヴェントスで13シーズンプレーしたアントニオ・コンテが新監督として就任した[124][125]。失いかけていた名門の誇りと、勝利に対する精神をチームに蘇らせることを期待され、コンテ本人も「ユベントス・スピリットを取り戻す」ことを第一目標に挙げた[125]。不振の前シーズンを受けて増資がなされ、フロントも積極的な補強を宣言し[126]、ステファン・リヒトシュタイナー、アルトゥーロ・ビダル、ミルコ・ヴチニッチらを獲得し、ミランで契約延長に至らなかったアンドレア・ピルロはフリーでの加入となった[127][128]。 前哨戦であるTIMカップではPK戦でインテルに敗れたものの、ヴチニッチを中心としたパス交換での崩しが機能的で試合内容が評価された[129]。サイド攻撃を軸にした4-2-4と、ピルロ、マルキージオ、ヴィダルのコンビネーションを活かす4-3-3を使い分け開幕2連勝を飾る[130][注釈 3]。第6節のミラン戦では、高いインテンシティと前線からのプレスで前年王者を圧倒し、終了間際のマルキージオの2得点で勝利した[132]。第10節のイタリアダービーにも勝利し、カルチョ・ポリ以来差を開けられていたインテルと立場が逆転となった[133]。4-3-3のシステムが固まり、迎えた第13節ラツィオ戦は首位攻防戦で、試合をコントロールしたユヴェントスが1-0で勝利した[134]。この勝利で、1試合未消化ながら単独首位に浮上した[134]。第19節のアタランタ戦に勝利し、ユヴェントスは首位で前半戦を終えた[135]。ユヴェントスが冬の王者になるのは、2005-06シーズン以来のことであった[135]。前半戦の戦いについて、使い慣れていた4-2-4の布陣より、4-3-3が機能すると分かると即座に戦術変更を決断し、デル・ピエロのようなバンディエラをベンチに置くこともためらわないチームマネジメントを評価されている[136]。「スクデット決定戦」と喧伝された第25節のミラン戦は、1-1の引き分けで両者痛み分けとなった[137]。しかし、試合後に話題になったのは、前半28分のムンタリのシュートがゴールラインを超えていたが、ゴールと認められなかったことである[137]。後半78分に、マトリのゴールも微妙なオフサイド判定で取り消されてはいるが、誤審に助けられた形となった[137][注釈 4][注釈 5]。このミラン戦から、降雪で延期された第23節[140]も含み4戦連続で引き分けとなり、勝利より引き分けの方が多くなってしまった[141]。コンテは無敗を強調したが、首位ミランとの差が広がり始めていた[141][142]。ミランを追う形となったユヴェントスは、第28節の快勝を皮切りに[143]、4試合で12得点、523分間無失点継続と、怒涛の4連勝で首位に返り咲いた[144]。連勝は8まで伸び[145]、第37節の勝利で9シーズンぶりの優勝が決定した[146]。就任1年目で優勝を達成したコンテは、試合終了後のインタビューを「今日、ユベントスが帰ってきた」という言葉で締めた[146]。シーズン前半の10月18日の株主総会で、アニェッリ会長自らデル・ピエロとの契約が今季限りであることを明言しており[147]、シーズン最終試合はデル・ピエロの退団試合となった[148]。前半28分に得点を決め、後半57分の交代では満員のスタンディングオベーションに見送られた[148]。最終成績は38戦23勝15分で、無敗での優勝となった[149]。総失点の「20」は、セリエAにおける最少失点記録更新となり、「20人」からゴールが生まれたことも最多得点者数の記録更新となった[149]。
2012-13
[編集]チャンピオンズリーグ参戦のため、戦力補強としてウディネーゼからクワドォー・アサモアとマウリシオ・イスラを獲得[150]。マンチェスター・ユナイテッドからは、ポール・ポグバを獲得した。一方コンテ監督は、シエナ監督時代に八百長の事実を知りながら報告を怠ったとして、10ヶ月の資格停止処分が下された[151][注釈 6]。コンテ不在の間、代行監督としてアシスタントコーチのマッシモ・カレーラが指名された[153]。クラブ側は経験のあるユース監督に任せようとしたが、現役時代に同僚だったコンテが押し切った形となった[153]。2012年8月12日に北京国家体育場で行われたスーペルコッパ・イタリアーナでは、アサモアが左サイドを制圧[154]。同点弾となる強烈なボレーシュートも決め、試合は4-2で勝利し早くもタイトル獲得となった[154][155]。リーグでは、チャンピオンズリーグの疲労も考慮し、ターンオーバーでメンバーを休ませながら開幕から4連勝で単独首位に立つ[156]。引き分け1試合を挟み[157]無敗同士で迎えた第8節のナポリ戦に勝利し[158]、5連勝で迎えたイタリアダービーで敗北[159]。2011年から続いていたリーグ無敗記録は49でストップした[159]。チャンピオンズリーグでは、国内での好調と対照的に3戦連続で引き分けてしまい[160]、格下であるはずのノアシェランにクラブ史上初の勝ち点1を献上してしまった[160]。前年の6連続引き分けを引き継ぎ、これで9戦連続引き分けという不名誉な記録を生み出してしまったが、ホームで迎えたノアシェランに4-0と大勝し弾みをつけた[161]。チェルシー戦の3-0での圧勝[162]、ハードワークで攻撃を抑え込んだシャフタール戦の勝利によって、首位で決勝トーナメント進出が決定した[163]。第14節のミラン戦の敗戦後に、マロッタはセリエAとチャンピオンズリーグの両立の難しさを口にしたが[164]、資格停止処分が4か月に軽減されたコンテが第16節からベンチに復帰し[165][166]、リーグでも2位と勝ち点8差の首位で年内最終戦を終えた[167]。年明けは、ピルロ、マルキージオ、キエッリーニら主力の故障でクオリティが低下し[168]、1勝2分1敗という成績で2位との差が詰まってしまう[169]。それでも、2位との直接対決となった第27節のナポリ戦では、引き分けという結果で差を縮めさせなかった[170]。チャンピオンズリーグでは、決勝のトーナメント1回戦でセルティックに順当に勝利し[171]、7季ぶりにベスト8に進出した[172]。昨年準優勝しているバイエルン・ミュンヘンのユップ・ハインケス監督が「数日間、"老貴婦人"とベッドを共にした」と前日記者会見で語った通り、ユヴェントス対策のハイプレスに手も足も出ず、2戦合計0-4で敗退となった[173][174]。引き分けに終わったナポリ戦以降、前半戦に敗れたインテルに借りを返し[175]8連勝で勝ち点を積み上げ[176]、2013年5月5日に3節を残し2連覇を達成した[177]。最終成績は、27勝6分5敗であり[178]、開幕から1度も首位の座を譲ることがなかった[179]。
前年に4-3-3で固まったとみられていたフォーメーションだが、コンテは改善の手を緩めず3バックを導入する[180]。見た目上は3-5-2であるが、より攻撃的にするためサイドの選手を前線に押し上げ、4-2-4の4トップの考え方を活かした3-3-4という布陣にたどり着く[180]。また、3バックの導入は移籍当初から守備のミスで批判されていたボヌッチの負担を軽減し、長所であるビルドアップ能力をより活かせるようになった[181]。2トップにはヴチニッチとマトリを起用し、前線からの積極的なプレッシングを要求することでインテンシティが高まった[182]。相手を選ばず、常に主導権を握っていく「強者のスタイル」が浸透したシーズンとなり、コンテも「今季のチームは昨季より強かった」と讃えている[179]。
2013-14
[編集]前年バイエルン・ミュンヘンに敗北した後、ガゼッタ・デロ・スポルトに補強の必要性が指摘されていた大型FWには[183]、マンチェスター・シティからカルロス・テベスと、2013年1月に加入内定が発表されていたフェルナンド・ジョレンテを獲得した[184][185]。前シーズンの3-5-2を土台にしながら、リヒトシュタイナーが担っていた右ウィングのポジションをヴチニッチに変えることで、より重心を前に置いた3-3-4のフォーメーションを完成させようと目論んだ[184]。ハードワークが要求されるコンテの2トップの元で、テベスは開幕1カ月でシステムに適応し、DFとの駆け引きやポストプレーでの組み立てに参加しながら6試合で4ゴールの活躍ぶりを見せた[186]。開幕8試合で無得点試合がないという攻撃の充実ぶりながら、昨シーズンからの課題であるチャンピオンズリーグとの両立には悩まされた[187]。レアル・マドリード戦直前のフィオレンティーナ戦で、2点リードしながらも体力温存のために試合をコントロールしたところ、コンテ就任以来初の4失点で大逆転負けを喫してしまった[187]。それでも新戦力のジョレンテがレギュラーに定着し攻撃にバリエーションが増え、序盤戦に勢いのあったローマ、ナポリの両クラブが停滞している間に6連勝で首位に躍り出た[188][189]。リーグの好調と裏腹に、チャンピオンズリーグは1勝2敗3分でグループステージ敗退となった[190]。3戦で3引き分けは前年と同様の結果だったが、残りの試合で勝ち点を積み上げられず迎えたトーナメント進出がかかったガラタサライ戦では、引き分けで勝ち抜けが決まる有利な条件にも関わらず、試合終了5分前に失点してしまい敗戦[190][191]。ヨーロッパリーグ行きが決定した[192]。引き続き欧州戦との両立が懸念されたが[193]、30節時点で過去3シーズンの優勝チームを上回る勝ち点を積み上げているローマに更に10ポイント差を付けており、勝ち点「100」の大台も現実味を帯びていた[194]。マルキージオの怪我で出場機会が回ってきたポグバも[195]、ビダルとのコンビで中盤を制圧しており、ヨーロッパでも屈指のレベルにあると評価された[194]。ナポリに敗れ7で止まった連勝も、過密日程に苦しみながら4月を全勝で乗り切ることに成功[196]。ヨーロッパリーグでは、決勝の舞台がユヴェントス・スタジアムで開催されることもあり、コンテも決勝進出を目標にしていた[197]。順調に勝ち上がり準決勝の対戦相手は、同じくチャンピオンズリーグ3位でヨーロッパリーグに回ってきたベンフィカだった[197]。第2戦では相手に退場選手が出て有利な状況になるも得点を奪えず、2試合合計1-2で敗れホームスタジアムでの決勝戦に進むことは叶わなかった[198]。リーグ戦では、38戦33勝3分2敗という成績で通算30回目の優勝を果たし、3連覇を達成した[199][200]。12連勝1回、7連勝2回とシーズンで大崩れすることがなく、勝ち点「102」はセリエだけでなく欧州主要リーグの最多勝ち点記録を更新し、ホーム開催試合19試合全てで勝利する圧倒的な強さを示したシーズンとなった[199][201]。
アッレグリ
[編集]高いインテンシティで相手を圧倒するようなコンテのサッカーから、ポゼッションで試合をコントロールし、ゆっくり相手を料理するサッカーへ変化した[202]。
2014-15
[編集]補強への不満からキャンプ2日目でアントニオ・コンテが突如辞任し、翌日には後任としてマッシミリアーノ・アッレグリの就任が発表された[203]。アッレグリは2010-11シーズンにミランでスクデットを勝ち取っているものの、ピルロを冷遇しユヴェントスへ移籍する原因となったことや、ユヴェントスへの批判を口にしていたためサポーターから歓迎されず、「#NoAllegri」というハッシュタグがTwitter上で拡散してしまった[203][204]。また、3連覇チームの3-5-2を基本方針とする発言をしたものの、アッレグリはキャリアで一貫して4バックと3センターの中盤のシステムを用いてきたため、短い準備時間でどのように戦術を浸透させていくかが最初の課題となった[203][204]。キャンプを通じて徐々に4バックへの移行が進められ、マンチェスター・ユナイテッドから移籍してきたパトリス・エヴラが左SBのレギュラー候補となった[205]。2000万ユーロでレアル・マドリードから獲得したアルバロ・モラタは最初のトレーニングで負傷してしまったものの、アッレグリが求める2トップのプレースタイルに適していることもあり早い復帰が期待された[206]。シーズンが始まると5戦5勝、失点0という安定した守備でスタートダッシュに成功する[207]。アッレグリは積極的にターンオーバーを活用し、運動量で圧倒するサッカーからポゼッションを大事にして試合をコントロールするサッカーに変貌した[207]。コンテ監督時代はチャンピオンズリーグとの両立が課題で、フィジカルに負荷がかからない戦い方を模索していると分析されている[207]。コンテと同じ3-5-2のシステムでも、ピルロの故障によりアンカーのポジションで起用したマルキージオが相手の攻撃の芽を潰し、ピルロのゲームメイク能力をテベスが積極的に中盤まで下がることで補う工夫がみられた[208]。リーグ戦の1/4を終えた段階ではローマと並んで3位以下を離すも、10月にはポイントを取りこぼす試合やチャンピオンズリーグでの2連敗もあり失速傾向がみられた[209]。開幕から2カ月後、11月に入りアッレグリは4バックへの移行へ踏み切る[210]。4-3-1-2のフォーメーションであれば、トップ下に加えて中盤に下りて組み立てに参加するテベスの5人でポゼッションを維持することが可能で、得点率、失点率ともに数値が改善した[210]。チャンピオンズリーグでは、グループステージ2位を争うライバルとなったオリンピアコスとは1勝1敗の痛み分けとなり[211]、最終節のアトレティコ・マドリードとの1戦はお互い引き分けで1位通過と決勝トーナメント進出が決まることもあり、カウンター狙いのアトレティコ相手に無理をせず、スコアレスドローで2位通過を手にした[212]。リーグ後半戦が始まると、安定感のあるユヴェントスに対し、2位ローマが徐々に勝ち点を取りこぼし独走態勢に入っていく[213]。チャンピオンズリーグのベスト16では、ハイプレスからショートカウンターを狙ってくるドルトムントに対し、あえてボールを渡し受けに回ることで効果的な攻めをさせず、攻撃時には縦に早いボールを前線に配給し2ゴールを奪った[214]。アッレグリは、「チャンピオンズリーグの決勝ラウンドで一方的に支配して戦うことは不可能」というコメントを残しており、第1戦目はゲームプラン通りの作戦勝ちとなった[214]。3月のリーグ戦では体力を温存しながら3試合とも1-0で乗り切り、2位ローマとの勝ち点差が14に広がり4連覇をほぼ確実なものとしていた[215]。
ベスト8のモナコ戦では、ビダルのPKで得た1点を徹底的な守備戦術で守り切り2戦合計1-0で勝利した[216]。
チャンピオンズリーグ決勝のバルセロナ戦では、前半4分に失点するも後半55分にモラタのゴールで振り出しに戻す[217]。しかし、逆転しようと攻めあがった隙をつかれてMSNのカウンターをくらい2失点[217]。12季ぶりの決勝は1-3で敗戦となった。
開幕当初は継続性のあるローマやナポリが優勢とみられ、ユヴェントスの1強時代が終わる可能性も示されたが[218]、
単純に控え選手と入れ替えるターンオーバーではなく、個々の体調に合わせて出場時間を調整し、コンディションの悪化を防いだ[219]。チャンピオンズリーグ決勝トーナメントで息切れした試合はなく、リーグでも突出して出場時間が多かったのはブッフォン、ボヌッチ、マルキージオの3名に限られる事実にあらわれている[219]。
2015年5月2日、4試合を残し2位ラツィオとの勝ち点差が17となりリーグ優勝が確定、4連覇達成となった[220]。最終成績は、26勝9分3敗で前年に比べれば勝ち点は減少したものの、コッパイタリアで20年ぶりの優勝、チャンピオンズリーグで決勝進出と3つのコンペティションを戦い切った[221]。
2015-16
[編集]2003-04シーズンから12年続いたナイキ社との契約を鞍替えし、イタリアで最高額となる年間約3100万ユーロでアディダス社とスポンサー契約を結んだ[187]。
2年間エースとして活躍したテベスが古巣であるボカ・ジュニアーズへ移籍した[222]。1年前から母国復帰の希望を聞いていたユヴェントスはそれに答え、650万ユーロと若手選手の優先交渉権で手を打った[222]。また中盤からピルロ、ビダルが移籍し、4連覇の核だったセンターラインが総入れ替えとなった[223]。マンジュキッチやケディラの獲得に加え、ウィングのポジションでも起用できるクアドラードは攻撃のオプションを増やし、ディバラやルガーニのような若い選手の加入で中期的なチーム作りへの投資も行った[223][224]。
トップ下のメインターゲットだったドラクスラーの獲得に失敗し[225]、
シーズン開幕前のスーペルコッパに勝利しタイトルを獲得したものの、リーグ戦では開幕2連敗を喫する[225]。ケディラ、マルキージオの負傷により3-5-2の布陣で戦わなければならなかったという事情がありつつも、開幕2連敗はクラブ史上初のことだった[225]。補強により攻撃陣の選択肢が増えたが、それにより最適解が見つからず試行錯誤が続いたことが指摘されている[226]。
(前半の低調からディバラへ)[227]
11月、12月のリーグ戦で全勝し、冬の中断期間時点で4位まで浮上した[228]。
チャンピオンズリーグのベスト16、バイエルン・ミュンヘンとの第1戦目は前半はボールを支配されワンサイドゲームだったが、後半に2点差を追いつき2戦目に望みをつないだ[229]。第2戦目でアッレグリは可変システムを採用し、受けに回りカウンターを狙う5-4-1、左サイドバックのサンドロがスライドしてマンツーマンでハイプレスを行う4-4-2の守備陣形を構築した[230]。攻撃時には両サイドバックが高い位置を取る3-2-4-1のフォーメーションとなり、1点目はウィングの位置まで抜け出したリヒトシュタイナーのクロスから生まれた[230]。試合は前半を2点リードで終えたが、1試合目と同様に終了間際に同点弾が生まれ2-2となり、疲弊したユヴェントスは延長戦で更に2失点しベスト16で敗退となった[230]。
第25節は2位ユヴェントスと、首位ナポリの天王山となった[231]。試合終了間際のザザのゴールで勝利し15連勝を達成、ついに首位たった[231]。3月20日のトリノダービーにおいてブッフォンは、1992-93シーズンにセバスティアーノ・ロッシが記録した930分間無失点という記録を更新し、973分間無失点のセリエA新記録を樹立した[232]。
マルキージオ、ケディラが復帰しディバラ、マンジュキッチのコンビがチームにフィットし始めた11月から本来の調子を取り戻す[233]。3-5-2のシステムに落ち着き15連勝、引き分けを挟み更に10連勝で26試合無敗で順位を上げていき、最終成績は29勝4分5敗で圧倒的強さを見せつけた[233][234]。
2016-17
[編集]ポグバが移籍したものの
前年にセリエAの得点記録を更新したゴンサロ・イグアイン、ミラレム・ピャニッチ、ダニエウ・アウヴェスを補強[235]。前シーズンに用いた3-5-2の正統進化を目指した補強で、ピャニッチ、イグアインの獲得はローマ、ナポリの両チームに契約解除金を払っており、移籍交渉をせず優勝を争うライバルから引き抜いた形となった[236]。前シーズンにディバラの起用を焦らずゆっくり馴染ませていったように、ピャニッチ、イグアインをベンチスタートさせながら、開幕2連勝で6連覇を目指すシーズンをスタートする[237]。
マルキージオの長期離脱でレジスタを任せられる選手がおらず、エルナネスやレミナもその穴を埋めることができなかった[238]。
2017年1月15日のフィオレンティーナ戦で敗戦後の22日ラツィオ戦において、スターティングメンバーにイグアイン、ディバラ、マンジュキッチ、クアドラード、ケディラ、ピャニッチという攻撃的なメンバーが並んだ[239]。それまで用いていた3-5-2でも4-3-1-2の布陣でもなく、ワントップにイグアイン、ツーボランチにケディラとピャニッチ、左サイドにマンジュキッチという4-2-3-1の構成だった[239]。トップ下のディバラはスペースを自由に移動しながらプレーし、マンジュキッチはフィジカルで優位に立つ等新たな可能性を示した[239]。
チャンピオンズリーグベスト8のバルセロナとの第1戦目は、前半20分で敵陣で5回のボール奪取に成功しており、2-0と優位な状況になると4-4の守備ブロックに移行して終始試合をコントロールした[240]。
「可変システム」対「不変システム」の対決となったチャンピオンズリーグ決勝は、ユヴェントスが前半からプレスをかけレアルマドリードに効果的な攻めをさせず1-1の同点で折り返す[241]。延長戦を見据えたからかプレスの圧力が弱まった後半61分、64分に立て続けに失点し効果的な交代策もこうじることができず、1-4で敗戦[241]。
最終成績は29勝4分5敗で、最後まで優勝争いしたのがローマ、ナポリの2チームということもあり前年と同様の展開だった[242]。
フィオレンティーナ戦でのシステム変更で最適解を発見し、終盤には引き分け試合が増えたものの一度も首位を譲ることなくチャンピオンズリーグで勝ち進み、コッパイタリアでも3連覇を達成する力の配分でセリエAで6連覇を達成した[243]。
2017-18
[編集]移籍市場ではアウヴェスが双方合意の契約解除により退団[244]。また、前シーズンのパレルモ戦でアッレグリと言い争いになり、直後のチャンピオンズリーグのポルト戦でベンチ外処分になるなど関係悪化が噂されていたボヌッチが移籍志願し、ACミランへ加入した[244][245]。
アッレグリは毎年序盤戦にシステムの最適解を試行錯誤しながら、後半戦にピークパフォーマンスを持ってくる戦略を取っている[246]。それでも例年通りの首位独走とはいかず、ナポリと1ポイント差の2位で冬の中断期間を迎えることとなった[247]。12月には調子の上がらないディバラをスタメンから外し、ボヌッチが移籍し守備力とビルドアップ能力が落ちた対策として、ピャニッチを中心にケディラとマテュイディの3人の中盤で攻守のバランスを改善した4-3-3の布陣を採用し始めた[246]。
独走して優勝した過去2シーズンと同等の勝ち点を積み上げたものの、欧州5大リーグで唯一最終盤まで優勝争いが決着せず、ユヴェントスの7連覇が確定したのは2018年5月13日のことだった[248][249]。12月から用いられた4-3-3のシステムではチームのエースであるディバラを活かすことができず、4-4-2や3-5-2のフォーメーションも試されたものの最終形が固まることはなかった[248]。また、バルザーリの衰え、ブッフォンの退団、マルキージオの相次ぐ故障と連覇を支えてきたメンバーが中心ではなくなり、サイクルの終わりを感じさせるシーズンとなった[248]。
拡大路線とコロナ禍
[編集]2018-19
[編集]33歳を超えた選手に総額3億ユーロもの資金を投じることは、フィナンシャル・タイムズ紙にギャンブルだと評された[251]。
開幕15試合で14勝1分けは5大リーグの記録となる勢いで、第16節時点で既に2位ナポリと8ポイントの勝ち点差を付けており、「11月にリーグは終わった」「早くも8連覇は確実」という声すらあった[252][253]。ロナウドはゴールを決めることだけにこだわらず、組み立てに参加し積極的にボールに触れており、11試合連続で得点に絡む大活躍だった[252][253]。開幕前はロナウドの相方はディバラと予想されていたが、コンビとなったのはマンジュキッチで、7ゴールと数字を残しながらロナウドとのポジションチェンジや守備への貢献で重宝された[254]。
初黒星は3月19日の第28節、ジェノア戦でその頃にはナポリと20もの勝ち点差が開いていた[255]。
4月20日のフィオレンティーナ戦に勝利し前人未到の8連覇を達成したものの喜びは一瞬で、4日前のチャンピオンズリーグ・ベスト8のアヤックス戦の敗戦を忘れさせてくれるものではなかった[256][257]。優勝後のインテル戦での引き分け後、アッレグリはTV解説者の批判に対し言い合いになっている[256]。ロナウドを巨額の資金で獲得した時点で、「優勝は当たり前、チャンピオンズリーグを制覇できなければ失敗」という空気ができあがってしまい、5年連続でリーグ優勝に導いたアッレグリは事実上の解任となってしまった[255]。
マロッタの後釜に座ったパラティチやネドヴェド副会長からアッレグリ解任の意見が出ていたとされ、会長のアニェッリはアッレグリの退任会見において、会長の一存ではなく企業として下された決断だということを強調した[258]。
2019-20
[編集]プレシーズンのアジアツアーで、サッリ監督の基本施術であるショートパスによるビルドアップ、ハイプレス戦術が導入されたものの、完全に機能しているとはいえなかった[259]。
サッリ監督は、センターバックに高い位置を要求し積極的にビルドアップに参加させた[260]。キエッリーニの故障もあったが、よりモダンな特徴を持ったデ・リフトが出場機会を得ることとなった[260]。
14節時点で無敗で2位につけており、結果の面では評価される[261]。しかし、「サッリボール」とメディアが称したショートパスで相手を崩していくサッカーはユヴェントスに浸透せず、チャンピオンズリーグで結果を残しながらブランドイメージのためにロナウドを中心にするタスクが求められた[261]。
26勝5分7敗の成績で優勝し、9連覇を果たした[262]。
ディバラのセンターフォワード起用や、ラビオ、ベンタンクールが中盤に定着したことによってクオリティが高まったものの、「サッリのユヴェントス」という具体的な形を提示できずにシーズンは終了してしまった[262]。
2019年10月24日の株主総会では、アニェッリの就任から9年間で売り上げが3.6倍、株価が9倍になったことが紹介された[252]。2019年を「新たなゼロ年」とし、テレビ視聴者の減少に触れながらよりグローバルなマーケットへの方向性が示された[252]。
ユヴェントスの営業収入はイタリア国内では圧倒的なものの、欧州のクラブと比較するとトップ10に入るのがやっとという状況であった[263]。
チャンピオンズリーグでの優勝を目標に、売り上げの中で人件費の占める割合は7割まで達し、赤字を出しながらもロナウドというスーパースターのコマーシャル効果で拡大路線を進んでいた[263]。
そこに誰しもが予想しなかったコロナ禍により、営業収入が20~30%減少する見通しとなった[263]。選手との年俸カット、支払いの遅延は合意されたものの、コストの大部分である人件費の抑制という課題については翌シーズンに持ち越された[263]。
2020-21
[編集]サッリの解任により、Bチームの監督に就任するはずだったアンドレア・ピルロが監督に就任した[265]。
ピルロの志向するサッカーは、UEFAライセンスの修了論文「Il calcio che vorrei」[266]に書かれているモダンなものであったが、ロナウドのような守備のタスクが少ない選手を前線に置きながら前線からのハイプレスをどのように実現するか手腕が問われた [265]。
無敗ながら10試合で5分けと取りこぼしも多く[269]、
2021-22
[編集]ファビオ・パラティチを解任し、フェデリコ・ケルビーニを内部昇格させた[270]。2021年7月30日、ユヴェントスは公式声明で年内に4億ユーロを上限とした増資を行うと発表した[271]。合わせてユヴェントスで役員を務めていたマウリツィオ・アリバベーネがCEOに就任したことも発表された[271]。アリバベーネは元々フィリップモリスからフェラーリのF1チームに引き抜かれたビジネス畑出身の人物で、親会社であるエクソールが経営体制の見直しのために派遣したのではないかと地元メディアには言われていた[271]。原点回帰として在任期間で5度の優勝を果たしたアッレグリを再招聘し、改めてスクデット獲得のタスクを課された[270][272]。
前半戦は攻撃が行き詰まることが多く、チャンピオンズリーグ出場権も危ぶまれていた[272]。さらにキエーザが左膝前十字靭帯断裂でシーズン絶望となると、フィオレンティーナから得点ランキングトップだったドゥシャン・ヴラホヴィッチを緊急補強した[273]。
戦術
[編集]アリゴ・サッキのミランやエレニオ・エレーラのインテルと比べ[275]、ユヴェントスが戦術的イノベーションを起こしたことはないと分析されている[276]。トラパットーニ監督時代はイタリア代表との親和性が高く、ディノ・ゾフ、ガエターノ・シレア、パオロ・ロッシらサッカーイタリア代表選手を中心にアズーリの伝統である4-2-4の布陣で戦っていた[277][注釈 7]。リッピ監督時代には、中盤にアントニオ・コンテ、パウロ・ソウザ、ディディエ・デシャンらハードワーカーを並べ、ボールを奪取してからのショートカウンターを得意とするフィジカル志向のサッカーをしていた[279]。リッピは、イタリア代表監督時代には、7名のユヴェントス所属選手を先発させたこともある[280]。
キエッリーニは2016年のラ・スタンパのインタビューで、「ユヴェントスは1-0や2-0で勝つべきチームだ。クラブの歴史がそれを示している。」と発言している[281]。
FFP
[編集]ファイナンシャル・フェアプレー (FFP)ではオーナーの私費による赤字補填が禁じられており[283]、18年で10億ユーロを超える私財を投じてきたモラッティの放漫経営は認められず2013年10月に経営権を手放した[284]。インテルはFFPの審査対象となる3シーズンで2億6000万ユーロの赤字を計上しており、経営体制の改善が優先されチームを強化することができなかった[284]。インテルに次いでACミランも2015年にタイの投資家へクラブの株式を48%売却した[285]。両クラブは2000年代前半から売り上げ高が横ばいで、市場のグローバル拡大に取り残されていった[285]。
ユヴェントスはゼネラルディレクターのマロッタの元、1000~2000万ユーロの手堅い補強でチームを強化し、イタリアでは唯一FFPの基準を遵守しながら結果を残すクラブとなった[286]。
スーパーリーグ
[編集]CLの分配金が高騰し、一度出場を逃すと経営に大きなダメージが出るということは、2007年に片野道郎によって指摘されていた[287]。同時に、G-14に所属するクラブがベスト16常連になり、皮肉にも欧州スーパーリーグが実現されているのではないかという指摘もされている[287]。
2016年1月には欧州クラブ協会会長のカール=ハインツ・ルンメニゲがスーパーリーグ構想に触れており、2018-19シーズンから4大リーグの出場権が拡大されることも併せてスーパーリーグ実現の可能性が改めて指摘されている[288]。
メモ
[編集]監督のトラパットーニは、国立競技場のピッチコンディションの悪さを「ボールが兎のように跳ねる」と表現した[291]。
遺恨の始まりは1960-61シーズンの対戦において、観客の乱入により中止された試合の再試合に不服なインテルがユースチームを出場させ、9-1でユヴェントスが勝利したことが起因とされる[292]。
イル・ジョルナーレ紙は、モッジを選手を見抜く能力だけでなく、家庭環境や人柄にも注目し選手とより密接に接することで成功をおさめたと評した[293]。
イタリアではサッカー連盟主導による若手育成は行われておらず、各クラブのユース組織に委ねられていた[294]。
ファンが多い一方アンチも多いクラブだったが、2018年におこなわれたメディアセットの調査によると、イタリアのサッカーファンの39%がユヴェントスを応援しており、嫌いなクラブではユヴェントスの38%を上回りインテルが40%で最も嫌いなクラブとなった[295]。
代理人
[編集]剛腕でクラブと対立することも多かった代理人のミノ・ライオラとは友好的な関係を築いていた[296]。ポグバをフリートランスファーでユヴェントスに移籍させた際に、次の移籍時の30%の手数料を受け取る条約を契約に盛り込んでおり、マンチェスターユナイテッドの買い戻しで3000万ユーロ以上の大金を受け取ったと試算されている[297]。
キャピタル
[編集]- ^ a b 片野道郎「CALCIOおもてうら 第83回 ユベントスFC株式会社の現在と未来」『footballista』 2006年11月1日号、株式会社ソル・メディア、26頁。
- ^ a b 佐藤貴洋「ユベントス セリエA昇格プロジェクト①」『footballista』 2006年10月25日号、株式会社ソル・メディア、19頁。
- ^ 片野道郎「Round Up」『footballista』 2006年11月1日号、株式会社ソル・メディア、14頁。
- ^ “降格のユベントス、戦力突出 セリエBで6連勝”. asahi.com (2006年10月24日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ “セリエB狂想曲。”. NUMBER (2006年9月27日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ 片野道郎「Round Up」『footballista』 2007年1月24日号、株式会社ソル・メディア、15頁。
- ^ “<サッカー セリエB>デル・ピエロ ユベントス通算500試合目の出場を果たす - フランス”. AFP (2007年1月21日). 2022年9月2日閲覧。
- ^ “Deloitte Football Money League 2007”. Deloitte (2007年2月). 2022年9月3日閲覧。(2007年2月に国際監査法人『デロイト』が公表した2005-2006シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第101回 ユベントス、セリエA復帰1年目のシナリオ」『footballista』 2007年3月28日号、株式会社ソル・メディア、26頁。
- ^ “サッカー=ユベントス、来季からセリエA復帰”. reuters (2007年5月20日). 2022年9月3日閲覧。
- ^ 内海浩子「SerieB Giornata39」『footballista』 2007年5月23日号、株式会社ソル・メディア、21頁。
- ^ 片野道郎「A以上? 過酷さを増す"飢えた獣"の闘い」『footballista』 2009年4月1日号、株式会社ソル・メディア、28頁。
- ^ エマヌエーレ・ガンバ 著、内海浩子 訳「BとCLの距離感」『footballista』 2007年6月6日号、株式会社ソル・メディア、4-5頁。
- ^ エマヌエーレ・ガンバ 著、内海浩子 訳「終わらない疾走」『footballista』 2007年8月22日号、株式会社ソル・メディア、4-5頁。
- ^ “40歳を迎えたデル・ピエロ「キャリア最高の瞬間は2006年」。W杯制覇も2部降格も成長の一因に”. フットボールチャンネル (2014年11月9日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ a b 片野道郎「CALCIOおもてうら 第190回 混迷するユベントスと「リッピの呪縛」」『footballista』 2010年2月17日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ a b ドミニク・アントニョーニ 著、片野道郎 訳「第13回 ユーベ不振の元凶は誰だ?」『footballista』 2009年12月16日号、株式会社ソル・メディア、34頁。
- ^ a b 片野道郎「次期監督はデル・ネーリ?」『footballista』 2010年5月19日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ “ユベントス デシャン監督の辞任を発表”. AFP (2007年5月27日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ “ユベントス ラニエリ氏の新監督就任を発表”. AFP (2007年6月5日). 2022年9月7日閲覧。
- ^ 片野道郎「ユベントスの帰還」『footballista』 2007年8月22日号、株式会社ソル・メディア、14頁。
- ^ 内海浩子「Match Review」『footballista』 2007年8月29日号、株式会社ソル・メディア、15頁。
- ^ 片野道郎「Round up」『footballista』 2007年9月5日号、株式会社ソル・メディア、13頁。
- ^ 片野道郎「Round up」『footballista』 2007年9月19日号、株式会社ソル・メディア、24頁。
- ^ 片野道郎「Round up」『footballista』 2007年11月7日号、株式会社ソル・メディア、10頁。
- ^ 浅野賀一「データで読む」『footballista』 2007年11月14日号、株式会社ソル・メディア、19頁。
- ^ a b 内海浩子「新生ユーベ、期待以上の船出」『footballista』 2008年1月9日号、株式会社ソル・メディア、23頁。
- ^ 「欧州各国リーグ主要移籍選手」『footballista』 2008年2月6日号、株式会社ソル・メディア、12頁。
- ^ 神尾光臣「Round up」『footballista』 2008年2月20日号、株式会社ソル・メディア、16頁。
- ^ 片野道郎「Match Review」『footballista』 2008年2月20日号、株式会社ソル・メディア、16-17頁。
- ^ a b c d 片野道郎「Match Review」『footballista』 2008年4月16日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ a b c 片野道郎「Season Review」『footballista』 2008年5月28日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ 内海浩子「Match Review」『footballista』 2007年8月29日号、株式会社ソル・メディア、25頁。
- ^ 神尾光臣「Round up」『footballista』 2008年4月23日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ “シャビ・アロンソ ユベントスへの移籍が間近に”. AFP (2008年6月14日). 2022年9月8日閲覧。
- ^ a b 内海浩子「プライオリティはCL 最低限の予算で、最高の結果を」『footballista』 2008年8月27日号、株式会社ソル・メディア、17頁。
- ^ 内海浩子「Match Review」『footballista』 2009年3月4日号、株式会社ソル・メディア、13頁。
- ^ 内海浩子「Match Review」『footballista』 2008年10月1日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ 神尾光臣「Round up」『footballista』 2008年10月8日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ a b 片野道郎「悩めるユベントスとローマ 出遅れの原因を探る」『footballista』 2008年10月22日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ a b 木村浩嗣「Match Review」『footballista』 2008年10月29日号、株式会社ソル・メディア、6頁。
- ^ 内海浩子「Match Review」『footballista』 2008年10月29日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ 内海浩子「Match Review」『footballista』 2008年11月5日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ 「SUMMARY」『footballista』 2008年12月17日号、株式会社ソル・メディア、12頁。
- ^ 神尾光臣「Round up」『footballista』 2008年12月26日号、株式会社ソル・メディア、19頁。
- ^ 片野道郎「ITALY SERIE A」『footballista』 2009年1月28日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ 神尾光臣「Round up」『footballista』 2009年2月18日号、株式会社ソル・メディア、22頁。
- ^ a b 「FIRST KNOCKOUT ROUND REVIEW」『footballista』 2009年3月18日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ 内海浩子「Match Review」『footballista』 2009年4月22日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ 神尾光臣「Round up」『footballista』 2009年4月22日号、株式会社ソル・メディア、19頁。
- ^ “サッカー=ユベントスがラニエリ監督を解任、後任にフェラーラ氏”. ロイター (2009年5月19日). 2022年9月9日閲覧。
- ^ 神尾光臣「ユベントス、ラニエーリ監督を解任」『footballista』 2009年5月27日号、株式会社ソル・メディア、33頁。
- ^ a b “ユベントスの新監督にフェラーラ氏”. スポニチ (2009年6月6日). 2022年9月9日閲覧。
- ^ 神尾光臣「Round up」『footballista』 2009年5月27日号、株式会社ソル・メディア、29頁。
- ^ a b 内海浩子「Match Review」『footballista』 2009年6月3日号、株式会社ソル・メディア、21頁。
- ^ “サッカー=ユベントスのネドベド、今季限りで現役引退へ”. ロイター (2009年2月27日). 2022年9月14日閲覧。
- ^ “ネドベド引退表明、オファー届くも受けず”. 日刊スポーツ (2009年8月27日). 2022年9月14日閲覧。
- ^ 片野道郎「Season Review」『footballista』 2009年6月10日号、株式会社ソル・メディア、12頁。
- ^ a b 内海浩子「優勝候補 3チームを徹底比較」『footballista』 2009年8月19日号、株式会社ソル・メディア、24-25頁。
- ^ 浅野賀一「インテルとユーベの戦力差は接近 ミランはプラスαがないと絶望的」『footballista』 2009年8月19日号、株式会社ソル・メディア、25頁。
- ^ 片野道郎「ジエゴ=ジダン? 「リッピ時代のユーベ」が復活」『footballista』 2009年9月2日号、株式会社ソル・メディア、14頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2009年9月2日号、株式会社ソル・メディア、14頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2009年9月24日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2009年9月30日号、株式会社ソル・メディア、11頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2009年10月7日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ a b 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2009年10月21日号、株式会社ソル・メディア、12頁。
- ^ a b 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2009年12月9日号、株式会社ソル・メディア、12頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2009年12月2日号、株式会社ソル・メディア、28頁。
- ^ 内海浩子「MATCH PREVIEW」『footballista』 2009年12月2日号、株式会社ソル・メディア、31頁。
- ^ a b c 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2009年12月16日号、株式会社ソル・メディア、7頁。
- ^ 河治良幸「第18回 ロングボールの深層」『footballista』 2009年12月16日号、株式会社ソル・メディア、11頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2009年12月25日号、株式会社ソル・メディア、25頁。
- ^ a b 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2009年12月25日号、株式会社ソル・メディア、24頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年1月20日号、株式会社ソル・メディア、24頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2010年1月27日号、株式会社ソル・メディア、6頁。
- ^ “サッカー=ユベントスがフェラーラ監督解任、新監督にザッケローニ氏”. ロイター (2010年1月30日). 2022年9月15日閲覧。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年2月10日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ Taccone 2011 166頁
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年2月17日号、株式会社ソル・メディア、18-19頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年2月24日号、株式会社ソル・メディア、24頁。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2010年3月3日号、株式会社ソル・メディア、25頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年3月24日号、株式会社ソル・メディア、19頁。
- ^ Taccone 2011 169頁
- ^ 編集部「ROUND UP」『footballista』 2010年3月24日号、株式会社ソル・メディア、13頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年5月19日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ Taccone 2011 170頁
- ^ a b c d e 片野道郎「経営陣入れ替えという激震」『footballista』 2010年8月4日号、株式会社ソル・メディア、6-7頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第217回 サンプドリア、CLからセリエB転落」『footballista』 2011年5月18日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ a b 片野道郎「サイドアタック中心の「速攻型」 序盤から波に乗れば、首位戦線に参加も」『footballista』 2010年8月25日号、株式会社ソル・メディア、8頁。
- ^ 片野道郎「"雑草集団"が起こしたセンセーション 伝説の「ミラクル・キエーボ」」『footballista』 2016年10月号、株式会社ソル・メディア、69頁。
- ^ 編集部「各国リーグの勢力図に影響? 夏の移籍市場総括」『footballista』 2010年9月8日号、株式会社ソル・メディア、33頁。
- ^ 神尾光臣「ブッフォン、W杯後の手術で4カ月離脱へ」『footballista』 2010年6月24日号、株式会社ソル・メディア、44頁。
- ^ 河治良幸「ROUND UP」『footballista』 2010年9月1日号、株式会社ソル・メディア、30頁。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2010年9月1日号、株式会社ソル・メディア、12頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年9月15日号、株式会社ソル・メディア、15頁。
- ^ 片野道郎「ユーベ、「変身」のメカニズム」『footballista』 2010年10月27日、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ 片野道郎「ROUND UP」『footballista』 2010年9月22日号、株式会社ソル・メディア、25頁。
- ^ 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2010年9月22日号、株式会社ソル・メディア、8頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2010年12月24日号、株式会社ソル・メディア、29頁。
- ^ “ユベントス復活の要因”. ゲキサカ. 2022年9月17日閲覧。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2010年12月15日号、株式会社ソル・メディア、18-19頁。
- ^ a b 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2010年12月8日号、株式会社ソル・メディア、26頁。
- ^ 河治良幸「グループステージを振り返る」『footballista』 2010年12月24日号、株式会社ソル・メディア、24頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2011年1月12日号、株式会社ソル・メディア、23頁。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年1月12日号、株式会社ソル・メディア、23頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第212回 FFPを"見て見ぬふり"のメガクラブ、公式声明でけん制するプラティニ」『footballista』 2011年2月16日号、株式会社ソル・メディア、25頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2011年1月19日号、株式会社ソル・メディア、16頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2011年2月9日号、株式会社ソル・メディア、21頁。
- ^ 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年2月16日号、株式会社ソル・メディア、22-23頁。
- ^ Emanuele Gamba 著、内海浩子 訳「求む救世主! 悩める名門の移籍市場」『footballista』 2011年1月19日号、株式会社ソル・メディア、26頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2011年2月9日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2011年2月23日号、株式会社ソル・メディア、24-25頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2011年3月2日号、株式会社ソル・メディア、21頁。
- ^ a b 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年3月9日号、株式会社ソル・メディア、14-15頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2011年3月23日号、株式会社ソル・メディア、29頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年4月13日号、株式会社ソル・メディア、29頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年4月27日号、株式会社ソル・メディア、13頁。
- ^ 片野道郎「ROUND UP」『footballista』 2011年5月25日号、株式会社ソル・メディア、26頁。
- ^ 片野道郎「10-11 欧州カップ戦 予想外はなぜ生まれた?」『footballista』 2011年6月1日号、株式会社ソル・メディア、21頁。
- ^ “サッカー=ユベントス、デル・ネーリ監督は今季限り”. ロイター (2011年5月22日). 2022年9月18日閲覧。
- ^ 片野道郎「そろそろ気になる来季の監督事情」『footballista』 2011年5月25日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ a b 片野道郎「10-11 欧州各国リーグ総括」『footballista』 2011年6月8日号、株式会社ソル・メディア、9頁。
- ^ “ユーベ退団のキエッリーニ、堅守の“BBC”を振り返る「歴史の一部だった」”. 超WORLDサッカー (2022年6月6日). 2022年9月19日閲覧。
- ^ “サッカー=ユベントス、コンテ氏が新監督就任へ”. ロイター (2011年6月1日). 2022年9月19日閲覧。
- ^ a b 内海浩子「新監督たちに、課された使命とは?」『footballista』 2011年8月3日号、株式会社ソル・メディア、7頁。
- ^ アントニオ・バリッラ 著、内海浩子 訳「大嘘だらけの移籍市場を笑え 火のないところに煙を立てる、メディア情報の真実」『footballista』 2011年7月27日号、株式会社ソル・メディア、16頁。
- ^ 内海浩子「超攻撃的な[4-2-4]で、ユーベは"コンテ色"に」『footballista』 2011年8月17日号、株式会社ソル・メディア、17頁。
- ^ “サッカー=ピルロ、ACミランからユベントスに移籍”. ロイター (2011年5月25日). 2022年9月20日閲覧。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年8月24日号、株式会社ソル・メディア、18頁。
- ^ 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年9月21日号、株式会社ソル・メディア、13頁。
- ^ a b 片野道郎「スペインに続き、イタリアでもスト勃発!」『footballista』 2011年8月31日号、株式会社ソル・メディア、16頁。
- ^ 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年10月5日号、株式会社ソル・メディア、6-7頁。
- ^ 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年11月2日号、株式会社ソル・メディア、6-7頁。
- ^ a b 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2011年11月30日号、株式会社ソル・メディア、30-31頁。
- ^ a b 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2012年1月25日号、株式会社ソル・メディア、23頁。
- ^ 片野道郎「悩めるユーベを復活さあせたコンテ」『footballista』 2011年12月27日号、株式会社ソル・メディア、8頁。
- ^ a b c 片野道郎「「スクデット決定戦」は波乱万丈。ミラン側は不満のドロー」『footballista』 2012年2月29日号、株式会社ソル・メディア、4-5頁。
- ^ “サッカー=セリエA、来季からゴール判定技術導入へ”. ロイター (2015年1月15日). 2022年9月20日閲覧。
- ^ “イタリア人元主審、VARのない時代を嘆く「ムンタリの得点を認めなかったのは最大のミス」”. フットボールチャンネル (2018年11月24日). 2022年9月20日閲覧。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2012年2月15日号、株式会社ソル・メディア、17頁。
- ^ a b 片野道郎「ユーベ、14回目の引き分け。首位ミランの背中が徐々に…」『footballista』 2012年3月14日号、株式会社ソル・メディア、10-11頁。
- ^ 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2012年3月14日号、株式会社ソル・メディア、13頁。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2012年3月21日号、株式会社ソル・メディア、21頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2012年4月11日号、株式会社ソル・メディア、21頁。
- ^ 片野道郎「ユベントス 優勝への足取り」『footballista』 2012年5月9日号、株式会社ソル・メディア、7頁。
- ^ a b 内海浩子「盟主ユーベが帰ってきた! 9シーズンぶり28回目のスクデット」『footballista』 2012年5月9日号、株式会社ソル・メディア、6-7頁。
- ^ 神尾光臣「ユベントス会長 「デル・ピエーロは今季限り」"フライング退団宣言"の真意とは」『footballista』 2011年10月26日号、株式会社ソル・メディア、42頁。
- ^ a b 神尾光臣「ROUND UP」『footballista』 2012年5月16日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ a b 内海浩子「無敗だけじゃない! 記録尽くめの一年 "パレッジーテ"は、むしろ伸びシロ」『footballista』 2012年5月30日号、株式会社ソル・メディア、14頁。
- ^ 内海浩子「CL参戦へ。今夏の話題は補強一色」『footballista』 2012年7月25日号、株式会社ソル・メディア、12頁。
- ^ 片野道郎「賭博・八百長スキャンダル: アントニオ・コンテをめぐる状況」『footballista』 2012年8月29日号、株式会社ソル・メディア、31頁。
- ^ “コンテ監督無罪に シエナ時代の八百長関与疑惑審理”. 日刊スポーツ (2016年5月16日). 2022年9月20日閲覧。
- ^ a b 内海浩子「好調ユーベをうまく操縦する監督代行カレーラとは何者か?」『footballista』 2012年10月3日号、株式会社ソル・メディア、37頁。
- ^ a b 内海浩子「初めての凡庸、心身ともに劣勢 クルバのアイドル、夢舞台で呑まれる」『footballista』 2012年9月26日号、株式会社ソル・メディア、9頁。
- ^ “目の覚めるような一発!快速SBアサモアが見せた豪快なボレーシュート【ファースト・ゴールズ】”. 超WORLDサッカー (2020年8月14日). 2022年9月21日閲覧。
- ^ 「ROUND UP」『footballista』 2012年9月26日号、株式会社ソル・メディア、32頁。
- ^ 片野道郎「全勝の宿敵ユーベを止め、意気揚がるビオラ」『footballista』 2012年10月3日号、株式会社ソル・メディア、35頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2012年10月24日号、株式会社ソル・メディア、26頁。
- ^ a b 「王者ユーベの無敗記録を49で止めたのは宿敵インテル」『footballista』 2012年11月7日号、株式会社ソル・メディア、19頁。
- ^ a b 「熾烈極めるサバイバル マンC、ユーベが格下の意地に屈す」『footballista』 2012年10月31日号、株式会社ソル・メディア、19頁。
- ^ 「3クラブのGS突破が決定 マラガは初出場で快挙」『footballista』 2012年11月14日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2012年11月28日号、株式会社ソル・メディア、6頁。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2012年12月12日号、株式会社ソル・メディア、5頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2012年11月28日号、株式会社ソル・メディア、30頁。
- ^ 「ROUND UP」『footballista』 2012年12月12日号、株式会社ソル・メディア、26頁。
- ^ “コンテ監督の復帰を喜ぶネドヴェド氏「ユヴェントスに“フォーリクラッセ”が帰ってくる」”. SOCCERKING (2012年12月8日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ 「ROUND UP」『footballista』 2012年12月26日号、株式会社ソル・メディア、32頁。
- ^ 片野道郎「ユベントス 主力たちの相次ぐ故障」『footballista』 2013年2月6日号、株式会社ソル・メディア、35頁。
- ^ 神尾光臣「MATCH REVIEW」『footballista』 2013年1月30日号、株式会社ソル・メディア、30-31頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2013年3月6日号、株式会社ソル・メディア、10-11頁。
- ^ 中島大輔「MATCH REVIEW」『footballista』 2013年3月13日号、株式会社ソル・メディア、15頁。
- ^ 片野道郎「MATCH PREVIEW」『footballista』 2013年3月27日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2013年4月10日号、株式会社ソル・メディア、38頁。
- ^ 片野道郎「MATCH REVIEW」『footballista』 2013年4月17日号、株式会社ソル・メディア、14-15頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2013年4月3日号、株式会社ソル・メディア、29頁。
- ^ 神尾光臣「ユベントス優勝への足どり」『footballista』 2013年5月8日号、株式会社ソル・メディア、17頁。
- ^ 内海浩子「MATCH REVIEW」『footballista』 2013年5月8日号、株式会社ソル・メディア、16頁。
- ^ 「欧州各国リーグ総括。12-13シーズンの喜怒哀楽」『footballista』 2013年6月5日号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ a b 片野道郎「進化した王者ユーベの[3-5-2]システム」『footballista』 2013年6月5日号、株式会社ソル・メディア、22頁。
- ^ a b 片野道郎「なぜイタリアで3バックが急増しているのか?」『footballista』 2012年11月21日号、株式会社ソル・メディア、5頁。
- ^ 神尾光臣「「-1」がもたらした恩恵 CBのビルドアップ能力を引き出す」『footballista』 2012年11月21日号、株式会社ソル・メディア、6頁。
- ^ 片野道郎「「対策→勝利」の自信か、スタイル定着か」『footballista』 2013年2月13日号、株式会社ソル・メディア、20-21頁。
- ^ 神尾光臣「現実をかみ締め、大型補強を迫る」『footballista』 2013年4月17日号、株式会社ソル・メディア、16頁。
- ^ a b 片野道郎「できた! 「前輪駆動型」の[3-3-4]。ホップ、ステップ、ジャンプへ」『footballista』 2013年9月号、株式会社ソル・メディア、16頁。
- ^ “ユヴェントス加入のジョレンテがトリノに到着、背番号は14に”. SOCCERKING (2013年7月2日). 2022年9月23日閲覧。
- ^ 片野道郎「2トップで欧州の頂を狙うなら、戦術的FWが不可欠」『footballista』 2013年11月号、株式会社ソル・メディア、32-33頁。
- ^ a b c 内海浩子「「みそぎ」で失った勝者の心を呼び覚ます」『footballista』 2013年12月号、株式会社ソル・メディア、36-37頁。
- ^ 片野道郎「ユベントス首位進出の影にジョレンテの台頭あり」『footballista』 2014年1月号、株式会社ソル・メディア、85頁。
- ^ 片野道郎「ブラジル大会まで残り半年 中堅国のタレント見本市」『footballista』 2014年1月号、株式会社ソル・メディア、84頁。
- ^ a b 神尾光臣「13–14 UEFA CHAMPIONS LEAGUE 振り返っておくべきグループステージ」『footballista』 2014年2月号、株式会社ソル・メディア、97頁。
- ^ “CL 大雪延期の一戦をガラタサライが制し逆転突破、ユーベは3位転落で敗退”. ゲキサカ (2013年12月11日). 2022年9月23日閲覧。
- ^ 「13–14 UEFA ヨーロッパリーグ ラウンド32」『footballista』 2014年4月号、株式会社ソル・メディア、69頁。
- ^ 「選手層アップで13年ぶりの悲願へ」『footballista』 2014年4月号、株式会社ソル・メディア、94頁。
- ^ a b 片野道郎「優勝ペースのローマをさらに上回る規格外ユーベ」『footballista』 2014年5月号、株式会社ソル・メディア、72頁。
- ^ 神尾光臣「日本ではつかめない5つの論点」『footballista』 2013年10月号、株式会社ソル・メディア、82頁。
- ^ 「ユーベに抵抗しても無駄?」『footballista』 2014年6月号、株式会社ソル・メディア、83頁。
- ^ a b 後藤健生「13-14 ヨーロッパリーグ大会総括 本命不在、サプライズと発見の面白さならヨーロッパリーグへ」『footballista』 2014年7・8月号、株式会社ソル・メディア、65頁。
- ^ “ベンフィカ、ユベントスを抑えて2年連続決勝へ ヨーロッパリーグ”. AFP (2014年5月2日). 2022年9月24日閲覧。
- ^ a b 片野道郎「13-14 シーズン総括:二極化の進展が著しいシーズン」『footballista』 2014年7・8月号、株式会社ソル・メディア、78-79頁。
- ^ “サッカー=3連覇のユベントス、ホーム全勝キープし優勝祝う”. ロイター (2014年5月6日). 2022年9月24日閲覧。
- ^ “ユベントス、ホーム全勝&欧州最多勝ち点記録更新!!”. ゲキサカ (2014年5月19日). 2022年9月24日閲覧。
- ^ 片野道郎「飽和状態に達したチームをアレグリが異なる方法でリフレッシュ」『footballista』 2015年6月号、株式会社ソル・メディア、39頁。
- ^ a b c 片野道郎「急に開いたユーベの世界 まず踏襲、何より人心掌握」『footballista』 2014年9月号、株式会社ソル・メディア、50-51頁。
- ^ a b “コンテの電撃辞任とアッレグリ就任。ユーベ監督交代劇でセリエが変わる!”. Number (2014年7月24日). 2022年9月24日閲覧。
- ^ 片野道郎「4バック移行への切り札。アレグリの選択はどちらか?」『footballista』 2014年10月号、株式会社ソル・メディア、44頁。
- ^ 片野道郎「若き日のイブラを思わせる能力 負傷から回復すれば爆発する」『footballista』 2014年10月号、株式会社ソル・メディア、50頁。
- ^ a b c 片野道郎「混戦どころか完全な2強体制 ウディネ、サンプが新風」『footballista』 2014年11月号、株式会社ソル・メディア、52頁。
- ^ 神尾光臣「怪我の功名がもたらした"ピルロシステム"からの脱却」『footballista』 2014年11月号、株式会社ソル・メディア、94-95頁。
- ^ 片野道郎「2強にも付け入る隙あり 課題克服が浮上への道」『footballista』 2014年12月号、株式会社ソル・メディア、54頁。
- ^ a b 片野道郎「コンテなしでも強いユベントス しかし、今後も安泰とは限らない」『footballista』 2015年1月号、株式会社ソル・メディア、28-29頁。
- ^ 河治良幸「14-15 UEFAチャンピオンズリーグ グループステージ」『footballista』 2014年12月号、株式会社ソル・メディア、82-83頁。
- ^ 後藤健生「14-15 UEFAチャンピオンズリーグ グループステージ」『footballista』 2015年2月号、株式会社ソル・メディア、54-55頁。
- ^ 片野道郎「移籍をめぐるノイズ ローマ、ミラノ勢の狂った歯車」『footballista』 2015年3月号、株式会社ソル・メディア、68-69頁。
- ^ a b 片野道郎「作戦勝ちと、少しの疑い」『footballista』 2015年4月号、株式会社ソル・メディア、56-57頁。
- ^ 片野道郎「トリノの躍進とジェノバの健闘 屈辱の4番手、ミラノの凋落」『footballista』 2015年5月号、株式会社ソル・メディア、68頁。
- ^ 後藤健生「14-15 UEFAチャンピオンズリーグ 準々決勝」『footballista』 2015年6月号、株式会社ソル・メディア、84-85頁。
- ^ a b 片野道郎「予想以上の健闘も、足りなかったプラスα 良き敗者として去る」『footballista』 2015年7月号、株式会社ソル・メディア、12-13頁。
- ^ 片野道郎「ユーベ1強時代の終焉 群雄割拠の予感」『footballista』 2014年10月号、株式会社ソル・メディア、62頁。
- ^ a b 片野道郎「複数プランとターンオーバー。欧州を勝ち抜く"模範解答"」『footballista』 2015年7月号、株式会社ソル・メディア、26-27頁。
- ^ “サッカー=ユベントス勝利、セリエ4連覇が決定”. ロイター (2015年5月3日). 2022年9月27日閲覧。
- ^ 片野道郎「一つの区切りを迎えたシーズン それぞれの集大成、新時代が始まる」『footballista』 2015年7月号、株式会社ソル・メディア、64-65頁。
- ^ a b フリオ・フェデーレ 著、神尾光臣 訳「「みそぎ」で失った勝者の心を呼び覚ます」『footballista』 2015年9月号、株式会社ソル・メディア、56頁。
- ^ a b 神尾光臣「大改革の2年目で問われる、本当の信頼関係」『footballista』 2015年9月号、株式会社ソル・メディア、60-61頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第293回 15-16 夏のカルチョメルカート総括」『footballista』 2015年10月号、株式会社ソル・メディア、110頁。
- ^ a b c 片野道郎「最悪のスタート。早くも正念場のアレグリ」『footballista』 2015年10月号、株式会社ソル・メディア、88-89頁。
- ^ 片野道郎「試行錯誤にうんざり? リミットは近い」『footballista』 2015年11月号、株式会社ソル・メディア、82-83頁。
- ^ “新エース誕生でユーベが完全復活。 テベスを手本に成長を続けるディバラ。”. NumberWEB (2015年12月18日). 2022年9月27日閲覧。
- ^ 「例年にない大混戦の前半戦 解任と途中就任、監督の受難」『footballista』 2016年2月号、株式会社ソル・メディア、92頁。
- ^ 西部謙司「前半はワンサイドゲーム しかし後半、ユーベが意地を見せる」『footballista』 2016年4月号、株式会社ソル・メディア、20頁。
- ^ a b c 片野道郎「「可変システム」アレグリが提示した戦術の新たな地平」『footballista』 2016年7月号、株式会社ソル・メディア、14-15頁。
- ^ a b 「天王山を制したユーベ ローマ、ミランが来た!」『footballista』 2016年2月号、株式会社ソル・メディア、92頁。
- ^ 神尾光臣「38歳で成し遂げた前人未到の大記録」『footballista』 2016年5月号、株式会社ソル・メディア、85頁。
- ^ a b 片野道郎「世代交代のデリケートな1年を模範解答でクリア」『footballista』 2016年7月号、株式会社ソル・メディア、72頁。
- ^ 片野道郎「新旧イタリア式のナポリとインテル 最先端フィオレンティーナの可能性」『footballista』 2016年7月号、株式会社ソル・メディア、70-71頁。
- ^ 片野道郎「限界を乗り越えて… 目指すは欧州最強の座」『footballista』 2016年9月号、株式会社ソル・メディア、76-77頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第304回 セリエA新時代:「バイエルン化」するユベントス」『footballista』 2016年9月号、株式会社ソル・メディア、110頁。
- ^ 片野道郎「死角なし! すでに昨季並みの完成度」『footballista』 2016年10月号、株式会社ソル・メディア、80頁。
- ^ レナート・バルディ、ダビデ・ランベルティ 著、片野道郎 訳「イグアイン&ピャニッチは、なぜユーベのサッカーにはまらないのか?」『footballista』 2017年1月号、株式会社ソル・メディア、47-48頁。
- ^ a b c ファビオ・バルチェッローナ 著、片野道郎 訳「これが未来のユベントス?」『footballista』 2017年1月号、株式会社ソル・メディア、40-42頁。
- ^ 片野道郎「常に全力では勝てない? 試合巧者はあえて刀を隠す」『footballista』 2017年6月号、株式会社ソル・メディア、53頁。
- ^ a b 木村浩嗣「可変システム 「15分のみ」の謎。万能ユーベを縛った王者の圧力」『footballista』 2017年7月号、株式会社ソル・メディア、9-10頁。
- ^ 片野道郎「欧州各国リーグ戦 総括 セリエA」『footballista』 2017年7月号、株式会社ソル・メディア、78-79頁。
- ^ 片野道郎「4-2-3-1導入が転機。冴えるアレグリの柔軟性」『footballista』 2017年7月号、株式会社ソル・メディア、80頁。
- ^ a b 神尾光臣「強すぎる王者の憂鬱 「変化」を強要されるアレグリ」『footballista』 2017年9月号、株式会社ソル・メディア、34頁。
- ^ 神尾光臣「なぜボヌッチが(格下)のミランに!? ユベンティーノを騒がせた移籍の内幕」『footballista』 2017年9月号、株式会社ソル・メディア、91頁。
- ^ a b 片野道郎「ユーベの前半戦の不振はなぜ?」『footballista』 2018年2月号、株式会社ソル・メディア、46頁。
- ^ 「17-18前半戦108の謎 SERIE A」『footballista』 2018年2月号、株式会社ソル・メディア、44頁。
- ^ a b c 片野道郎「[4-3-3]のプランBの方が強い? アレグリを悩ませ続けた「ディバラ問題」」『footballista』 2018年6月号号、株式会社ソル・メディア、76-77頁。
- ^ “サッカー=ユベントスが史上初の7連覇”. ロイター (2018年5月14日). 2022年9月30日閲覧。
- ^ 片野道郎「CR7とJUVENTUSのブランド戦略」『footballista』 2018年9月号、株式会社ソル・メディア、10-13頁。
- ^ 片野道郎「サッカー界では最先端のブランド戦略。その一方で「ユーベ・スタイルはない」」『footballista』 2019年3月号、株式会社ソル・メディア、46-47頁。
- ^ a b c d 片野道郎「ユベントスの「ロナウド効果」とは何なのか?」『footballista』 2019年2月号、株式会社ソル・メディア、64-65頁。 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "katano20192"が異なる内容で複数回定義されています - ^ a b 片野道郎「2018-2019シーズン前半戦総括 冬の通信簿 ユベントス」『ワールドサッカーダイジェスト』 2019年1月3日号、日本スポーツ企画、34-35頁。
- ^ 神尾光臣「ディバラではなくマンジュキッチがパートナーになった理由は?」『footballista』 2019年2月号、株式会社ソル・メディア、64-65頁。
- ^ a b 片野道郎「カルチョの王=ローカルモデルの終焉。変質していく「ユベントスという生態系」」『footballista』 2019年7月号、株式会社ソル・メディア、52-54頁。
- ^ a b 片野道郎「CALCIOおもてうら 第337回 ユーベ、ナポリですら不満ばかり…「勝ち組」がいない奇妙なセリエA」『footballista』 2019年6月号、株式会社ソル・メディア、94頁。
- ^ “サッカー=ユベントスが8連覇達成、ロナルド「とてもうれしい」”. ロイター (2019年4月21日). 2022年9月30日閲覧。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第338回 「総力戦」にならなかったセリエA。産みの苦しみを経て「三位一体」が整う?」『footballista』 2019年7月号、株式会社ソル・メディア、94頁。
- ^ 片野道郎「監督と現有戦力のミスマッチ 前途多難なサッリの"子育て"」『footballista』 2019年9月号、株式会社ソル・メディア、26-27頁。
- ^ a b 神尾光臣「求めるのは「対人」よりも「頭脳」 サッリ流の完全ゾーンディフェンス」『footballista』 2019年11月号、株式会社ソル・メディア、48頁。
- ^ a b 片野道郎「新監督サッリの仕事をどう評価すべきか?」『footballista』 2020年1・2月合併号、株式会社ソル・メディア、50-51頁。
- ^ a b 片野道郎「見つからない「ロナウド・システム」 「工事中」の看板を外せないまま終了」『footballista』 2020年9月号、株式会社ソル・メディア、42-43頁。
- ^ a b c d 片野道郎「もともとが「綱渡り」の経営戦略。給与カット&支払い延期、デリケートな移籍戦略」『footballista』 2020年7月号、株式会社ソル・メディア、42-43頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第349回 「ロナウド・エコノミクス」の中間決算。ピッチ内外の収支は大幅なマイナス」『footballista』 2020年11月号、株式会社ソル・メディア、70-71頁。
- ^ a b 片野道郎「モダンサッカーの最新トレンドてんこ盛り。初陣から明確だった監督ピルロの哲学と課題」『footballista』 2020年11月号、株式会社ソル・メディア、120-121頁。
- ^ Andrea Pirlo (2020年). “IL CALCIO CHE VORREI”. figc.it. 2022年10月1日閲覧。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第350回 育成改革から10年の果実。「1-0のカルチョ」の終焉」『footballista』 2021年1月号、株式会社ソル・メディア、72-73頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第353回 ロナウド・エコノミクスの失敗。ユーベ1強時代の終焉と過渡期の始まり」『footballista』 2021年7月号、株式会社ソル・メディア、106-107頁。
- ^ 「前半戦総括 冬の通信簿 ユベントス」『ワールドサッカーダイジェスト』 2021年1月7日号、日本スポーツ企画、42-43頁。
- ^ a b 細江克弥「第二次アレグリ体制は「原点回帰」 可能なら“ピルロのエッセンス”も欲しい」『footballista』 2021年9月号、株式会社ソル・メディア、70-71頁。
- ^ a b c 神尾光臣「アニエッリ会長のお目付け役にアリバベーネ 新CEOの下でユーベは経営再建を果たせるか」『footballista』 2021年9月号、株式会社ソル・メディア、73頁。
- ^ a b 「[特集] 2021-2022シーズン前半戦総括 冬の通信簿 ユベントス」『ワールドサッカーダイジェスト』 2022年1月6日号、日本スポーツ企画、38頁。
- ^ 「[特集]2021-2022 欧州クラブチーム 冬の選手名鑑シーズン完全版 ユベントス」『ワールドサッカーダイジェスト』 2022年3月3日号、日本スポーツ企画、42-43頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第357回 隠れた“エコロジカル”の実践者、アレグリ・ユベントスの危機」『footballista』 2022年3月号、株式会社ソル・メディア、140-141頁。
- ^ 片野道郎「CALCIO おもてうら 第252回 3バックの歴史的変換」『footballista』 2012年11月21日号、株式会社ソル・メディア、9頁。
- ^ 西部 2020 33頁
- ^ 西部 2020 30-32頁
- ^ 神尾光臣「「ブロッコ・ユーベ」に賭けるしかない? 過去の成功体験にすがる、逆境のイタリア」『footballista』 2012年6月13日号、株式会社ソル・メディア、29頁。
- ^ 西部 2020 34頁
- ^ 片野道郎「CALCIO おもてうら 第180回 アズーリが抱える2つの難題」『footballista』 2009年9月16日号、株式会社ソル・メディア、22頁。
- ^ 片野道郎「CALCIO おもてうら 第306回 王者ユベントスを呪縛するイタリア的メンタリティ」『footballista』 2016年11月号、株式会社ソル・メディア、110頁。
- ^ ファビオ・バルチェッローナ 著、片野道郎 訳「[3-5-2]の誕生:コンテのユベントス戦術史」『footballista』 2022年1月号、株式会社ソル・メディア、50-58頁。
- ^ 片野道郎「ファイナンシャルフェアプレーとは?」『footballista』 2014年12月号、株式会社ソル・メディア、86-87頁。
- ^ a b 片野道郎「重くのしかかる、モラッティ時代の負の遺産」『footballista』 2014年12月号、株式会社ソル・メディア、93頁。
- ^ a b 片野道郎「道楽ではもはや抱えきれない。時代遅れから、新時代の寵児へ」『footballista』 2015年8月号、株式会社ソル・メディア、22-23頁。
- ^ 片野道郎「お見事! イタリアで唯一の「優等生」」『footballista』 2014年12月号、株式会社ソル・メディア、91頁。
- ^ a b 片野道郎「CALCIOおもてうら 第111回 CLに従属するメガクラブ」『footballista』 2007年6月6日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ 片野道郎「CALCIOおもてうら 第305回 CL新フォーマットに透けて見えるスーパーリーグへの道」『footballista』 2016年10月号、株式会社ソル・メディア、110頁。
- ^ 足立真俊「対談 片野道郎×利重孝夫 欧州スーパーリーグ構想の是非を考える」『footballista』 2021年7月号、株式会社ソル・メディア、118-123頁。
- ^ 久保佑一郎「クローズドなシステム ビジネス的観点からすれば当然の選択」『footballista』 2021年7月号、株式会社ソル・メディア、130-133頁。
- ^ Digby 2015 92頁
- ^ Digby 2015 133頁
- ^ Digby 2015 136頁
- ^ 片野道郎「"育成大国"の最新クラブユース事情」『footballista』 2011年4月27日号、株式会社ソル・メディア、27頁。
- ^ 小川光生「ユーヴェはなぜこんなに強いのか?」『サッカーキング』 2019年3月号、フロムワン、11頁。
- ^ 片野道郎「炎上商法も辞さない 最強の武闘派」『footballista』 2017年10月号、株式会社ソル・メディア、44-45頁。
- ^ 小澤一郎「④代理人 莫大なコミッション。移籍を繰り返すほど儲かる構造 欧州を動かす7人の大物代理人」『footballista』 2017年10月号、株式会社ソル・メディア、42-43頁。
- ^ 会計見習い「アルトゥールとピャニッチの「等価交換移籍」に学ぶ移籍会計の仕組み」『footballista』 2020年11月号、株式会社ソル・メディア、34-37頁。
引用エラー: 「注釈」という名前のグループの <ref>
タグがありますが、対応する <references group="注釈"/>
タグが見つかりません