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利用者:城武顕/sandbox

万寿寺
本堂
所在地 佐賀県佐賀市大和町大字川上1109 標高:112.8m
位置 北緯33度19分38秒 東経130度15分22秒 / 北緯33.32722度 東経130.25611度 / 33.32722; 130.25611座標: 北緯33度19分38秒 東経130度15分22秒 / 北緯33.32722度 東経130.25611度 / 33.32722; 130.25611 
山号 水上山
宗派 臨済宗南禅寺派
寺格 諸山
本尊 不動明王
創建年 仁治元年(1240年)
正式名 水上山興聖万寿寺(旧字:水上山輿聖萬壽寺)
別称 水上不動尊、お不動さん[1]
札所等 佐賀新四国八十八ヶ所霊場第86番
法人番号 8300005002904
城武顕/sandboxの位置(佐賀県内)
城武顕/sandbox
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万寿寺(まんじゅうじ)は、佐賀県佐賀市大和町川上にある臨済宗南禅寺派の寺院佐賀藩時代に、鍋島家の祈願所。


概要

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万寿寺の建立以前の大治五年(1130年)[2]、善住和尚により創建された当初は天台宗の寺院だった。

開山の神子栄尊は、長楽寺[3]釈円栄朝に師事。嘉禎元年(1235年[3]円爾と共に渡している。円爾[3]径山万寿寺無準師範に参じ、栄尊は江南の諸刹を巡ったのち円爾と合流する。栄尊は暦仁元年(1238年[4]に帰国している。

仁治元年(1240年)[5]神子栄尊が万寿寺を開山して、 四条天皇から「水上山興聖万寿寺」という寺名をもらったといわれる臨済宗の寺である。本尊は[5]神子和尚作と伝えられる不動明王である。開山した翌年に栄尊[4]は、円爾の宋よりの帰国を待って開堂式を行っている。

なお開山神子禅師木像は[1]現在福岡県久留米市朝日寺の所蔵であるが、これを写したと伝える絹本着色の神子禅師頂相を保管する。

歴史

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南北朝時代

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中世期には水上の地の一部を寺領[1]としていて、建武(1335年)2年10月、付雑訴決断所牒(河上神社所蔵文書/佐史集成1)では河上神社の社領を侵したとして訴えられたことが見える。

室町時代、戦国時代

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永正14年(1517)[5]、64代天亨和尚は龍造寺隆信の曽祖父龍造寺家兼の弟で、後柏原天皇より勅願寺の綸旨を賜り勅願第1世となった。

文禄元年(1592年)[5]、勅願第9世の是琢明琳(ぜたくみんりん)[6]文禄の役鍋島直茂に従って従軍僧として朝鮮に渡り、陣中にあって武運長久の祈祷をして、朝鮮との交換文書の作成などの文書のことをつかさどった。加藤清正[6]が朝鮮の二王子臨海君順和君をとらえ、直茂に預けたとき、二王子の世話を是琢がした。是琢は[6]毎日のように二王子に漢詩を送り、直茂も料理や衣服の世話したため、二王子は書簡を送って感謝しました。

江戸時代

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佐賀藩の支藩である小城藩[7]に万寿寺領の水上村[8]が編入。 明和8年(1771年)11月、水上山万寿寺開山神子栄尊五百年遠忌で佐賀藩、小城藩が寄付を行う。

享保十九年(1734年)[5]の時代の万寿寺は、 鍋島家の寄付寺領高四十石余  外山林三町余(三ヘクタール) 寺域 東西十町余(1080m)、南北十五町余(1620m)

  • 仏殿(東西五間半、南北五間)
  • 山門(東西三間半、南北二間半)
  • 鐘楼(九尺四面)
  • 廻廊(東西五間半)
  • 僧堂(東西三間、南北四間半)
  • 方丈(東西七間半、南北四間半)
  • 開山堂(二間半四面)
  • 宝剱(一間半四面)
  • 庫裡(東西四間、南北八間半)
  • 茶室(東西三間、南北七間)
  • 廻廊(東西五間但庫裡茶室の間)
  • 惣門(東西二間半、南北一間半)
  • 中門(東西二間半、南北一間半)

(※一間は1.8m)

八庵[5]【妙高院・大同庵・霊光庵・宝珠庵・光明庵・黄梅庵・徳雲軒・正覚庵】

八十三か寺【光浄寺(みやき町)】 末寺は、西福寺、威徳寺、円照寺(川添町史) p.953 発行日:昭和54年2月28日

現在

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現在の堂宇は[5]、明治5年火災後再建され、その後もまた時々修理されている。

文化財・史跡

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9世是琢和尚は鍋島直茂公の御側役として文禄の役の時朝鮮に渡り、彼の地より画幅を持ち帰ったものが残っている。梁の武帝離宮の図や蓮鷺の図、特に十六羅漢の仏画は明国仇英の画風を伝える貴重な物といわれている。

墓所

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  • 神子栄尊の墓 - 当寺の墓所正面の五輪塔[5]
  • 天亨和尚の墓 - 五輪塔より向かって、右側の無縫塔(卵塔)[5]

歴代の住職

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  • 天亨和尚(第64世)(勅願第1世) - 龍造寺家兼の弟で、後柏原天皇[5]より勅願寺の綸旨を賜り勅願第1世となった。
  • 是琢明琳(勅願第9世) -鍋島直茂の御側役[6]として文禄の役の時に従軍。佐賀市泰長院の第3世など。

伝説

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お不動さんと竜王池

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この伝説は、大和町史P.658〜660から全文を引用しています

神子和尚が仁治3年(1242)48才のころの話である。ある日、神子和尚が竜渕室という所に端座していると、空がにわかに曇ってきて次第に暗くなり、物凄い雷鳴につれてしのつく雨が降ってきた。和尚は平然と瞑想三昧に入っていたが、一きわ烈しい音響とともに何者かが落ちてきた様子である。見ると庭先に双角鬼面(鬼の形をした)の怪物が2つうずくまっている。和尚は急いで襟にかけていた袈裟をはずして取り押え「何者じゃ」と問いかけると

「私たちは善護・慈済と申す者で竜王よりの使者でございます」 「何のためにまいられた」 「竜王から贈られた水火2振りの宝剣を忠実に護っておられるとは思いますが、この上ともよく守護するよう私たち2人が仰せを受けてまいりました」

というのでいっしょに暮らすことにしたが、2人とも実にまめまめしく働く。3年ほどたってから2人は改めて和尚に切り出した。

「私どもの役目の日限は今日限りでございます。ただ今お暇をいただきたいと思いますが、お望みがあれば何なりと……」 「さようか、ではこの山は水不足で困っている。水を施してはくれまいか…」

と頼んだところ「心得ました」というより早く両人がそばの岩をぽんとけった。ところが不思議にも岩の下からこんこんと清水が湧き出してたちまち池となり、その後如何なる旱ばつにもこの池ばかりはかれたことがないという。この池を竜王池と呼んでいる。

今ひとつこの伝説の変形と思われるものがある。神子和尚が例のように庭の落葉をはいていると、一天にわかにかき曇り物凄い雷鳴とともに和尚の目の前に雷が転げ落ちてきた。和尚は持っていたほうきですばやくその雷をとり押え、

「ここは天下の大道場じゃ。こんな所に落ちてきて修行のじゃまをしてはならぬぞ」とたしなめられたところ、雷は平伏して 「そんなところとはつゆ知らず落ちてきて悪うございました。以後こちらには決して落ちないように仲間の者にも申し伝えておきます」

とあやまるので許してやった。以後この水上山には落雷することがなかったという。

交通

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長崎自動車道佐賀大和ICから約10分

JR佐賀駅から車で約25分

その他

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28日の不動詣[1]として参詣人が多い。

  • 紅葉の隠れた名所[9]としても知られています。(見頃/11月下旬~12月初旬)
  • 境内には滝や泉があります。奥には崖があり、羅漢像や不動明王が鎮座している。

ギャラリー

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羅漢像あり

脚注

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  1. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名辞典 41 佐賀県』のp.657
  2. ^ 大和町史 ”. 佐賀市行政資料コーナー. 2022年1月16日閲覧。p.174によると、「鎮西要略」並びに「開山行業記」の中に『大治五年(1130)水上山に善住という異僧がいた。天台宗の僧で、ここで不動の法を修すること多年、天がその仏心に感応してその年の五月二十八日丑の刻(午前二時)に宝剱を下された。天皇のお言葉によって一旦宮中に収められたが、瑞相がしばしば起るので再び水上山に返された』とある。この宝剱といわれるものは現在寺宝として保管されている。
  3. ^ a b c 神子栄尊 ”. コトバンク. 2022年1月16日閲覧。
  4. ^ a b 肥前国勅賜水上山興聖万寿禅寺開山勅特賜神子禅師栄尊大和尚年譜 ”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2022年1月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j 大和町史 ”. 佐賀市行政資料コーナー. 2022年1月16日閲覧。p.173~179
  6. ^ a b c d 是琢明琳”. 佐賀県人名辞典. 2022年1月16日閲覧。
  7. ^ 大和町史 ”. 佐賀市行政資料コーナー. 2022年1月16日閲覧。p.235
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名辞典 41 佐賀県』のp.662によると、水上村は江戸期の村名。小城藩領。佐保川島郷に属す。当村が万寿寺領・宝珠寺領。村高は「正保絵図」「天明村々目録」ではともに42石余、「天保郷帳」では50石余。(中略)「明治7年取調帳」で河上村の枝村と見える。
  9. ^ 佐賀県内の紅葉スポット ”. あそぼーさが. 2022年1月16日閲覧。

参考文献

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古典

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主要文献

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関連項目

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外部リンク

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