利用者:Mr.Max/記事下書き用
関西学院大学 | |
---|---|
西宮上ヶ原キャンパス | |
大学設置 | 1932年 |
創立 | 1889年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人関西学院 |
本部所在地 | 兵庫県西宮市 |
キャンパス |
西宮上ケ原(兵庫県西宮市) 西宮聖和(兵庫県西宮市) 神戸三田(兵庫県三田市) 大阪梅田(大阪府大阪市) 東京丸の内(東京都千代田区) |
学部 |
神学部 文学部 社会学部 法学部 経済学部 商学部 人間福祉学部 教育学部 理工学部 総合政策学部 国際学部 |
研究科 |
神学研究科 文学研究科 社会学研究科 法学研究科 経済学研究科 商学研究科 人間福祉研究科 教育学研究科 理工学研究科 総合政策研究科 言語コミュニケーション文化研究科 司法研究科(法科大学院) 経営戦略研究科 |
ウェブサイト | http://www.kwansei.ac.jp/ |
関西学院大学(かんせいがくいんだいがく、英語: Kwansei Gakuin University)は、兵庫県西宮市に本部を置く日本の私立大学。1889年創立、1932年大学設置。大学の略称は関学(商標登録番号3033847)、関学大(商標登録番号5197255)、K. G. (商標登録番号3108177)。
概観
[編集]大学全体
[編集]国の登録有形文化財である時計台(旧図書館)など「スパニッシュ・ミッションスタイル」で統一された建築群と、約240種4万9千本に上る樹木[1]に囲まれた美しいキャンパス(西宮上ヶ原キャンパス)で知られている。とりわけ1958年にキャンパス周辺一帯が日本で2番目の文教地区に指定され、その後も、国土交通省近畿地方整備局が上ヶ原キャンパスを「阪神間モダニズムにおけるヴォーリス設計事務所の代表作」として紹介するなど、その景観は高く評価されている。
「関関同立」(関西、関西学院、同志社、立命館)の一つである。日本基督教団の係属で、キリスト教主義学校(大学)としての歴史は古く、日本で2番目に設立された。キリスト教(プロテスタント)に基づいた教育を行っている。
関東に対する関西として、West Japan すなわち「関西」が冠され、そして、当時多くのミッションスクールが「英和学校」(Anglo-Japanese school) と呼ばれていた伝統を破って College、すなわち「学院」と日本で初めて名付けられた。また、当時のいわゆる「新進学徒」は漢音ばかり読む傾向であったので「関西」を「クヮンセイ・クワンセイ」と漢音で呼ぶこととした。現代仮名遣いの制定によって「くわ・くゎ」の表記が少なくなった現在も、その表記は踏襲されている。[2] 一説には、キリスト教系の学校であるため、呉音(坊主読み)を嫌って、漢音を用いたとも云う。
スクール・モットー
[編集]1912年に第4代院長であったC・J・L・ベーツによって提唱された「Mastery for Service(奉仕のための練達)」が大学を含めた学院全体のスクール・モットー(校訓)となっている。
エンブレムと校章
[編集]エンブレムは、当時学院を構成していた中学部(三日月)・神学部(聖書)・文学部(ペンと松明)・高商部(ヘルメスの杖)を表わし、特に三日月は関西学院では「新月」と呼ばれ、学院全体のシンボルマーク(校章、学院章)ともなっている。 これは、創生期の学生が自らはどうあるべきか思索に耽っていたところ、中天に輝く三日月に啓示を受け、「今は未だ未熟だが、三日月がやがて満月となるように、日々少しずつ成長していこう」と悟ったのを学院が校章として採用したと言われ、月が自ら光らぬように、我々人間も神の御光を受け地上を照らせる存在となりたい、との願いも込められている。
教育および研究
[編集]文部科学省等採択プログラム(2003年-現在)
- 21世紀COEプログラム
- 「『人類の幸福に資する社会調査』の研究」
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)
- (1)「教養教育としてのライフデザインプログラム」
- (2)「学生による『劇場空間・宝塚』の都市再生
- 特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)
- 「理系のためにデザインした英語教育システム」
- 大学教育・学生支援推進事業学生支援推進プログラム
- (1) 大学教育推進プログラム「社会起業家養成の革新的教育プログラム開発~基礎―専門―実践―応用教育を通じたウェルビーイングに寄与する社会起業能力の育成」
- (2) 学生支援推進プログラム「急激な社会状況の変化に対応する実践的キャリア・就職支援」
- 大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム
- 「大学間連携によるマネジメント教育プログラムの質の共有化と相互評価システムの開発(他大学との共同申請)」
- 戦略的大学連携支援事業プログラム
- 「アクティブ・ラーニング型学生派遣・受入プログラムの構築を通じた広域的な大学間連携」(兵庫県内の28の大学・短期大学の共同申請)
- 女性研究者支援システム改革プログラム
- 「Mastery for Serviceに基づく女性研究者支援」
- 魅力ある大学院教育イニシアティブ
- 「理工系分野に貢献する心理科学教育」
- 組織的な大学院教育改革推進プログラム
- 「国際化社会に貢献する心理科学実践家の養成」
- 大学院教育改革支援プログラム
- 「社会の幸福に資するソーシャルリサーチ教育」
- 法科大学院等専門職大学院教育推進プログラム
- (1)「現代企業家の戦略的役割」の製作
- (2)「先進的シミュレーション教育手法の開発」
- (3)「地方自治体改革に貢献する会計専門職の養成」
- (4)「模擬法律事務所による独創的教育方法の展開~仮想事件を通しての理論・実務の総合的教育プログラムと教材開発~」
- 社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム
- (1)「デジタル技術下の経営に適応するためのキャリアアッププログラム」
- (2)「団塊世代が活躍するための地域貢献型社会起業家養成プログラム(他大学との共同申請)」
- (3)「産官学NPO連携『ハッピーキャリア(女性の再就職・起業)支援』」
- 専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム
- (1)「地域マネジメントを担う金融人材の育成―地域産業の国際競争力強化に向けて」(他大学院との共同申請)
- (2)「会計大学院におけるコア・カリキュラム-3大学会計大学院におけるコア・カリキュラムとその実施枠組みの形成」(他大学院との共同申請)
その他、研究成果としては、学協会誌等への発表件数692件(口頭発表302件、誌上発表390件)を記録する。また、日本では数少ない神学部を開設する大学の一つである。
2004年度より、日本の大学では初となる「ジョイントディグリー(共同学位)制度」を導入した。これは、4年の間に2つの学部を履修し、学位を得て卒業することができる、と言うものである。2007年3月には本制度の第1期生・4名が、1つ目の学部を3年で早期卒業し、最後の1年を2つ目の学部へ編入学することになった。
沿革
[編集]学校法人関西学院自体の詳細に関しては学校法人関西学院を参照。
略歴
[編集]1889年9月28日、神戸外國人居留地四十七番館にて、夜間英語学校の読書室を開いていた米国・南メソヂスト監督教会派遣の宣教師ウォルター・R・ランバスによって、いわゆる「原田の森」(兵庫県菟原郡原田村、現在の神戸市灘区王子町・原田通)に関西学院(英文表記:Kwansei Gakuin[2]/West Japan College)が創立された。
1910年にカナダ・メソヂスト教会が経営に加わり、1912年3月5日には、専門学校令による高等学部文科・商科を開設、高等教育機関となる。同年、高等学部長C・J・L・ベーツが、カレッジモットーとして「Mastery for Service(奉仕への練達)」を採用した。1921年高等学部文科を(専門部)文学部、商科を高等商業学部と名称変更。
創立40周年を迎えた1929年、校地拡張と大学昇格基金等の捻出を目的として、上ケ原校地(兵庫県武庫郡甲東村、現在の兵庫県西宮市上ヶ原町)に移転。その後1932年3月7日に大学令による関西学院大学が設立認可され、予科を開設。1934年4月1日に法文学部・商経学部を開設した。1937年には、大学第1回卒業生201名を輩出した。また、1943年に学院史上初の女子学生浜口みづらが入学し、1946年には初の女子卒業生となった。
教育基本法・学校教育法による新制の関西学院大学が認可され、1948年4月1日、法文学部・商経学部を改組した文学部・法学部・経済学部の3学部をもって移行開設。1950年には、新制大学第1回卒業生386名を輩出した。1952年に神学部、商学部、1960年に社会学部、1961年に理学部をそれぞれ開設した(上ヶ原キャンパス)。
しかしその後、全国の大学で吹き荒れた学園紛争の嵐が関西学院大学にも及び、学生と教職員との対立が激化し、学院のシンボルであった時計台前のヒマラヤ杉が一部の過激な学生により切り取られるなどした。また、1975年からの久山康院長の久山体制に対する教職員の不満もあり、学院には、長い停滞した時期が経過した。こうした沈滞ムードの中で執り行われた1988年の学院創立100周年行事も、決して華やいだ雰囲気ではなかった(以上につき詳しくは学校法人関西学院の「沿革」参照)。
学院が遅まきながら重い腰を上げて本格的な大学改革に取り組み始めるのは、複数の新キャンパスと新学部の設置・運営等からであった。
1995年、西宮上ヶ原キャンパスに続いて新設された神戸三田キャンパス(兵庫県三田市)に総合政策学部を開設。
2001年、理学部を神戸三田キャンパスへ移転し、2002年理工学部に改組した。また、2001年に言語コミュニケーション文化研究科を開設した(西宮上ヶ原キャンパス)。
2004年、サテライトキャンパスとして開設済みであったKGハブスクエアを正式なキャンパスへ昇格させ、大阪梅田キャンパスとして開設した。
2007年、就職活動や同窓会などの東京拠点であった東京オフィスを移転・拡充し、東京丸の内キャンパスとして開設。兵庫医科大学と学術交流協定を締結。
2008年、西宮上ヶ原キャンパスに人間福祉学部を新設。
2009年、学校法人関西学院と学校法人聖和大学の合併により、聖和キャンパスに教育学部を新設。
年表
[編集]- 1889年 神戸市郊外原田村にウォルター・R・ランバスが関西学院を設立(神学部、普通学部(中学))
- 1894年 三日月の校章を制定
- 1908年 専門学校令による関西学院神学校を開設
- 1912年 神学部と高等学部(文科・商科)を開設、スクールモットー設定
- 1915年 普通学部を中学部に名称変更
- 1921年 高等学部を文学部、高等商業学部に改称
- 1929年 西宮上ヶ原キャンパスに移転
- 1932年 関西学院大学を開設。専門学校文学部及び高等商業学部を専門部文学部及び高等商業学部に改組。大学予科を設置
- 1933年 校歌『空の翼』を制定
- 1934年 大学法文学部及び商経学部を開設
- 1935年 専門部高等商業学部を関西学院高等商業学校に改組
- 1940年 ベーツ院長が帰国[3](翌1941年、太平洋戦争開戦)
- 1941年 日本メソヂスト教会が日本基督教団に合同
- 1942年 法文学部文学科に国文学専攻を開設
- 1943年 専門部神学部を閉鎖、日本西部神学校に統合
- 1944年 日本西部神学校は日本神学校に統合。大学商経学部学生募集停止。高等商業学校、専門部文学部廃止。専門学校政経科、理工科、航空機科設置
- 1945年 専門部理工科、航空機科を工業経営科に改組
- 1946年 法学部、文学部、経済学部の三学部となる
- 1947年 米国・カナダから宣教師の再来日
- 1948年 教育基本法による新制大学へ移行開設
- 1950年 専門学校を短期大学に改組。大学院修士課程開設
- 1952年 文学部神学科が分離独立し神学部を開設
- 1952年 商学部を開設
- 1960年 文学部の社会学科・社会事業学科が分離独立し社会学部を開設
- 1961年 理学部を開設
- 1969年 学園紛争
- 1979年 第1回総合関関戦を開催
- 1989年 創立100周年
- 1995年 神戸三田キャンパス並びに総合政策学部を開設
- 1997年 新大学図書館の竣工開館
- 2001年 言語コミュニケーション文化研究科を開設
- 2002年 神戸三田キャンパスに理学部を移転し、理工学部と名称変更
- 2004年 法科大学院(ロースクール)を開設
- 2005年 ビジネススクール・アカウンティングスクールを開設
- 2008年 社会学部の社会福祉学科が分離独立し人間福祉学部を開設
- 2009年 聖和キャンパスに教育学部を新設
- 2010年 西宮上ヶ原キャンパスに国際学部を新設
基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 西宮上ケ原キャンパス(兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155)
- 西宮聖和キャンパス(兵庫県西宮市岡田山7-54)
- 神戸三田キャンパス(兵庫県三田市学園2-1)
- 大阪梅田キャンパス(大阪市北区茶屋町19-19 アプローズタワー14階)
- 東京丸の内キャンパス(東京都千代田区丸の内1-7-12サピアタワー10階)
校章
[編集]三日月。1894年に当時の学生らによって制定されたもので、月の満ち欠けと学生の進歩と成長を重ね合わせている。
校歌
[編集]1933年、大学昇格を機に、学生会主導による校歌『空の翼』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰:関西学院中学部同窓)を制定。 その他、「空の翼」制定前の『Old Kwansei』、1939年に創立50周年記念として作られた第二校歌『緑濃き甲山』、1949年に創立60周年を記念して作られた『A Song for Kwansei』などがある。
カレッジ・カラー
[編集]1928年、カレッジ・カラーは「紫紺(ダークブルー)と白」と決定された。しかし、その後「ライトブルーと白」へと変化したが、これはどのような経緯で変化したのかが不明である。戦前は、旧関西六大学野球連盟などを通じて京都帝国大学(現在の京都大学)がライバルであったので、その関係をオックスフォード大学とケンブリッジ大学になぞらえ、さらに京都帝国大学のスクールカラーがオックスフォード大学と同じダークブルーであったことからケンブリッジ大学のスクールカラーであるライトブルーとなった。」という説がある[要出典]。
教育および研究
[編集]組織
[編集]学部
[編集]- 文学部
- 総合心理科学科
- 文化歴史学科
- 哲学倫理学専修
- 美学芸術学専修
- 地理学地域文化学専修
- 日本史学専修
- アジア史学専修
- 西洋史学専修
- 文学言語学科
- 日本文学日本語学専修
- 英米文学英語学専修
- フランス文学フランス語専修
- ドイツ文学ドイツ語専修
- 社会学部
- 社会・共生系コース
- メディア・表象系コース
- 人間・心理系コース
- 法学部
- 法律学科
- 政治学科
- 経済学部
- 商学部
- 経営コース
- 会計コース
- マーケティングコース
- ファイナンスコース
- ビジネス情報コース
- 国際ビジネスコース
- 理工学部
- 物理学科
- 化学科
- 数理科学科
- 情報科学科
- 生命科学科
- 人間システム工学科
- 総合政策学部
- 総合政策学科
- メディア情報学科
- 都市政策学科
- 国際政策学科
- 人間福祉学部
- 社会福祉学科
- 社会起業学科
- 人間科学科
- 教育学部
- 臨床教育学科
- 幼児・初等教育学科
- 幼児教育コース
- 初等教育コース
- 国際学部
- 北米研究コース
- アジア研究コース
大学院
[編集]- 神学研究科
- 文学研究科
- 社会学研究科
- 法学研究科
- 経済学研究科
- 商学研究科
- 人間福祉研究科
- 理工学研究科
- 総合政策研究科
- 言語コミュニケーション文化研究科
- 司法研究科
- 法務専攻(法科大学院)
- 経営戦略研究科(ビジネススクール・アカウンティングスクール)[5]
- 教育学研究科
附属機関
[編集]- 研究機関
- 産業研究所
- 総合教育研究室
- 言語教育研究センター
- スポーツ科学・健康科学研究室
- 人権教育研究室
- 教職教育研究センター
- キリスト教と文化研究センター
- 災害復興制度研究所:日本災害復興学会が設置されている
- 情報メディア教育センター
- 附属施設
- 大学図書館(上ヶ原):日本の図書館蔵書数ランキングで20位の蔵書数がある(140.4万冊)。
- 図書メディア館(三田)
- メディア・フォーラム
- ハイテク・リサーチセンター
- 千刈セミナーハウス(休館)・千刈キャンプ
- 研究推進社会連携機構
- 学院史編纂室
- 宗教センター
- 関西学院大学出版会
- 関西学院ヒューマンサービスセンター
- 関西学院ヒューマンサービスセンター(旧関西学院救援ボランティア委員会)は、関西学院内に設置された学生ボランティアセンターである。1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに発足した。学生と教職員が一体となって運営する。
研究
[編集]21世紀COEプログラム
[編集]- 採択1件
- 2003年
- 社会科学系
- 「人類の幸福に資する社会調査」の研究 -文化的多様性を尊重する社会の構築-
その他の研究
[編集]- 上述の「教育および研究」参照。
学生生活
[編集]現在の関西学院大学には、体育会・文化総部・新聞総部・宗教総部・総部放送局・応援団総部の6総部と法学部学生自治会・神学部学生会の2自治会、法学部自治会・商学会研究会委員会・関西学院宗教音楽委員会の各傘下団体、およそ100の登録サークル(大学公認サークル)、ほか多数の非公認サークルが存在し、それぞれ活発な課外活動を行っている。
かつては諸学生団体の上位に学生会が存在していたが、1968-69年の大学紛争の混乱で学生会組織は一部を残して崩壊した(先述の6総部2自治会は残存組織の一部である)。学生会が活動停止状態にある現在、学生会費は大学によって代理徴収されており、財務管理委員会(学生会崩壊後に設立された学生団体)を通じて諸学生団体の活動資金や大学祭の運営資金などに活用されている。体育会については、下の「スポーツ」を参照。
スポーツ
[編集]- 体育会のモットーは「Noble Stubbornness(品位ある不屈の精神)」。かつて高等学部庭球部が官立神戸高等商業学校(現在の神戸大学)との対抗戦に二年連続敗退した際に、当時の部長畑歓三が部のモットーとして提唱・採用したものが全体に広がったものである。
- 1948年に新制大学となって以降は、京都大学の学生スポーツの低迷と相まって、大学野球では、第二次世界大戦以前より同立戦と並ぶ人気の好カードであった関西大学がライバル校となっていった(関関戦)[要出典]。
- 1970年代から、スポーツ推薦入学の廃止等が要因となって、関西大学と共に学生スポーツの低迷が始まった。危機感をもった両校は、その打開策の一つとして、関西大学との間で総合対抗戦、すなわち総合関関戦を1978年より開始した。
- その後、スポーツ推薦制度が復活し、また指定強化クラブ制度が創設されるなど、大学がスポーツ振興に力を入れる中、下記のように力を付けるクラブも出ている。
- 関西学院大学ファイターズは、アメリカンフットボール部のチーム名である。関西学生アメリカンフットボール連盟に所属しており、同リーグ1部(Div.1)での最多優勝49回、および甲子園ボウルでの最多優勝23回の記録を持ち(2011年1月現在)、大学アメリカンフットボール界の名門チームとして全国的に知られている。
- 関西学院大学ラグビー部は、昭和中期に全国制覇や数度にわたる関西制覇を成し遂げた。現在は関西大学ラグビーフットボールリーグのAリーグに所属している強豪である。2008年度のリーグ戦では、51年ぶりの優勝を成し遂げ(6勝1敗)、翌2009年度も同リーグでの2年連続となる優勝を、7戦全勝で飾った。
- サッカー部も1918年の創部以来、天皇杯[6]や関西学生サッカーリーグなどで数多くの優勝経験を持つ。また卒業生の中からは、サッカーの名指導者・名選手も多数輩出してきた。2009年度(第87回)の同リーグで、加茂周(同部OB:元日本代表監督も務めた)監督率いる同部は、11年ぶり28回目となる優勝を果たした。
- 硬式野球部は旧関西六大学野球連盟の創設校でもあり、現在は関西学生野球連盟に所属している。OBのプロ野球選手として、田口壮、清水誉、宮西尚生、荻野貴司らがいる。ちなみに、高等部の野球も伝統があり、夏の全国高等学校野球選手権大会では優勝1回・準優勝1回、春の選抜高等学校野球大会でも、優勝1回の実績をもつ。2009年度・第91回夏の大会では、兵庫県代表として70年ぶりの出場を果たした。
- バスケットボール部は関西学院大学フープファイターズと呼ばれ、関西学生バスケットボール連盟に所属。関西学生リーグでは京都産業大学に次ぐ優勝回数を誇る。
- 2008年3月15日には、山岳部に所属していた2人の男子学生が、ヒマラヤ山脈東奥の未踏峰である、ディンジュンリ(6196メートル)に初登頂する、という快挙を成し遂げた[要出典]。
- 相撲部はかつて、関西(西日本)学生・全国学生大会でも活躍した名門であったが、近年は部員の減少により、部の存続も危ぶまれていた。同部がその状況を打開するため、新入部員を募集したり、他の体育会各部から部員を確保して大会へ出場すると言う姿を、関西の各テレビ局のスポーツドキュメンタリー番組で取り上げられたこともあった[要出典]。
- 第二次世界大戦以前、関学高商の柔道部は全国高専柔道大会に1935年、1938年、1939年と三度優勝した。
- 体育会の公式広報機関として関学スポーツという団体が存在する。関学スポーツは、年に数回発行されるスポーツ新聞とウェブサイトで体育会の戦績を報じている。
大学関係者と組織
[編集]大学関係者一覧
[編集]施設
[編集]キャンパス
[編集]- 西宮上ケ原キャンパス(兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155)
- 神学部、文学部、社会学部、法学部、経済学部、商学部、人間福祉学部、国際学部
- 大学院神学研究科、文学研究科、社会学研究科、法学研究科、経済学研究科、商学研究科、言語コミュニケーション文化研究科、人間福祉研究科
- 司法研究科、経営戦略研究科
- 阪急電鉄今津線甲東園駅
- 面積:195,713m2(総面積:245,99m2)
- 設計・監理:W・M・ヴォーリズ建築事務所
- 施工:竹中工務店
- 図書館を中心に、中央芝生を囲んで両側に建物を配置するという配置になっている。学校内のランバス像に触れると関学に受かるという言い伝えがある。また赤色の素煉瓦とクリーム色のスタッコ壁、連続アーチのスパニッシュ・ミッション・スタイル(スパニッシュ・コロニアル・リバイバル)で校舎建築が統一されており、近代建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表的作品の一つでもある。
- 1958年(昭和33年)キャンパスを含む上ケ原地区が、国立地区につぐ日本で2番目の文教地区として指定された。また、国土交通省近畿地方整備局は関西学院大学西宮上ケ原キャンパスを阪神間モダニズムにおけるヴォーリス設計事務所の代表作として紹介している。
- 後述するKSC(神戸三田キャンパス)と併記する場合は、NUCと記すことがある。
- 2009年8月、西宮上ヶ原キャンパス内の時計台(旧図書館)が国の登録有形文化財に登録された。
- 西宮聖和キャンパス(兵庫県西宮市岡田山7番54号)
- 教育学部、大学院教育学研究科、関西学院聖和短期大学、関西学院聖和幼稚園
- 2009年4月、聖和大学との合併により開設されたキャンパスである。4号館(ダッドレーメモリアルチャペル)やセミナーハウスなど、西宮上ヶ原キャンパスを手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築作品も残存する閑静なたたずまいのキャンパスである。
- 神戸三田キャンパス(兵庫県三田市学園2-1)
- 理工学部、総合政策学部
- 大学院理工学研究科、総合政策研究科
- 面積:351,000m2
- 設計:日本設計
- 施工:竹中・大林・熊谷・淺沼共同企業体
- 神戸三田国際公園都市カルチャータウン学園ゾーンに位置する、郊外型キャンパス。略称はKSC。校舎は、西宮上ケ原キャンパス同様にスパニッシュ・ミッション・スタイル(スパニッシュ・コロニアル・リバイバル)で統一されたデザインとなっている。新三田駅からバスで往復600円、三田の学生街からは往復800円と不便さもあり自動車通学が許されている。
- 経済学研究科、商学研究科、総合政策研究科の一部、言語コミュニケーション文化研究科の一部
- 設計・施工:竹中工務店
- 竣工:1992年
- 多用途商業ビルであるアプローズタワー内にサテライトキャンパス「KGハブスクエア」として開設された。2004年よりサテライトキャンパスから通常のキャンパスへ格上げされた。昼夜開講制大学院の授業や就職活動の拠点として利用されている。
- 設計・監理:東日本旅客鉄道、ジェイアール東日本建築設計事務所
- 施工:東京駅日本橋口ビル新築工事共同企業体(大林組、大成建設)
- 竣工:2007年
- 「東京オフィス」を2007年に東京駅前の高層ビルであるサピアタワー内に移転し、通常キャンパスに格上げされた。就職活動の支援拠点などとして利用する。複数の大学が同ビルにサテライトキャンパスを構える。
寮
[編集]大学所有、寮生運営の寄宿舎が存在する。男子寮は「啓明寮」(1913年、高等学部寄宿舎として命名)「静修寮」「成全寮」(1912年、神学部寄宿舎として落成)の3寮、女子寮として「聖和寮」と「清風寮」が、西宮聖和、上ケ原キャンパス周辺に所在する。関西学院大学ではこれらの寮を「共同生活を通して人格形成を目指す場」として設置している。三田キャンパスには寮は設置していない。
対外関係
[編集]他大学との協定
[編集]学術交流協定締結校
国際協定締結校
[編集]- 中華人民共和国
- 台湾
- モンゴル
- 大韓民国
- シンガポール
- ベトナム
- インドネシア
- オーストラリア
- アメリカ合衆国
- カナダ
- フランス
- リヨン大学(リヨン第1大学、リヨン第2大学、リヨン政治学院)
- イギリス
- ドイツ
- オランダ
- デンマーク
- ノルウェー
- スウェーデン
- フィンランド
- ブラジル
姉妹校
[編集]社会との関わり
[編集]- 折り鶴放火事件
- 2003年8月1日、広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」の傍にある折り鶴台に4年生男子が放火。約14万羽の折り鶴を焼失した(折り鶴放火事件)。この事件を受け、当時の学長・副学長が広島市に対し謝罪したほか、学内のボランティアなどが新しい鶴を折り、公園に寄贈した。関西学院大学ではこの事件を教訓として「平和学〜広島・長崎講座」を開講するなど、平和教育を全学的に実施することとなった。
- 関西学院リベラルアーツプログラム(KGLP)
- 高卒者(または同等の資格を有するもの、ただし現役の大学生・院生は除く)を対象に一年間の学籍期限で、あらかじめ設定されている14のテーマから1つを選択することで、興味をもった領域に関する授業を効率的に受講できる制度である。学生の身分としては科目等履修生という扱いになる。受講期間中、図書館ほか情報施設の利用が可能。リベラルアーツとは、現在では専門分野に進む前の基礎的素養、すなわち教養という程の意味合いに落ち着いているが、いわゆる「パンキョウ」といわれる一般教養科目と若干違うのは、原義の「自由人の諸技術」であり、「深く考えるための技術・知識」であるとされる(文学部と理学部が分離される以前の、文理学部もその理念に近い)。
- 福井県・勝山市との連携・協力
- 2004年2月、福井県勝山市の大長山で、関西学院大学のワンダーフォーゲル部員が遭難事故を起こしたものの、地元有志により全部員が無事に救出された。また同年7月に、福井県内で豪雨災害(平成16年7月福井豪雨)が発生した時は、反対に同学の学生達がボランティアとして、救助活動を行った。
- 勝山市においては、大学と部が救助活動へ感謝する意味で、地元の小学生を対象とした野外キャンプを開催するなど交流活動を行ってきたが、2009年6月30日に同学は、勝山市との間で正式な「包括連携協定」を締結した。あわせて同学は福井県立大学との間で公開講座を共同開催するなど、同学と福井県・勝山市との間では、良好な連携・協力関係が構築されている。
- これらの連携・協力関係に基づき、2010年5月18日から6月7日までの3週間限定で、関西・北陸地区のサークルKサンクス各店にて、両大学の学生有志の協力による、兵庫・福井両県の食材を利用した、農工商・産学連携によるオリジナルの弁当・パン・サラダが発売された。
- ロケ地としての使用
- 西宮上ヶ原キャンパスは、大ヒット映画「阪急電車」のロケ地としても知られている。
大学としての広報活動
[編集]関西学院大学では、大学および学校法人の認識として、「地元関西においては、伝統ある大学としての高い評価が定着しているようだが、首都圏をはじめとする全国規模において、さらなる知名度の向上を図りたい」と言う考えに基づき、下記のような広報活動を行っている。
- スカイセミナー
- 関西学院大学の教員が自らの専門研究分野を紹介する、と言う形式のシリーズ広告を、日本航空グループの機内誌『SKYWARD』に、年6-8回掲載している。関西学院大学の校歌が「空の翼」と言う題名であることから、機内誌を通じて、大学と専門研究分野について幅広く知ってもらおうと言う趣旨で、本誌の2000年12月号より掲載が続いている。
- 関西学院大学 "アイデアカプセル"
- 関西学院大学が提供するラジオ番組『〜スキマ時間のビジネスサプリメント〜 関西学院大学 "アイデアカプセル"』が、2007年10月より放送されている。関西学院大学とその活動を全国的に知ってもらうために、主にビジネスパーソンを対象とした教養講座として、関西学院大学の教員が交代でパーソナリティを務めている番組である。ラジオNIKKEIの第1放送(3.925/6.055/9.595MHz)で毎週金曜日の夜10時30分から15分間放送している。この番組は、ラジオNIKKEIによる放送のほかに、ラジオNIKKEIのホームページより過去の放送分をダウンロードすることができる。またiPodを所有していれば、ポッドキャスティングを利用して、聴く事も可能である。
この他、関西の他の有力私大が行ってきたように、2009年の春に初めて、山手線など首都圏のJR各駅の構内や車両の中に同学のイメージポスターを掲示したり、東海道新幹線車内の電光掲示板や、同線のポケット時刻表に広告を掲載したことがあった。また2008年3月26日に行われた、サッカーワールドカップのアジア地区予選・日本対バーレーン戦が行われた、バーレーンのスタジアムに、大学名入りの広告パネルを設置したこともあった。
同一法人(関西学院)の関連教育機関
[編集]脚注
[編集]- ^ 「樹木調査・数字で見る関学」関西学院通信ポプラ65号、2009年。
- ^ a b 英語名 Kwansei も字音仮名遣「関西、關西(クワンセイ)」の写しであって、現代仮名遣いの制定後も使用され続けている。一方「学院、學院(ガクヰン)」は「gakuin」であり「gakuwin」とは写されていない 。
- ^ http://www.kg-mission.jp/explanation/tracks/index2.html
- ^ かつては洗礼を受けたキリスト教徒のみ受験可能だった。
- ^ 文部科学省の平成20年度「専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム」に採択 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/07/08072909/001/001.htm
- ^ 天皇杯では「関学クラブ」として4回、「全関学」として3回の優勝経験を持つ。関学クラブは優勝した1958年開催の第38回天皇杯の1回戦で18-0で圧勝し、これは現在まで同大会史上の1試合チーム最多得点・最多得点差・最多合計得点記録となっている。
関連項目
[編集]- 宗教
- キリスト教
- プロテスタント
- ミッション系大学
- キリスト教主義学校
- 聖和大学
- 広島女学院
- 日本基督教団
- メソジスト派
- 関西学院教会(日本基督教団)…「関西学院」と冠してはいるが、現在では日本基督教団福音主義教会連合との関係の方が多大である
- 神戸栄光教会(日本基督教団)
- 神戸平安教会(日本基督教団)
- ウォルター ラッセル ランバス…關西學院の創始者
- クヮンガクッ - 主要制作スタッフの多くを卒業者で占める毎日放送(MBS)の番組
- 景観形成重要建造物等 (兵庫県指定)
外部リンク
[編集]