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利用者:20世紀(前半)美術/写真年表暫定版

以下、20世紀前半から始めて暫定的に作成中(作成検討中)。ある程度情報がふえたところで、本当の記事に移したいと考えています。


写真年表(しゃしんねんぴょう)は、写真史日本写真史世界写真史)に関わる主要な事項(美術的または技術的事項)を時系列的に列挙した年表。

写真(日本) 写真(海外) その他美術(日本) その他美術(海外) その他一般事項 備考
1923年 『アサヒグラフ』創刊 - 村山知義帰国、MAVO結成 - 関東大震災 -
1924年 フォトタイムス』創刊 雑誌『AIZ』創刊 『三科造形美術協会』結成 シュルレアリスム宣言 第1次国共合作 -
1925年 - 『絵画・写真・映画』刊行(ラースロー・モホイ=ナジ - - 普通選挙法治安維持法 -
1926年 アサヒカメラ』創刊 - - - 北伐開始 -
1927年 中山岩太帰国 - - - - -
1928年 - 雑誌『Vu』創刊 - - 張作霖爆殺 -
1929年 - - 「二科会第16回展」(シュルレアリスム作品(古賀春江など)が多く発表された) - 世界大恐慌 -
1930年 丹平写真倶楽部』結成。『芦屋カメラクラブ』結成。『新興写真研究会』結成 雑誌『USSR in Construction』創刊 - 『セルクル・エ・カレ』・『アール・コンクレ』それぞれ結成 ロンドン軍縮条約 -
1931年 独逸国際移動写真展 - 福沢一郎帰国 『アプストラクシオン・クレアシオン』結成 満州事変柳条湖事件 -
1932年 光畫』創刊(1933年まで18号)。写真集『カメラ・眼×鉄・構成』(堀野正雄)。名取洋之助帰国 f64結成 『巴里東京新興美術展』 - 五・一五事件満州国建国 -
1933年 「日本工房(1次)」設立。『満洲グラフ』創刊。写真集『初夏神経』(小石清)。展覧会『写真の女の顔・20点』(野島康三 - - - 国際連盟脱退の詔書 -
1934年 「日本工房(2次)」設立、雑誌『NIPPON』創刊 - - - ヒトラー総統に就任 -
1935年 - FSAプロジェクト - - - -
1936年 写真集『眠りの理由』(瑛九 フォト・リーグ結成。雑誌『LIFE』創刊 雑誌『デセグノ』創刊 - 二・二六事件 -
1937年 - - 『海外超現実主義作品展』。雑誌『プレスアルト』創刊 ニュー・バウハウス設立 日中戦争盧溝橋事件)。第2次国共合作 -
1938年 前衛写真協会』結成。雑誌『写真週報』創刊 - - - 国家総動員法 -
1939年 - - - - 第二次世界大戦開始 -
1940年 写真集『メセム属』。写真集『光』(丹平) - - - 日独伊三国軍事同盟大政翼賛会 -
1941年 「東方社」設立。福沢一郎・瀧口修造が検挙される - - - 真珠湾攻撃 -
1942年 雑誌『FRONT』創刊 - - - - -
1943年 - - - - - -
1944年 - - - - - -
1945年 - - - - 第二次世界大戦終結(ポツダム宣言受諾) -

1940年~1945年日本写真史完全年表

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情報が絶対的に不足しているこの時期について、できる限り情報を集めてみようと思います。

写真(日本) 写真(海外) その他美術(日本) その他美術(海外) その他一般事項 備考
1937年
(昭和12年)

『小型カメラの写し方・使ひ方』(木村伊兵衛・玄光社(写真技術大講座))。
『スナップ写真の狙い方・写し方』(渡辺義雄・玄光社(写真技術大講座))。
精機光学工業株式会社(現キヤノン)設立(精機光学研究所から改称)。
2月、林銑十郎首相のポートレート(木村伊兵衛撮影・『LIFE』掲載)。
6月(5月~11月)、パリ万博・写真壁画(国際観光局「日本観光」(木村伊兵衛、渡辺義雄、小石清ら、国際文化振興会「日本の住生活」と「日本の教育生活」(渡辺義雄)))。
9月、内閣情報委員会が内閣情報部に改組。
10月、藤本四八が日本工房に入社。
11月、「日本を知らせる写真展」(木村伊兵衛・外務省助成・海外も巡回)。

- 『海外超現実主義作品展』。雑誌『プレスアルト』創刊 ニュー・バウハウス設立 日中戦争盧溝橋事件)。第2次国共合作 -
1938年
(昭和13年)

前衛写真協会』結成。
2月、雑誌『写真週報』創刊(内閣情報部)。
7月、『写真協会』設立(内閣情報部の補助団体。翌年財団法人化)。
7月、青年報道写真研究会(土門拳、藤本四八、濱谷浩、田村茂、林忠彦、杉山吉良ら20名程度)設立。
『Japan through a Leica』(木村伊兵衛・三省堂←「日本を知らせる写真展」)。
『會地村 一農村の写真記録』(熊谷元一・朝日新聞社)。
プレス・ユニオン・フォトサービス設立(写真通信社・上海・名取洋之助)。
サウス・チャイナ・フォトサービス設立(広東・名取洋之助)。
日本工房、雑誌『SHANGHAI』および雑誌『CANGTONG』創刊。

- - - 国家総動員法 -
1939年
(昭和14年)

土門拳、日本工房退社、国際文化振興会・嘱託に。
5月、日本工房が国際報道工芸に改称(改組)。

- - - 第二次世界大戦開始 -
1940年
(昭和15年・紀元2600年)

写真集『メセム属』。
写真集『光』(丹平)。
12月、興亜写真報国会結成。
報道技術研究会結成(約60名)。
12月、内閣情報局設立(←内閣情報部が発展)。

- - - 日独伊三国軍事同盟大政翼賛会 -
1941年
(昭和16年)

1月、「東方社」設立。
1月(実際の発売日は1940年12月)、写真雑誌が四誌(『写真文化』、『アサヒカメラ』、『写真日本』、『報道写真』)に統合。
5月、「流氓(るぼう)ユダヤ」発表。
福沢一郎瀧口修造が検挙される。
日本報道写真協会(←日本報道写真家協会←青年報道写真研究会)。

- - - 真珠湾攻撃 -
1942年
(昭和17年)

雑誌『FRONT』創刊。
3月、安井仲治死去(腎不全)。

- - - - -
1943年
(昭和18年)

土門、第1回アルス写真文化賞受賞。
9月、土門の筆禍事件(『日本評論』掲載の「対外宣伝雑誌論」→発禁となる)。

- - - - -
1944年
(昭和19年)

3月?、興亜写真報国会が大日本写真報国会に改称(改組)(会長・村田五郎)。

- - - - -
1945年
(昭和20年)
- - - - 第二次世界大戦終結(ポツダム宣言受諾) -

関連項目

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