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二松學舍大学 | |
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二松學舍大学九段校舎 | |
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1877年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人二松學舍 |
本部所在地 | 東京都千代田区三番町6-16 |
キャンパス |
九段(東京都千代田区) 柏(千葉県柏市) |
学部 |
文学部 国際政治経済学部 |
研究科 |
文学研究科 国際政治経済学研究科 |
ウェブサイト | http://www.nishogakusha-u.ac.jp/ |
二松學舍大学(にしょうがくしゃだいがく、英語: Nishogakusha University)は、東京都千代田区三番町6-16に本部を置く日本の私立大学。1877年創立、1949年大学設置。大学の略称は二松(にしょう)、または二大(にだい)。
概観
[編集]大学全体
[編集]二松學舍は、1877年に三島中洲が東京麹町一番町(現東京都千代田区三番町)に開いた漢学塾にはじまる。二松の名は不変の節操、堅貞を象徴する松の木が庭に二本あったこと、また韓愈『藍田県丞庁壁記』によれば学び舎としての意味を持ち、学舍として後の世まで続くことを願い名付けられた[1]。
官公私立東京諸学校一覧にも掲載され1881年には二松學舍の塾生は三百名を数えた[要出典]。これは福澤諭吉の慶應義塾や中村敬宇の同人社などと肩を並べるほどであった[2]。また本沢竹雲の格知学舎など漢学を専修する学校は当時多くみられたが次第に衰退し、現存するものは二松學舍のみとなった[要出典]。
『国漢の二松』『雀も松の枝に来て論語を囀る』などと謳われ伝統的に文学部が有名。国語教員の養成に注力している。
旧字体の「舍」と新字体の「舎」を混同して、「二松学舎」などと表記されることが多いが、正しくは下に棒が出る旧字の「舍」を用いた「二松學舍」である。
建学の精神(舎訓)
[編集]二松學舍にある『育英』の精神は、西洋文化の摂取を汲々としている時節を憂えた三島が、東洋文化を学ぶことこそわが国本来の姿を知りえるとして『己ヲ修メ人ヲ治メ一世ニ有用ナル人物ヲ養成スル』ことで東洋学の確立と新時代を担う国家有為の人材の育成を目指したことにある。
教育および研究
[編集]2学部、2研究科を設置。教員免許の他、司書や学芸員の資格が取得できる。
学風および特色
[編集]司法省法学校、陸軍士官学校などが当時、試験に漢文を用いたことから塾生には司法官や軍官が多かった。三島は書道興隆に尽力し、後書学院を創設した比田井天来は二松學舍に学んでいる。私立では数少ない書道専攻がある大学でもある。
『国漢の二松』『雀も松の枝に来て論語を囀る』などと謳われ[要出典]文学部が有名[要出典]。国語教員の養成に注力している。 学生を舎生(しゃせい)、卒業生を舎友(しゃゆう)と呼ぶ[要出典]。
当時の様子は夏目漱石の『落第』に記されている。夏目漱石と三島中洲の弟子であり後に二松學舍の校長となる山田済斎は同年の1867年生まれで、ともに二松學舍で三島に学んでいる。
沿革
[編集]略歴
[編集]二松學舍大学は、三島中洲が東京府麹町区一番町43番地(現在の東京都千代田区三番町)の私邸内に1877年(明治10年)10月10日に創設した漢学塾を起源とする大学である。これまでは1・2年次は柏キャンパスを、3・4年次は九段キャンパスを使っていたが柏キャンパスは交通の便が悪く[要出典]、またこれまでダブルキャンパスによる問題を抱えていた[要出典]ため、2009年に大学機能を九段に集約し4年間をすべて九段キャンパスで過ごせることとなった。
年表
[編集]- 1877年 三島中洲、漢学塾二松學舍を設立
- 1919年 渋沢栄一、舍長(理事長)に就任
- 1928年 二松學舍専門学校設置
- 1932年 金子堅太郎、舍長(理事長)に就任
- 1945年 東京大空襲により校舎全焼
- 1948年 二松學舍高等学校設置
- 1949年 二松學舍専門学校、新制大学に移行、二松學舍大学文学部国文学科・中国文学科設置
- 1950年 二松學舍大学を東京文科大学に改称
- 1953年 東京文科大学を二松學舍大学に復称
- 1963年 吉田茂(元内閣総理大臣)、舍長に就任
- 1966年 二松學舍大学大学院文学研究科(中国学博士・修士課程、国文学修士課程)開設
- 1968年 二松學舍大学東洋学研究所設置
- 1969年 二松學舍大学附属沼南高等学校開設、那智佐伝、舍長に就任
- 1977年 二松學舍創立100周年記念式典挙行
- 1978年 二松學舍大学陽明学研究所設置
- 1982年 二松學舍大学沼南校舎開設
- 1986年 二松學舍大学大学院文学研究科(国文学博士課程)開設、浦野匡彦、舍長に就任
- 1991年 二松學舍大学国際政治経済学部国際政治経済学科設置
- 1995年 二松學舍大学大学院文学研究科昼夜開講制実施
- 1997年 大学基準協会に加盟(維持会員)
- 2001年 二松學舍大学大学院国際政治経済学研究科(国際政治経済学修士課程)開設
- 2002年 千代田校舎改築のため使用を停止。学部の授業を全学年柏沼南キャンパスにて行う。また、大学院文学研究科は、湯島仮校舎にて授業を行う。
- 2004年 二松學舍大学九段キャンパス完成
完成に伴い、大学院の湯島仮校舎の使用をやめる。また、文学部・国際政治経済学部の3・4年生の授業を九段校舎で行う。二松學舍大学東アジア学術総合研究所設置
- 2006年 大学院文学研究科国語教育プログラム開設
- 2007年 司書課程設置
- 2008年 学芸員課程設置
- 2009年 大学機能九段集約、九段キャンパス3号館竣工・使用開始
- 2015年 九段キャンパス4号館竣工・使用開始
- 2017年 二松學舍大学文学部都市文化デザイン学科設置
基礎データ
[編集]所在地
[編集]象徴
[編集]徽章
[編集]- 校章は相対した松葉の真ん中に「二松學」と描かれたもの。
スクールカラー
[編集]- 二松學舍大学のスクールカラーは 松葉緑■である。これは松の葉のような色で、平安時代からの色名である。長寿と不変のシンボルである松[要出典]は、縁起のいい物[要出典]とされ、その葉色の松葉色も、めでたい色とされてきた[要出典]。
校歌
[編集]二松學舍大学校歌(作詞:校歌制定委員会、作曲:東京音楽学校)
学生歌
[編集]二松學舍大学学生歌(作詞:森本治吉、作曲古関裕而) 二松學舍歌(山田準)
教育および研究
[編集]組織
[編集]学部
[編集]- 文学部 1949年設置
- 文学部は、1949年の大学設置当初から存在する二松學舍大学の中ではもっとも古い学部である。
- 国文学科
- 国文学科は、大学設立時から現在まで残る学科である
- 国文学専攻
- 日本文化専攻
- 映像・演劇・メディア専攻
- 比較文学・文化専攻
- 日本語学専攻
- 中国文学科
- 中国文学科も、大学設立時から現在まで残る学科である
- 中国文学専攻
- 書道専攻
- 日本漢学専攻
- 韓国語専攻
- 中国語専攻
- 比較文学・文化専攻
- 都市文化デザイン学科 2017年設置
- 都市文化デザイン専攻
- 都市・メディア専攻
- グローバルコミュニケーション専攻
各学部・学科とも2年次より以上の専攻に分かれる。 なお、比較文学・文化専攻は、文学部共通の専攻である。
大学院
[編集]- 文学研究科
- 国文学専攻 博士前期課程・後期課程(昼夜開講制)
- 中国学専攻 博士前期課程・後期課程(昼夜開講制)
- 国際政治経済学研究科
- 国際政治経済学専攻 修士課程(1年制・2年制)
- 東アジア経済・ビジネスプログラム(平日夜間・週末昼間開講)
- 国際政治経済学専攻 修士課程(1年制・2年制)
附属機関
[編集]- 図書館
- 二松學舍大学附属図書館
- 大学資料展示室
- 研究所
- 東アジア学術総合研究所
- 日本研究部
- 中国研究部
- 韓国研究部
- 以上の三研究部は東洋学研究所(1988年設置)が源流
- 陽明学研究部
- 1988年設置の陽明学研究所が源流
- 漢字文献資料研究部
- 2002年設置の国際漢字文献資料センターが源流
- 国際政治経済研究部
- 東アジア学術総合研究所
- センター
- 教職支援センター
- 国際交流センター
- キャリアセンター
- 情報センター
- 研究会
- 二松學舍大学人文学会
- 二松學舍大学国際政経学会
- 二松詩文会
- 二松短歌会
- 二松俳句会
研究
[編集]21世紀COEプログラム
[編集]21世紀COEプログラムとして、1件のプログラムが採択されている。
- 2004年
- 革新的な学術分野
- 日本漢文学研究の世界的拠点の構築
教育
[編集]学校生活
[編集]学園祭
[編集]学園祭は「学舎祭」と呼んでいたが、2002年から「創縁祭」と名称を変更した。毎年11月3日頃に九段キャンパスで開かれている。
部活動・クラブ活動・サークル活動
[編集]13の体育系クラブと15の文化系クラブ、それに複数のサークルが活動している。主に柏キャンパスでの活動が多い。
大学関係者と組織
[編集]大学関係者組織
[編集]松苓会
[編集]松苓会は二松學舍専門学校・大学の卒業生、大学院の修了者を正会員としている同窓会組織。『松苓』とは、中洲の七言絶句『多産茯苓医世弊』の『茯苓』からとられている[要出典]。茯苓は和名をまつほどといい漢方薬に用いられる。卒業生は、一世の木鐸となり、時弊を医正する人中の茯苓でなければならぬ、と専門学校校長山田準によって命名された[要出典]。
二松學舍大学後援会
[編集]二松學舍大学の教育研究の特色である国文学及び中国学(哲学・思想・歴史・文学)研究、アジア太平洋地域政治経済研究を支援することを主目的として設立。
その他
[編集]二松學舍サービス(株)
大学関係者一覧
[編集]施設
[編集]キャンパス
[編集]九段キャンパス
[編集]- 使用学部:文学部・国際政治経済学部の各学部全学年。
- 使用研究科:大学院文学研究科、大学院国際政治経済学研究科(一部)。
- 使用附属施設:法人本部、二松學舍大学附属図書館、中洲記念講堂
- 交通アクセス:地下鉄東西線・半蔵門線、都営新宿線 九段下駅下車、2番出口より徒歩8分
九段キャンパスは2004年に創立125周年記念事業の一環として改築された。設計者は香山壽夫。キャンパス内には公開空地が設けられ2006年にTBS系列で放送された東野圭吾原作のテレビドラマ『白夜行』では綾瀬はるか扮する唐沢雪穂の会員制ブティック「R&Y 2号店」のロケ地として使用された[要出典]。
また、2007年に創立130周年を迎え大学機能を九段に集約するため九段南に130周年記念校舎を起工。道路を挟で横手に靖国神社、校舎裏にインド大使館がある。2009年に完成した。
柏キャンパス
[編集]- 使用学部:文学部・国際政治経済学部の各学部1・2年次生。[3]
- 使用研究科:大学院国際政治経済学研究科(一部)。
- 交通アクセス
日本における学生カバディの発祥の地である。[4]同キャンパスの隣に二松学舎大学附属柏高等学校がある。
AKIBA.Lab.(アキバラボ)
[編集]ポップカルチャーが集結する秋葉原から世界へ日本の文化を発信する文化発信拠点として開設。
学生食堂
[編集]九段キャンパス最上階にあるレストラン、「ファカルティラウンジ」は一般の利用が可能。安価で質の高い料理は複数のマスメディアに紹介された[5]。14種類のドリンクバーもあると、2011年7月22日(金)テレビ東京レディス4で紹介された。
講堂
[編集]九段キャンパス内には中洲記念講堂があり、各種式典などに利用されている。
寮
[編集]柏市内に4つの二松生専用学生マンションを持つ(委託)。
対外関係
[編集]地方自治体との協定
[編集]他大学との協定
[編集]小学校教員養成特別プログラム(二種)
- 玉川大学(玉川大学通信教育部)
今まで二松學舍大学では小学校教諭免許を取得することが不可能であったが、この協定により取得可能になった。
海外協定校
[編集]社会との関わり
[編集]横溝正史旧蔵資料
[編集]2006年6月、東京世田谷の横溝正史邸から未発表の短編「霧の夜の出来事」、「犬神家の一族」などの生原稿を始め、横溝が小説執筆の資料に使っていたと思われる文献など、原稿(約280点、約5,000枚)、映画化された作品のシナリオ(約300点)、洋雑誌(約290点)、洋書(約170点)、映画スチール写真(約880点)などが横溝正史の子どもである横溝亮一により発見された。これらの所蔵品や資料は大学が保管し、一般に公開されることになっている[要出典]。
附属学校
[編集]Wiki関係他プロジェクトリンク
[編集]脚注
[編集]- ^ 二松學舍大学ウェブサイト 建学の精神
- ^ 日本私立大学協会 教育学術新聞
- ^ 2010年度から1・2年次生も希望すれば通学が可能となる。
- ^ 2の大学。二松學舍
- ^ 『〈全国60大学人気メニュー〉学食ガイド』(ブッキング社)や、テレビ東京(TXN)系列のスカ☆J一番星、テレビ朝日(ANN)系列のスーパーJチャンネル内の奥様鑑定団でも紹介された。
外部リンク
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