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利用者:Akai tomato/sandbox

倉掛英彰(くらかけ ひであき)
出身地 日本の旗 日本 福岡県
ジャンル ロックンロール
パンク・ロック
リズム・アンド・ブルース
パブロック
ニュー・ウェイヴ
ブルースロック
フォークロック
ネオアコ
活動期間 1979年 - 1988年
2004年
レーベル テイチク コンチネンタル
1986年 - 1987年)、GRYDER OFFICE、GRYDER WORKS


倉掛英彰くらかけ ひであき)は1960年北九州市若松区で生まれ、1986年ロックバンドNEW DOBBとしてテイチクレコードからデビューした日本ロックアーティスト


概要

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ボーカルギター作曲、ラジオDJ、MC映像作家グラフィックデザイナー等マルチクリエイター。

通称HIDE。1960年北九州市若松区に誕生。浜町小学校、星陵中学校出身。中学1年の時に2つ上の兄の影響でギターを手にする。中学2年でその兄、同級生らとロックバンドNEW DOBBを結成。若松区にある高塔山野外音楽堂で、隣の向洋中学校出身「バラ族」(後のザ・ルースターズ)らとともに、練習に明け暮れると同時に、若松体育館小ホールでコンサート等を自主企画するなどの活動で腕を磨く。

2つ上のベーシストだった先輩が、髪を長く伸ばしていた事に憧れ、バンドの盛んだった北九州市八幡東区にある進学校、八幡高等学校へ入学。高校1年の夏に、戸畑市民会館で開催されたコンテスト「北九州市民音楽祭」にて、グランプリを獲得。演奏曲はギターインストナンバージェフ・ベック哀しみの恋人達」。会場が静まりかえるほどの好演で市内の音楽関係者に注目される。

その年の暮れに、「バラ族」ボーカル井上ひろし(エロ)から声がかかり、サポートギターとして翌年1月、門司文化会館での{{サンハウス]]等が出演するコンサートに「バラ族」として参加。メンバーはVo.エロ、G.大江慎也、B.おしょう、Dr.池畑潤二、そしてG.倉掛英彰(HIDE)。その時、帰りの門司港駅で鮎川 誠と出会う[1]。その日をきっかけに、当時若松区に住む鮎川 誠、シーナ夫妻との親交がはじまり、練習場でもあった高塔山野外音楽堂での多くのエピソード[2]が誕生する。

エロからの正式オファーを丁重にことわり、自身のバンド「NEW DOBB」の活動に戻ったHIDEは、高校2年の夏、北九州市民音楽祭にて2年連続のグランプリ。1977年10月に能古島アイランドパークで開催された、ヤマハ主催の全九州におけるコンテスト「L-MOTION ROCK」でも本選大会で見事グランプリを獲得。演奏曲はウィッシュボーン・アッシュのカバー曲「Runaway」と、HIDE作曲の「With a true heart」。いずれも長いギターソロがメインの楽曲で、審査員の竹田和夫(クリエイション)、洪 栄龍らに認められ上京を勧められるも、当時まだ高校2年生という事で両親からの猛反対もあり断念。プロミュージシャンの夢は、ひとまずの大学進学後に考える事となる。

実家より60km以上離れた福岡市にある福岡大学法学部経営法学科へと進学するも、バンド活動のため下宿はせず、あまりに通学時間がかかるためにほとんど出席せずに北九州でのバンド活動に夢中となる[3]。 時代はハードロックからパンクロック全盛、NEW DOBBもブリティッシュ・ビートの楽曲メインとなり、ファッションもパンクエアーにモッススーツ。次第にギターソロを弾く機会もなくなり、ボーカル中心のニューウェーブスタイルが定着する。

TNC福岡放送での人気番組「エルモーション・ラグ」へ出演。FM福岡「ライブ イン 福岡」、伝説のライブハウス「'80s FACTORY」等への出演をきっかけに、再び地元での頭角を現し始めた1980年、後の「高塔山ジャム」の原型として語られる「ライブ イン ワカマツ[4]」をニュードブ・カンパニーとして制作。地元若松初凱旋のシーナ&ロケッツを始め、メジャーデビュー初凱旋の「ザ・ルースターズ」等の話題性もあり、若松体育館大ホールに1500人を集めて大成功。鮎川 誠の紹介もあり、複数回の東京ライブツアーへと出るなど、ますます地元での地位を固めたかに思われた直後の1983年4月15日、自営業だった父親が死去。兄とのバンド活動でもある事で、1年間の活動を休止せざるを得ない状況に陥る。

1984年、兄の脱退とともにメンバー再編。HIDEがリーダーとなる第二期「NEW DOBB」活動開始。キーボードを取り入れた80年代ニューウェーブサウンドへと変化していき、活動も北九州市と福岡市を頻繁に行き来するようになり、当時の音楽雑誌「Blue Jug」等に多く掲載されるようになった1985年10月、3度目となる北九州市民音楽祭グランプリをきっかけに、地元での人気に火が付き、当時ホームグランドだったライブハウス「Hard Days Night」に多くの人が詰めかけ、ホール展開へと成長していく。直後の北九州貿易開館ホールで400人集客し、いよいよ東京進出に決意を固め、レコード会社からのオファーも聞こえてきた。


当時、チューリップ甲斐バンド等を輩出したKBCラジオ「歌え若者」への出演をきっかけに、カリスマディレクターとして有名だった岸川 均に注目され、同キー局「フレッシュ サウンド コンテスト」へ参加。長崎公会堂での九州大会へと駒を進めるも、惜しくも無冠。グランプリは地元長崎の「横道坊主」。ただ、演奏直後に観客から起こったのスタンディング・オベーション、後に長崎ファンクラブができる好演であった。また、横道坊主とも意気投合することで、直後に数回、長崎と北九州でのツーマンライブを行っている。


同年、キティレコード・オーデションに参加。すでに同メーカーディレクターからのデビューオファーをいただいていたにも関わらず、グランプリは福岡市のTHE KIDS。悔しくもそれをきっかけに、THE KIDSヒートウェーブらと親交を深める。


そしていよいよ1986年、テイチク・コンチネンタル・レコードより、不二家とのCMタイアップでメジャーデビュー。シングル『パラレルワールド[5]』4/21、アルバム『Totem Pole[6]』7/21発表。同時に北九州のライブハウスin & outでの2日間ライブにて凱旋。伝説の福岡スポーツセンター「ジャンピング ジャム」出演。さらに12インチシングル『Play to the beat[7]』を発表し、渋谷eggman、新宿ロフトを中心に徐々に人気を集め、全国ツアーへと活動を延ばすも1987年に惜しまれつつも解散。


その後THE NO-NAME~THE GRYDERとして継続したバンド活動の中、1988年吉祥寺にてライブハウス「J・J・TIC」のプロデュースを担当。そしてミーナ(ミーナ&ザ・グライダー)と結婚。作曲家として沢田研二[8]らに楽曲提供。シーナ&ザ・ロケッツ主宰イベント『Red Rokkets Show』への出演や、赤と黒を率いた岩口タカ&クリープショウへの参加で、内田裕也主宰『ニューイヤーロックフェスティバル』出演などの活動他、東京小金井にある宮地楽器でのギター講師等を努めながら、1994年、Macを手に入れたことでクリエイターとしての活動を開始。1998年、制作プロダクションとして有限会社グライダーオフィスを創業

2004年、地元北九州crossfmでの番組「Dobbのロック塾」を制作のためにミーナ他2人の娘とともに帰郷。後続番組「DO! ROCK」にてナビゲーターデビュー。また、翌年から2010年まで「高塔山ジャム」を実行委員長として開催他、ミネハハ等への楽曲提供、地元北九州市小倉北区魚町銀天街の総務省認可 ユビキタスモール事業でのイメージソング『Ubiquitous』や複数のゲームミュージック制作等活動後の2012年、アーティスト名を『Gryder』(グライダー)として同年6月、ミニアルバム『HOT ACTION!』をリリース。

2013年、ミーナをボーカルに、ユニット『MEENA & THE GRYDER(ミーナ&ザ・グライダー)』を結成。元『なしか』のフクヤマワタル(ベース)らをサポートメンバーに活動開始。 2014年東京福生市UZU、渋谷テイクオフ セブン、eggman、南青山レッドシューズ「豚骨ロック」等へのツアーを精力的に展開し、株式会社アップル不動産テレビCMにて楽曲「ICE COFFEE SMALL ONE」とともに出演。 2015年FM KITAQとAir Stasion HIBIKIの2局ネットでラジオ番組「北九ロック REAL RADIO」開始。2016年5月、故郷若松をイメージしたシングル「赤くぬれ!」を発表。メジャーダウンロードサイトでの配信を開始。 2017年5月には、飯塚オートレースによる全国オートレース イメージソング「オートレース」を発表。テレビCMや中継放送でのパワープレイ曲にも選ばれ話題となり、7月ミーナ&ザ・グライダー1 stアルバム「LOVE FOR YOU」を発表。シナロケ、ロックンロール・ジプシーズ夏木マリダイアモンド☆ユカイ織田哲郎の「ROLL-B DINOSAUR」、ROLLY横道坊主、VooDoo Hawaiiansなど、多くの有名バンドを招聘した「高塔山ロックフェス」を総合プロデューサーとして構築。また、高校生軽音楽部連盟北九州支部とも連携し、オープニング アクトとして起用するなど、「北九州から全国へ」をコンセプトに地元音楽文化振興への力を注ぐ。

ディスコグラフィ

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シングル

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  1. パラレルワールド/ワーストシネマ (1986年4月)NEW DOBB
  2. 赤くぬれ!/Don't Stop You (2014年5月)MEENA & THE GRYDER

アルバム

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  1. Totem Pole(1986年4月21日)NEW DOBB
  2. Play to the beat(1987年3月21日)NEW DOBB
  3. HOT ACTION!(2012年6月28日)NEW DOBB
  4. LOVE FOR YOU (2017年7月20日)MEENA & THE GRYDER

編集盤

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  1. Early to Late (2000年8月)

脚注

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  1. ^ 後日『この日が「北九ロック」のはじまり』だとHIDEは語っている
  2. ^ 高塔山伝説  その昔、ギターを持つと不良だといわれた時代…。練習スタジオなど皆無で、ライブハウスも存在しない時代。ふもとの民家に一升瓶ひとつで機材の保管をお願いして、セミの鳴く暑い夏の日も、小雪舞う凍えるような冬の日も、毎日毎日リハーサルを繰り返す高校生のバンドがいた。その名は「バラ族」。彼らはここでオレ達「NEW DOBB」と出会い、日本の重鎮シーナ&鮎川 誠氏とも出会った。やがて彼らも成長を遂げ、日本のカリスマ「The Roosters」となった。
  3. ^ 留年につぐ留年で、6年がかりでの卒業証書授与
  4. ^ これをきっかけに市の職員に認められ、翌年成人式での挨拶をすることに
  5. ^ 国立国会図書館 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008614044-00
  6. ^ 国立国会図書館 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008614591-00
  7. ^ 国立国会図書館 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008815328-00
  8. ^ 1991年6月14日東芝EMIよりリリース「PANORAMA」に収録

外部リンク

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  • [1] - 公式ウェブサイト

[[Category:日本のロック・アーティスト]] [[Category:テイチクエンタテインメントのアーティスト]] [[Category:1960年に生まれたアーティスト]]