長楽寺 (太田市)
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長楽寺 | |
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本堂(2012年3月) | |
所在地 | 群馬県太田市世良田町3119-7 |
位置 | 北緯36度15分47.1秒 東経139度16分37.7秒 / 北緯36.263083度 東経139.277139度座標: 北緯36度15分47.1秒 東経139度16分37.7秒 / 北緯36.263083度 東経139.277139度 |
山号 | 世良田山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 1221年(承久3年) |
開基 | 世良田義季 |
中興 | 天海 |
公式サイト | 世良田山長楽寺 |
法人番号 | 4070005006222 |
長楽寺(ちょうらくじ)は、群馬県太田市世良田町にある天台宗の寺院である。山号は世良田山。本尊は釈迦如来。隣接して世良田東照宮がある。境内は「新田荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。
歴史
[編集]臨済宗関東十刹
[編集]1221年(承久3年)世良田義季の開山、臨済宗の僧[1]釈円栄朝を開山として創建されたという。早い時期から官寺として扱われていた。室町時代初期(南北朝時代)には室町幕府から関東十刹のひとつに列せられた。
鎌倉時代の開基~江戸時代までは新田家および足利家(鎌倉公方)の帰依を得、臨済宗関東十刹中でも大寺院であった。
宗旨替え
[編集]徳川家の祖とされる世良田義季(得川義季)が創建したとされることから徳川家の帰依を得、江戸時代江戸幕府に起用された天台宗の僧天海により天台宗に改宗となった。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 宝塔 - 鎌倉時代後期(1276年)の建立。台石底面に建治二年十二月廿五日の刻銘がある。昭和36年(1961年)03月23日指定。
- 絹本墨画出山釈迦図 東明慧日賛 - 南北朝時代の作品。昭和39年(1964年)05月26日指定。
- 紙本墨書長楽寺文書 7巻(115通)[2] - 鎌倉-室町時代の作品。昭和13年(1938年)07月04日指定。
群馬県指定重要文化財
[編集]- 勅使門・三仏堂・太鼓門
- 絹本墨画淡彩呂洞賓図
- 絹本墨画月湖観音像
- 絹本墨画葡萄図 伝・日観筆 双幅
- 絹本墨画枯木図
- 紙本墨画蘭図
- 絹本著色無準師範像
- 絹本著色牧翁了一像
- 絹本著色荏柄天神像
- 絹本著色律台栄宗像
- 絹本著色慈覚大師像
- 絹本著色山王曼荼羅図
- 絹本著色十六羅漢図
- 紙本墨画三十三観音像
- 木造伝徳川義季像
- 木造伝徳川義季夫人像
- 木造法照禅師月船琛海像
- 三仏堂三尊仏
- 紙本墨書永禄日記
- 普光庵法照禅師月船琛海墓所出土品
記録
[編集]- 『長楽寺記』- 歴代住持の記録
- 『禅刹住持籍』- 歴代住持の記録
- 『灌頂持誦秘録』
- 『印信総目録』
- 『長楽寺永禄日記』- 住持・賢甫義哲が記した日記。戦国時代の永禄8年(1565年)1月から同年6月まで。同日記は長楽寺で行われた仏事や義哲の日常生活、寺領や近在の百姓の動向などが記され、戦国期東国の地域社会を知る史料として注目されている。翻刻には峰岸純夫校訂『史料纂書135 長楽寺永禄日記』(続群書類従完成会、2003年)がある。
交通
[編集]倉賀野宿で中仙道から分岐する日光例幣使街道の境宿と木崎宿のほぼ中間地点にある。
自動車
[編集]電車
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ ただし、創建当時に日本の臨済宗の概念は確立されておらず、栄西の弟子であった栄朝も自身を天台宗の僧侶を称していたとされ、栄朝が創建した当初は天台宗と臨済禅の兼修寺院であったという指摘もある(田中大喜「〈得宗専制〉と東国御家人 -新田義貞挙兵前史-」 田中 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第三巻 上野新田氏』(戒光祥出版、2011年)ISBN 978-4-86403-034-2(原論文:2001年))。
- ^ 文書の員数については、重要文化財指定名称では「115通」となっているが、「117通」とする資料もある(参照:太田市サイト)。