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福山市独居老婦人殺害事件

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下書き:福山市独居老婦人殺害事件

福山市独居老婦人殺害事件
場所 日本の旗 日本広島県福山市山野町山野[1]
日付 1992年平成4年)3月29日 (UTC+9)
攻撃手段 石で頭を殴って失神させ、ビニール紐で首を絞める[2]
攻撃側人数 2人
武器 ビニール紐、石[2]
死亡者 1人(女性A)
被害者 女性A
損害 現金3,000円、預金通帳2冊など
犯人 男2人(主犯N従犯X
動機 金銭への困窮[3]、サラ金からの借金[4]
対処 犯人2人を逮捕起訴
補償 Nが不正に引き出したAの預金について、Nの母親が分割返済したのみ[5]
刑事訴訟
影響 参照: 被害者Aの地元では事件後、住民の警戒心が強まった[6]
管轄
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福山市独居老婦人殺害事件(ふくやまし どっきょろうふじんさつがいじけん)は、1992年平成4年)3月29日広島県備後地方で発生した強盗殺人事件。

三原市大畑町で一人暮らししていた高齢女性A(事件当時87歳)が同県福山市山野町の山中(山野峡付近)で、顔見知りの男2人 (NおよびX)によって殺害・遺棄された[9]。その後、Nは被害者Aが銀行などに預けていた預金を不正に引き出した。主犯であるNは1973年(昭和48年)にも山口県宇部市で強盗殺人事件を起こして無期懲役に処された前科があり、事件当時は同刑の仮釈放中だった[10]。被害者が三原市に在住していたことから、広島県三原市内における独居老女強盗殺人等事件とも呼称され[11]、また『中国新聞』の記事見出しでは三原の老女殺し[12]三原の女性強殺[9][13]といった名称が用いられる場合がある。

刑事裁判で犯人の男2人は有印私文書偽造、同行使詐欺、強盗殺人の罪に問われ、従犯Xは無期懲役確定、主犯Nは2007年(平成19年)に最高裁死刑が確定している[13][14]第一審および控訴審ではXだけでなく、死刑を求刑されていたNにも無期懲役の判決が言い渡されたが、死刑回避を不服とした検察官が上告したところ、最高裁で破棄差戻しの判決が言い渡され[9]、差戻後の控訴審ではNに死刑が言い渡された[10]。このように検察官が死刑求刑事件で無期懲役の控訴審判決を不服として最高裁へ上告した事例[15]、そのような上告が認められて原判決が破棄差戻された事例[9]、差戻後の控訴審で死刑が言い渡された事例は[10]、いずれも4人連続射殺事件永山則夫以来、戦後2件目である[15][9][10]

犯人

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主犯N

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主犯である男N・S(以下「N」)は1953年(昭和28年)1月13日、山口県宇部市で出生した[16][17][18]本籍地は同県小野田市(現:山陽小野田市[19]2022年令和4年)9月27日時点で[20]、Nは死刑確定者(死刑囚)として広島拘置所収監されている[21](現在71歳)。

生い立ち

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Nは両親にとって第5子(長男)として生まれ、待望の男の子だったことから非常に甘やかされて育った[18]。1968年(昭和43年)3月に中学校を卒業したが、父親が病気療養中だったことから高等学校への進学を断念、山口県立の職業訓練所に進んで大工の技術を学び、1年後に工務店で大工見習いとして働き始めた[18]。しかし親方の妻と喧嘩をして約5か月で退職し、後に運輸会社でフォークリフト運転手として働き始めたが、1971年(昭和46年)1月ごろからはオートレースやボートレースに興味を持ち、大当たりしたことがきっかけで熱中するようになっており、これが後の前科事件の引き金となった[18]。同年8月ごろ、Nは下請け会社の従業員更衣室からカメラを盗む事件を起こして逮捕される[18]。同事件については家庭裁判所で不処分の決定を受けたが、Nは同事件後に勤務先を退職し、別の運輸会社でフォークリフト運転手などとして勤務して両親を扶養していた[18]

強盗殺人前科

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Nは1973年(昭和48年)10月25日、山口県宇部市で知人の主婦(当時55歳)を刺殺して現金5万3,000円と預金通帳2冊(額面39万円)を奪う強盗殺人事件を起こし[22]、無期懲役に処された前科がある[23]。同事件の被害者である主婦は、かねてからNと家族ぐるみで親しく近所付き合いをしており、後に転居していた[18]

Nは同事件前からオートレースなどの資金として勤務先から給料を前借りしたり、知人や高利の金融業者から借金を重ねていた[18]。やがて、その知人の1人から借金の返済を再三にわたって強く求められたため、オートレースなどで大穴を当ててその配当金で全借金を返済しようと思い立ち、同月にはさらに他の知人から金を借りたほか、主婦を訪ねて借金をし、オートレースやボートレースに出掛けた[18]。しかし犯行当日の同月25日までに所持金のほとんどを使い果たしてしまい、いよいよ返済資金に窮したことから、その帰宅途中に返済資金を得る方法について考えを巡らせた末[18]、主婦が日中は一人で留守番をしていることを思いつく[24]。そこで主婦に刃物を突きつけて脅迫した上で現金を奪い、顔見知りである彼女を殺害して犯行を隠蔽することを考えた[18]。Nはその実行のために着用する軍手と、主婦の警戒心を逸らすための手土産として梨を購入し、同日16時30分ごろになって主婦宅に赴いた[18]

Nは主婦宅に上がらせてもらうと「梨狩りに行ってきた」などと話をして安心させながら[24]、犯行の機会を窺い、台所のガス台近くに包丁があることを確かめた[18]。一方では犯行を逡巡していたが、17時ごろになって犯行を決意すると両手に軍手をはめ[24]、台所から野菜包丁を持ち出した[22]。Nは手に持った包丁を主婦の胸付近に突きつけて脅迫した上で執拗に金を出すよう求め、現金5万3,000円を差し出させると、犯跡を隠蔽するため、主婦の首付近を包丁で2、3回突き刺した。主婦はガラス窓を開けて近所に助けを求めようとしたが、Nは主婦の背後から衣服を掴んでうつ伏せに引き倒すと、包丁でその背中を力いっぱい突き刺して致命傷を負わせ[注 1][24]、先述の現金以外にも預貯金通帳2冊や印鑑などが入った手提げかばん、がま口などを奪って逃走した[18]。主婦は現場付近の病院に収容された時までは意識があったが、翌26日10時ごろ、刺された肺の出血が原因で呼吸麻痺を起こして死亡した[注 2][25]。凶器の包丁(刃渡り約20cm)や血の付いた軍手・ジャンパーは同市沖の山の埋立地に遺棄されていた[25]

主婦が病院に搬送された際、顔見知りのNが犯人であることを証言したため、Nは強盗殺人容疑で全国に指名手配され[25]山口県警察宇部警察署に合同捜査本部を設置してNの行方を追った[26]。Nは逃走後、いったん青森まで逃げたが仕事が見つからず、徳島県徳島市内で大工として働いていたが、主婦が死亡したことは知らず、同年12月16日に事件のことが気になって三原市の義兄宅を訪れたところ、同居中の両親に説得されて宇部署に出頭、強盗殺人容疑で逮捕された[26]。なお事件直前(23日・24日)に宇部署は県警本部の指示を受けて強盗事件の模擬捜査訓練を行っていたが、同事件発生直後に傷害事件として捜査を開始し、緊急配備も市内だけにとどめたため、Nの足取りはほとんど把握できなかった[25]。その後、22時前になって現場から現金が奪われていることが判明したため、強盗傷人事件に切り替えたが、既にNは逃走しており、そのような後手に回った宇部署の手配には市民から非難の声が上がった[25]

Nは強盗殺人罪に問われ、1974年(昭和49年)4月10日に山口地方裁判所(野曽原秀尚裁判長)で、求刑通り無期懲役の判決を言い渡された[22]。量刑不当を理由に控訴したものの、同年9月26日には広島高等裁判所で控訴棄却の判決を言い渡され[27]、同年10月12日付で同判決が確定した[18]。前者の判決理由は犯行が計画的であること、動機に酌量の余地がないことを厳しく指弾していた[22]。また第一審・控訴審の量刑理由はそれぞれ以下のように判示し、Nを死刑に処すことも考えられる重大な事案であることを特に指摘しているが、Nは当時若年でそれ以前に前科もなかったため、死刑を免れて無期懲役となった[28]

本件の動機、原因、計画的かつ残忍極まりない犯行態様、結果の重大性ならびに被害者との関係などを考慮すると被告人の刑責はまことに重大であり、極刑にも値するものといわなければならない。 — 山口地裁 (1974) 、[27]
本件犯行の動機、態様、被害結果等に徴する時、被告人の刑事責任はまことに重大で、極刑に値するものというべく — 広島高裁 (1974) 、[27]

同判決が確定し、Nは約14年9か月にわたって岡山刑務所で服役したが[注 3]、1989年(平成元年)7月20日に仮出獄を許されて出所した[23]。仮出獄を認められた理由は服役態度が真面目であったことに加え、母や姉(義兄の妻)との面会の際にも社会に出たら真摯に贖罪の道を歩む旨の意思を表明していたことや、義兄が身元引受人になったことである[18]。義兄は当時、親類とはいえNとはほとんど交際がなかったが、自身の妻(Nの姉)や義父(Nの父親)、保護司から依頼されて身元引受人になり、後にNを配管工として雇った[29]。出所時、Nは受刑中の領置金や作業賞与金として約25万円を受領した[18]

出所後

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Nは1989年8月20日ごろ、事前連絡をすることなくいきなり家財道具をトラックに積み込み、福山市に住んでいた姉夫婦のもとへ赴き、身元引受人である義兄に頼んでアパートを探してもらった上、保証人になってもらい、彼の経営する会社に配管工として就職した[18]。Nには当時配管工としての経験はな方が、義兄はNが働き始めた時から4年目の行員と同程度の日給7,000円を支給しており、後に増額している[29]。しかし、Nは同年末ごろには「仕事の割に給与や賞与が低い」と不満を漏らし始めていた[29]

また出所直後には、父親から自動車運転免許取得のための費用として50万円をもらい、岡山市内の自動車運転免許教習所に通って免許を取り直していたが、同教習所に通っていた女性・甲と知り合い、父親から結婚費用50万円をもらって甲と結婚している[注 4][30]。Nはしばらくの間は雑用を含めて真面目に勤務していたが、義兄に相談することなく独断で仕事を進めたり、自動車を購入したりしていた[18]。また働き始めてしばらくすると、Nは勤務を疎かにしてパチンコ遊びに熱中し、パチンコ代金として日に数万円を費消したりするようになり[注 5]、出所から2か月後となる同年9月28日には妻である甲に内緒で金融業者であるアイフル福山店から10万円を借金する[32]。パチンコではたまに勝つこともあったが、1万円から2万円ほど負けることが多く、多い日には1日に4万円とか7万円くらい負けることもあり、負けを取り戻そうとしてさらに金をつぎ込む悪循環に陥り、母や甲らからパチンコをやめるように注意されても改めず[18]、不審に思った保護司から生活状況を尋ねられた際も正確な報告をせずに誤魔化した[29]。それ以降、同年11月26日には同店から30万円を借金するなど、借金を重ねてパチンコ遊びを続け、そのために甲がパートに出て月約5万円の収入を得るなどして家計を支えねばならなくなった[32]

また、Nは免許取得費用や結婚資金のほか自動車購入日30万円などを受け取っていたが、その一方で更生保護施設にいる時点で既に、刑務所仲間の娘に高価な贈り物をしたり、知人と酒を飲んだ際に高級酒を奢ったりして散財していた[33]。広島高裁 (2004) はこのようなNの出所後の生活態度について、以下のように批判している。

ところが、被告人は、仮出獄を許されるや、約14年9か月服役したことで責任を果たしたなどと考え、贖罪の途中であることの自覚や反省が乏しく、その遺族に対する慰謝の措置を母親任せにして、自らは何らの措置も講じることなく、周囲の者からの忠告に耳を貸さずパチンコに金をつぎ込んで借金を重ね、その返済資金に窮し、仮出獄後3年足らずで、またもや前回の犯行と同様、遊興による借金の返済のために顔見知りの女性の好意に付け込み、計画的に強盗殺人を実行したのであり、その点において、前回の犯行と顕著な類似性が認められる — 広島高裁 (2004) 、[34]

なお、Nの父親は1990年(平成2年)1月27日に老衰などで死亡している[35]

1990年2月18日、甲は正式にNの妻として入籍し、同年11月7日には甲との間にもうけた長女を出産した[35]。しかしNは一家の柱としての自覚もなく、パチンコ遊びにふける自堕落な生活を続けたため[35]、その資金や長女の出産費用・生活費などに当てるため、更に借金を重ねた[36]。借金の相手には、甲の母親や保護司の妻もいた[29]。やがてNはサラ金からの借金返済のためにサラ金から借金するような状態になるなど、金策に窮するようになった[35]。1991年(平成3年)11月20日ごろ、Nは義兄の目を盗んで会社の客から密かに個人的に防水工事を請け負って私利を図った[35]。これは会社が以前依頼を受けたものの断った仕事を、Nが社主である義兄に無断で請け負ったものであるが[36]、その背信行為が義兄に発覚して会社を解雇された[35]。その後、Nは同社と同業である有限会社[注 6]に配管工として勤務するなどしたが[35]、1992年2月ごろ[36]、同僚と口論するなどしてすぐに退職した[35]。一方でその会社に勤めていたころ、刑務所仲間を通じて知り合ったXと行動をともにするようになり、覗きをしていた男を捕まえて多額の金員を巻き上げるなど、遊興費を得るためには手段を選ばない生活を続けるうち、サラ金などに対する未返済金が630万円余に上ってその返済に窮するに至った[37]

従犯X

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従犯である男Xは1951年(昭和26年)8月19日、静岡県藤枝市で茶農家夫婦の長男として出生したが、直後に両親が離婚し、母親が再婚したため、実母と継父に養育された[36]。Xは高校卒業後、祖父の指導を受けて家業の茶栽培に従事し、1974年(昭和49年)6月に結婚して2児をもうけ、継父や祖父の死後は自らが中心となって家業を営んでいたが、大豆の先物取引を行ったり、残留農薬のために茶の出荷が不能になったりしたことから、計3,000万円の負債を抱え、その支払いなどのために加算の大半を処分せざるを得なくなり、家出を繰り返して荒んだ生活を送るようになる[36]。1978年(昭和53年)6月には妻と離婚し、子供は妻が引き取った[36]

その後は静岡県・愛知県鹿児島県などを転々として窃盗・詐欺などを繰り返し、通算9年あまり服役し、1991年3月27日に最終刑の仮出獄を許されて宮崎刑務所を出所した[36]。同年7月ごろ、山口県防府市内の会社に就職して配管作業などに従事し、同年10月ごろには宮崎市に赴いて1人の男性と知り合う[38]。この男性は岡山刑務所でNと親しくしていた刑務所仲間で、Xは彼とともに広島市に来て土木作業員として働くようになったが、やがてNからの紹介で、1992年1月ごろからは福山市内のアパートに居住し、先述の男性とともにNと同じ会社に就職して配管工として働き始める[38]。しかし貯えをするでもなく、給料は飲食代などに使い切り、サラ金からも約30万円を借金している状態で、金銭的には常に困窮していた[3]。またNがこの会社を退職してからは、自身も会社に居づらくなったことから1992年2月末ごろに退職、その後はアパートを出てホテルやN宅に泊まるなどして、Nと行動をともにするようになった[3]

被害者A

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本事件の被害者である女性A(87歳没)は1905年(明治38年)3月20日に生まれ、1927年(昭和2年)に結婚して5男1女をもうけたが、夫との折り合いが悪く、1954年(昭和29年)10月8日に離婚した[3]。その後、子供らとの連絡を絶って福山市など各地を転々としていたが、後に2人目の夫となる男性と同棲するようになり、1957年(昭和32年)ごろから三原市大畑町229番地の三原八幡宮(座標)境内[注 7]の家(座標[39]を賃借して同居するようになる[3]。1967年(昭和42年)2月1日に再婚したが、土木作業員として働いていた夫が直腸癌に罹患して入院したため、1980年(昭和55年)5月ごろからは生活保護を受けて生活するようになった[3]。1981年(昭和56年)11月に夫と死別してからは次男と連絡を取り、数か月おきに次男がA宅を訪問するようになったほか、次男に連れられて広島県賀茂郡在住の自身の実弟と会うこともあったが、普段は担当民生委員[注 8]が訪問する程度で、近隣住民との交際もあまりなく[注 9]、三原八幡宮境内の家で1人暮らしを続けていた[3]。事件当時のAの住居は、広島県三原市大畑町229西ノ宮八幡宮境内である[41]

Aは足に障害があり、買い物や通院のための外出の際には杖や手押し車を使うことが必要だったが、日常生活はほぼ自力で行っていた[3]。また、桜の時期になると神社境内の桜の木のぼんぼりを点灯する役目を担っていた[40]

事件の経緯

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事件前の動向

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NとXは2人で一緒に稼働できる就職先を見つけようとしたが、適当な就職先が見つからず、Xの提案で茶の訪問販売を始めることになった[42]。同年3月中旬ごろ、2人はそれぞれの母親らに無心して仕入れ資金を調達し、Xの母親の紹介で静岡県内の農業協同組合から緑茶などを仕入れ、山梨県甲府市で茶の訪問販売などを試みるなどしたが、思うように売れず、同月18日ごろに福山に戻った[42]。同月22日、2人は三原市内在住のNの姉から、本事件の被害者Aを含む近隣約10軒を紹介してもらい、A宅を初めて訪問して約2,000円分の茶を買ってもらった[42]。この時、2人はAから24日に病院に行かなければいけないことや、足が悪いので病院への通院が1日がかりになることを聞き、同情したNは車で送迎する旨を約束した[42]。同月24日、Nは約束通りAを病院に送迎し、彼女のために薬局まで薬を取りに行くなどしている[42]

同月28日、Nらは福山市内の明王台団地(座標)で茶の訪問販売をしたが、一向に売れず、この商売を始めたことを後悔するようになった[42]。XはNに対し「盗っ人でもするか」と提案したが、Nは無期懲役刑の仮出獄中の身であり、窃盗で逮捕されても仮出獄が取り消されて長期間の服役を余儀なくされる上、サラ金に対する借金も多額に上っていたことから「半端なことせんと、大きいことやらにゃあ意味がないだろう。同じことやるなら、どでかいことを一発やろうや。」などと言った。さらにXが「一人で住んでる年寄りとか、汚い家に住んでいる方が案外現金を持っとるんじゃないか。」と言ったところ、Nは「ひょっとしたら、〔A〕の婆さんなんか、銭を貯めて持っとるかもしらんのう。」「殺して死体をどこかに隠せば、身寄りもないし、わからんのじゃないか。やるか。」と言い出した[42]。またこの時、NはXに対し「今度もし殺(や)ったら絶対死刑になる」とも言っている[4]。これに対し、Xは一度は「殺さなくても、いいんじゃないの。」と答えてみたが、Nから「顔を知ってるから、殺すしかない。」などと言われると「わかった。」と答え、Aを殺害することに同意した[42]。2人はそのまま殺害方法を相談し、まずNが包丁で刺殺することを提案したが、Xは「血がいっぱい出たらまずいんじゃないか。」と疑問を呈したため、Nも前科事件の際には被害者の主婦を滅多刺しにして大量の血が出たことなどを踏まえて思い直し、証拠を残さないために最も良い方法として紐で絞殺することにした[43]。こうして2人はAを紐で絞殺することを決め、三原市内のコンビニエンスストアで荷造り用ビニール紐と軍手2双を購入したが、ビニール紐1本では首を絞める際に強度が足りないと考えたXが、ビニール紐を八重に束ね、その途中に4か所の結び目を作って長さ1 m余りの紐を作り上げた[44]。さらに2人は、Nが使っていた車が山口ナンバーで人目につきやすいことなどから、夜になるのを待ってA宅を訪問することや[43]、カップラーメンを食べるための湯をもらうことをA宅に上がり込む口実にすることを決め、カップラーメン2個を用意した上で同日19時ごろにA宅を訪ねた[45]。Nは当時、Aの財産について「コツコツ貯めて、少なくとも500万円ぐらいあるんじゃないかなあ。」と推測していた[46]

Aを連れ出す

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A宅に招じ入れられた後、XはAの隙を見てNに「ここでやるんか。」と尋ねたが、Nは金があることを確かめた上でA殺害を実行しようと考え、「もう少し様子を見てみようや。」と答え、仮病を使ってベッドのある奥の部屋に入るなどして[45]、Aの手提げバッグの中にあった預貯金通帳の残高を見た[47]。しかし残高が少なかったため、MはさらにAの所持する現金の多寡を調べるために借金を申し込んでみた[45]。するとAはそれに応じて1万円札13枚を差し出したため、2人はそれを受け取ったが、同時にNはAが他にもかなりの現金を持っているものと考え、Aを殺害する決意を固めた[45]。そしてXに対し、用意してきたビニール紐を出すよう目で合図を送ったが、Xはこの場(A宅)でAを殺害すると死体の処分に困ると考えて躊躇していた[48]。それに加え、近所の人がA宅を訪ねてくるなどした場合に犯行が発覚しやすいこともあって[48]、そのうちにNもAを人気のない場所まで連れ出して殺害した後、再びA宅に戻って金品を物色したほうが得策だと考えるようになった[45]。このため、NがXに対し「〔Aを〕どこかに連れ出すか。」と言ったところ、Xもそれに応じ[45]、2人はAに対し「温泉に行かねえか。」などと言い、22時ごろになってAを誘い出した[48]。Aは家を出る際、玄関を南京錠で施錠していた[2]

NはAを自身の乗用車の助手席に、Xを後部座席にそれぞれ乗せた上で自ら車を運転し、まず福山方面に向かったが、瀬戸大橋ないし高松方面に向かえば人気のない適当な殺害場所があると考え、翌29日1時ごろに瀬戸大橋を渡った[45]。一行は途中与島パーキングエリアで休憩し、高松市内の栗林公園まで行ったが[49]、同公園は市街地にある上に門が閉まっていたために入園できず、周囲にも適当な殺害場所は見つからなかった[50]。Nは仮眠や食事を取りながら高松港付近を走行したが[51]、同港付近で停車していた際にXから「わしが婆さんとホテルに泊まるから、その間に婆さんの家に戻って金を取ってくればええんじゃないか。」と提案されるも、「もう連れ出しているし、泥棒に入っても分かるから、もう殺るしかない。」と却下している[50]。その後、NはXとAを乗車させた上で再び瀬戸大橋を渡り、与島付近の路側帯で仮眠していたところ、8時ごろになって警察か道路公団のパトロールカーに呼び起こされ、児島インターチェンジで高速道路から流出した[50]

殺害

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Nは高速道路から流出して以降も一般道を走行しながら、さらに適当な場所を探したが見つからず、岡山県都窪郡内の村(現:総社市)にあった喫茶店で休憩した[50]。第二次上告審で提出された弁護人の上告趣意書によれば、この喫茶店は同郡山手村にあった「塔見の茶屋」(座標)である[52]。同店では赤いカーディガンを着ていたAの姿を店員らが目撃していた[53]。また休憩後には既に空が明るくなっており、周囲に奥深い山もなかったため、Nは「計画を実行するのは無理だ」という気持ちに傾きかけ、三原方面に向かった[50]。しかし福山市内の国道2号を走行中[50]、Nは同市北方の神辺町[注 10]方面に適当な場所があるのではないかと考え[51]、その旨をXに伝えて同町方面へ進行[55]。北上していたところ「山野峡」と書かれた標識を見たため、人目につかない山深い場所があると考えて標識の示す方向へ向かい、第二櫛ケ端山林道を経由して、同日14時ごろに殺害現場となった福山市山野町大字櫛ケ端山国有林68林班て小班付近の林道に至った[51]。同所は山野峡の約5 km手前から県道を北西に約4 km入った付近で[40]、一般車両通行止めの標識から約1.3 km入った場所に位置しており、林道西側は急傾斜の谷になっていた[51]。現場はハイキングコースから大きく外れており、人の行き来はほとんどなかった[40]。このような理由から、NはここでAを殺害しても人目に付く虞がなく、また谷底に死体を捨てれば容易に死体を隠すこともできると考え、ここでAを殺害することに決めた[51]

殺害現場に到着した2人は軍手をそれぞれ手にはめた上で話し合い[注 11]、NはXに対し「ここで殺る。」と伝えた[2]。これに対し、Xは「ここは国有林だから草の伐採に来るからまずいんじゃないか。」と言ったが、Nは「まだ冬だぞ。まだ月日があるからそれまでにはわからんようになってしまう。」と説得し、決行の意思を変えなかった[57]。NはいきなりAの首を絞めると騒がれて人目に付く虞があると考えたため、Xに対し、Aの後頭部を石で殴って失神させた上で、首を絞めて殺害するということを伝えた[57]。Xは「植木を抜いて行くという話をしてるわ。」と応じ、2人はAを林道端に連れて行った[2]。XがAと中腰でしゃがんで話をしている間に、Nは付近にあった石(縦約15 cm×横約10 cm)を拾い、Aの背後から後頭部めがけて力いっぱいその石を振り下ろした[2]。Aが頭を殴られて転倒・失神すると、Xは用意しておいたビニール紐を取り出してAの首に巻き付けた[2]。そして、NとXは2人でAの首に巻き付けたビニール紐の両端を数分間、互いに力いっぱい引っ張り合い、Aの首を絞めて殺害した[56]。その後、NらはAの遺体を持ち上げて崖下に投げ捨てたが、遺体はすぐ近くの草むらの中に落ちてしまい、林道の上から見える状態になっていたため、Nはさらに崖を降りて遺体を崖の中腹まで引きずるか転がり落とすかして[2]、崖の上にいたXに死体が見えなくなったことを確認してから崖を登って林道に戻り、Aの遺留品である眼鏡・帽子や、Xが使用した軍手などを崖下に投げ捨てた[58]

犯行後

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A宅を物色

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車の中にはAのバッグ(通帳2冊・印鑑2個、現金3,000円入りのがま口などが入っていた)が残されており、Xはその中から現金を取得し、Nも通帳・印鑑をダッシュボードの中に入れた[2]。また、Nは自身が犯行に用いた軍手を道路の側溝に捨てている[59]。一方で、Aが外出する際にかけていた自宅玄関の南京錠の鍵が見つからなかったため、2人はその南京錠を破壊してA宅に侵入した上で、新しい南京錠に付け替えておくことを決め、ホームセンターで南京錠1個を購入し、Aのバッグや着衣などを三原市内の海に投げ捨てた後、21時ごろになってA宅に行った[2]。しかしドライバーなどの道具を車内に置いたままだったため、南京錠を壊すことができず、2人は無施錠だった台所の窓から室内に侵入して物色したものの、金品は発見できなかった[2]。そのため、2人は物色の痕跡などを残さないようにダンスの引き出しなどを元に戻し[2]、自分たちとAとの関係を示す証拠を残さないため、数日前にAに買ってもらったお茶の包みや、前夜食べたカップラーメンの容器(後日、三原市付近の海に投棄した)などを持ち出して退去した[60]

預金の不正引き出し

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犯行後、Nは三原市内のデパートに設置された現金支払機でAの預金通帳を使い、現金を引き出そうとしたがうまくいかなかったため、同年4月2日、岡山市在住の知人男性[注 12]宅を訪ね「親戚の婆ちゃんが入院しているのでかわりに貯金をおろしてくれと通帳を預かっている」「自分は身分証明書がないので代理人で行ってくれないか」などと言い、ともに岡山大学町郵便局前に赴いた上で、通帳と印鑑を使わせて郵便貯金の払い戻しを請求させるなど、再三にわたって払い戻しを試みたが、失敗に終わった[66]。同月9日、Nは奪った通帳や印鑑を利用して、自らせとうち銀行福山南支店(福山市沖野上町二丁目6番28号:座標)から現金5万7,000円を、福山新涯郵便局(福山市新涯町一丁目15番11号:座標)から4万9,000円をそれぞれ騙し取った[41]。またパチンコ店で知り合った女性・乙に対し「わしの親戚のお婆さんから何か困ったときに使えといってもらった通帳があるんやが下ろせるかのう」などと持ちかけ、通帳と印鑑を見せた上で、「名義が女の名前やからわしが行くより女のほうが簡単に出せる。これ(定額貯金)を解約してくれ」「決して盗んだものじゃないから心配せんでもええ」などと嘘をついて定額貯金の解約手続きを依頼し[67]、同月27日には福山郵便局(福山市東桜町3番4号:座標)でAの定額預金20万9,791円を騙し取った[68]。これらの犯行に際し、Nは預貯金払い戻しのための書類を真正に成立したもののように偽造し、それを銀行や郵便局の係員に提出した上で誤信させ、預貯金を騙し取ったとして[68]、3件それぞれで有印私文書偽造、偽造有印私文書行使、詐欺の罪に問われている[69]

犯行後の生活

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一方で同月6日か8日ごろ、NはXから電話で自首したいという内容の相談を受けたが、Xを自首させたら自身が共犯であることも発覚すると考えたため、Xに会って「お前、自分から出るのもええけど、お前一人が知らん土地で婆さんを殺したという話を警察が信用すると思うか」などと説得して自首を思い止まらせ、Xが自首しないよう、彼を実家のある静岡に帰すため、自動車で三重県四日市市内の鉄道駅まで送った[70]。その後、Nは乙の内縁の夫の下でワックスの訪問販売に従事していたが、同年6月ごろからは仕事を休んでパチンコに熱中し、乙らから「パチンコをやめて売りに回ろうよ」と注意されても聞き入れず、同月から11月にかけて[71]、母親や姉に何度も金を無心して数万円から数十万円単位で金を受け取ってはパチンコに興じ[注 13]、借金の返済は滞納していた[72]

このためN宅には借金取りが押し掛けてくるようになり、自宅にいることができなくなったNの妻・甲は同年11月、長女を連れて岡山県内の実家に帰った[73]。Nも借金の取り立てを免れるため、三原市内の実家に身を寄せていた[73]。同年12月ごろにはかつて1,000万円近くあった母親の蓄えも底をついており、Nは逮捕前に乙に対し「山を踏まにゃあいかん」と漏らすなど、さらに犯罪を犯して大金を得ることをほのめかしていた[71]

捜査

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Aは1992年3月25日(事件4日前)を最後に姿を見せなくなっており、同年4月3日には民生委員[注 8]がA宅を訪問したが、この時は外から施錠してあり、Aの姿もなかった[74]。同日ごろには毎年Aが点灯していた神社の境内の桜の木のぼんぼりが点灯していなかったことを不審に思った近隣住民が、神社に連絡していた[40]

民生委員は当時、Aが入院している可能性を考えて市内の病院を探したが、見つからなかったため[40]、不審に思って三原市福祉事務所の保護課長に連絡した[73]。同月6日には福祉事務所が三原警察署へ家出人捜索願を届け出、三原署はAを特異家出人として手配した[74]。当時、Aが住んでいた大畑町を担当していた西宮駐在所は同年6月の広報紙『にしのみや』にAの写真や服装を掲載し、約1,000部を配って情報提供を呼びかけていたが、Aは近隣住民との交際が少なかったため[注 9]、有力な情報は得られなかった[40]。また民生委員は同年8月ごろ、Aの次男に連絡を取り、Aの次男と実弟がそれぞれA宅を訪問して室内の様子を確認した[75]。同年11月、Aの次男が母親A宅の家財道具を持ち帰って預貯金を調査したところ、行方不明になった後にせとうち銀行と郵便局からそれぞれ現金が引き出されたことが判明した[73]。同年12月8日、その情報を入手した三原署は、Aが犯罪被害に遭遇した可能性が強まったとして[注 14]、Aの預金状況や払い戻し者について調べた[74]。結果、預金を引き出した人物の人相や[7]、福山新涯郵便局でNが提示した運転免許証、払戻金受領書から検出されたNの指紋といった証拠[73]からNが浮上し、また乙も払い戻し者であることが確認された[74]。さらに捜査を進めた結果、2人はAの預金を下ろした際に親戚を名乗っていたが、実際にはそうではなかったことや、3月24日にはNがAを病院に連れて行っていたことなどが判明した[74]

三原署は1993年(平成5年)4月27日、Aの預金を不正に引き出したとして[7]、有印私文書偽造・同行使、詐欺の容疑で[73]、Nと知人女性の2人を逮捕して取り調べた[74]。Nは取り調べに対し詐欺容疑をほぼ認め[7]、同年5月1日、Xと共謀してAを殺害したことを自供した[73]。同月3日、広島県警察捜査一課と三原署が供述場所付近を捜索したところ[7]、Nが死体遺棄現場として案内した場所からAの白骨死体が発見され[73]広島大学法医学教室で鑑定を行った結果、体型や歯型などから身元はAとほぼ特定された[76]。同月4日[74]、捜査一課・三原署は強盗殺人・死体遺棄容疑でNを逮捕し、Xを同容疑の共犯として指名手配した[76]。また事件後にNと共謀して預金を引き出した女性・乙(当時42歳)も逮捕されたが[12]、後に処分保留で釈放されている[77]

Nは同年5月9日までに広島地方検察庁により、詐欺、有印私文書偽造、同行使の罪で起訴され[77]、同月25日には強盗殺人罪で起訴された[8][78]。一方で県警はXを指名手配して以降、Xの立ち回り先などに捜査員を派遣してその行方を追ったが、有力な情報が得られなかったため、同年6月7日には顔写真入り手配書を公開し、全国の警察署に配布した[79]。Xは愛知県名古屋市熱田区で鳶職見習いとして働き、土木建築会社の宿舎に寝泊まりしていたが、同年7月1日に愛知県警察捜査共助課に逮捕され[80]、同月20日に強盗殺人罪で起訴された[81]。Nは起訴後に妻の甲と離婚し、長女は甲が引き取った[36]

刑事裁判

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差戻前の下級審

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第一審

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第一審の審理は広島地方裁判所刑事第1部に係属した[82]。裁判長は初公判から判決公判まで、小西秀宣が担当した[83][84]

公判は1993年8月24日に開かれ、罪状認否でN・Xの両被告人はそれぞれ大筋で起訴事実を認めたが、Aの死因については窒息死とする検察官の起訴内容を否定し[85]、首を絞めた後も生きていた可能性があるとして争う姿勢を見せた[86]。また、Aを殺害後にA宅を物色した行為については時間的・距離的に(A宅と殺害現場が)離れていることから強盗殺人ではなく窃盗未遂に当たるとして、起訴状からの削除を求めた[86]

1994年(平成6年)6月28日に開かれた公判で論告求刑が行われ、広島地検は被告人Nに死刑を、被告人Xに無期懲役をそれぞれ求刑した[87]。論告で検察官は、犯行を「計画的で残忍」とした上で、Nは無期懲役の仮出獄中に再び強盗殺人を犯したとして死刑を、Xも犯行の決断はなかったが、共犯の罪は重いとして無期懲役をそれぞれ求めた[88]

同月7月27日に両被告人の弁護人による最終弁論が行われ、第一審の公判は結審[89]。同日、Nの弁護人は被害者の死因など事件に不明瞭点が多いことや、Nが深く反省していることなどを理由に死刑回避を求め、Xの弁護人はXが殺害に直接関与していないことを挙げ、強盗殺人未遂罪の適用が相当であると訴えた[89]。最終意見陳述で、Nは「死をもって罪の清算をしたい」と述べている[89]

第一審判決
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同年9月30日の判決公判で、広島地裁(小西秀宣裁判長)はN・Xの両被告人をともに無期懲役とする判決を言い渡した[84]。広島地裁 (1994) は量刑理由で、犯行の罪質・態様ともいずれも凶悪で、動機にも酌量の余地がないこと、被害者遺族の処罰感情が峻烈であることに言及した上で、NについてはAの預金を不正に引き出したことや、自首しようとしたXを押し止めたことから、「その犯行後の情状もはなはだ悪いというほかない。」と指摘した。そしてNには強盗殺人で無期懲役に処された前科があるにもかかわらず、その仮釈放中に再び強盗殺人を犯した刑事責任の重大性から、検察官の死刑求刑を「理解し得ないものではない」と評した[90]

しかしその一方で、「死刑は、最も厳しい科刑であって、あらゆる面からみて、被告人に対するに、他の科刑をもってしては不十分であり、死刑を選択するほかないという場合にのみ科せられるべきものである。」とした上で、以下のようにNにとって有利な事情を列挙し、Nについては「極刑をもって臨むことに一抹の躊躇を覚えるものである。」と結論づけた[91]。『中国新聞』はこのように広島地裁が、過去10年間でNと同じく無期懲役刑の仮出獄中に強盗殺人を犯した被告人がいずれも死刑を宣告されていることに言及しながら、Nを無期懲役に処したことについて、裁判所側が自ら異例のケースであることを認めた判決と報じている[84]

そこで、そのような観点から、被告人〔N〕について斟酌すべき情状を見てみるに、本件強盗殺人は先に述べたように計画的というべきではあるが、被害者の状況を窺いつつ逐次犯行を決断し、犯行場所も場当たり的に探すなど、その計画性は低いといえ、また、同被告人の犯行後の情状は先に述べたように悪質ではあるが、同被告人は、前記預貯金の引き下ろしを端緒として私文書偽造等の容疑で逮捕されるや、速やかに本件強盗殺人についても罪責を認めて犯行を自供し、自ら犯行現場に捜査官を案内し、これによって被害者の遺体が発見されており、被害者の遺体が発見された際には、悔悟して涙を流し、その後は一貫して自己の罪責の重大さを真剣に自覚し、極刑に処せられることを覚悟し、本件弁論終結時にも、死をもって罪をあがなうとの態度を示しているところである。

また、同被告人の前刑の服役態度は極めてまじめであり、これがために、比較的早期の仮出獄が許されたのであり、仮出獄後も、当初は、健全な社会生活を営もうと努力したものといえ、さらに、当裁判所が期日外に実施した同被告人の実母の証人尋問調書を読み聞かせた際には、涙して実母の証言内容に聞き入るなどの点からすると、同被告人に改善更生の余地がないとまではいい切れず、かつ同被告人にはなお一片の人間性が残っていることを看取できるところである。

そして、被告人〔N〕の量刑を考える上で、大きな意味を持つのは、同被告人が前刑無期懲役の仮出獄中に再度本件を敢行したことにあることはいうまでもなく、当裁判所も無期懲役に処せられた者でその仮出獄期間中に強盗殺人を犯した事例を検討したところ、過去一〇年内に確定した事例で、被告人N同様無期懲役刑の仮出獄期間中に強盗殺人を犯した者はすべて死刑に処せられている[注 15]けれども、それらの事例を検討してみると、いずれも犯情において極めて悪質であり、まことに天人ともに許さざるものと認めるしかないものであり、それらの事例に比べれば、被告人〔N〕の情状は、殺害の手段方法の執拗性、残虐性、あるいは前歴等の点において、悪質さが低いといえるものであった。

そのような点において、そして、ことに被告人〔N〕になお人間性の片鱗を窺うことができるという点において、当裁判所としては、同被告人に対し、極刑をもって臨むことに一抹の躊躇を覚えるものである。 — 広島地裁 (1994) 、[91]

その上で同地裁は「死刑と無期懲役刑の間には、無限の隔たりがあるのであって、その中間的な処遇があって然るべきものといえ、そのような科刑として、仮出獄を許さない無期懲役刑という制度が考えられないではない。もちろん、わが国にはそのような制度はないわけであるが、そのような観点をも考慮に入れ、」として、Nに対し「再度無期懲役刑を科した場合、どの程度現実に服役しなければならないかについて検討」し[92]、以下のようにNに再び無期懲役を適用すれば、Nは再び仮釈放を認められるまでに最低30年の服役を要するだろうという独自の量刑論を展開した[1]

すなわち、同被告人は、本件犯行時、前刑である無期懲役刑の仮出獄中であったが、本件犯行によって右仮出獄が取り消され、昨年六月以来、前刑たる無期懲役刑が再び執行されている状態にある。その仮出獄ももちろん可能であり、この場合には法律上最低限度の服役期間というものはないけれども、同被告人の場合には、仮出獄の他の要件を備えるに至ったとしても、仮出獄が取り消されるに至った経緯や社会感情等を考えると、その再度の服役期間は最低一〇年以上を要するものというべきである。

そして、そのようにして前刑の無期懲役刑の仮出獄の要件が整った後、更に本件無期懲役刑の執行が始まるわけであり、同被告人が本件無期懲役刑についても仮出獄の要件を充たすためには、更に法律上一〇年が必要であるが、本件犯情等を考慮に入れると、やはり、仮出獄に必要な他の要件を備えるに至ったとしても、最低二〇年程度の服役を要するものというべきである。

そうすると、同被告人に再度無期懲役刑を科した場合、同被告人は、最低でも三〇年程度服役することが必定である

当裁判所は、前記のような理由によって被告人〔N〕を極刑に処するのに一抹の躊躇を感じるのであるが、同被告人に対して再度無期懲役刑を科することによって、最低限でもそれだけの長期間の服役を余儀なくさせることが可能であれば、これは、同被告人の刑責を明らかにし、十分な贖罪をさせるという刑政の本旨にかんがみても、過不足ないと思料するに至ったものである。

なお、以上のような量刑は、本件犯罪に対する量刑要素として前刑の執行状況を考慮することになるものであるが、前刑仮出獄の取消しも本件犯行の一結果ということができるから、これを本件量刑の一要素として考慮することに問題はないというべきである。

また、以上に述べた被告人〔N〕の服役期間は、この判決の効果として直ちに定まるものではなく、仮出獄をいつ許すかの判断は、更生保護委員会の権限に属する事柄ではあるけれども、現実の無期懲役刑の執行状況からみて前述のようにいえるとともに、この判決で示した考え方は、無期懲役刑を言い渡した裁判所の見解として、十分尊重されると考えられるので、当裁判所は、そのことを前提として、以上の量刑判断をしたものである。 — 広島地裁 (1994) 、[93]

広島地検は量刑不当を理由に、同年10月11日に広島高等裁判所控訴した[94][95]。またXも量刑不当・事実誤認を理由に控訴した[96]

第一次控訴審

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第一次控訴審は広島高等裁判所第1部に係属した[97]。裁判長は初公判から判決公判まで、荒木恒平が担当した[98][96]

初公判は1995年(平成7年)12月7日に開かれ、検察官は控訴趣意書で「Nは最低30年程度服役が必要だろう」という原判決の量刑論を「根拠がない」と批判した上で、裁判所の判断に沿うよう仮出獄制度の運用を更生保護委員会に求めることは権限を逸脱したものであり、ただ長期間服役すれば良いという原判決の判断は、(当時の有期刑は最長20年であったことから)30年の刑がない刑法の趣旨から許されないものであると主張した[99]。その上で、殺害に計画性があった場合の同種事例では過去に死刑判決が宣告されていることを指摘し、死刑を回避して無期懲役を言い渡した原判決は量刑不当であるとして、原判決を破棄して死刑を適用するよう求めた[100]。一方でXの弁護人も、将来の服役態度次第で認められる仮出獄を判決時に評価することは仮出獄制度を形骸化するものであるとして、原判決を批判する主張を展開[99]。Xは共犯者であるNの補助的役割を果たしたに過ぎず、強盗殺人未遂罪が相当であるという主張や[100]、Xが2度の強盗殺人を犯したNと同じ無期懲役を言い渡されることは不当であるとする主張も行った[101]

検察官は差戻前控訴審で、安田哲也が作成した1996年(平成8年)12月3日付の弁論要旨に記載された通り弁論を行い、弁護人も合志喜生が作成した意見書要旨に記載された通り弁論を行った[102]

控訴棄却判決
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1997年(平成9年)2月4日に判決公判が開かれ、広島高裁(荒木恒平裁判長)はNの死刑を求めた検察官の控訴と、被告人Xの控訴をいずれも棄却する判決を宣告した[96]

XはNの第一次上告審判決以前に無期懲役が確定し[注 16][9]、2000年時点では熊本刑務所に服役していた[104]。一方、Nは上告しなかった[101]

広島高検が死刑適用を求め上告

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刑事訴訟法第405条では、上告理由は憲法違反および判例違反に限定されているため、「量刑不当は適法な上告理由に当たらない」とされている[注 17][105]。そのため当時、「検察は無期懲役判決への上告に慎重な姿勢を取っている」とされていた[105]。実際に1996年から1997年にかけては、甲府信金OL誘拐殺人事件(1996年4月:東京高裁)、名古屋アベック殺人事件(同年12月:名古屋高裁)、つくば妻子殺害事件(1997年1月:東京高裁)と、死刑求刑事件の控訴審で無期懲役の判決が言い渡される事例が相次いでいたが[注 18]、いずれも検察からの上告はなされていなかった[106]。当時最高検察庁で刑事部長を務めていた堀口勝正は、当時は死刑をなるべく回避するという裁判傾向があり、それに対し検察内部では「上告しても仕方がない」という諦めの空気が根を張っていたと証言している[107]

しかし同年2月、堀口は本事件の控訴審判決について報告を受けると「これは度を超していないか」と疑問を投げかけ、刑事部内で議論を行った[107]。この時は殺害被害者が1人であることから「上告理由がないのでは」という意見も多かったが、堀口が土肥孝治検事総長)に対し「(無期懲役の)仮釈放中の人間に殺されては、国民は納得できない」と意見を仰いだところ、土肥も上告に同意したため[108]、同判決への上告が決まり[109]、同月18日、広島高検は同判決について判例違反や「国民の正義感にも著しく背く」ことを理由に上告手続きを取り[110]、次席検事の山口勝之は上告理由について「計画的な強盗殺人を2度も犯し、死刑でなく無期懲役を言い渡した判決は、判例に違反し、国民の正義感に背くものだ」と説明した[111]

同年8月19日には上告趣意書を提出した[112]。その要旨は以下の通りである。

  1. 判例違反 - 原判決は、死刑制度を存置する現行法制の下で、永山判決によって示され、その後の累次の最高裁判所判決の集積を通じてその内容が敷えん・明確化された死刑適用に関する一般的基準に著しく違背しており、永山判決及びその後の最高裁判所判決(別表1)によって示された判例に実質的に相反する判断をしたものである[113]
    検察官は「別表1」(永山判決以後死刑の科刑を是認した最高裁判所の判例一覧表)に記載された49件(被告人53名)の判例を挙げ、死刑になった事件の多くには以下のような事情が認められることを指摘した。
    すなわち、一連の判決の判示するところによれば、その罪責が凶悪重大であることに加え、動機において酌量の余地がないこと、計画的な犯行であること、犯行態様が冷酷、執拗、残忍などといった悪逆非道なものであること、結果が重大であること、遺族の被害感情が深刻であり、社会的影響も無視ないし軽視できないことなど、いわば犯罪行為とその結果又はそれと直接関係する量刑要素が極めて悪質な場合には、反省悔悟や改善更生の可能性といった犯行後の被告人の主観的事情において被告人のために酌むべき要素があっても、ほかにその刑を減軽すべき特段の事由が認められない以上、死刑を適用している点で共通している。このことは、永山判決以後の幾多の判例の積み重ねを通じて、今や永山判決の右一般的基準がその内容において、罪刑の均衡、一般予防の両見地から死刑を選択するに当たり、犯罪のもたらした結果や影響を含め犯罪行為自体の客観的な悪質性に主眼を置くべきであり、被告人が反省していること、人間性の片鱗をうかがうことができることや改善更生の可能性の存することといった事後の主観的・個別的な事情はさほど重視すべきでないという形で敷えん・明確化され、裁判上の指針として定着していることを示しているのである。 — 広島高検、[114]
    その上で、多くの判決では犯行の計画性を被告人の悪性を示す重要な量刑要素として挙げていること、「殺害された被害者の数」を基準要素としている「結果の重大性」についても、被害者が1人の場合でも死刑が確定した事件が数多くある(参照:上告趣意書の別表2「殺害された被害者が1名の死刑確定事件一覧表」[115]。)ことを指摘した一方、被告人が反省していることを認めながら敢えて死刑を選択した最高裁の判例が多数ある(すなわち「反省悔悟の情」は量定上さほど重要な要素とされていない)ことを指摘した[116]。それらの判例に照らし、Nについては罪質が極めて悪質であること、動機に酌量の余地がないこと、犯行が計画的であること、犯行態様が執拗・狡猾・残虐・冷酷非道なものであること、被害者には何の落ち度もなく結果が極めて重大であることなどを挙げ、「罪責は誠に重大で、罪刑均衡、一般予防のいずれの見地からも極刑がやむを得ないと認められることは明白である。」と主張した[117]。その上で、原判決は計画性・犯行の悪質性(石で頭を殴って失神させた上で、2人がかりでビニール紐で被害者の首を絞めるという確実な殺害手段を取ったことなど)を過小に認定・評価した一方、反省の情や人間性の片鱗の有無といった事情を過大評価したと指摘し、Nが犯行後に有印私文書偽造・同行使、詐欺の犯行におよんだり、その後も真面目に仕事をせずパチンコ遊びに熱中する堕落した生活を続けたりしていたことを挙げ、「被告人の反省の情なるものが果たして真摯なものといえるか疑問の余地がある」と主張した[118]
    加えて「無期懲役仮出獄中再犯者」の事件に対する最高裁判例について検討し、「永山判決」以後に最高裁で判断が示された同種事件(無期懲役の仮出獄中に殺人を含む犯罪を犯した事例)5事件[注 15]では、いずれも第一審で死刑が言い渡され、控訴審・上告審と一貫して死刑の量刑が支持されていることにも言及[121]、そのように無期懲役の前科及びその仮出獄中に再び重大犯罪を犯したことは量刑判断に当たって決定的意味を持つ重大な量刑要素であると指摘した[122]。また、以下のように無期懲役の仮出獄中に再び殺人などの凶悪犯罪を犯したものは死刑に処されるべきであると強調している。
    罪刑の均衡の見地から考察すれば、およそ、人の生命を奪うという重大な犯罪を犯して無期懲役に処され、その仮出獄中の者は、それだけ高い規範意識が要請されているのに、再び人の生命を奪う凶悪かつ重大な犯罪を犯すに至った訳であり、その責任は、無期懲役では賄えない重大なものであり、死刑をもって臨むほかないものであることは誰の目にも明らかである。
    次に、刑罰の一般予防の見地から考察すると、強盗殺人罪で無期懲役に処せられ、その仮出獄中に、何の罪もない善良な市民の生命をあたかも虫けらを殺すが如く奪い、その金品を強奪するといったような典型的な「無期懲役仮出獄中再犯者」の犯罪において、その者を再度無期懲役に処するのでは、国民の正義感情に照応しないのみならず、一般の社会人を威嚇、警戒させてこの種犯罪を防止する効果を期待することはできない。
    加えて、「無期懲役仮出獄中再犯者」は、そのような再犯者であること自体がその者の反社会的性格の根深さを端的に物語っているのであり、更に犯行を重ねる可能性が極めて高いことを示しているのである。かかる危険な人物を排除することなく、再び仮出獄によって社会に戻ることが法律上可能な無期懲役に処するのでは、社会防衛の観点からも、到底看過することはできないのである。 — 広島高検、[123]
  2. 著しく正義に反する甚だしく不当な刑の量定[124] - Nが無期懲役の仮出獄中に強盗殺人を犯したこと[23]、犯行に至る経緯・動機には酌量の余地がないこと[125]、犯情が極めて悪質であること[126]、犯行後の情状も芳しくないこと[60]、何ら落ち度のない被害者の生命が奪われ、遺族の処罰感情も峻烈であること[127]、社会的影響が重大であること[128]、Nの反社会的性格・犯罪性は改善更生が困難な域に達していること[16]などを挙げ、本件は死刑しかありえない事件であると主張した[129]

土肥は後年、『読売新聞』社会部の取材に対し「裁判の傾向を追認していたのでは、流れを止められない。裁判の流れを変えたい。国民が納得していないというメッセージを発しないと」と思ったと述べている[15]。 上告理由について、広島高検次席検事・山口克之は「計画的な強盗殺人を2度も犯した被告人Nに対し、死刑ではなく無期懲役を言い渡した判決は判例違反で、国民の正義感にも背くものだ」と述べている。

連続上告

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検察はこの上告から1998年(平成10年)1月までの間に[15]、死刑を求刑されながら控訴審で無期懲役が言い渡された強盗殺人事件4事件の4被告人について、相次いで最高裁に上告した[130]。5事件の被害者はいずれも1人 - 2人で、死刑と無期懲役を分けるボーダーラインとされていたような事件である[131]

これらの一連の動きは連続上告[132][133][134][135]<[136][137][138][139][140][141][142][143]五事件連続上告[144]5件連続検事上告[145]と呼称される場合があり、またこれらの事件それぞれに対する判決を検察官上告5判決と呼称する場合がある[146]

「連続上告」の対象となった5事件(罪状はいずれも強盗殺人など)
事件名 被害者数 事件発生年月 発生地 第一審判決 高裁 控訴審判決
宣告年月日
控訴審判決
主文
小法廷 裁判形式 上告審 備考
本事件[147] 1人 1992年3月[148] 広島県福山市[148] 無期懲役[84] 広島[96][10] (差戻前)
1997年2月4日[96]
(差戻前)
控訴棄却[96]
第二[9] 判決
[9][13]
破棄差戻[9] 強盗殺人の前科あり(仮釈放中の再犯)[10]
共犯の男は無期懲役判決(求刑:同)を受け[96]、確定[9]
(差戻後)
2004年4月23日[10]
(差戻後)
破棄自判
死刑[10]
第三[13] 上告棄却
死刑確定[13]
北海道職員夫婦殺害事件[147] 2人[149] 1991年11月[148] 北海道札幌市[148] 札幌[149] 1997年3月18日[150][151] 控訴棄却[148] 第一[152] 決定
[152]
上告棄却
無期懲役確定[153]
被害者夫婦の娘である共犯の少女(当時19歳)も無期懲役が確定[148]
国立市主婦殺害事件[147] 1人[149] 1992年10月[154] 東京都国立市[154] 死刑[154] 東京[155] 1997年5月12日[156] 破棄自判
無期懲役[155]
第二[153] 判決
[153]
5事件では唯一、第一審で死刑が言い渡されていた[149]
倉敷市両親殺害事件[147][148] 2人[148] 1993年12月[148] 岡山県倉敷市[148] 無期懲役[148] 岡山[149] 1997年11月12日[157] 控訴棄却[148] 第三[158] 決定
[159][158]
岸和田市銀行員殺害事件[147][148] 1人[148] 1994年10月[148] 大阪府岸和田市[148] 大阪[149] 1998年1月13日[160] 第一[159]

被告人に対する量刑が寛大になる「寛刑化」(かんけいか)の傾向に抗う検察の方向を決定づけたのは、同年5月の国立市主婦殺害事件の被告人に対する上告とされる[15]。同事件は1992年10月、東京都国立市で元塗装工の男が顔見知りとなっていた主婦宅に上がり込み、用意していた千枚通しで主婦を脅して強姦した上、千枚通しと牛刀で主婦の首などを刺して殺害し、金品を奪ったという強盗殺人・強盗強姦などの事件である[161]。第一審の東京地裁八王子支部は1995年1月、犯行が計画的かつ冷酷非情なものであることなどを理由にこの男に死刑判決を宣告したが[162]、1997年5月12日に東京高裁第11刑事部(中山善房裁判長)は死刑の第一審判決を破棄自判し、被告人を無期懲役とする判決を言い渡していた[161]。同事件については殺害された被害者が1人で、被告人に殺人の前科もなかったため、東京高検はいったん「上告不要」の結論を出したが[109]、土肥・堀口らは高検の意見を踏まえて議論した結果、被告人の反省の情に疑念があることや、第一審の裁判官が死刑を選択した事件であることなどを踏まえ、「上告すべし」との結論を出した[163]。高検も最高検の移行を踏まえて「今後、検察全体として(上告の)基準を変えるというのなら、異存はない」と意見を改め[164]、同月26日に上告手続きを取った[165]。この上告は本事件と北海道職員夫婦殺害事件それぞれに対する上告に次ぎ、3件目となる上告だった[156]。同年10月に検察官は同事件に関する上告趣意書を提出したが、そこでも本事件の上告趣意書と同じく、控訴審判決は主観的事情(被告人の反省の情など)を酌んだものと評した上で、そのような判決は罪と刑のバランス(罪刑の均衡)を重視して死刑適用の基準を示した「永山判決」に反し、著しく正義に反するものであると主張していた[164]。検察当局はその後も1998年(平成10年)1月までに[109]、高裁が無期懲役判決を言い渡した2件の強盗殺人事件について、相次いで最高裁へ上告した[166]

検察当局は当時、下級審が死刑適用を回避する傾向を疑問視し[105]、「近年の裁判所の量刑は軽すぎ、国民感情からかけ離れている」と訴えた[167]。結局、国立事件については本事件とともに最高裁第二小法廷が弁論を開いたが、同小法廷(福田博裁判長)は1999年11月29日に「死刑を選択した第一審判決も首肯し得ないものではないが、犯行は計画性が高いとは言い難く、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められない」として控訴審判決を支持し、検察官の上告を棄却する判決を言い渡した[153]。しかし、その一方で「永山基準」を示した1983年7月の最高裁判決を引用して「殺害された被害者が1名の事案でも、極刑がやむを得ないと認められる場合がある」と判示した[153]。他3件についても、後に相次いで上告棄却の決定[注 19]が出されたが、一連の「連続上告」を決断した堀口は「(連続上告により)それまでの裁判官の判断を抑圧してきた、極刑に慎重な流れのようなものを取り払った意味は大きかった」[注 20]と回顧している[167]

一方で『判例時報』 (2000) は、本判決は職権判断にあたって「永山判決」が示した死刑選択の基準を再確認したものであり、また他4件(国立事件など)に対する最高裁の判断も明示的または黙示的に同判決を前提としたものであると評した上で、最高裁の一連の判断は「永山事件判決の死刑選択の基準を改めるものではない」と考えられると評している[169]。その上で「永山判決」以降、最高裁は本事件と同様に無期懲役の仮出獄中に殺人・強盗殺人を再犯した者に対し、いずれも死刑の判断を是認していることに言及し、Nについても「特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかない」と結論付けた本判決は、それら従前の裁判例を踏襲したものであるとも評している[170]

連続上告の影響
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読売新聞社会部 (2002) はこの「連続上告」の背景について、1990年代に入ってから下級審で死刑回避の傾向が顕著になっており、それが検察に危機感を抱かせたと評した上で、最高裁は「永山判決」から大きく逸脱することなく、個々の事件について死刑適用の可否を判断したと評している[130]。殺人罪の有罪件数に占める死刑判決の割合(第一審)は、戦後の混乱期で死刑判決が多く出された時代から1950年代になって減少したが、この「連続上告」がなされた1997 - 1998年ごろを境に、2006年までの約10年間で上昇に転じていることが判明している[171]。また第一審から上告審まですべての審級で死刑判決を言い渡された被告人の年間別の人数は、「連続上告」前の1996年は8人、1997年は9人だったが、1998年に19人と急増して以降は2004年まで毎年16人以上に上り、2004年には計42人に達したことが判明している[132]

連続上告に対する評価
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このような検察当局の動向は当時、「検察当局は死刑選択基準の揺らぎに釘を刺す狙いがある」と受け取られたが、法務・検察幹部の中からは「最高裁に下駄を預けることで『永山基準』が再確認される可能性もあるが、死刑回避の方向に見直されるなど、上告が逆効果になる恐れもある」という声も上がっていた[172]

一方、日本弁護士連合会(日弁連)人権擁護委員会で、死刑問題調査研究委員会の委員を務めていた小川原優之弁護士は、各事件の弁護人との意見交換を行い、5事件全体を統一する形で最高裁に提出する書面の作成を検討した[注 21]ほか、1998年11月には私見として「死刑と無期懲役の境界」をまとめて公開し、「検察側の求刑・量刑の基準は混乱している[注 22]。死刑と無期懲役の境界は客観的に存在せず、裁判官の価値観によるところが大きい」と指摘していた[173]。また、市民団体「死刑廃止フォーラム90」は1998年2月に「暴走する検察庁 5件連続検察上告を考える」というシンポジウム[注 23]を開いたが、このシンポジウムでは「被害者1人の強盗殺人事件で死刑判決は珍しい」「最高裁の新判断を得るのが目的ではなく、判決を上級裁判所に晒し、下級審の寛刑傾向を止める狙いがある。裁判官に大きな圧力を与えるだろう」などと、検察側の姿勢に反発する声が上がった[173]

『日本経済新聞』は5事件に対する最高裁の判断を踏まえ、本事件の上告審判決は「二度目の凶悪犯罪は死刑」というこれまでの最高裁判決の流れを再確認したものであると評した上で、上告棄却となった4事件のうち3事件でも「死刑を選択することも十分考慮しなければならない」という旨を述べながらも、本事件とは異なり「著しく正義に反する」として原判決破棄にまでは至らなかったことにも言及。最高裁は下級審の量刑に多少疑問があったとしても「著しく不当」でなければ破棄できないと指摘した上で、裁判関係者の「二審が死刑を選択していたら維持したケースもあるのでは」という指摘を取り上げている[174]

第一次上告審

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最高裁第二小法廷は1999年(平成11年)7月21日、国立事件と本事件についてそれぞれ、10月29日と11月15日に上告審の公判を開き、検察官・弁護人の双方から意見を聴く弁論を行うことを決め、関係者に通知した[175]。最高裁は控訴審で死刑が言い渡された事件の場合、必ず判決前に弁論を開いているが、それ以外の事件で弁論が開かれる場合は控訴審の結論が見直される場合がほとんどとされていた[注 25][178]。このため、これらの事件に対しては最高裁が死刑適用について、従前より明確な基準を示した上で量刑判断を行う可能性があるとして、法曹関係者から注目を集めた[179]

同小法廷は当時、福田(外交官出身)と河合伸一梶谷玄(それぞれ弁護士出身)、北川弘治(裁判官出身)、亀山継夫(検察官出身)の最高裁判事5人が担当していた[134]。本事件の審理では河合が裁判長を務めた[180]一方、亀山は本事件が広島高裁に係属していた当時、広島高検検事長を務めていたため、本事件の審理からは外れた[181]。上告審の弁論で、検察官は無期懲役の仮出所中に同様の重大犯罪を再犯した者が例外なく死刑になっていることを挙げ、原判決(控訴審)および原原判決(第一審)は判例違反に当たると主張[182]、「Nの行為が死刑にならなければ国民の正義感情にそぐわない」「犯行は残虐、冷酷無比で死刑が相当」と述べ、原判決破棄を求めた[183]。一方でNの弁護人は、一・二審判決は「永山判決」に則って結論が出されたものであり、検察官の意見は上告理由として認められないと主張[182]。犯行後の情状についても「軽視すべき理由はない」として原判決の妥当性を主張、上告棄却を求めた[183]

破棄差戻し

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同年12月10日に最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)で判決公判が開かれ[9]、同小法廷は原判決のうち、Nに関する部分を破棄して審理を広島高裁へ差し戻す判決を言い渡した[184]。この判断は裁判官全員一致の意見で、同小法廷は検察官の上告趣意について、判例違反の主張も含めて実質は量刑不当の主張であり、刑事訴訟法第405条の上告理由に当たらないとしたが、所論に鑑みて職権で原判決を調査、以下の理由から破棄は免れないと結論づけた[185]

原判決で示された死刑回避の理由に対する検討
同小法廷は、犯行の罪質、結果が極めて重大である点、遺族の処罰感情が峻烈である点、社会に与えた影響も無視できない点を踏まえた上で、犯行動機(パチンコに熱中して借金を重ねたこと)に同情すべき点がないことを指摘した[186]。また、殺害方法(Aの頭を石で強打して失神させ、首に巻き付けたビニール紐を男2人がかりで力いっぱい引っ張り合って絞殺した)も犯行後、遺体を崖下に放り投げるなどして放置した点を併せ、冷酷かつ残虐であると評した[187]
またNは本件で終始主導的役割にあった点や、犯行後に奪った預金通帳などによる詐欺などの犯行にもおよんだり、自首しようとするXを思いとどまらせたり、真面目に仕事をせずパチンコに熱中する生活を続けたりしたことなど、事後の情状も芳しくない点を指摘した[187]。そして、Nが過去に強盗殺人で無期懲役に処された前科を有しながらその仮出獄中に再びこの強盗殺人を犯したことを「非常に悪質である」と断じ、前科事件と本事件には顕著な類似性(遊興による借金の返済のために顔見知りの女性の好意に付け込み、計画的に犯行を実行したという点)が認められることも指摘、その反社会性、犯罪性が軽視できないことも指摘[187]。これらの点から、同小法廷は「本件で殺害された被害者は一名であるが、被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない。」と判示した[188]
その上で、原判決(およびそれが是認した第一審判決)で「酌量すべき事情」として挙げられた「計画性が低い」「被告人〔N〕に改善更生の余地がある」「無期懲役に処せられ仮出獄中に強盗殺人を犯した者につき死刑が選択された従前の事例と対比して、被告人〔N〕の情状は悪質さの程度が低い」という3点について検討し、それぞれ以下のように批判した[189]
「計画性が低い」点
Nらが事前の相談の際、Aを殺害する時期・場所などについて事細かく打ち合わせるなどしていなかった点は認められるとしながらも、事前の相談で被害者をひもで絞殺して金品を奪うという基本的な事項を決定した上、犯行に用いるビニール紐・軍手を購入し、紐の強度を増すため束ねて結び目をつけるなどの準備をしていたことや、A宅を訪れて以降も臨機応変に行動し、長時間にわたってA殺害の意思を持ち続けた上でそれに適した場所を探し続け、犯行を完遂するに至ったことから、原判決の「強盗殺人の計画性が低い」とする評価を否定した[190]
「被告人〔N〕に改善更生の余地がある」点
Nは逮捕後の比較的早い段階から犯行を全面的に自白し、極刑を覚悟している旨の供述をしている点や、前刑の服役態度が真面目であり、仮出獄された当初も健全な社会生活を営もうと努力していた点は認めたが、仮出獄から間もなくパチンコに熱中して借金を重ねた末に強盗殺人に至ったこと、Aの遺族に全く慰謝を講じていないことを挙げ、Nが自白し反省の情を示していることなどを大きく評価することは相当ではないと判断した[189]
「無期懲役に処せられ仮出獄中に強盗殺人を犯した者につき死刑が選択された従前の事例と対比して、被告人〔N〕の情状は悪質さの程度が低い」点
「永山判決」以降に判決が確定したそれらの「従前の事例」は殺害された被害者が1人である事例も含め、いずれも死刑が選択されていることに言及した上で、それまでに指摘したNの情状は全体として、死刑の選択を避け得るほどに悪質さの程度が低いとは評価できないと判断した[191]
以上の点からNを無期懲役とした原判決の量刑は不当であり、「破棄しなければ著しく正義に反する」として、「事案の重大性にかんがみ、更に酌量すべき事情の有無につき慎重な審理を尽くさせる」ため、審理を広島高裁へ差し戻すと結論づけた[191]

第二次控訴審

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裁判長は初公判時点では重吉孝一郎(広島高裁部総括判事)が担当していたが[192]、重吉は公判中の2002年(平成14年)4月1日付で鳥取地裁家裁所長として異動し[193]、後任の広島高裁部総括判事として久保眞人(前長崎地裁所長)が就任した[194][195]。それ以降の公判では、久保が裁判長を務めている[196]

第二次控訴審(差戻控訴審)を控えた2000年(平成12年)3月10日、武井康年・石口俊一の両名が被告人Nの国選弁護人として選任されたが、本事件は「永山判決」以来の破棄差戻し判決であり、死刑の是非を視野に入れた審理になることが必至であったため、石口は国選弁護人の増員と、死刑問題を担当する弁護士会の刑事法制委員会の委員らによる私選弁護人との併存を要求した[197]。後に国選弁護人として久保豊年が追加選任されたが、私選弁護人との正式な併存は認められなかったため、弁護団は事実上のバックアップ弁護人3人(緒方俊平・本田兆司・足立修一)を加えた6人体制で活動を行うこととなった[197]。主任弁護人は武井である[102][10]

同年8月10日に初公判が開かれ、弁護団は意見陳述で死刑に対する世界の動向や、国内の死生観などの立証を通じ、死刑制度の違憲性を問う旨を表明、犯行動機など6項目で情状立証する方針を示した[198]。死刑判断の基準とされる「永山基準」も未成熟であること、さらに最高裁が第一次控訴審判決を不当とした根拠として挙げた「計画性の高さ」は事実誤認であること、Nが反省の念を深めていることなどを主張し[192]、Nに死刑を科すことは相当ではないとする意見を述べた[199]。死刑制度の違憲性については第3回公判(同年11月7日)の意見陳述で、死刑制度は執行および死刑確定者処遇の実態に照らせば、不必要な精神的・肉体的苦痛を与えるものであり、残虐な刑罰を禁じた憲法第36条に違反するものであるとする主張を展開している[200]。また弁護側は、同年10月3日の第2回公判で「連続上告」の対象となった各事件を比較し、本事件は前科の点を除けば、上告棄却となった4事件に比べて悪性は低く[注 26]、本事件のみが差し戻しとなったのは量刑の均衡を著しく欠くものと主張した上で、「再犯予防など服役中の処遇に大きな欠陥がある」との理由から、処遇記録の取り寄せ・検討を求めた[202]

審理は2004年(平成16年)1月16日の公判で結審し、同日の最終弁論で検察官は「酌量すべき新たな事情は見つからなかった」として改めて死刑を求めた[203]。一方でNの弁護人は、死刑が残虐な刑罰を禁じた憲法(第36条)違反すると主張した上で、14年9か月間受刑してきたNが実社会に適応できなかった原因は、刑務所の矯正機能に問題があったとも主張[204]。「非社会性人格障害」とする情状鑑定結果(後述)を踏まえ、障害はNだけの責任ではなく、生育環境が影響している一方、Nには精神的治療による更生の可能性が残されているとする主張や、Nが公判中に臓器提供を志願するなど贖罪意識が強いとする主張も展開し[203]、無期懲役とするよう求めた[204]

情状鑑定
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また弁護側はNの生育環境や、前科事件による約15年の服役生活が本事件の犯行に影響を与えた可能性があると指摘し、それらが犯行におよぼした影響について専門家の意見を聴く「情状鑑定」を請求[205]、広島高裁(久保眞人裁判長)は2002年12月10日の公判で請求を認める決定を出した[196]。「情状鑑定」とは、有罪か無罪かを左右する責任能力の有無・程度を調べる精神鑑定とは異なり、被告人の生活環境などに関して情状面の意見を求める制度だが、少年事件での採用が多く、成人事件での採用は異例だった[205]。同鑑定は、Nの性格およびその形成原因、心理学的・社会学的見地から見た本事件の動機・原因・量刑上特に留意すべき事項、またそれらに対するNや肉親の精神疾患・受刑生活による影響などを留意するというもので[206]、当時呉市の「ふたば病院」で院長を務めていた早川浩(精神科医)が鑑定書を作成した[207]

翌2003年(平成15年)9月9日の公判でその結果が明かされたが、同鑑定書によればNは「非社会性人格障害」「自己愛的人格障害」であり[208]、後者は両親に甘やかされて育ったことが原因とされていた[207]。また経済的理由から高校に進学できなかったことなどから[208]、学歴を巡る劣等感を有していることも認定され[207]、「欲求不満に対する耐性が乏しく、劣等感を抱いて育った」「犯行後に自分の行動を正当化するなど刑罰による学習効果はあまり期待できない」とされていた[208]

Nによる臓器提供の申し出
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Nは第二次控訴審公判中の2002年5月に弁護人宛の手紙で[209]、自身が死刑になったり拘置中に死亡したりした場合に自身の臓器を提供することや、拘置中の骨髄提供(およびそのための骨髄バンクドナー登録)を希望した[210]。死刑の可能性がある被告人や死刑囚・無期懲役の受刑者などから臓器提供の希望がなされることは当時、前例のないこととされていたが、死刑は心臓死を前提としたものであり、また脳死の場合は提供施設以外では臓器提供ができないことから、実現性はないとされていた[210]。『東京新聞』は、弁護団はNの希望を受け、関連法の見直しなどを法務当局に働きかけたり、骨髄バンクのドナー登録に向けた血液検査と適合患者が見つかった場合の骨髄採取のため、拘置の一時停止を認めるよう広島高裁などに要請したりする方針であると報じていた[210]

Nの弁護団は2002年(平成14年)6月7日、Nが希望していた骨髄バンクドナー登録手続きのため、広島高裁に勾留の一時的な停止を請求したほか、広島地検にも前科事件で確定している無期懲役刑の一時的な執行停止を申し立てた[211]。後者の執行停止時間は約2時間程度で、申立理由は骨髄バンク登録には各都道府県で指定された医療機関に出向くことが原則とされているためである[209]。刑の執行停止は、刑の執行が著しく本人の健康を害したり、重大な理由があったりする場合に認められることが刑事訴訟法で規定されているが、法務・検察当局はこれが「重大な理由」に該当するか否か検討した結果、「骨髄バンクに登録する高い必要性はない」「仮に罪を償うための行為でも、事由を拘束している以上は認めるべきではない」と結論づけ、刑の一時執行停止申立を認めなかった[209]。また広島高裁も、本件では「被告人の逃亡のおそれが極めて高い」として、「骨髄移植の社会的有益性や骨髄液提供者を確保する必要性」などが「そのおそれを防止する要請を上回るほどの切実な釈放の必要性」があるとは認めず、勾留の執行停止について職権を発動することはなかった[212]。同決定を受け、弁護団はNが「逃亡の恐れがあるというのなら警察官を同行してもよい」と申し出ていたことを挙げ、「本人の罪を償いたいという気持ちについて十分に判断していない」と話していた[213]

死刑判決
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2004年4月23日の判決公判で、広島高裁(久保眞人裁判長)は広島地裁が言い渡した無期懲役の原判決を破棄自判し、被告人Nを死刑とする判決を宣告した[10]

広島高裁 (2004) は犯行までの経緯・動機について検討し、Nは無期懲役刑の受刑者としてはかなり恵まれた環境のもとで仮出獄の生活を開始したにもかかわらず、仮出獄の条件に反してパチンコにのめり込み、借金を重ねた挙句に計画性を欠いた経済生活を送り、金銭に困った末に強盗殺人を計画・実行したことを指摘し、犯行動機の悪質性・反社会性が顕著で酌量の余地は皆無であると評した[214]

また犯行の計画性については、殺害場所・死体の処分などといった細部までは事前に決めておらず、綿密で周到な計画に基づくものとは言えないまでも、Aを絞殺して金品を奪うという基本的な計画を立てて準備した上で、人目につかない山中までAを連れ込んで実行に至ったことや、殺害方法も極めて残虐で冷酷非情であること、犯行後も様々な証拠隠滅工作を図るなど完全犯罪を目論んで行動したことから、原判決(第一審判決)の「(強盗殺人の)計画性は低い」という評価を否定し、犯情は非常に悪質であることを指摘した[2]。その上で、弁護人の「被告人らが被害者を連れ出して長時間にわたり移動したことは、極めて奇妙な行動であり、計画性を高めるというよりも、被告人らの犯行についての逡巡を象徴しており、その間、何度か殺害の意思が失せていることからして、最高裁判所が認定したように、長時間殺害の意思を継続して殺害場所を探して連れ回ったとはいえない」という主張も信用性がないとして排斥、殺意を一貫して持ち続けていたと認定した[215]

犯行後の行動についても、自首しようとするXを説得して思いとどまらせる、Aから奪った通帳から(奪ったものであることを隠して)知人に依頼するなどして預貯金を引き出す、犯行前と変わらずパチンコに興じて借金を重ねる、逮捕直後も虚偽の供述をしたり不自然に供述を変遷させたりするなど、犯行後の情状も芳しくなく、反省の態度を示していることもあまり大きく評価することはできないと指摘[72]。Nが被告人質問の最終段階で「私に対する犯罪の責任を考えるとき、今回の事件、私にすべて責任があるのでしょうか、私はもう矯正不可能な人間で、どうしようもない、生きるに値しない人間なのでしょうか」と供述していることも指摘し、「極刑に処せられることについての覚悟の気持ちが薄らいでいるようにうかがわれる。」と評した[73]

続いて、NはXに比べて犯情が明らかに重いこと[216]、結果の重大性・被害者Aの遺族の処罰感情の峻烈さとNからの慰謝がなされていないこと、事件の社会的影響の大きさ[217]を列挙した上で、Nが生涯で2度にわたって強盗殺人を犯したこと、および本事件の引き金となった犯行前の生活態度などから、Nは著しく規範意識が欠如していることも指摘した[218]。その上で情状鑑定の結果も踏まえ、Nの犯罪性および人格障害は矯正が著しく困難であると評した[219]

原判決が死刑回避の理由として挙げた、Nと同じく無期懲役の仮出獄中に再び強盗殺人を犯して死刑に処された者との比較検討も改めて行い、Nは死刑に処された者たちに比べて悪質さの程度が低いと評価づる事はできず。原判決の「Nは最低でも今後、30年程度服役することが確実である」という点についても、Nに再び無期懲役を科することの合理的な説明とはいえないと批判したそして、NはXに比べて犯情が明らかに重いこと[216]、結果の重大性・被害者Aの遺族の処罰感情の峻烈さとNからの慰謝がなされていないこと、事件の社会的影響の大きさ[217]を列挙した上で、Nが生涯で2度にわたって強盗殺人を犯したこと、および本事件の引き金となった犯行前の生活態度などから、Nは著しく規範意識が欠如していることも指摘した[218]。その上で情状鑑定の結果も踏まえ、Nの犯罪性および人格障害は矯正が著しく困難であると評した[220]。その他の弁護人の主張(死刑制度の違憲性)および、「連続上告」対象となった他の4事件との量刑均衡についても検討し、前者については死刑制度は残虐な刑罰ではなく憲法第36条に違反しないとした1948年(昭和23年)の大法廷判決を追認した上で、後者についても本事件は4事件とは異なり、被告人は強盗殺人罪による無期懲役の前科がある一方、ほか4事件も殺人・重大な障害による前科はないことを指摘し、上告審判決の判断を「量刑の均衡を著しく失し、原判決を破棄して差戻す合理的理由が認められない」と批判した弁護団の主張を排斥した[221]

以上の点から広島高裁は、「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択をするほかない」とした上で、本事件は犯行の罪質・結果が重大であり、遺族の被害感情・社会的影響も大きいこと、動機に酌量の余地はなく、犯行は計画的で殺害手段も冷酷・残虐であること、犯行後の情状も甚だ悪いこと、そして無期懲役刑の前科を有しながら再び前科事件と類似した強盗殺人を犯した悪質性、改善更生の困難さといった点から、被告人に有利な事情(本件では殺害された被害者の数が1人であること、Nは前刑の服役態度が真面目で、仮出獄当初も健全な生活を営もうと努力していたことなど)を考慮しても、その罪責の重大さから見れば、「罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑を選択するほかないものといわなければならず,量刑の前提となる事実の評価を誤り,被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は,軽きに失し不当であるといわざるを得ない。」とした[222]。そして原判決後、NがAの遺族に謝罪の手紙・線香代を送付したことや、長女との手紙による交流を通じて命の大切さを再認識したこと、臓器提供によって自らの身体で罪を償う意思を持つに至ったことなどを最大限考慮しても、Nの罪責を大きく軽減する事情は認められないと結論づけた[223]

同月30日、Nは同判決を不服として最高裁へ上告し、第二次上告審でも第二次控訴審と同じく弁護団6人が引き続きNの弁護を担当した[224]。上告理由は「第二次控訴審で新たに判明した人格障害などの情状を考慮しておらず、著しい量刑不当である点」「死刑違憲論の主張に正面から答えていない点」などである[224]

死刑確定

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2007年(平成19年)2月27日、最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で第二次上告審の公判が開かれ、口頭弁論で弁護側は犯行に計画性がないことや、Nが死後の臓器提供を希望するなど深く反省していることを理由に死刑回避を求めた一方、検察側は上告棄却を求めた[225]

同年4月10日に判決公判が開かれ、最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)はNの上告を棄却する判決を宣告した[13]。このため、同年5月7日付でNの死刑が確定した[226]。なおNの死刑確定の順番は、自身より後から上告棄却の判決を受けた池袋通り魔殺人事件の死刑確定者Z(同年5月2日付で確定)より後となる[注 27]

死刑確定後

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国家賠償請求訴訟

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Nは2014年(平成26年)2月7日付で広島高裁に再審請求したが、2015年(平成27年)3月23日付の決定で棄却された[230]。Nは同決定を不服として同月25日付で異議申立てを行ったが、それも2019年(平成31年)3月18日付の決定で棄却された[230]。Nは同月22日、異議申立て棄却を不服として最高裁へ特別抗告したものの、同年(令和元年)7月31日付で特別抗告も棄却され、再審請求棄却の決定が確定した[230]

Nはこの再審請求に関する打ち合わせのための弁護人との面会をめぐり、以下のような国家賠償請求訴訟を起こしている。

2008年

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2015年

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広島地裁(谷村武則裁判長)は秘密面会を認めなかった拘置所側の対応を違法と認定し、被告(国)に対し、原告へ66万円を支払うよう命じる判決を言い渡した[231]

原告は敗訴部分を不服として控訴したが、2021年(令和3年)11月24日に広島高裁(西井和徒裁判長)は控訴を棄却する判決を言い渡した[232]。被告側は上告しなかった一方[233]、原告側は敗訴部分を不服として上告したが、2023年(令和5年)6月22日付で最高裁第一小法廷(堺徹裁判長)が上告を棄却する決定を出した[233][234]

2024年

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Nは死刑確定後、広島拘置所から「自殺や逃亡の恐れがある」と判断され、天井に監視カメラを設置した独居房に収容されているが、16年以上この居室で監視状態に置かれていることはプライバシー権の侵害にあたるとして、国に2,112万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を起こしている[235]

事件の影響

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Aが暮らしていた地域では、事件から7年以上が経過した1999年12月時点でも事件の恐ろしさが忘れられず、玄関に男性用の靴を置いて警戒している一人暮らしの高齢女性がいることが報じられている[6]。またAの世話を担当していた民生委員は事件後、本事件を知った地域住民(特に一人暮らしの人物)の動揺の大きさを受けて警察官の巡回を依頼し、戸締まりや表札の書き方の工夫をしていた[75]

脚注

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注釈

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  1. ^ 広島高裁 (2004) では、背中を3回刺したと認定されている[18]
  2. ^ 死因は外傷性呼吸機能障害である。
  3. ^ 広島高裁 (2004) によれば、Nは14年9か月の服役期間すべてを岡山刑務所(文中では「U刑務所」)で過ごしたわけではなく、岡山刑務所以前に別の2つの刑務所でも服役している[18]
  4. ^ Nが甲との同棲生活を開始した時期は、義兄の会社に就職した直後のことである[18]
  5. ^ Nは甲との交際中にも、一緒にパチンコ店に行っていわゆるフィーバー機で大当たりしたことがあった[31]
  6. ^ この時、Nの義兄はNを解雇した経緯をその会社に伝えて忠告していたが、その会社の雇い主はそれをさほど気にしておらず、当時のNの仕事ぶりを評価していた[29]
  7. ^ 三原八幡宮の現住所は、広島県三原市西宮一丁目1番1号である。これは2003年(平成15年)8月25日付で、三原市が旧大畑町の一部などを対象に実施した住居表示によって変更されたものである。
  8. ^ a b Aを担当していた民生委員の女性(1993年5月時点で70歳)は、1980年から週2回A宅を訪問して世話を続けていた[40]
  9. ^ a b Aは「私は気が若いから」との理由で地元の老人会には入会しておらず、また自宅が神社境内にあることから地域住民とも縁が薄かった[40]
  10. ^ Nはかつて神辺町から府中市を抜けて三原の実家に行ったことがあり、同町には多少土地勘があった[54]
  11. ^ 検察官の上告趣意書では、NはXとの話し合いの後に軍手を手にはめたとされている[56]
  12. ^ この知人男性は1972年7月1日、愛媛県松山市桑原町のマンションで妹(自身より2歳年下)や弟(4歳年下)と共謀して義妹(弟の妻:当時35歳)を絞殺し、自宅の鍛冶場に遺体を埋めたとして殺人・死体遺棄の罪に問われ[61]、1976年2月18日に松山地裁(鍵山鉄樹裁判長)[62]で求刑通り懲役15年の判決を言い渡され[61]、確定していた[63]。また、彼の妹と弟は同事件以前(1971年1月12日)にも、弟が起こした土地売買関連の横領事件の弁済金1,250万円を工面するため、伊予郡松前町の自宅で、母親(当時65歳)を交通事故に見せかけて殺害するため[61]、母親の頭を殴って死亡させ、それをひき逃げ事故に偽装した上で[64]、弟が約4,000万円、妹が約400万円の保険金を得るという保険金殺人事件を起こしており、この犯行は母殺害を知って漏らそうとした義妹を口封じするためのものだった[61]。妹は彼と同様に懲役15年、主犯の弟は死刑(いずれも求刑通り)の判決を言い渡され[61]、妹は懲役15年が確定[63]。弟は1981年6月26日に最高裁第二小法廷(木下忠良裁判長)で宣告された判決により死刑が確定[63]、1993年3月26日に大阪拘置所で死刑を執行されている(62歳没)[65]
  13. ^ 計170万円を4回にわたって無心し、パチンコをして遊び暮らした[71]
  14. ^ 同年11月ごろから捜査を開始したとする報道もある[7]
  15. ^ a b 上告趣意書に収録された「無期懲役の仮出獄期間中に殺人を含む犯罪を犯した事例一覧表(最高裁判所判例分)」によれば、福岡県直方市強盗殺人事件(別表2番)、東京都北区幼女殺害事件(同4番)、熊本母娘殺害事件(同5番)など5事件は、Nの第一審判決以前に死刑が確定している[119]。また別表2「殺害された被害者が1名の死刑確定事件一覧表」によればそれら5事件以外にも、福島女性飲食店経営者殺害事件(同別表13番)など2事件で、強盗殺人などによる無期懲役の仮出獄中に再び強盗殺人ないし殺人を犯した被告人が死刑判決を受け、第一審で確定している[120]
  16. ^ 『中国新聞』では上告したと報じられているが[96]、『判例時報』 (2000) によれば上告せずに刑が確定している[103]
  17. ^ ただし、刑事訴訟法第411条は「第405条各号に規定する事由がない場合であっても、(中略)原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。」と規定しており、同条第2項ではその事由の1つとして「刑の量定が甚しく不当であること。」を挙げている。
  18. ^ 名古屋アベック殺人事件の控訴審判決は第一審(名古屋地裁)の死刑判決を破棄自判したもので、東京高裁の2判決はいずれも無期懲役とした原判決に対し、死刑を求めた検察側の控訴を棄却したものである[106]
  19. ^ 北海道職員夫婦殺害事件の上告審では最高裁第一小法廷(井嶋一友裁判長)が同年12月16日付で上告棄却決定(無期懲役を宣告した札幌高裁の原判決を支持)を出した[152]。同日には岸和田事件についても同小法廷(遠藤光男裁判長)が上告棄却を決定した[159]ほか、残る1件についても同月21日に最高裁第三小法廷(元原利文裁判長)で上告棄却の決定が出された[158]
  20. ^ 1983年(「永山基準」が示された年) - 1999年の間に第一審・控訴審で死刑判決を受けた人数は年間4 - 15人だったが、2000年以降は8年連続で20人を超えている[167]。また殺人事件に対する判決数の増加割合は、1996年 - 2004年の間で約1.4倍だった一方、第一審から最高裁までで死刑判決を受けた被告人の人数は2004年のみで42人(8人だった1996年の5倍強)となっており、「連続上告」以降急増している[168]
  21. ^ 最終的には実現しなかった[173]
  22. ^ その例として、検察側が地下鉄サリン事件で12人殺害の罪に問われた林郁夫被告人に無期懲役を求刑したケースや、「連続上告」の対象となった5件以外の強盗殺人事件で無期懲役の東京高裁判決(1998年4月)に対し、死刑を求刑していた検察側が上告しなかったことを挙げた[131]
  23. ^ 上告対象となった札幌事件で弁護人を務めた村岡啓一弁護士ら4人が出席した[173]
  24. ^ 刑事訴訟法第408条:「上告裁判所は、上告趣意書その他の書類によって、上告の申立の理由がないことが明らかであると認めるときは、弁論を経ないで、判決で上告を棄却することができる。」
  25. ^ 最高裁にて取り扱われる上告審は法律審(通常は書面審理による)であるため、上告理由がないと判断される事件は口頭弁論を経ずに上告を棄却することができる[注 24][176]一方、控訴審判決を見直す可能性がある場合は口頭弁論を開く必要があるが、控訴審判決が死刑である事件は慣例として、(結論が上告棄却であっても)弁論を開いた上で判決を言い渡すこととなっている[177]
  26. ^ ほか4件に比べ、被害者数や財産的損害が少ないこと[201]
  27. ^ この死刑確定者は同年4月19日に最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)で死刑判決に対する上告を棄却する判決を宣告され[227]、判決訂正申立を期限内に行わなかったため、同年5月2日付で死刑が確定している[228][229]

出典

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    • 同内容の記事 - 『産経新聞』2009年5月23日大阪朝刊第二社会面「【裁く時 第3部 判断の重み】(2)死刑か無期か 流れを変えた連続上告」(産経新聞大阪本社)
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    • 裁判官:油田弘祐(裁判長)・渡辺壮・高麗邦彦
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    • 最高裁判所裁判官:元原利文(裁判長)・千種秀夫金谷利廣奥田昌道
      • 原判決:広島高等裁判所岡山支部刑事第一部 1997年(平成9年)11月12日判決[裁判官:伊藤邦晴(裁判長)・内藤紘二・森一岳] 事件番号:平成8年(う)第55号、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28035224
      • 原原判決:岡山地方裁判所刑事第一部 1996年(平成8年)4月15日判決[裁判官:山森茂生(裁判長)・近下秀明・藤原道子] 事件番号:平成6年(わ)第124号、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28025030
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    • 最高裁判所裁判官:遠藤光男(裁判長)・小野幹雄・井嶋一友・藤井正雄・大出峻郎
      • 原判決:大阪高等裁判所 1998年(平成10年)1月13日判決[裁判官:高橋金次郎(裁判長)・榎本巧・田辺直樹] 事件番号:平成9年(う)第116号、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28055146
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    • 判決主文:原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。
    • 裁判官:中山善房(裁判長)・鈴木勝利・岡部信也
    • 検察官・弁護人
      • 弁護人:岡部保男(控訴趣意書および弁論要旨を作成)
      • 検察官:坂田一男(控訴趣意書に対する答弁書を作成)・伊豆亮衞(弁論要旨を作成)
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  232. ^ 『中国新聞』2021年11月25日朝刊第17版地域面24頁「秘密面会拒否 再び「違法」 広島高裁判決 録音機使用は認めず」(中国新聞社 山田英和)
  233. ^ a b 『中国新聞』2023年6月27日朝刊第17版第一社会面25頁「広島接見妨害訴訟 死刑囚側上告退ける 国の賠償確定」(中国新聞社)
  234. ^ 死刑囚接見妨害で国の賠償確定」『産経ニュース産経デジタル、2023年6月26日。オリジナルの2023年8月15日時点におけるアーカイブ。2023年8月15日閲覧。
  235. ^ 興野優平「監視カメラ付きの居室に16年、死刑囚「プライバシー侵害」国を提訴」『朝日新聞デジタル』朝日新聞東京本社、2024年1月10日。オリジナルの2024年1月17日時点におけるアーカイブ。2024年1月17日閲覧。

参考文献

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刑事裁判の判決文

  • 『刑集』書誌情報 - 最高裁判所判例委員会(編)「第一審判決の無期懲役の科刑を維持した控訴審判決が量刑不当として破棄された事例」『最高裁判所刑事判例集』第53巻第9号、最高裁判所、2000年4月25日、1160-1326頁。 
    • 第一次上告審判決(1999年12月10日)および検察官の上告趣意書、第一審判決(1994年9月30日)・第一次控訴審判決(1997年2月4日)を収録している。上告趣意書には別表1「永山判決以後死刑の科刑を是認した最高裁判所の判例一覧表」(1266 - 1279頁:全49件)、別表2「殺害された被害者が1名の死刑確定事件一覧表」(1280 - 1285頁:全14件)、別表3「無期懲役の仮出獄期間中に殺人を含む犯罪を犯した事例一覧表(最高裁判所判例分)」(1286 - 1289頁:全5件)が収録されている。
    • 第一審判決 - 広島地方裁判所刑事第1部判決 1994年(平成6年)9月30日 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1290頁、『判例時報』第1524号154頁、『判例タイムズ』第883号288頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28025083、平成5年(わ)第334号、平成5年(わ)第453号、平成5年(わ)第296号、『有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人被告事件』。
    • 判決主文:被告人両名をいずれも無期懲役に処する。被告人〔X〕に対し、未決勾留日数のうち300日を右刑に算入する。被告人〔N〕から、押収してある普通預金払戻請求書1通(平成5年押第112号の1)及び郵便貯金払戻金受領証3通(同押号の2ないし4)の各偽造部分を没収する。
    • 裁判官:小西秀宣(裁判長)・齋藤正人・柳本つとむ
    • 第一次控訴審判決 - 広島高等裁判所第1部判決 1997年(平成6年)2月4日 『最高裁判所刑事判例集』第53巻9号1307頁、『判例時報』第1701号170頁、『判例タイムズ』第1023号130頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28055153(著名事件名:広島県福山市独居老婦人殺害事件)、平成7年(う)第25号、『有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人被告事件』。
      • 判決主文:本件各控訴を棄却する。被告人〔X〕に対し当審における未決勾留日数中400日を原判決の本刑に算入する。
      • 裁判官:荒木恒平(裁判長)
      • 検察官
        • 被告人Nへの控訴趣意書を作成 - 吉岡征雄(広島地方検察庁)
        • 被告人Xの控訴趣意書に対する答弁書作成 - 石部紀男(広島高等検察庁)
      • 弁護人:
        • 被告人Nの弁護人:合志喜生(検察側控訴趣意書への答弁書作成)
        • 被告人Xの弁護人:新川登茂宣(控訴趣意書作成)
  • 第一次上告審判決 - 「平成19年4月10日判決 平成16年(あ)第1554号」『最高裁判所裁判集 刑事』第291号、最高裁判所、2007年4月1日、337-524頁。  - 平成19年1月 - 6月


死刑囚Nによる国家賠償請求訴訟の判決文

法学誌記事

書籍


下書き:[[]]

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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関連項目

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