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利用者:Kliment.A.K./2008年前半までの会話ページ過去ログ

こちらは過去ログページです。新規の会話はこちらへお願いします。こちらへのKliment.A.K.以外による書き込みは原則として削除します。--Kliment A.K. 2008年7月21日 (月) 12:12 (UTC)

加筆記事について

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はじめまして、Gakuinryouと申します。「日本キリスト教史」にKliment.A.Kさんが加筆された部分について私見を述べておりますので当該記事のノートを見て、ご意見をいただけると幸いです。Gakuinryou 2007年10月19日 (金) 11:25 (UTC)

ご挨拶と御礼

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Kliment.A.K. 様、はじめましてAgapeeです。

昨晩はキリスト教の項の「正教会の展開」の節の加筆、誠にありがとうございました。お陰様でとても読み応えのある立派な節になったと感動しています。感謝の念にたえません。文献の追加もありがとうございました。--Agapee 2007年10月29日 (月) 14:57 (UTC)

拙文をそこまで評価して頂きまして大変恐縮しております、汗顔の至りです。先ほど少しまた加筆しておきましたが、お気付きの点が御座いましたら御教示下さいませ。Kliment A.K. 2007年10月30日 (火) 09:18 (UTC)

恐縮なお願い

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Kliment.A.K. 様、 こんばんは。Agapeeです。

Kliment.A.K. 様にもっと早めに念を押しておくべきでした。後手にまわってしまった私の落ち度です。投稿を進めていただいた後で以下のことを申し上げるのは礼儀を欠いてしまっていて、本当に心苦しい限りです。誠に申し訳ございません。

プロジェクト的行動のそもそもの背景について

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2007年10月26日(金) 以来の曼珠沙華さん、おーたさん、私Agapeeなどが、必死に作業しているのは、あくまで秀逸な記事の再選考で問題点を指摘されて秀逸な記事からはずされそうになっていて、そうならないためには3つの問題点を解消する必要があるためです。一連の活動の目的をどうかご理解ください。

端的に申し上げれば、あとは出典情報の不足を解消することで人々に認められる記事とし、秀逸な記事の再選考現状維持の投票をし、75%の票を得て、管理者の方に現状維持と判定してもらいたい、ということなのです。

問題点のうちの2つ(「理解を助ける図・表」「タイトルだけで書きかけの節」)は昨晩の段階ですでに解消されていたと言えます。残っている問題点、つまり我々がやるべき作業は、あくまで出典の記述の補充なのだ、ということをどうかご理解ください。はっきり言えば当面はキリスト教の項目においては(出典が不足気味の)新規文章群の追加は原則的にはストップしていただきたいのです。秀逸な記事の再選考で指摘された出典不足に対する対策としては、逆効果だからです。新たな文章が増えれば増えるほど、曼珠沙華さんやおーたさんや私が見つけ出さなければならない文献が増加していってしまいます。(その点は、すでにノート:キリスト教#独自研究のテンプレートが貼られてしまうような状況への対策 および今後の投稿についてにも書かせていただいておりますが、Kliment.A.K. 様の会話ページで直接お知らせしたわけでもなく、私の落ち度です。申し訳ありません。)限られた人数で行っていますので、せっかくの皆の力を分散したくない、クレームがつくような問題点をこれ以上絶対に増やしたりはしたくない、ということでもあります。


具体的に申し上げると

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1. Kliment.A.K. 様の2度目の加筆では、追加された文章に出典がかなり不足しています。これが問題と思われます。秀逸な記事の再選考対策としては、状況がかえって悪化してしまっているのです。以下の2段落の出典を提示していただけますか。何卒、お願い申し上げます。

ピョートル大帝の西欧型近代化政策により、ロシア正教会は国家の保護に入ると共に国家の強力な統制を受ける事となった。1721年にはモスクワ総主教座が廃止される。エカチェリーナ2世の下では修道院の領地がロシア帝国に没収された。だが皮肉な事にこの土地没収は、土地を奪われた修道院から隠遁修道士が多数生まれ、18世紀後半にはアトス山から正教修道精神の復興が起きた事と合わせ、ロシア正教会の精神的復興に結果したという側面もあった。この頃の著名な修道士にサロフの聖セラフィムなどがいる。
オスマン帝国の支配下にあった地域にあった正教会はコンスタンティノポリ総主教庁の管轄下にあったが、1830年にギリシャが王国として独立した事に伴い、ギリシャ正教会はコンスタンティノポリ総主教庁のもとから1850年にアテネ大主教を首座とする独立教会としての地位を承認された。オスマン帝国の支配下にあったバルカン半島地域がナショナリズムの勃興によって独立国家群を形成していくなか、紆余曲折を経つつ、ブルガリア正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会などが独立教会としての組織を整えていく事になった。これらの教会もバルカン半島における共産主義政権のもとで辛酸をなめた事、共産主義政権の崩壊後に復活を遂げつつあることはロシア正教会と同様である。
(本文記述量は増加させない方向で対応していただけると幸いです)

2. 記述量(行数)が多すぎて他教派の記述とのバランスを崩しています。2007年10月29日(月)01:11 に加筆していただいた段階では「カトリックの展開」と「プロテスタントの展開」の記述と比較してバランス上ちょうど良かったのです(実にお見事で私は賛嘆していました)が、 2007年10月30日(火)09:52にさらに加筆していただいた段階では逆に過剰になっています(残念です)。具体的に言えば、「東西教会の関係」の節は(たとえ出典があっても)ほとんど削除していただきたいと思います。私が、削除するのもずいぶんと失礼かと思います。できれば、Kliment.A.K. 様のほうで自主的に削っていただけないでしょうか。


「東西教会の関係」の文章削除のお願い 補足的説明

そもそもこのキリスト教の項目の読者のかなりの割合は非信者で「キリスト教って一体どんなものなの? クリスチャンって、どんな人たちなの?」という思いでお読みになっているだろう、ということも十分に想定して記事を書くべきだろうと判断しています。
「東西教会の関係」の記述は、とても中立的とは見えずあくまで正教会側の視点の文章であり、(仮に中立的なのだと見なしたとしても)一般人で行間を読んであれこれ空想する能力がある人間にとっては、当事者間の"不和"、ドロドロした"憎しみ"のようなものを感じさせるような記述です。(内部者には2000年の歴史がよく分かっていますし、信仰がある者があの記述に触れたからといってその段階でキリスト教に急に偏見を抱くということはありませんが)外部の人から見ればまるで 単なる"政治家の派閥争い" のように見え、とても浅ましく見えます。たとえ事実に関する記述であるにしても、なにも部外者に実際以上の誤解を生む可能性が高い記述を、わざわざ百科事典で強調することはありません。キリスト教全体やクリスチャン全体のイメージが悪化します。それとこの手の不一致に関する情報は、書き手の意図にかかわらず、たとえどんなに書き方を工夫しても、外部の人からは"どうせ権力団体同士の醜い権力争いなのでしょう"ぐらいにしか理解してくれない上に、正教会に共感してくれるどころか、反対に正教会に対して反感を感じる人々を生み出します。一般の読み手というものはそういうものなのです。私は正教会の方々が大好きです。ですからなおさら、百科事典にあのようなことを書くのは止めていただきたいのです。
あの手の記述は、もっとキリスト教の信仰の肝心の核心部分を充分に時間をかけて深く知った後ではじめて触れればいいはずです。それと、たとえば『世界百科事典』のキリスト教の項目はこのWikipediaの記事量より多いのですが、それでも東西の不一致はあそこまで強調して書いてはいません。つまり百科事典的記事の良識としても、あのようには大量に書かないほうがいいのです。
以上のような理由で「東西教会の関係」は自主的に削除していただけないでしょうか。伏してお願い申し上げます。

3.その他 していただけるととても助かる作業

  • 既存の「キリスト教#日本とキリスト教#東方正教会」の節に出典を書き加える、という作業をしていただけると幸いです。現状まったく出典がないのです。
  • 「正教会においてはこれが一番充実していて標準的な事典(辞典)だ」というものがございましたら、それを文献リストに追加していただけると幸いです。
  • 秀逸な記事の再選考にて現状維持のほうに一票入れていただけると幸いです。

失礼なことばかり申し上げて誠に誠に申し訳ございません。

--Agapee 2007年10月30日 (火) 13:25 (UTC)

Klimentからのお答え

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Agapeeさん、コメントをありがとうございます。(少なくとも現段階ではウィキにおいて)私は宗旨を明らかにしません(将来的には分かりませんが)。その事をまず最初にお断り申し上げます。
まず結論から申し上げます。
【申し訳ないのですが内容には殆ど同意出来ません】が【ほぼその方針には従わせて頂きます。】
【1】東西教会の分裂について
>とても中立的とは見えずあくまで正教会側の視点の文章
(お答え申し上げます)
正教会も一枚岩ではありません。あの文章はどちらかと申しますと「東西教会の和解に好意的な正教徒」からは好感を持って迎えられるでしょうけれども、「東西教会の和解に否定的な正教徒」からは、むしろ「書いて欲しくない」事ばかりが書いてあります。そもそも「和解に向けた動きが正教会内に存在する」事すら知られたくない勢力は世界中の正教会に存在します。日本正教会でも殆ど言及されない事柄の数々であり、「正教会側の視点の文章」というのは当たりません。勿論「中立的」かどうかは議論の余地があるでしょうけれども。
>外部の人から見ればまるで 単なる"政治家の派閥争い" のように見え、とても浅ましく見えます。たとえ事実に関する記述であるにしても、なにも部外者に実際以上の誤解を生む可能性が高い記述を、わざわざ百科事典で強調することはありません。
(お答え申し上げます)
事実なのですからしょうがない、というのが私の感覚です。そもそもあの程度の文章でイメージが悪化するのであれば、伝道する側も伝道される側も、各種の試練には耐えられないでしょう。「教会はキレイなところだと思っていたのに」と去って行く若い方、Agapeeさんの周りにも結構いらっしゃいませんか?最初に幻想を与えている事にそもそも無理があるのだと私は思っております。
無論、私のこうした感性が少数派のものである事は存じております。ですから方針には従います。尤も程度問題として、この程度の記述も許されない事には聊か驚きを禁じ得ませんが。本来ならばウクライナエルサレムにおける東西教会の管轄争いまで書かなければ、世俗の研究世界では「東西教会分裂の状況を書いた」事にはなりません。
【2】「記述量」・「出典がかなり不足」について
大体了解しました。そもそも履歴を参照頂ければお分かりになるかと思いますが、私は改筆したのみですので、分量面にはあまり思い入れは強くありません。
【3】最初に述べました「結論」についての補足
「教会は綺麗なところだ」などと私は全く思っておりません。だからこそ堂内に磔刑像があるのではありませんか?キリストの磔刑を止めずキリストの磔刑を実行したのは他でもない、我々人類なのでありクリスチャンもそこに含まれるのです。「私を誹る者は私と親しく、共に神の宮に行った者である。」と詩篇にある通りです。
「教会のクリーンなイメージ」「教会の良いイメージ」を崩さないように様々な記述がなされていく事には私は本当に懐疑的であり、全く意味が無いと思っております。糊塗にすらならず、単にそれは誤魔化し・欺瞞であり、しかも数年もすれば、「実際には教会にも人間関係の煩わしさがある」「教会にも政治力学はある」と言う事に新信徒も簡単に気付きます。
そうした時に「騙された」と思われてしまう事は果たして本当にキリスト教にとってプラスでしょうか?
聖書は全く正直に教えています。イスラエルにも内紛があった事を。教会に幾つもの分派が生じ、パウロが叱責を加えている事を。隠れたことで明らかにならないものは無いのです。最初から明らかにしてしまえばいいではないですか。聖書もそうしてきたはずです。
…ただ、こうした私の姿勢やものの見方が教会に居る方々からみて少数派である事は重々承知しております。
今回、ウィキペディアの編集にキリスト教に対する配慮をしている方々が大勢いらした事は聊か意外であると同時に多少嬉しくもあったのですが、むしろ私はキリスト教に対する配慮が過ぎるのではないかとすら感じました。
以上のように異論・反論等は沢山あるのですが、当面、方針には従います。それほど私も自分の意見をこの項目で押し通そうと考える程には思い入れは御座いません。
方針に従った上で修正を試みますので、またお気付きの点がありましたら改めてご一報下さい。
Kliment A.K. 2007年10月30日 (火) 14:01 (UTC)
拝読いたしました。ご協力に深く感謝いたしております。--Agapee 2007年11月4日 (日) 06:40 (UTC)

原罪について

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Gakuinryouです。Klement.A.Kさんの改稿された「原罪」について気がついたことがありましたので書いておきました。原罪のノートをお読みいただけると幸いです。Gakuinryou 2007年11月4日 (日) 02:44 (UTC)

お世話になっています(ウクライナ関連)

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もし宜しかったらメールを頂ければとのことですが、どの記事に関してコメント致しましょうか? ハバロフスクの件は、拝見致しましたが、何と言っていいかちょっとコメントし難いですね。何を思って書かれたのかよくわからないので……(ハバロフのページの方に書くならまだわかるが、と思ったらハバロフのページがウィキペディアには存在しなかった……)。私としては、現時点では「文法・文章は成り立っているが内容が意味・意図のまったくわからないナンセンスな文章」(Wikipedia:無意味な記述のケース2)に相当する例の一つとみなす以外判断しようがありません。何を仰りたかったのかについていちいち尋ねる気もありません。心配なのは、そのノートを見た一般閲覧者があの町の名前の由来をそのようなものであると誤解することです(まあ、本文を読めば「ハバロフ」が由来だとわかるはずですが、得てして好奇心旺盛な閲覧者はノートばかり見るかも)。IPには、Wikipedia:ウィキケット#ノートページの濫用を避けるためにはを見て理解していただきたいですね。

よくわからないんですが、去年辺りからかある分野である傾向をもった発言をするいくつかのIPを確認していますが、それらは本当に同一人物なのでしょうか(ハバロフスクのような例は初めてです。今までは、基本的にロシア関係の一律排除を目的とし、その根拠として「日本は中国の領土であったがいちいちそのようには書かない。ロシア関係も同じ」と主張する傾向がありました)。意図的に複数のIPや利用者名を使うことはソックパペットで禁止されているんですが、もし仮にそのような例に相当するのであれば残念な限りです。

Wikipedia:礼儀を忘れないというのもありますが、仮に日本語母語話者以外の参加者を想定すれば、多少日本語コミュニケーションに問題があったとしてもある程度許容すべきだと私は思っています(参加者が母語話者であるか確認する手段はないので、その辺は推し量るしかないのですが)。ただ、日本語の問題以前の問題もあるような気のするケースもあるんですが(特に、しばしば要約欄の書き方)。--ПРУСАКИН 2007年11月15日 (木) 13:35 (UTC)

ПРУСАКИНさん、コメントをありがとうございます。

なんかAlex K氏、人格に問題があるのでは?と思っています。

詳細は「八端十字架」の履歴を御覧下さい。もう無茶苦茶です、やっている事が。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 15:10 (UTC)

ПРУСАКИНさん(追伸)
彼のウクライナPOV的(もしくは嫌ロシアPOV的)な諸言動について問題提起したいのですが、どこか適切なポータルかコミュニティか何かありますかね?

--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 15:19 (UTC)

なんとか、現時点ではノート:オリガ (キエフ大公妃)も含め、冷静になりつつあります。彼は相当私について誤解というか先入観を持っていますね…しかし一応小康状態になりそうなので、一旦上記の問題提起を線で消しました。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 17:31 (UTC)

こんにちは。ご苦労様です。彼はこの1年間ほど活動しているのですが、彼とは今までこれほど重大な問題は発生していませんでしたし、多少のことはあったとしても彼もこれほど一方的な態度を取ったことはありませんでした。私としても少々戸惑っております。

記述内容の正誤については私の方では判断できませんが(多分お二方の方がお詳しいと思います)、ウィキペディア的な観点からは、Alex Kさんには分がないように思われます。よしんばAlex Kさんのご主張が全面的に正しかったとしても、それと異なる強力な「通説」がある以上、そちらを一方的に消去することがウィキペディア的にはまったく好ましくない、ということが彼はわかっていないのでしょうか(たんに、今回感情的になっている・むきになっているだけかもしれませんが)。記述スタイルとしてはKliment A.K.さんの仰るように両論併記が好ましいと思いますし、それはウィキペディアの基本原則としてしかるべきページに明記されていることです。Alex Kさんは消去ではなく必要箇所を改変することで自説を通すように努力した方がよいでしょう。一方的に消去してよいのは「荒らし」行為によるやプライバシーの侵害や誹謗中傷など記述自体が問題となっているケースだけ記述だけです。そうでない記述を一方的に消去しては、その行為そのものが「荒らし」に相当しかねません。

私は日本語版に外国語参考図書・リンクを記載することは構わないと思いますし自分でも載せていますが、それはその外国語を解さない閲覧者から質問があった際にはきちんと説明するという前提でのことです。日本語以外の参考資料を載せる場合は、質問があった場合にはきちんと「その資料の正当性、その資料を参考資料として記載する妥当性」について説明し、中身について(GDFL・著作権に反しない範囲で)翻訳・説明しなければなりません。そうでなければWikipedia:検証可能性という大原則に基づき、その記述が削除される可能性は限りなく大きいでしょう。Alex Kさんは今後資料の翻訳等を行うとのことですので、取敢えず様子見ということになるでしょう。あと、ウィキペディアでは{{要出典}}を求められた際にはその事柄を記載したいと思う側が出典を示すということになっています(もちろん、日本語版利用者に理解できる出典です。日本語版利用者が理解できない出典はWikipedia:検証可能性の観点から十分な出典とみなされません)。

ウィキペディアのいろいろのルールから見ると、どう考えてもAlex Kさんの今回の態度は有利ではありません。ですから、Kliment A.K.さんもあまり心配なさらずに、泰然と構えて長い目で活動されることをお勧めします。事実関係について議論すると今回のようにどうしても感情的にならざるを得ない場面も出てきますから、そういう場合は事実の追求よりも制度上のスタイルの追求に目的を切り替え、ウィキペディア的にその問題はどうなんだろうという観点から話題を振ってみる、というのも解決法のひとつと思います(自己納得の際にも、自分はこうではないと思うがウィキペディアの制度上こうなるのはやむを得ないや、という割り切り方は精神的に助けになりますよ)。--ПРУСАКИН 2007年11月19日 (月) 07:42 (UTC)

ПРУСАКИНさん、御返事をありがとうございます。
そうですね、少し自若として構えようと思います…
それにしても、彼は本当に削除することが好きなようですね。ウクライナ・バロックの履歴を見て驚きました。一体何の目的があってこのようなカテゴリ削除を?としか思えません。疑問の多い行動が目立ちます。--Kliment A.K. 2007年11月19日 (月) 14:43 (UTC)

ああ、ウクライナ・バロックですね。この手のことはこれまでたくさんあったので私は特に気にしていません。これまで行ってきた私自身の編集や他の人の編集が本当に妥当であったかと振り返るよいきっかけにはなります。ただ、ちょっと今回はカテゴリーを少し消しすぎかなと思ったので一部戻した次第です。

冒頭のロシア語やポーランド語表記は、いらないと言われれば確かに日本語版だからいらないかと思い戻していません。が、いつもどの記事に何語を含めるかについては非常に迷うところです。多分私がその項目を作った当時の考えでは、ウクライナ・バロックはロシアの文化史に非常に大きな影響を持っているのでロシア語を入れたりカテゴリーにも含めたりしたのでしょう。ただ、今となっては何でロシア語やポーランド語を入れたのかはっきりと言明できなくなっているという程度の問題ですし、この程度の問題で編集合戦を行いたくないので触れないことにしました。

カテゴリーについては私は最大限派なのですが、Alex Kさんは最低限派のようです。と思っているとCategory:ウクライナの文化Category:西洋美術史に入れるというようなよくわからない編集もあるのですが……。多分何かの間違えだと思いますが。--ПРУСАКИН 2007年11月19日 (月) 14:58 (UTC)

ロシア語とポーランド語を削除…ウクライナに関わる記事からは何が何でも出来る限りロシア色を払拭したいという彼の意図が明白だと思うのは小生だけでしょうか。このままですと嫌ロシアPOVではないかという私の懸念があながち的外れではないという事になりそうです…。別に小生はロシア贔屓でも何でもないのですが、彼の勝手な削除主義によってWEB上のリンクの利便性が損なわれたり、表記の差から来る不便を解消するための記事内容(ロシアに関心を持った人がウクライナ関連の記事を探す時に不便だと思うのです)を削除するといった行為は、由々しき問題だと思います。--Kliment A.K. 2007年11月19日 (月) 15:15 (UTC)

嫌ロシアPOVというレッテルは初めて見ましたが、まさにそれなんです。まあ、ウィキペディアにはいろいろな人がいるのである程度お互い許容しながらやらないと仕方ないので、余程のことがない限り不毛な議論になりそうなことには首を突っ込まないようにしています(有益な議論は大歓迎です)。不毛な議論というのは、つまりどうやっても結論は出なそうだし、議論の過程で得られるものも労力と比して少ないだろう、という種類の議論です。これまでたくさんそういうのをやってきて懲りました。

私もロシアに関心を持った人がウクライナ関連の記事を探す時に不便だというような利便上の不都合は憂慮していますが、相手にも一理ある場合は突っ込まないことにしています(話し相手が3人以上いるときはいいのですが、たいてい2人なので議論が行き詰る危険性が大きい)。しかし、あまりに不当な場合は編集し直します。(特に都市関係は各国語名が必要でしょう。)

ルーシには苦労させられますね。他にもいろいろありましたが、取敢えずこれまで一番難しかった問題はルーシでした。あと、何となくウクライナがPOV状態なのはひょっとして彼か他の誰かのIPの記述のせいではないかと思っているのですが、よかったらその内時間のあるときにでも一度目を通していただけませんか? POV状態の一端を実は私も担っているので、ちょっと当事者には修正しがたい部分もあるのです。--ПРУСАКИН 2007年11月19日 (月) 15:29 (UTC)

>嫌ロシアPOVというレッテルは初めて見ましたが、まさにそれなんです。
実は正教会に関わっていますと、近親者の粗が良く見えるのか、意外とロシア嫌いの方は多いので、似た言辞を用いている人には何人も会って参りました^^;。嫌韓厨と大差無い。こういう方が用いる言辞は大抵似通っており、以下の3パターンに集約されます。
  • 「西欧化されたロシア正教会は純粋な正教会ではない。」→「ギリシャアメリカの正教会に見習うべきである。」
  • ルーシの後継国家・地域はウクライナであって、田舎者のロシアなどではない」→ルーシとロシアの連続性を全否定寸前なまでに否定する。ロシアからのウクライナ侵略は問題にするが、かつてポーランドから受けた侵略についてはそれほどまでに問題にしない。
  • カトリック教会と仲が悪いロシア正教会は、エキュメニズムの敵であって、しかも今はロシア連邦政府の犬であり、かつてはロマノフ朝・ソ連の犬であったロシア正教会の言い分など聞くに及ばない。」
まさしくパターン通りなのですぐにピンと来るわけです。
>取敢えずこれまで一番難しかった問題はルーシでした。
本当にそうですね。私も相当意識してロシア正教会の項目では14、15世紀位の記述までは「ロシア」という地名を使わないようにしていたのですが、それでも彼にはいちゃもんをつけられましたから…--Kliment A.K. 2007年11月19日 (月) 15:40 (UTC)

「ルーシ=ロシア」については、少しでもギリシャ語の教養があればそこまで問題にならないと思うんですが……(いまどきのヨーロッパ人は以前と違いギリシャ語やラテン語は勉強しないのでしょう)。ルテニアはよくてもロシアはだめ、というのはもはやひとつの謎ですね。いまどきどこの研究者がロシア帝国やロシア連邦とルーシのギリシャ語名のロシアとを混同しているのか私は知らないのですが、彼は日本の研究者は質が低いからその辺のことを未だにわかっていない、先進的なヨーロッパではいまどき誰もルーシのことをロシアと呼んだりしない、と何度も仰っていました。

で、そんなに先進的なヨーロッパでは、いまだに中国のことをChina/ChineあるいはChatay/Китайなどと呼んでいるわけですが。ご存知かもしれませんが、昔ヨーロッパでは中国大陸には陸の「カタイ」と海の「キーナ」というふたつの帝国があるという通説があり、それが間違っていて「ひとつの中国」というのが確認されたのはイエズス会の宣教師マテオ・リッチが北京にいたときだから17世紀初頭だと思うんですが、にも拘らず英語には「キャセイ」と「チャイナ」という「ふたつの中国」が未だに生きているし、ロシア語やウクライナ語に至っては陸続きの中国しか関係なかったから「キタイ」という単語しかありません。日本の研究者が「ルーシ=ロシア」を使っているから後進的だというのであれば、いまだに中国のことを「China/Chine=海の中国」とか「Chatay/Китай=陸の中国」とか呼んでいるヨーロッパの東洋関係の研究者の「後進性」は救いようがないですね。

というような反論というか当てこすりを述べても仕方ないのは明らかです(少し手法を真似して反論するとこうなるでしょう)。どうも彼の議論はこのような感情面が先走っており、狭い知識を楯に相手を批判することが主眼となっていて肝心の議論の取っ掛かりが見えない気がします。この種のやり合いは避けたいところです。--ПРУСАКИН 2007年11月19日 (月) 16:41 (UTC)

コメントありがとうございます。最近活動を休んでいたので状況がわからないのですが、もし何か問題が目に付くようでしたら対処していきたいと思います。どこかのページに関して取り分けて私の方に何かありましたら遠慮なくコメント下さい。ただ、しばしば休んでいて役に立たないかもしれませんが……。今後ともよろしくお願い致します。--ПРУСАКИН 2007年12月22日 (土) 13:46 (UTC)

ПРУСАКИНさん わざわざ返信を頂き、恐縮です。こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2007年12月22日 (土) 14:48 (UTC)

第二段

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すごい!「ウクライナPOV」「嫌ロシアPOV」「狭い知識を楯に」などなど。。。どうぞ、続けてください。非常に面白いです、このオハナシは。。。(^V^)-- Alex K 2007年12月26日 (水) 22:28 (UTC)

Alex Kさん 喜んで頂けたようで、何よりです。--Kliment A.K. 2007年12月27日 (木) 15:53 (UTC)

私のコメント部分について
一部余計なことを書きました。お二方にご迷惑を掛けました。陳謝します。--ПРУСАКИН 2007年12月28日 (金) 17:09 (UTC)
ПРУСАКИНさん
いえ、どうぞお気になさらないで下さい。--Kliment A.K. 2007年12月28日 (金) 17:12 (UTC)
Kliment A.K.さん、ありがとうございます。ただ、やはり他人のノートページで「陰口」を叩くような行為は非常に不適切であったと思い、Alex Kさんにはこの件についてお詫び申し上げました。つまり、Kliment A.K.さんがご自分のページで問題提起を行ったことは別段問題ないかもしれません。しかし、それに「便乗」したような私の行為は間違いだった、ということです。Alex Kさんは恐らく私の行為に呆れられたでしょう。私は非常に恥ずかしい。--ПРУСАКИН 2007年12月28日 (金) 17:33 (UTC)
ПРУСАКИНさんがどう倫理観をお感じになろうと構いませんし小生はПРУСАКИНさんの倫理観とご発言に介入するつもりはありませんが、小生としましては大変納得出来る内容だったと今でも思っております。公開されている以上、陰口でも何でも無いとも思います。寧ろ公開されている内容を「私信」扱いされる事に小生は違和感を覚えますが…いずれにしましても、小生は今、大変強い憤りを感じております。ノート:オリガ (キエフ大公妃)小生の編集してきた履歴からは全く事実無根のレッテル貼り・ラベリングをして来た相手方の態度はやはり尋常なものとは思えません。--Kliment A.K. 2007年12月28日 (金) 17:36 (UTC)
「利用者ノート」が私信であるかどうかは微妙なところです。よく地下鉄の駅にあったりする、誰でもいつでも見られるが、見ようという特別の意識を持った思った人しか見ない「掲示板」(よく昔はここに待ち合わせ場所を書いたりしました。待ち合わせしない人は見ません)のようなものかという気もします。誰でも見られますが、ある特定の第三者のことを書いてそれを知らないその本人が見ていなかったとしても、公開されているのに見ていないお前が悪い、ということにはならないと思います。その点ネガティヴに言えば「見つかりにくいところ」と言うことができると思います。地下鉄の「掲示板」の伝言のように、公開されているが特定の人に対して個人的に発せられているメッセージというのは、やはり「私信」と言うべきなのではないでしょうか(私は利用者ノートに関しては「個人的に個人に向けて発信している」という意識を持っています。一般ページのノートは逆です)。
Alex Kさんの行動にはよくない部分もあります。ただ、それとは別に私の行動にも悪いところがありました。私は、私のコメント内容について一部明らかに問題の本質とは関係ない、そんなこと言う必要があるのなら本人に対して直接言うべきであるようなものがあった、という点を問題視しています。これはつまり、Kliment A.K.さんのお立場やご意見とは別物、関係ないのに書いた、ということです。
一言で言えば、「程度問題」と言うこともできると思います。私は限度を超したと自覚しています。--ПРУСАКИН 2007年12月28日 (金) 18:03 (UTC)
ПРУСАКИНさんがそうお感じになる事には寧ろ尊敬の念を抱きますし、小生の書き込みはПРУСАКИНさんを批判するものではありません。しかしながら「限度を越えた」とは小生には思えないのも事実であります。あそこまで謂れの無い敵意を向けて来られた身としましては、これまでの彼の他のものも含めた「よくない部分」が招来した、当然の批判としか思えないというのが正直な気持ちです。--Kliment A.K. 2007年12月28日 (金) 18:10 (UTC)
わかりました。
「よくない部分」が招来した、当然の批判という点については、どこまで当然であるかの判断は難しくこちらとしては判断しかねる感があります。なかなか難しいです。
オリガの方にコメントします。--ПРУСАКИН 2007年12月28日 (金) 18:13 (UTC)

十字架関係のページ移動について

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毎度お世話様です。私は事務的な処理は行えますが、内容の充実についてはこちらでは力不足ですので、ぜひご協力いただけると助かります。今後ともよろしくお願い致します。--ПРУСАКИН 2007年12月29日 (土) 17:34 (UTC)

こちらこそ、いつもお世話になっております。移動作業をありがとうございました。浅学非才の身で恐縮ですが、(そしてこの範囲について知る事は限られていますので書けます事は少ないとは思いますが)出来る範囲で微力を尽くさせて頂こうと思います。--Kliment A.K. 2007年12月29日 (土) 17:36 (UTC)

お礼(langテンプレート)

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はじめまして。Peccaflyともうします。これまで私が書き起こした記事にいろいろと修正を加えてくださったほか、キュステンディル州、およびブラゴエヴグラト州の記事では大変にお手を煩わせてしまったようで、とても感謝しております。自分は初心者でいまいちlangテンプレートを使用する意味が良く分かっていないのですが、環境依存の問題等あるのではと想像します。これからは使用するようにしていきたいと思います。いつも決め細やかなフォローをありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。--Peccafly 2008年1月3日 (木) 13:39 (UTC)

>langテンプレートを使用する意味
小生のチェックしている範囲では、IE(インターネットエクスプローラー)では特に問題は発生しないようですが、langテンプレートが使用されていない場合、IE以外の他のある種のブラウザではギリシャ文字・キリル文字などでは全角表示になるなどして、異常なほど表示にスペースを取ることがあります。時々、ギリシャ文字・キリル文字(ロシア語・ウクライナ語・ブルガリア語・セルビア語など)が使われている記事にはlangテンプレートが使われていないものがありますので、適宜補わせて頂いているところです。
手前味噌な修正をして恐縮に感じておりましたところ、わざわざお礼のお言葉を頂戴し、痛み入ります。こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年1月3日 (木) 16:45 (UTC)
ご教授いただき、ありがとうございます。確かにテキストエディタ等で見られる全角サイズのキリル文字は大変読みづらいです。とても勉強になりました。自分でこれまで書いた記事も修正のついでに少しずつlangタグを追加していこうと思います(自分の書いた記事を後から見かえすと恥ずかしいことばかりなので・・・冷汗)。--Peccafly 2008年1月5日 (土) 11:44 (UTC)

マケドニア正教会

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お世話になっております。正教会関連でのフォローにはいつも助けられ、感謝しております。さて、今回はマケドニア正教会の記事への用語の修正、ありがとうございました(いずれチェックをお願いしたいと考えていたところでした)。他にも語訳に迷った箇所は少なくないのですが、特にOrthodox Ohrid Archbishopric→正統オフリド大主教区と、語訳なしで英語のままになっているBulgarian Exarchateについても定訳がありましたらよろしくおねがいします。また、この記事は英語版から機械的に翻訳して冒頭の断り書き(正教会を参照せよ)を書き加えただけのもので、知らずのうちに英語版執筆者のPOV等が入り込んでいると思います。おかしな記述がございましたら直していただけるとありがたく存じます。--Peccafly 2008年1月12日 (土) 11:12 (UTC)

Peccaflyさん
こちらこそいつもお世話になっております。用語についての尊重をして下さり、感謝の念に堪えません。
実はBulgarian Exarchateについては小生も迷っておりましたところです。適当な翻訳は何か精査・熟考の上、後日日本語訳を入れさせて頂きたく思います。また、Orthodox Ohrid Archbishopricについてですが、なかなか扱いが難しいと思います。日本正教会では当該教区について言及された事は(少なくとも小生の関知する範囲では)御座いませんので定訳は存在していないと思われます。今のところ、その日本語訳で問題は無いと思われます。英語版のPOVについてはまた精査・熟考させて頂きたく思います。記事作成をありがとうございました。--Kliment A.K. 2008年1月12日 (土) 17:06 (UTC)
つい甘えさせていただいて申しわけありません。マケドニア正教会の記事への加筆ありがとうございます。私の間違った翻訳により意味が違ってしまっていたようで、大変助かりました。今後ともよろしくお願い申し上げます。--Peccafly 2008年1月14日 (月) 12:50 (UTC)
いやいや、それほど大層な事が出来た訳ではありませんので汗顔の至りです。
>私の間違った翻訳により意味が違ってしまっていたようで
いや、共同の奉神礼に関する記述は英語でも要出典扱いになっていたようですが、英語版の方が不正確なものになっていました。ですのでPeccaflyさんのミスではありません。この辺りの、「機密としては有効であるが、独立(Autocephaly)・自治(Autonomy)は認められていない」という状態の正教会については、様々な立場のものがあります。例えばコンスタンティノポリ総主教庁からは認められていなくともロシア正教会からは認められているものもあったり、逆のケースもまたあります。これに他の教会・教区も絡んで参りますと、想定できる組み合わせは膨大なものに上ります。
これらの教会については、どこからどこまでを機密が有効な教会として扱い、どこからどこまでを共同の奉神礼が広く認められている教会として扱うか、非常に線引きが難しい問題となります。結局のところ、各教会の実情を調べて、記述に反映させるしかなさそうです。--Kliment A.K. 2008年1月14日 (月) 13:00 (UTC)

はじめまして(結婚式)

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はじめまして。マリアージュといいます。結婚式の記事の中に正教会の節を新設しました。Kliment.A.K. 様は正教会のことにお詳しいようですね。もし可能でしたら、正教会での結婚式の特徴や、式の具体的な進行手順について加筆していただけますでしょうか。お願い申し上げます。--マリアージュ 2008年1月7日 (月) 17:13 (UTC)

わざわざ御知らせを頂き、ありがとうございます。出来るだけ速やかに加筆にとりかからせて頂きますね。--Kliment A.K. 2008年1月8日 (火) 05:08 (UTC)
加筆いただき、有難うございました。--マリアージュ 2008年1月11日 (金) 13:16 (UTC)
マリアージュさん
今後とも、よろしくお願いします。--Kliment A.K. 2008年1月11日 (金) 16:35 (UTC)

ニッパヤシの修正について

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Kliment.A.K.さん、はじめまして。利用者:Anonymous Poweredと申します。ニッパヤシの脚注リンク修正ありがとうございました。おかげでかなり読みやすくなりました。今後ともよろしくお願い致します。--Anonymous Powered 2008年1月9日 (水) 15:16 (UTC)

手前味噌で恐縮と思いましたが、わざわざお礼の御言葉を頂き恐縮しております、ありがとうございます。大変興味深い、面白い記事をありがとうございました。こちらこそ今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年1月9日 (水) 16:41 (UTC)

こんばんわ!(月間強化記事賞の件)

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はじめまして!月間強化記事賞にご投票いただきありがとうございます。時刻表示がでてしまっていたので、削除させていただきました。投票はチルダ三つ(~~~)で充分ですよ。今後とも自らの加筆を自薦なさるか、他の方の優れた加筆をエントリーされたり、投票をしていただければ幸いです。Siyajkak 2008年1月17日 (木) 11:23 (UTC)

Siyajkakさん
お教え頂き、ありがとうございます。実は「チルダ三つ」の意味が分らなかったもので(無知なもので恐縮です)、通常の署名で投票させて頂くこととなってしまいました。御教示頂きありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年1月17日 (木) 14:54 (UTC)

警告

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荒らし行為はやめてください。あなたがこれ以上、Wikipedia:管理者の解任/Lonicera 20080203でなさったような投稿を続けると、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。

他の方の投票を消したり、無効票となったご自身の投票を復活させないでください。--219.207.246.17 2008年2月5日 (火) 15:13 (UTC)

全く申し訳ありません。誓って申し上げますが故意ではないのです。間違って差分から編集を行ってしまいました。ノートにてお詫び申し上げましたが、こちらでもお詫び申し上げます。大変失礼しました。--Kliment A.K. 2008年2月5日 (火) 15:14 (UTC)

管理者の解任投票について

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一旦無効票を投じてしまった場合、再投票は無効のようです。Wikipedia:管理者の解任#投票フェイズの進行をご参照ください。--水原怜雅 2008年2月5日 (火) 15:16 (UTC)

水原怜雅さん
該当のノートページでも申し上げましたが確認しました。御教示をありがとうございます。--Kliment A.K. 2008年2月5日 (火) 15:18 (UTC)

Kliment A.K.さんの投票は現実の選挙に例えれば参議院選挙で、選挙区の用紙と比例区の用紙を間違えて投票してしまったようなものといえます。一票を行使できなくて残念とお思いでしょうが、1回目の再投票の試みは悪意はなかったものと思いますが、2度目の差し戻しは適切な行ないとはいえず、方針をよくお読みいただいてなぜ無効票となってしまったか、再投票は可能かなどを確認していただきたかったと思います。--Tiyoringo 2008年2月5日 (火) 15:24 (UTC)

Tiyoringoさん
これはTiyoringoさんの事では全く無いのですが、人の間違いを糾弾する事に暴言を吐く方が当該管理人さんのみならず複数いらっしゃる現状に、怖いものも感じております…。ただ
>再投票は可能かなどを確認していただきたかった
これについては全く返す言葉も御座いません。他の方の投票を消してしまいましたのは本当に全くのミスでして、故意で無かった事は信じて頂きたいと思いますが、改めてお詫び申し上げます。

--Kliment A.K. 2008年2月5日 (火) 15:28 (UTC)

私がKliment A.K.さんの投票を4分ほどで無効票にしたので、慌てられてしまったのだと思います。指摘は指摘として受け止めてほしいですが、Wikiブレイクは必要ないと思いますよ。--Flénu 2008年2月5日 (火) 15:47 (UTC)
Flénuさん
今回の件で、判断力が落ちているほどにまで健康状態の悪化に気付かされた事で自己嫌悪に陥っていると言う事も御座います。2、3日が果たしてウィキブレイクと言えるほどのものかは判りませんが、これを機会に少しお休みをさせて頂きます(先ほどのグルジアでのように微修正はさせて頂く事があるかもしれませんが)。わざわざ暖かい御言葉を頂き、痛み入ります。--Kliment A.K. 2008年2月5日 (火) 18:28 (UTC)

こんにちは、当該記事を見かけた者です。誰でも不注意による間違いをすることがあると思います。 当該記事も、投票に対する注意書きが分かりにくいと思います。私の使用頻度の高いwiktionary:en:WT:VOTEではコメントを付けるため、先にKliment A.K.さんの間違いを目にしなければ、私も同じ間違いをしていたと思います。なお、暴言を吐かれた方には憤りを感じます。間違いに対する場合でなくとも暴言は慎むべきと思います。お気を落とさないで頂きたいと願います。--eveningmist 2008年2月8日 (金) 17:39 (UTC)

eveningmistさん
正直申しまして大変に気落ちしておりましたところに、暖かい御言葉を頂き感謝の念に堪えません。小生の無知により御迷惑をおかけしたにも関わらず、暖かい御言葉をこちらに下さった他の皆様にも、改めて御礼を申し上げたいと思います。以後気をつけます。ありがとうございます。--Kliment A.K. 2008年2月8日 (金) 18:35 (UTC)

函館ハリストス正教会

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函館ハリストス正教会を再作成したものです。Kliment.A.K.さんはキリスト教に関して詳しいようですのでお伺いします。あの記事はあなた様のおかげでだいぶ読める記事になったと思うのですが、キリスト教(ハリストス正教会)関連で足りていない部分というのはあるのでしょうか。なければ、次に何か意味のある編集したときにスタブ外そうと思うのですが。まああの記事作ったのもキリスト教関連というよりは歴史ある観光名所という気分で作ったのですが。ご回答いただけたらな、と思います。--Route275 2008年2月7日 (木) 16:24 (UTC)

Route275さん
現在のところ、函館ハリストス正教会に関連して、特に足りないと思われるところは見当たりません(少なくともスタブタグを貼り付けなければならないほどのものは感じられません)。小生も勉強中ですので将来的には加筆させて頂く可能性はありますが、「次に何か意味のある編集したときにスタブを外す」事には賛成です。わざわざメッセージを頂き、ありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年2月7日 (木) 21:52 (UTC)

ウクライナ正教会

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I thank you, sincerely, for your patience and sincerity, and apologize for my poor Japanese and ignorance of Wikipedia. Qe2 2008年2月11日 (月) 11:34 (UTC)

No problem at all. I thank you too for your adjustment of population information. I'd been looking for the population information about the churches. Let us discuss the left argument at the page:ノート:ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系). --Kliment A.K. 2008年2月11日 (月) 12:08 (UTC)

You remind me very much of someone I met in Kamiyacho last fall. If that makes sence to you, and you would not wish to remain anonymous, I would be very grateful if you would e-mail me, as I would like to keep in touch. I do not add any other identifying information here so as to preserve your privacy. Qe2 2008年2月13日 (水) 06:13 (UTC)

楽しんでご参加なされますように

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お世話になっております。Peccaflyです。少しだけKliment.A.K.さんのことが心配になり、ご挨拶に参りました。Klimentさんが「オリガ」や「ウクライナ正教会」の記事などのウクライナ関連で大変苦悩されていることを、記事のノート等を通じて拝見しておりました。残念ながら私にはウクライナやルーシ関係の知識がないので、議論に加わることは出来ませんでしたが、素人の第三者の視点からみてもKlimentさんのおっしゃることは、一方の主張のみに拘泥せず幅広い見方を許容しているという点で大変説得力を感じます。Klimentさんの「ウィキストレス」レベルが急伸しているようですが、あまり熱を上げすぎ「ストレス」となってしまっては有害ですので、Klimentさんがリラックスして、楽しみとして執筆活動をされることを心より願っております。余計なお世話かもしれませんが、ご容赦いただければ幸いです。--Peccafly 2008年2月14日 (木) 02:55 (UTC)

Peccaflyさん
近頃、健康を著しく害していることもあり、「ストレス」の急伸はウィキペディア上の議論のみが原因では御座いません。ですが仰るように、近頃の議論の動向が原因の一端になっている事も事実です…。
Peccaflyさんには各方面でお世話になりっ放しですね…。さらに今また頂きましたお心遣いに心から感謝申し上げます。いつも小生が落ち込んでいる時に暖かい御言葉をかけて下さる方々の存在が、小生の励みでありまた貴重な癒しです。少し熱を冷やして、スローペースでいこうと思います。本当にありがとうございます。--Kliment A.K. 2008年2月14日 (木) 03:05 (UTC)
こちらこそいつも助けられ、とても感謝しております。早く体調が回復するとよいですね。どうぞご自愛ください。--Peccafly 2008年2月14日 (木) 11:24 (UTC)
議論よりはむしろ、他の項目の編集を行って気分転換をする、その間しばらく問題については無視する(様子を見る)、小さな問題には目を瞑る、といった方法もあると思います。最近件の問題にばかり時間を割かれているようで心配です。また、新規ページが見られないのは残念でもあります。
どうぞ、無理をなさらずにゆるりとできることをお祈りいたします。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月17日 (日) 11:11 (UTC)
Peccaflyさん
3月になれば暇になるかと思いますので、それまで何とか頑張ろうと思っております。ありがとうございます。--Kliment A.K. 2008年2月17日 (日) 20:18 (UTC)
ПРУСАКИНさん
お心遣いをありがとうございます…。個人攻撃テンプレまで持ち出してあのような執拗な個人攻撃に至っている先方(ノート:ウクライナ正教会#Notes Prior to Replyですが、個人攻撃はどっちだと申したい・苦笑)、何かよっぽど必死なのですね…。本当にウクライナは厄介な問題だとつくづく思います。件の教会を設立した人々の全てがあのようなナンセンスな人々とは思いたくありませんが…。
いつもお世話になりっぱなしで申し訳ありません。本当に感謝しております。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年2月17日 (日) 20:18 (UTC)
私もウクライナがこのように厄介な問題だとは思いませんでした。いろいろ、ロシアより簡単だと思っていました(ビザなしで行かれるし(苦笑))。まあ、確かに何かよっぽど必死なのでしょうね。誰にでも個人的事情はあるもので、まあその辺はこちらは存じませんが……。
とはいえ、ウィキペディア初心者なのかいろいろのウィキペディア的事情をあまり理解されていないようですね。いろいろの原則の適用が、なんていうか的外れだし(そのルールを持ち出したらむしろ自分に不利じゃん、みたいな)。編集内容ではなく編集スタイルの問題点を詰めれば、今回の問題は(外部の力を借りて)比較的簡単に解決できるかもしれません。
私はどうも英語でのこの種の議論についていけません。正直ほんと、英語版できちんと詰めていただきたい話題であります(多分ウクライナ語版より英語版の方がよいでしょう。ウクライナ語版でウクライナ関係のことをやると全会一致で「ウクライナPOV」が採択される可能性がありますので)。さしあたり、その方向で話をまとめるようにしたいものです。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月18日 (月) 10:54 (UTC)
私の個人的立場上一応弁護させていただきますが、ウクライナ(人)一般をあまり悪く思わないで下さいね。利用者ページを拝見致しましたが、そこまで名指しで批判なさることはないのではないかと思います。いずれの国にせよ、問題のあるユーザーはいるものです(特に日本語版執筆者(IP・ユーザー問わず)は一部のネット掲示板の影響か悪質(というか質が低い)人が多い気がしますが)。私の場合はまあウクライナにもそういうことがあるんですね、という感想で終わりますが、ウクライナを知らない人が見たらああウクライナ人は質の悪い「三国人」なんだ、と思うでしょう。望ましくないことです。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月18日 (月) 12:59 (UTC)
ПРУСАКИНさん、いつもお世話になっております。
>まあ、確かに何かよっぽど必死なのでしょうね。
キエフ総主教庁は色々とよくない噂も絶えない教会ではあります。必死になるだけの要因はあるのでしょう。寧ろキエフ総主教庁に関するスキャンダルがここまで英語版で削られている理由の方に、小生は関心があります。随分頑張った方々がいたのだろうと推測します。英語版フィラレート総主教のページには記載されていたので発言を撤回 Kliment A.K. 2008年2月18日 (月) 18:52 (UTC))
20世紀のロシア正教会 チーホンからアレクシー2世へ 廣岡正久 - こちらのページの最下段に現「キエフ総主教」フィラレートを巡る過去について書かれています。KGBとの黒い噂は旧共産圏の高位聖職者には誠に残念ながらつきものなのですが、ここまで明らかになっているのは珍しい。「反道徳的行為」について詳しく書かれたものはこちら→Special agent blesses the opposition三人の隠し子(いつの時代?…ボルジア家ですか・笑)まで居る事がここに言及されています。キエフ総主教庁がロシア正教会に対して人事に於ける過去から個人的な怨恨を持った、愛人まで居る自称「総主教」に率いられている事がここに暴露されています。このような「総主教」の位を世界中の正教会が認めない事は、極めて自然だと思うのですけれどね…。
ここまで脛に疵を持った教会、それは必死になることでしょう。寧ろ小生としては先方に配慮し、これらについて言及する事を避けたほどだったのですが、あまりそうした配慮も今では必要無いかとも思い始めているところです。
>そこまで名指しで批判なさることはないのではないかと思います。
仰る通りと思いましたので、すこし編集を加えておきました。--Kliment A.K. 2008年2月18日 (月) 18:19 (UTC)
「キエフ総主教」フィラレートの隠し子については、英語版ウィキペディアの現在の該当ページ(en:Patriarch Filaret (Mykhailo Denysenko))には出典つきで
The number of children Filaret allegedly fathered varies depending on the source. Some sources mention two daughters, some mention that he also had a son. His daughter Vera has been interviewed by several Ukrainian and Russian newspapers
フィラレートが父親であるとされる子どもの数についてはソースによって違いがある。幾つかのソースは二人の娘について言及しており、他の幾つかのソースは一人の息子も居るとしている。彼の娘ヴェラは幾つかのウクライナおよびロシアの新聞からインタビューを受けている)
と述べられていますね。なお英語版ウィキペディアでは、「子作り」が修道誓願に反する行為である旨にも言及されています(まあ当然ですが)。内縁の妻の名(Yevgeniya Petrovna Rodionova)も記載されています。
フィラレートが父親であるとされる子どもの数についてはソースによって違いがある
隠し子の存在自体は、もはや疑う余地の無いもののようですね。
--Kliment A.K. 2008年2月18日 (月) 18:44 (UTC)
ご説明ありがとうございます。ぜひ、その辺の事実関係(つまり信頼性のある出典付きで説明できる部分)を日本語版でも記載されることをお勧めします(ウィキブレイクぎみのようですので、もしお時間があれば、ですが)。今回の問題の火に油を注ぐようなことになるかもしれませんが、秘匿しておくことでもないのでいずれその内誰かが書かねばならないでしょう(英語版のように教会のページには特に書かず、当人のページに書くというのが最善のような気もしますが、現状では日本語版には当人のページがない……)。Kliment A.K.さんの執筆姿勢には全幅の信頼を持っていますので、記述内容や表現等のバランスなどにつき、いろいろ心配がありません。また、しかるべき出典付きの文章を次々に削除されるような行為が見られれば、そのような行為は荒らしと看做されそうしたユーザー・IPは容易にブロックされるでしょう。意地悪な言い方をすれば、あえて問題の起こりそうなページを作成することは問題の顕著化・明確化につながり、却って好都合かもしれません。--PRUSAKYN (ПРУСАКИНが読みにくいのでローマ字化中) 2008年2月19日 (火) 15:10 (UTC)

とても残念ですけど、人間が作ってるものの中、教会を含めて、には完璧なものがない。必ず人間性がはいてる。モスクワ総主Alexiyの奥さんの情報、KGBの歴史、は彼のWiki英語版のページに簡単に説明があります:から:

He married (both in civil and ecclesiastical wedlock) Vera Alekseesva, the daughter of a priest from Tallinn Georgi Alekseev, on April 11, 1950[1] [2], on Tuesday of the Bright Week when the mystery of matrimony is canonically forbidden.


Patriarch Alexius II is alleged to have been a KGB agent according to multiple sources Alexiy Ridiger, by Yakov Krotov </ref> [3] [4] [5] [6] including Gleb Yakunin and Yevgenia Albats who both were given access to the KGB archives [7] [8] [3][9] He was mentioned in the KGB archives by the code name DROZDOV. It should be noted, however, that it was very unusual for any person to be referenced in KGB documents prior to 1980 without a code name, regardless of their affiliation with the KGB. [3] It has been alleged that archival documents seen by Yevgenia Albats stated that Alexius was awarded an Honorary Citation by the KGB chairman in 1988[8]. It has also been claimed, based on documents allegedly taken from the Estonian KGB archives that Alexius was a highly successful agent who "pacified" rebellious monks. [10] According to Oleg Gordievsky, Alexius has been working for the KGB during forty years, and his case officer was Nikolai Patrushev [11].

The Moscow Patriarchate has, however, consistently denied that Patriarch Alexius was in fact a KGB Agent.[12] According to Konstantin Preobrazhenskiy, Alexius II did not privately deny his involvement with the KGB and told to Oleg Kalugin: “Why are you exaggerating what happened? Yes, we collaborated with the KGB, even I did. But it was a struggle for peace, for disarmament! There’s nothing wrong with that!”[9] Konstanin Khrachev, former chairman of Soviet Council on Religious Affairs, explained: "Not a single candidate for the office of bishop or any other high-ranking office, much less a member of Holy Synod, went through without confirmation by the Central Committee of the CPSU and the KGB". [13] Professor Nathaniel Davis points out: "If the bishops wished to defend their people and survive in office, they had to collaborate to some degree with the KGB, with the commissioners of the Council for Religious Affairs, and with other party and governmental authorities." [14]

総連の時代のロシア正教の司教は純粋な人ひとりもいないかた。純粋ならKGBの審査にパスできないかた。

御理解のため。Qe2 2008年2月19日 (火) 17:11 (UTC)

ミスリードに抗議

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存じております(しかし「純粋な人ひとりもいないかた」は言い過ぎ)。日本人が何も知らないとお思いですか?小生は申しました。
I know that.(But "there is no one who is pure" is not proper.) Do you think Japaneses know nothing? I said:
>KGBとの黒い噂は旧共産圏の高位聖職者には誠に残念ながらつきものなのですが、
>I am very sorry but always there are black rumor with the high clergy in the past communist nations implied connection with KGB, but...
日本人を馬鹿にしない方がいいと思いますよ。アレクシイ2世についての黒い噂も殆ど存じております。英語版位殆ど毎日読みますからね小生も。
You had better not look down on Japanese. I know also rumors about Alexy II written in English Wikipedia. I also read the articles in English almost everyday.
ですがFiralet氏ほどに愛人問題・KGB問題・財政問題などで叩けば埃の出る人も珍しいでしょうね。
However I suppose Firalet to be rare for so many, many problems.
--Kliment A.K. 2008年2月19日 (火) 19:09 (UTC)
それにしても日本人が何も知らないと思って、母国語である英語で長文を書き込んでくる無礼なQe2氏の姿勢(小生はQe2氏が英語母語話者ではないと思って対等の立場を容認したのですが、英語母語話者が相手ならばそのようなハンディを抱えつつも無条件に議論する気には全くなれません。もし英語母語話者が議論を英語で行うのならば、それなりの誠意というものが必要でしょう。)…
ほとほと疲れると同時に、キエフ総主教庁の関係者だったら常識的に知っているであろう事に関しても意図的な情報のミスリードがなされている事も感じられて非常に憤りを感じております全くなめられているとしか思えません
結婚暦のある修道士というのは多くは居ませんが、稀でもありません。妻との死別後の修道誓願や、妻と同時に修道院に入る場合の教会法上合法的な婚姻の解消は、頻繁に行われる訳では無いものの、全く珍しくもありません。ですからアレクシイ2世が結婚していた事があると言っても、それが即、教会法上非合法と言える経緯のものであったかどうかはそれだけでは判断が出来ないのです(挙げられた英語版にも中立的観点タグが貼られていましたね)。アレクシイ2世の結婚暦の存在そのものは、ちょっと海外正教会の動静に関心のある日本人なら誰でも知っているレベルの話です。
もう一度申しますが、Qe2氏の態度とこれまでの議論の経緯における姿勢は、非常に無礼そのものであります。
--Kliment A.K. 2008年2月19日 (火) 19:28 (UTC)

Qe2さんによるコピーペーストの件について

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お世話になっております。Kliment A.K.さんには大変申しわけございませんが、表題の件についてGFDL違反と考えられますので、直前の版へ差し戻し、Wikipedia:削除依頼/ウクライナ正教会・キエフ総主教庁にて特定版削除を提案させていただきました。削除される版にKlimentさんによる編集が含まれてしまっているため、大変心苦しく、申し上げづらいのですが、削除にご同意いただければ幸いです。--Peccafly 2008年2月21日 (木) 08:43 (UTC)

Peccaflyさん、お知らせありがとう御座います。
むしろご教示にお礼を申し上げます。と申しますのはこう見えてまだウィキペディアに不慣れなところが多く、「このようなコピペはおそらくGFDL違反なのではないか」と考えていたのですが、特定版の削除という手段がある事を存じませんでした為です(普段、削除騒動が起きにくいトラブルの少ない分野のみを編集しておりますから、これが例えばJ-POPSやバンド、アニメなどの分野の編集に携わっていれば知る機会もあったのでしょうけれど)。
積極的に賛成しますとともに、併せてウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)の方でも同様の記述部分は削除しておきます。もし特定版削除が必要と思われるようでしたら、遠慮なく依頼なさって下さい。当方にお知らせを頂けましたら事情説明をしに伺いますと同時に、賛成票を投じに参ります。--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 10:37 (UTC)
突然の削除提案にも逆に感謝を頂き、恐縮に存じます。私もマイナー分野の執筆が中心なのでこういった事態の当事者となることはめったにございませんが、「2ちゃんねる」の「ちくり・裏事情」という掲示板におきまして「100万回音読してください」で有名な某編集者さんのスレッドがありまして、当該編集者の品位や2ちゃんねる故の罵詈雑言はともかくとして、「Wikipediaは何でないか」などの参考事例が数多く見られるので時々チェックしております。
さて、問題となっているQe2さんについてですが、「荒らし」というにはやや物足りませんが、「議論による合意を経ず、一方的に自分の意見に従った編集を強行し、コミュニティを疲弊させる」という理由でブロックするには十分足るのではないかと考えています。Wikipedia英語版の会話ページen:User talk:Qe2においても「議論を経ずに編集を強行しないように」との注意を受けており、Qe2さんによる「合意なき一方的な編集」は日本語能力の欠如によるものではなく、編集者そのものとして問題があるといえます。私からもQe2さんの会話ページに警告を行いましたが、正直に申し上げれば、いつ次の段階へ進めても良いところまで来ているのではなかろうかと感じております。--Peccafly 2008年2月21日 (木) 11:54 (UTC)
小生も全く同感でありました。今ほど実行して参りましたので御報告いたします。
Wikipedia:投稿ブロック依頼 2008年2月#利用者:Qe2(会話 / 履歴)--Kliment A.K. 2008年2月21日 (木) 11:57 (UTC)

お邪魔します。ブロック依頼の審議を円滑に進めるには削除依頼の方は早期終了させてしまった方がいいのではないでしょうか。受理される見通しのない依頼に拘泥して長期化させるのは賢明とは思えません。票を(Peccaflyさんは依頼自体を)撤回して即時存続で終了させてしまうことをお推めします(ここでこういうことを書いてしまっていいものかわかりませんが、例のスレッドにでも書いておけば見つけた管理者さんが早期に対処してくれるかも知れません)。ブロック依頼の方はGFDL違反の件は依頼理由から撤回して、POVに基づく編集強行に的を絞って議論した方が他の利用者からの理解を得やすいと思います。
なにぶんウクライナの正教会の事情はちんぷんかんぷんなもので、私からアドバイスできるのはこれくらいです。よかったら参考にしてみて下さい。--sergei 2008年2月22日 (金) 12:51 (UTC)

sergeiさん
削除依頼を出したのは小生ではありませんので小生としましては早期終了させるのに躊躇われる部分があります。但し、ブロック依頼の方につきましては提案したのは小生ですから、提案理由を部分撤回する事は容易に出来ます。というより今、して参りましたところです。アドバイスをありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年2月22日 (金) 16:42 (UTC)
過去の事例を調べていて気がついたのですが、翻訳の場合はGFDL上の義務として版指定も行うべきだという意見もあるようですね。お二方があの編集をなぜGFDL違反とされていたのかやっとわかりました(コピーと翻訳でマニュアルの書き方が違うというのは解せませんが)。その意味では「依頼不備」とまで言ったのは少々言葉が過ぎたかも知れません。もしご気分を害されたとしたらお詫びします。また私の差し出がましい申し出を受け容れて下さったことに感謝します。
ブロック依頼の方の審議にも加わりたいのはやまやまなのですが、全く不案内な分野についての英語での議論を詳細に追跡し理解するのは私の能力ではいささか苦痛なため成り行きを静観することしかできないのをご容赦下さい。審議の結果がどうなるにしてもウクライナの正教会関連の項目が平穏な環境で編集できるようになることを祈るばかりです。--sergei 2008年2月24日 (日) 06:54 (UTC)
>もしご気分を害されたとしたらお詫びします。
そのような事はありません。どうかお気になさらず。今後とも宜しくお願い申し上げます。--Kliment A.K. 2008年2月25日 (月) 01:57 (UTC)

投稿ブロック依頼の通知をQe2さんに行いました

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Mizusumashiです。Wikipedia:削除依頼/ウクライナ正教会・キエフ総主教庁で反対の発言を行った私に対しても、たいへん誠意あるご対応をいただけたことに感謝いたします。

さて、このたびは、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Qe2が提出されたことなどをQe2さんに連絡したことを報告いたします。被依頼者への通知は必須ではないようですが、慣習的によく行われているため、僭越ながら今回は私から行いました。ご了解いただければ幸いです。--Mizusumashi 2008年2月22日 (金) 09:17 (UTC)

Mizusumashiさん、お世話になっております。
了解しました。わざわざお知らせ頂きありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年2月22日 (金) 16:39 (UTC)

お詫び

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この度は大変な失礼をいたしましたことお詫び申し上げます。私のノートページでのKliment.A.K.様のご指摘に対し、お返事とお詫びを私のノートに書きましたのでお読みくだされば幸いです。--朝彦 2008年2月23日 (土) 09:43 (UTC)

わざわざ謝罪の御言葉を頂戴し、恐縮です。今後同一ページの編集で協力させて頂く事があった際は宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年2月25日 (月) 01:57 (UTC)

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Qe2

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まことに勝手ながら、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Qe2Kliment.A.K.さんのコメントを移動し、マークアップのスタイルを変更いたしました。

詳しくはWikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Qe2#リバート報告をご覧になっていただきたいのですが、多数コメントのノートへの移動をともなう編集が行われたのに対して、私はこの編集を不適切と判断し、リバートを行いました。この編集によって行われ、私のリバートによって失われた可読性向上措置の代替として、冒頭に申し上げたコメントの移動・スタイルの変更を行いました。たいへんデリケートな措置であることは存じ上げていますが、ご了解をいただければ幸いです。--Mizusumashi 2008年2月23日 (土) 13:32 (UTC)

正直申しまして経緯が複雑に過ぎてちょっと小生、よく分らなかったのですが、少なくとも現状に対しては不満・異議は御座いません。作業お疲れ様です。わざわざお知らせ頂きありがとう御座います。--Kliment A.K. 2008年2月25日 (月) 01:57 (UTC)

Portal:キリスト教

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こんにちわ、曼珠沙華です。いつもキリスト教関連の記事に尽力なさっているのを拝見し、敬服しています。さてタイトルにもありますが、Portal:キリスト教について相談です。現在当ポータルはドラフト中という扱いを受けている訳なのですが、そろそろ3年が経過するということもあり正式化させてはどうかと思うのです。WP:Pにもある通り、リリースする際には簡単な審査を受ける必要があります。そこで貴方のお力添えを願えないかと思い、ご相談に参った次第です。--manjushage 2008年3月11日 (火) 07:25 (UTC)

曼珠沙華さん
小生に出来ます事であれば、喜んでお手伝いさせて頂きたく思います。ただ、最近は時間的制約が段々厳しくなりつつある上に、小生が半可通と言える程度には通じているのは殆ど正教会の領域に限られます事から、どこまで質・量ともに協力出来るかは分かりませんが…それと、ポータルキリスト教がどのような事情でまだ「製作中」なのか、それすらもあまりよく分かっていませんのが現状です。--Kliment A.K. 2008年3月11日 (火) 10:35 (UTC)
他のポータルとあまり差異がないことから見ても、恐らく「制作中」に位置づけられたままなのは、正式化しようという動きが今までに起こらなかっただけだと思われます。定期的な更新が望ましい話題の欄及び新着記事の欄を活性化させている貴方が手伝って下さるのなら本当に助かります。あと数人に声掛けをした後、正式化を申請しようと考えています。--manjushage 2008年3月11日 (火) 13:06 (UTC)
正式リリースしました。--manjushage 2008年3月24日 (月) 12:33 (UTC)
曼珠沙華さん
正式リリースお疲れ様です。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年3月24日 (月) 16:50 (UTC)

セルギエフ・パサード

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こんにちは。お世話になっております。さて、さっそくですが、現在ウィキペディアにはセルギエフ・パサード至聖三者セルギー大修道院セルギエフ・パサドというページがあります。長音の有無程度の表記ブレを無理に統一する必要はないと思いますが、参考までに、正教会では正式にどのような表記を用いているのでしょうか? ご存知ありませんか。

また、「パサード」という言い方・書き方にはよく出会いますが、そういえば「Посад」なので普通に転写したら「パ」ではなく「ポ」ですよね。この辺りも気になります。「パ」というのも正教会表記由来の表記なのでしょうか。

セルギエフ・パサドにはたくさん表記バリエーションが載っていて、結局のところどれでもありなのかと思いますが、セルギエフ・パサード至聖三者セルギー大修道院本文内では「パサード」だったり「パサド」だったりで、注釈なしのページ内不統一はちょっと気になるところです。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年3月14日 (金) 06:12 (UTC)

こちらこそお世話になっております。

セルギエフ・パサードにつきましては、これまた非常に迷いどころでして、公式な表記が今直ぐに思い当たりません。正教時報や関係者等に取材してみますが、おそらく表記はあまり一定していないのではないかと思います。寧ろ表記がほぼ一定していますのは「至聖三者」以降でして、「至聖三者聖セルギイ大修道院」が最もよく用いられる表記かと思われます。ただ、私も今、他の記事で手一杯の状況になっていることもありますが、取り敢えず不満や大きな違和感を感じる記事名ではありませんので、現状、放置してしまっているようなところです。--Kliment A.K. 2008年3月14日 (金) 06:17 (UTC)

了解です。「セルギイ」については1年前にノート:セルギエフ・パサード至聖三者セルギー大修道院でも話題になっていたようですね。このページですが、ページ名が「セルギエフ・パサード~~」で、本文曰く世界遺産としての登録名は、「セルギエフ・パサドの~~」であるという辺りがページ内に「パサド」と「パサード」が入り乱れている原因になっているのかもしれません。取敢えず、別段違う表記を用いる必要がない箇所についてはページ名に揃えてみようと思います。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年3月14日 (金) 06:21 (UTC)

ПРУСАКИНさん、編集内容を確認しましたが、現時点では異議御座いません。お疲れ様です。--Kliment A.K. 2008年3月14日 (金) 07:02 (UTC)

「リェヴィシャの聖母教会」改名について

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いつもお世話になっております。世界遺産の一部となっているコソヴォの「リェヴィシャの聖母教会」について、記事名を改めるべきかどうかについてお知恵を拝借したく存じます。今のところ、「リェヴィシャの生神女教会」への改名提案を考えています。よろしければご意見をお願いいたします。--Peccafly 2008年3月22日 (土) 09:48 (UTC)

こちらこそお世話になっております。仰る記事名につき、極めて前向きに考えさせて頂きたく思います。--Kliment A.K. 2008年3月23日 (日) 10:27 (UTC)
ご意見ありがとうございました。おかげさまで自信をもって改名提案を提出できました。正教会に通じておられるWikipedia日本語版の最も活発な執筆者として、何かとKlimentさんに甘えさせていただくことが多く、いつもとても助かっております。--Peccafly 2008年3月23日 (日) 15:08 (UTC)
こちらこそ、バルカンを中心に色々とお世話になっております。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年3月23日 (日) 18:21 (UTC)

ページの検証と修正のお願い

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お久しぶりです。藪から棒に失礼しますが、東欧諸国のビザンティン建築#ルーシの節をちょっとチェックしていただけませんでしょうか? 特に表記については正教会の目から見て検証し、「正教会的に正しい日本語名」に修正していただきたいのです。この辺りになると、私の手には負えません。ノート:東欧諸国のビザンティン建築に経緯についてのコメントがあります。併せてご覧いただけると幸いです。

図らずもすっかり深夜(というか朝)になってしまいました。修正してみてわかったのですが、非常に骨の折れる仕事でした。ですので、お時間に余裕があれば、で構いません。ただ、他にこのような役目を果たせそうな人も思い浮かびませんので、適当な時期にご足労願えると助かります。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月4日 (金) 18:26 (UTC)

ПРУСАКИНさん、修正お疲れ様です。いずれ手を入れなければならない箇所だと考えておりました。本当にありがとうございます。折を見て検討させて頂き、尚必要があれば修正させて頂きたく思います。--Kliment A.K. 2008年4月4日 (金) 19:33 (UTC)

よろしくお願いします。修正後あるいは検討後にはテンプレートは除去してしまって構いません。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月5日 (土) 09:05 (UTC)

キリスト教の脚注・参考文献について

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キリスト教関係の記事編集で、たいへんお世話になっています。Klimentさん宛てに直接何かを書くのは、確か初めてですが、これからもよろしくお願いします。

ノート:キリスト教で記事のフォーマット上の問い合わせをしておりますのでよろしければコメントください。

蛇足ですが、井戸端に出しておられた件、見ていられなくなり、ついついコメントを入れさせていただいています。御容赦ください。腹を立てるお気持はよく判りますし、私が当事者だったら逆上しているでしょう。しかし、しばらく様子を見ておられるほうが良いと思います。なるようにしかならないと思いますし。--おーた 2008年4月17日 (木) 00:04 (UTC)

おーたさん、お知らせ頂きありがとうございます。また、お心遣いをありがとうございます。私が本当に腹を立てたのは事実無根のソックパペット疑惑についてですが、もう少し、気をつけて冷静になってみます。--Kliment A.K. 2008年4月17日 (木) 00:08 (UTC)

強制投票制度の改名方法について(お礼)

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改名手続きについて懸念を持っていましたが、適切な方法を教えていただき、ありがとうございました。改名提案を掲載してから、ほとんどすぐにご指導いただくとことが出来たので、あまりの早さに驚いております。--ポチ2号 2008年4月20日 (日) 15:46 (UTC)

ご丁寧にメッセージをありがとうございます。丁度改名提案をチェックしておりましたところでしたのですぐに対応させて頂きました。門外漢の分野ですので改名提案そのものに対しましては賛成も反対も出来ませんでした御無礼をお赦し下さい…。ただ、ノートページで御指摘の解明理由の内容は非常に勉強になりました。ありがとうございます。--Kliment A.K. 2008年4月20日 (日) 15:49 (UTC)

Kliment.A.K.様。ご挨拶が遅れましたが、予定どおり2008年5月5日(月)に、「強制投票制度」から「義務投票制」への改名を行いました。改名方法を教えていただいたおかげで、安心して作業をすることが出来ました。ありがとうございました。--210.131.4.163 2008年5月9日 (金) 10:38 (UTC)

上記のメッセージはポチ2号からのものです。ログインせずに、報告のメッセージを書いてしまいました。失礼しました。--ポチ2号 2008年5月9日 (金) 10:40 (UTC)

ペトロバヴロフスキー大聖堂とペトロパブロフスク要塞についてコメント依頼

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ノート:ペトロバヴロフスキー大聖堂にコメントをいただけると助かります。私としては「V」は「ヴ」で表したいこと、ロシア語内の事情である形容詞語尾を日本語名に反映させる必要はないと考えること、から「ペトロパヴロフスク○○」に修正したいと思うのですが、正教会的な観点からいうとどうであるか、参考にしたいと思います。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月18日 (日) 12:32 (UTC)

Wikipedia:削除依頼/豊橋ハリストス正教会の件ですが、完全ソ連スタンダードで著作権に疎い私には持て余す案件であります。いちおうコメントはしましたがあまり実質的意味を伴っていないと思います。参考程度になれば幸いですが……。あくまでオフレコな個人的意見としては、あの程度の文章で著作権??というのが正直な感想です。ただ、もしリンク先のあの程度の文章で著作権が絶対視されるということであれば、問題のページの初版は著作権違反の可能性はあると思います(似ていないとのことですが、細かく分断してみれば、ポイントポイントが似ています)。万が一削除になった場合は、どうか削除賛成者のことを悪く思わず(彼らとてただシステマチックに動いているだけです。よい記事であれば誰でも削除は悲しい)、気を取り直して再投稿されることをお願い致します。現時点では、削除か存続か微妙なところであると思われます。

なお、上の大聖堂の件については調査を待って改名したいと思います。どうぞよろしくお願いします。--PRUSAKYN 2008年5月31日 (土) 14:08 (UTC)

Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/「美智子 (皇室)」の改名提案について

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Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/「美智子 (皇室)」の改名提案についてでは結局美智子を独立ページとして作成できる可能性が高くなりました。問題はひとつ、誰がそのようなページを作るのかです。どうでしょう、Kliment.A.K.さんにご助成いただけないでしょうか。Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/「美智子 (皇室)」の改名提案について#要件1:曖昧でなく理解しやすいものの最後の辺りを見ていただくだけで状況は理解できると思うのですが、美智子の話題性はミッチー・ブームくらいしかないわけですが、このブームと関連付けて記述することができるか、という点がポイントになります。無理にとは申しませんが、議論の発端となった編集もありますし、もし何かよい案なり誰かがページを作成する際に参照できるような出典元を見つけたりしましたら、あちらのノートにでもお知らせいただけると助かります。--PRUSAKYN 2008年6月2日 (月) 16:46 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼/呆庵入道について

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はじめまして、現在Wikipedia:投稿ブロック依頼/呆庵入道に次いでWikipedia:コメント依頼/呆庵入道が出されています。 ブロックでは私も極論すぎるので看過しましたが、コメントなら彼のやり放題を注意喚起できるかと思い、できましたらコメントなりをよろしくお願い申し上げます。--221.243.86.106 2008年6月23日 (月) 18:07 (UTC)

ウィキプロジェクト 東ヨーロッパ

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こんにちは! いつもお世話になっております。作成して、これからご挨拶に伺おうかと思っていた矢先に早くも参加くださり、大変驚いております。東ヨーロッパと正教会は切っても切れない関係ですし、いつもKlimentさんの作成される記事は興味深く読ませていただいております。強力な援軍の到来に大変喜んでおります。今後ともよろしくお願いいたします。--Peccafly 2008年6月25日 (水) 15:51 (UTC)

Peccaflyさん
わざわざ御挨拶を頂き、ありがとうございます。以前、Peccaflyさんのページに書き込みをさせて頂いた折、ウォッチリストに追加させて頂いたのですが、それで利用者ページの更新に気付きましてプロジェクトにも伺ったという次第です。微力では御座いますが(むしろ地理関係の記事でお世話になる事の方が多いと思います)、今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年6月26日 (木) 15:58 (UTC)
  1. ^ Wife of the Patriarch, by Evgeniy Sidorenko, Moscow News, № 21 (2001-05-22)
  2. ^ Евгений Комаров. Замужем за Патриархом The unexpurgated version of the article by the Patriarch's former personal correspondent with photographs.
  3. ^ a b c Confirmed: Russian Patriarch Worked with KGB, Catholic World News, retrieved 29-12-2007
  4. ^ Russian Patriarch "was KGB spy"
  5. ^ Chekists in Cassocks: The Orthodox Church and the KGB - by Keith Armes, Demokratizatsiya
  6. ^ The Russian Orthodox Church under Patriarch Aleksii II and the Russian State: An Unholy Alliance? - by Leslie L. McGann, Demokratizatsiya
  7. ^ Christopher Andrew and Vasili Mitrokhin, The Mitrokhin Archive: The KGB in Europe and the West, Gardners Books (2000), ISBN 0-14-028487-7
  8. ^ a b Yevgenia Albats and Catherine A. Fitzpatrick. The State Within a State: The KGB and Its Hold on Russia - Past, Present, and Future. 1994. ISBN 0-374-52738-5, page 46.
  9. ^ a b Konstantin Preobrazhenskiy - Putin's Espionage Church, an excerpt from a forthcoming book, "Russian Americans: A New KGB Asset" by Konstantin Preobrazhenskiy
  10. ^ The Wall Street Journal, 'Cold War Lingers At Russian Church In New Jersey' December 28, 2007
  11. ^ The Putin System, video N4
  12. ^ "Official spokesman for the Moscow Patriarchy Father Vsevolod Chaplin labeled such reports as "absolutely unsubstantiated" in a Wednesday interview with Interfax. "There is no data indicating that Patriarch Alexy II was an associate of the special services, and no classified documents bear his signature," he said. "I do not think that direct dialogue between the current patriarch and KGB took place," Father Vsevolod continued. However, "all bishops communicated with representatives of the council for religious matters in the Soviet government, which was inevitable, since any issue, even the most insignificant one, had to be resolved through this body. It is quite another matter that the council forwarded all its materials to the KGB," he said." Moscow Patriarchate Rejects Times Repor of Alexy II'S Collaboration with KGB, Sept 20, 2000 (Interfax) "Chaplin, the church spokesman, said in March, "Nobody has ever seen a single real document that would confirm the patriarch used his contacts with Soviet authorities to make harm to the church or to any people in the church." Russia's Well-Connected Patriarch, Washington Post Foreign Service , 23 May 2002; "Father Chaplin said: 'In recent times many anonymous photocopies of all sorts of pieces of paper have been circulated. In none of them is there the slightest evidence that the individuals we are talking about knew that these documents were being drawn up, or gave their consent. So I don't think any reasonably authoritative clerical or secular commission could see these papers as proof of anything.'", Russian Patriarch 'was KGB spy', The Guardian (London) , February 12, 1999
  13. ^ Yevgenia Albats and Catherine A. Fitzpatrick. The State Within a State: The KGB and Its Hold on Russia - Past, Present, and Future. 1994. ISBN 0-374-52738-5, page 46.
  14. ^ Nathaniel Davis, A Long Walk to Church: A Contemporary History of Russian Orthodoxy,(Oxford: Westview Press, 1995),p .96 Davis quotes one bishop as saying: "Yes, we -- I, at least, and I say this first about myself -- I worked together with the KGB. I cooperated, I made signed statements, I had regular meetings, I made reports. I was given a pseudonym -- a code name as they say there... I knowingly cooperated with them -- but in such a way that I undeviatingly tried to maintain the position of my Church, and, yes, also to act as a patriot, insofar as I understood, in collaboration with these organs. I was never a stool pigeon, nor an informer."