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利用者:七厩拓/sandbox2

日本 > 宮城県 > 柴田郡 > 柴田町 > 七厩拓/sandbox2
槻木
大字
日本の旗 日本
都道府県 宮城県の旗 宮城県
柴田郡
市町村 柴田町
地区 槻木地区
人口情報2023年12月31日現在[1]
 人口 632 人
 世帯数 252 世帯
設置日 1889年(明治22年)
4月1日
郵便番号 983-0834
市外局番 0224
ナンバープレート 宮城
町字ID[2] 0026000
運輸局住所コード[3] 04801-0161
ウィキポータル 日本の町・字
宮城県の旗 ウィキポータル 宮城県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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槻木(つきのき)は、宮城県柴田郡柴田町大字郵便番号は989-1756[4]。人口は632人、世帯数は252世帯(2023年12月31日現在)[1]。旧陸奥国柴田郡入間野村陸前国柴田郡入間野村白石県柴田郡入間野村角田県柴田郡入間野村仙台県柴田郡入間野村宮城県柴田郡入間野村宮城県柴田郡槻木村大字入間野、宮城県柴田郡槻木町大字入間野

地理

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柴田町北部、槻木地区の中央に位置する。かつては槻木地区の中心部を含む領域だったが、現在は土地区画整理事業住居表示の施行に伴い、西側の集落のほか東側にある阿武隈川沿いの河川敷が飛地として存在する。

東は大字四日市場槻木駅西、西は大字海老穴・大字船迫松ケ越、南は槻木西槻木白幡と、北は大字入間田と接しており、阿武隈川の河川敷にある飛地は大字四日市場槻木東槻木下町槻木上町槻木白幡と接している。

都市計画区域上では一部が市街化区域に指定されており、都市計画法上の用途地域では第一種住居地域および準工業地域に、防火指定では準防火地域に分類される[5]

河川藤川七北田川水系梅田川の支流)

小字

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小字は以下の通り。原則として、「柴田郡柴田町(仙台法務局大河原支局)登記所備付地図データ」(2024年4月15日時点)、柴田町・村田町・大河原町合併協議会の「町(字)名一覧表(柴田町)」(2004年2月26日時点)[6]デジタル庁公表の「宮城県 柴田郡柴田町 町字マスター データセット」(2024年3月12日時点)、「柴田町行政区長会規則」(令和2年柴田町規則第4号)を基に作成し、町字IDについては「宮城県 柴田郡柴田町 町字マスター データセット」を、読みについては「町(字)名一覧表(柴田町)」および

なお、全ての小字に「字」を冠している。

町字ID 小字 読み
26101 燕石 つばめいし
26102 燕田 つばめだ
26103 遠島 とうじま
26104 遠島前 とうじままえ
26105 遠島入 とうじまいり
26106 下沼 しもぬま
26107 下川前 しもかわまえ
26108 下中原 しもなかはら
26109 下町[注 1]
26110 下天保土手 しもてんぽどて
26111 花不見沢 はなみずざわ
26112 釜石[注 2] かまいし
26113 萱ケ崎 かやがさき
26114 舘ノ内[注 2]
26115 舘前 たてまえ
26116 丸山 まるやま
26117 弓矢ケ崎 ゆみやがさき
26118 鏡田 かがみだ
26119 戸ノ入 とのいり
26120 寺入
26121 寺入山 てらいりやま
26122 小井戸 こいど
26123 松崎
26124 沼頭 ぬまがしら
26125 焼檀 やけだん
26126 上川前 かみかわまえ
26127 上中原 かみなかはら
26128 上町 かみまち
26129 上町南浦
26130 上天保土手 かみてんぽどて
26131 新遠島 しんとうじま
26132 新屋敷 あらやしき
26133 新舘ノ内 しんたてのうち
26134 新舘前 しんたてまえ
26135 新小井戸 しんこいど
26136 新松崎 しんまつざき
26137 新町 しんまち
26138 新田
26139 新田町 しんでんまち
26140 新田町前 しんでんまちまえ
26141 新白幡 しんしらはた
26142 新畑中 しんはたけなか
26143 新本木 しんもとき
26144 新余目 しんあまるめ
26145 生月 いけつき
26146 西谷地 にしやち
26147 船ノ入
26148 前山 まえやま
26149 台前 だいまえ
26150 大柳 おおやなぎ
26151 中居前 なかいまえ
26152 中原 なかはら
26153 中江前 なかえまえ
26154 中谷地 なかやち
26155 中町 なかまち
26156 中道
26157 町場 まちば
26158 ひがし
26159 東小井戸
26160 洞ノ上 どうのうえ
26161 南遠島 みなみとうじま
26162 南新明 みなみしんめい
26163 南町 みなみまち
26164 二渡 にわたり
26165 乳子墓 ちごはか
26166 白幡
26167 畑中
26168 浜井場 はまいば
26169 別当寺
26170 北新明 きたしんめい
26171 北谷地 きたやち
26172 堀込 ほりごめ
26173 本木 もとき
26174 余目 あまるめ
26175 余目山 あまるめやま
26176 葉木 はのき
26177 鯲沼 どじようぬま
なし 祇園田[注 3] ぎおんだ
0 葛岡 くずおか
0 葛岡山 くずおかやま
0 新葛岡 しんくずおか
0 西葛岡 にしくずおか
字名 ID 合併 登記 規則
下町 26109
釜石 26112 7
舘ノ内 26114
舘前 26115 37 146
丸山 26116 64 156
弓矢ケ崎 26117 70 123
鏡田 26118 6 273
戸ノ入 26119 47 162
寺入 26120
寺入山 26121 41 157
小井戸 26122 18 175
松崎 26123 100
沼頭 26124 56 144
焼檀 26125 69 116
上川前 26126 8 261
上中原 26127 10 128
上町 26128 11
上町南浦 26129
上天保土手 26130 9 125
新遠島 26131 31 135
新屋敷 26132 3 281
新舘ノ内 26133 27
新舘前 26134 28 282
新小井戸 26135 25 113
新松崎 26136 34 166
新町 26137 33 389
新田 26138 333
新田町 26139 29
新田町前 26140 30
新白幡 26141 26 133
新畑中 26142 32 174
新本木 26143 35
新余目 26144 23 139
生月 26145 4
西谷地 26146 54 108
船ノ入 26147
前山 26148 62 149
台前 26149 36 164
大柳 26150 5 223
中居前 26151 48 256
中原 26152 50 132
中江前 26153 49 141
中谷地 26154 52 114
中町 26155 51 176
中道 26156
町場 26157 63
26158 60 112
東小井戸 26159
洞ノ上 26160 45 442
南遠島 26161 66 138
南新明 26162 65 118
南町 26163 67 122
二渡 26164 55 160
乳子墓 26165 38 158
白幡 26166
畑中 26167
浜井場 26168 59 153
別当寺 26169
北新明 26170 14 120
北谷地 26171 15 136
堀込 26172 61 161
本木 26173 68
余目 26174 1 150
余目山 26175 2 148
葉木 26176 58 130
鯲沼 26177 46 131
祇園田 13 218
葛岡 16 159
葛岡山 17 107
新葛岡 24 169
西葛岡 53 274

歴史

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近世まで

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約2万年前の最終氷期頃、現在の大字槻木を含む槻木盆地は小河川に浸食され、河谷状の地形が形成されていた。その後、温暖化に伴う縄文海進により海面は上昇し、大字槻木の北方に広がる水田地帯は内湾のような状態となった[7]。湾内は沖積土の堆積によって遠浅の海となり、やがて槻木盆地入口付近で形成された自然堤防が北東方向へ拡大したことによりラグーンへ変化した[8]

縄文時代には大字槻木に形成された槻木湾および後のラグーンで活発な漁撈が行われたと考えられており、字燕石などには海食崖が残されている[9]。大字槻木を流れる五間堀川は海進期における海水の進路の役割を果たした河川の衰退した姿とされ、その支谷に槻木貝塚群が点在している[10]

中世

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15世紀末、伊達稙宗の実弟である留守景宗留守氏の跡を継いだ際、十数名の伊達家臣が随行した。その伊達家臣の中には「柴田七騎」と呼ばれる柴田郡在住の家臣がおり、うち入間野源七郎という人物は入間野を拠点としていたと考えられている[11]

明応9年(1500年)頃には入間野を含む現在の柴田町の大部分が留守景宗の支配下となり、柴田七騎が在地領主として周辺の農民を支配した。この際の入間野氏の領地の範囲が現在の大字の名残となっている[12]。明応9年(1500年)から天文7年(1538年)の間に作成されたとされる「柴田の長帳」には知行地の貫高は105と記載されている[13]

天文13年1月24日1544年2月16日)、伊達稙宗四保四郎に対して入間野村を含む5村を宛行い、知行とする旨を記している[11][14]。これは伊達稙宗と伊達晴宗の間で起きた天文の乱が背景にあり、内乱中は両者が互いの味方の家臣に濫発していた所領宛行状の一つとされている[15]。入間野村が対象になった理由として、柴田七騎が留守景宗に随行し根拠とする土地を離れたためと考えられている[11]。また、これが地名として入間野が文献に登場した初見であるとされている[16]

この度すちめ筋目ニまかセ稙宗ニほうかう奉公あるへき事大さきニ申あわせられ候、愚老ニおゐて大けいこの事候、然間のそミまかセほんち本地あいわた相渡し申候、しゆひ首尾ことくしこく時刻をうつさすてたてあるへく候事かんよう肝要候、
一 いるまの入間野
一 かみかハな上川名
一 はとハら鳩原
一 とミつかかミのみやう富塚上名生
一 ぬまへ沼部
一 せきハ関場
これをあておこな宛行い候、まつたい末代ニおゐてちきやう知行あるへく候、爲後日之状 仍執達如件 — 伊達稙宗、伊達稙宗判物[17]

弘治2年12月17日1557年1月17日)には、伊達晴宗が船迫彦八郎へ入間野知行の判書を与え、入間野村が宛行われたことが記録されている[18][19]。この船迫彦八郎という人物は現在の本船迫にあった船迫城の城主であり[20]、船迫大和の子であったとされている[19]。また、伊達正統世次考の按文では船迫氏は宮城氏(留守氏)の家臣だったものが伊達氏に帰ったのだとしている[18]

十七日。賜判󠄁書於船󠄂迫󠄁彥八郞󠄀曰。今度爲出仕甚悅喜。因入間野如知行與之。於末代不有相違󠄁也。仍證文󠄁如件。 — 伊達正統世次考 [19]

年表

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町名の変遷

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町名の変遷は以下の通りである[22]

変更後の区域 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 大字 小字
仙台市 松岡町 仙台市 原町苦竹 字案内前上 1932年昭和7年)[23]
字案内前下
東仙台二丁目(新設) 松岡町 1980年(昭和55年)10月6日[22]

世帯数と人口

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2024年令和6年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りとなる[1]

大字 世帯 人口
槻木 252世帯 632人
252世帯 632人

小・中学校の学区

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小・中学校の学区は以下の通りとなる。なお、小規模特認校制度により就学する場合は柴田町内全域から柴田小学校へ通学可能となる[24]

大字 小字 地番 小学校 中学校
槻木 新葛岡 全域 槻木小学校 槻木中学校
中谷地
葛岡
浜井場
前山
余目
余目山
舘前
鏡田
新遠島
乳子墓
新小井戸
遠島前
遠島入
遠島
新松崎
洞ノ上
新田町前
丸山
萱ケ崎
北谷地
寺入山
燕石
花不見沢
新畑中
焼檀
新白幡
中原
新余目
新舘前
南遠島
西葛岡
燕田
台前
中江前
新田
下沼 4、6番地以外
4、6番地 柴田小学校
中居前 全域

施設

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店舗

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交通

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鉄道

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鉄道駅はないが、以下の路線が通過している。最寄り駅は東北本線槻木駅

バス

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地区内に路線バスコミュニティバス廃止代替バスは通っていない。

道路

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  • 地区内に一般国道は通っていない。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典4宮城県』角川書店、1979年12月8日。ISBN 9784040010403 
  • 伊達綱村『伊達正統世次考 第參冊』 第拾輯、作並清亮〈仙台文庫叢書〉、1900年11月20日。doi:10.11501/780473 

柴田町史

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脚注

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注釈

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  1. ^ デジタル庁「町字マスター」のみに記載あり。
  2. ^ a b 柴田町・村田町・大河原町合併協議会「町(字)名一覧表(柴田町)」およびデジタル庁「町字マスター」のみに記載あり。
  3. ^ 合併協議会の「町(字)名一覧表(柴田町)」ほか

出典

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  1. ^ a b c 6.町丁・大字別,男女別人口及び世帯数”. 柴田町. 2024年6月29日閲覧。
  2. ^ 宮城県 柴田郡柴田町 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2024年3月12日). 2024年6月29日閲覧。
  3. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年6月29日閲覧。
  4. ^ 宮城県 柴田郡柴田町 槻木の郵便番号”. 日本郵便. 2024年11月13日閲覧。
  5. ^ 仙台市都市計画情報インターネット提供サービス”. 仙台市. 2024年4月9日閲覧。
  6. ^ 協議第83号 町名・字名の取扱いについて(協定項目17)”. 柴田町・村田町・大河原町合併協議会. pp. 4-5. 2005年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月29日閲覧。
  7. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, p. 223
  8. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, p. 224
  9. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, p. 225
  10. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, p. 226
  11. ^ a b c 柴田町史編さん委員会 1983, p. 289
  12. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, pp. 500–501
  13. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, pp. 524–525
  14. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 87
  15. ^ 柴田町史編さん委員会 1983, p. 290
  16. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, p. 93
  17. ^ 柴田町史編さん委員会 1983, p. 368
  18. ^ a b 柴田町史編さん委員会 1983, p. 362
  19. ^ a b c 伊達 1900, pp. 61–62
  20. ^ 柴田町史編さん委員会 1989, pp. 511–512
  21. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 593
  22. ^ a b c 旧新住所対照表(ま~も)”. 仙台市. 2024年4月9日閲覧。
  23. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 483
  24. ^ 小中学校の通学区域(学区)”. 柴田町. 2024年11月13日閲覧。

関連項目

[編集]