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利用者:七厩拓/仙台市記事置き場

仙台市 > 七厩拓/仙台市記事置き場
仙台市の位置図

仙台市の町・字(せんだいしのまち・あざ)では、宮城県仙台市を構成する町・字の変遷について述べる。

仙台市は1878年(明治11年)10月21日に宮城県で施行された郡区町村編制法によって成立した仙台区を前身とし、1889年(明治22年)4月1日に施行された市制(明治21年法律第1号)により成立した。市制施行時の仙台市は、仙台城下と宮城郡から編入された地域を含む228の字で構成された[1]

1940年代

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戦災復興事業

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仙台空襲で被災した区域(赤色)

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月10日アメリカ軍が行った仙台空襲によって、仙台市中心部の約500ヘクタールが焼け野原となり、1万1933戸の家屋が焼失した。終戦後の同年12月30日、「戦災復興計画基本方針」が閣議決定され、市町村長に復興事業施行の権限を与えることが望ましいという方針が示された。これにより仙台市会では全員協議会を開き事業施行について審議し、翌年2月6日をもって戦災復興の事業施行主体を仙台市とすることを決議した。

仙台市は宮城県や国との連携のもと、事業計画を具体化し、特別都市計画法による国庫補助を受けて戦災復興事業を進めることとなった。1946年(昭和21年)5月

1990年代

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2000年代

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2010年代

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仙台市富沢駅周辺土地区画整理事業の町名変更

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2016年(平成28年)6月17日、仙塩広域都市計画事業 仙台市富沢駅周辺土地区画整理事業の換地処分の公告が行われ、翌6月18日に換地処分に伴う住所変更が行われた。これにより、大野田の一部で丁目が新設され、大野田字王ノ檀、大野田字袋前、大野田字元袋、大野田字六反田、富沢字下ノ内浦が廃止された[2]。なお、区画整理事業区域内の富沢四丁目では住居表示が既に施行されていたため、地番のみの変更となった[2]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 大字
太白区 大野田四丁目(新設) 太白区 大野田 イコタ 2016年(平成28年)6月18日
観音堂
北屋敷
皿屋敷
下古川
千刈田
竹松
塚田
宮脇
王ノ檀
大野田五丁目(新設) 北屋敷
五反田
千刈田
竹松
塚田
宮脇
袋前
元袋
六反田
富沢四丁目
富沢 下ノ内
下ノ内浦

仙台市荒井西土地区画整理事業の町名変更

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2018年(平成30年)6月15日、仙塩広域都市計画事業 仙台市荒井西土地区画整理事業の換地処分の公告が行われ、翌6月16日に換地処分に伴う住所変更が行われた。これにより、荒井蒲町かすみ町南小泉長喜城の一部が再編され、なないろの里が新設されたほか、荒井字札屋敷、南小泉字梅木、蒲町字南が廃止された。同日、蒲町とかすみ町の新たに編入された範囲において住居表示が施行された[3]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 大字
若林区 荒井一丁目(新設) 若林区 荒井 札屋敷 2018年(平成30年)6月16日
蒲町
蒲町
なないろの里一丁目(新設) 南小泉 梅木
かすみ町
蒲町
なないろの里二丁目(新設) 荒井 梅ノ木
札屋敷
荒井一丁目
南小泉 梅木
蒲町
蒲町
長喜城 鉄砲前
なないろの里三丁目(新設) 荒井 梅ノ木
南小泉 梅木
蒲町(編入) 蒲町
かすみ町(編入) 南小泉 梅木

泉第二中山地区の住居表示

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2018年(平成30年)7月23日、泉第二中山地区において住居表示が実施され、実沢の一部で町域の再編が行われ、西中山が新たに新設された[4][5]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 大字
泉区 西中山一丁目(新設) 泉区 実沢 戸平 2018年(平成30年)7月23日
茂倉山
男生山
八乙女鬼田
八乙女前屋敷
八乙女出戸
八乙女札原下
八乙女堰上
八乙女前
八乙女持山
西中山二丁目(新設) 茂倉山
男生山

公有水面埋立事業による町域変更

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2018年(平成30年)10月31日公有水面埋立法による公有水面埋立事業施行地域および同事業の施行区域隣接地において町の区域変更が行われ、中野の一部が四丁目に編入された[6]。また、同時に住居表示が施行された[7]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 大字
宮城野区 四丁目(編入) 宮城野区 中野 高松 2018年(平成30年)10月31日
中曲
船入

2020年代

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仙台市茂庭土地区画整理事業の町名変更

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2021年令和3年)6月3日、仙塩広域都市計画事業 仙台市茂庭土地区画整理事業の換地処分の公告が行われ、翌6月4日に換地処分に伴う住所変更が行われた。これにより、茂庭の一部で丁目の新設及び区域の変更が行われ、茂庭字町尻が廃止された[8]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町字 行政区 大字
太白区 茂庭一丁目(新設) 太白区 茂庭 宇塚 2021年令和3年)6月4日
熊野
御所川
新熊野
新御所川
曾根
西
本郷
町北
茂庭二丁目(新設) 宇塚
熊野
御所川
新熊野
新御所川
曾根
西
町尻
茂庭字町北(変更) 西
本郷

仙台市富沢駅西土地区画整理事業の町名変更

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2021年(令和3年)6月18日、仙塩広域都市計画事業 仙台市富沢駅西土地区画整理事業の換地処分の公告が行われ、翌6月19日に換地処分に伴う住所変更が行われた。これにより、富沢富田の一部で富沢西が新設され、富沢字鍛冶屋敷、富沢字鍛冶屋敷前、富沢字川前浦、富沢字熊ノ前、富沢字寺城、富沢字舞台が廃止された[9]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 大字
太白区 富沢西一丁目(新設) 太白区 富沢 鍛冶屋敷前 2021年令和3年)6月19日
川前浦
熊ノ前
舘東
堀ノ内
山口
富沢西二丁目(新設) 熊ノ前
堀ノ内
宮崎
富田 京ノ北
富沢西三丁目(新設) 富沢 熊ノ前
鍛冶屋敷
鍛冶屋敷前
富田 京ノ北
京ノ中
京ノ南
富沢西四丁目(新設) 富沢 鍛冶屋敷前
川前
川前浦
熊ノ前
寺城
中河原
舞台
六本松
富沢西五丁目(新設) 鍛冶屋敷
鍛冶屋敷前
寺城
中河原
舞台
六本松
富田 京ノ中
京ノ南

仙台市蒲生北部被災市街地復興土地区画整理事業の町名変更

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2021年令和3年)9月30日、仙塩広域都市計画事業 仙台市蒲生北部被災市街地復興土地区画整理事業の換地処分の公告が行われ、翌10月1日に換地処分に伴う町名変更が行われた。これにより、蒲生の一部で丁目が変更及び新設され、蒲生字北荒田、山神、中野字牛小舎が廃止された[10][11]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 大字
宮城野区 蒲生一丁目(変更) 宮城野区 蒲生二丁目 2021年(令和3年)9月30日
蒲生 西屋敷添
二本木
東屋敷添
屋敷
山神
中野 牛小舎
西原
蒲生二丁目(変更) 蒲生一丁目
中野 牛小舎
蒲生三丁目(新設) 蒲生二丁目
中野 牛小舎
高松
西原
船入
蒲生 荒田
北荒田
蒲生四丁目(新設) 蒲生二丁目
蒲生 荒田
中野 高松
蒲生五丁目(新設) 蒲生一丁目
蒲生二丁目
蒲生 荒田
西屋敷添
二本木
念仏田
東屋敷添
屋敷
中野 牛小舎
西原

泉パークタウン朝日地区内の町名変更

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2022年(令和4年)4月1日泉パークタウン第6住区である朝日地区の町名変更が行われた。これにより、朝日が新設され、根白石字陰沼北、字針生山ノ内朝日が廃止された[12]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 大字
泉区 朝日一丁目(新設) 泉区 根白石 陰沼北 2022年(令和4年)4月1日
陰沼
針生山
行木沢東
朝日二丁目(新設) 針生山ノ内朝日
銅谷明神下
原田
針生山

泉区本田町の町域変更

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2023年(令和5年)10月10日、仙台市告示第588号によって町の区域変更が告示された。2023年(令和5年)11月7日よりその効力が生じ、天神沢一丁目の一部が本田町に編入された[13]。同時に住居表示の廃止及び区域の変更が行われた[14]

変更後 変更前の区域 変更日
行政区 町丁 行政区 町丁
泉区 本田町(編入) 泉区 天神沢一丁目 2023年(令和5年)11月7日

利府町との境界変更による字の新設

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2024年(令和6年)1月31日宮城郡利府町との境界変更が行われ、宮城野区岩切字羽黒前の一部が利府町に編入され、利府町神谷沢字金沢の一部が仙台市宮城野区に編入される予定である[15]。これは仙台市岩切羽黒前利府町神谷沢土地区画整理事業内における新区画の整備によるものである[16]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 大字 自治体 大字
仙台市宮城野区 神谷沢 金沢(新設) 宮城郡利府町 神谷沢 金沢 2024年(令和6年)1月31日
宮城郡利府町 岩切 羽黒前(新設) 仙台市宮城野区 岩切 羽黒前

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 仙台市史編纂委員会 1975, p. 266-269.
  2. ^ a b 仙台市役所都市整備局市街地整備課: “換地処分の公告・町名地番変更の変更について”. 仙台市. 2023年12月15日閲覧。
  3. ^ 仙台市役所都市整備局市街地整備課: “荒井西地区町名地番変更 旧新住所対照表”. 仙台市. 2023年12月15日閲覧。
  4. ^ 仙台市役所市民局戸籍住民課: “新旧対照表(な~の)”. 仙台市. 2023年12月14日閲覧。
  5. ^ 仙台市役所市民局戸籍住民課: “町名変更区域図(泉第二中山)”. 仙台市. 2023年12月14日閲覧。
  6. ^ 仙台市 2018a.
  7. ^ 仙台市 2018b.
  8. ^ 仙台市役所都市整備局市街地整備課: “茂庭地区町名地番変更 旧新住所対照表”. 仙台市. 2023年12月15日閲覧。
  9. ^ 仙台市役所都市整備局市街地整備課: “富沢駅西地区町名地番変更 旧新住所対照表”. 仙台市. 2023年12月15日閲覧。
  10. ^ 仙台市役所都市整備局市街地整備課: “仙台市蒲生北部被災市街地復興土地区画整理事業”. 仙台市. 2023年12月14日閲覧。
  11. ^ 仙台市役所都市整備局市街地整備課: “仙台市蒲生北部地区町名地番変更 旧新住所対照表”. 仙台市. 2023年12月14日閲覧。
  12. ^ 仙台市総務局広報課 2022, p. 11.
  13. ^ 仙台市 2023a.
  14. ^ 仙台市 2023b.
  15. ^ 総務省 2023c.
  16. ^ 令和5年3月定例会会議録(3月2日木曜日分)”. 利府町. pp. 19-20. 2023年12月16日閲覧。

参考文献

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書籍

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告示

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仙台市告示

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総務省告示

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関連項目

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塩竈市 > 七厩拓/仙台市記事置き場
塩竈市の位置図

塩竈市の町・字(しおがましのまち・あざ)では、宮城県塩竈市を構成する町・字の変遷について述べる。

塩竈市は1889年明治22年)4月1日に施行された町村制によって塩竈町として成立し、1941年昭和16年)11月23日に市制を施行、1950年(昭和25年)4月1日宮城郡浦戸村を編入して概ね現在の形となった。1889年の町村制施行時、塩竈町内で39の小字[1][2]、浦戸村内で4の大字が設定されていたが[3]住居表示の施行などによって2023年令和5年)現在は全体で が存在する[4]

塩竈市の概要

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町村制

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町村制施行以前の塩竈村は、支村として七ヶ浜(松ヶ浜・湊浜・菖蒲田浜・花渕浜・吉田浜・代ヶ崎浜・東宮浜)を含む地域であったが、1876年明治9年)に行政上は塩竈村を離れ、後に七ヶ浜村となった。浦戸諸島の各島浜(桂島・石浜・寒風沢浜・野々島)については1884年(明治17年)に塩竈村と連合村を形成し、塩竈村外四箇島戸長役場が設置されていた[5]

1889年(明治22年)に施行される町村制に際し、宮城県知事松平正直は県内の郡長に新町村の設置事務を指示した。現在の塩竈市域を管轄していた宮城郡長の十文字信介は町村分合の調査を実施した[6]。その結果、塩竈村は単独で町制を施行し、桂島・石浜・寒風沢浜・野々島については、十文字の計らいもあって連合村だった塩竈村から分離し、浦戸村として独立した一村を形成した[2]

市域の変遷

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成立以降、多賀城村七ヶ浜村の一部、浦戸村の全域を編入しており、利府町との境界変更により、市域に変更が生じている。市域の変遷は以下の通りである[7]

  • 1938年(昭和13年)9月1日 - 昭和13年宮城県告示第622号により、以下の範囲が編入[8]
  • 1949年(昭和24年)12月1日 - 昭和25年総理府告示第55号により[8]、宮城郡多賀城村大字笠神字牛生前、字大木戸、字天神、字一本松の全部、字牛生、字葦畔、字天満崎の一部が編入[9]
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 宮城郡浦戸村が廃止され、全域が塩竈市に編入される[8]
  • 1996年平成8年)1月24日 - 平成8年自治省告示第21号により、以下の境界変更が行われる[8]
    • 宮城郡利府町加瀬野中沢の一部が塩竈市に編入
    • 塩竈市後楽町の一部が宮城郡利府町に編入

表中のは塩竈市、を示す。その他の色はなどである。

町村制施行以前 1889年4月1日 1889年-1940年 1940年-1980年 1980年-現在年 現在
宮城郡塩竈村 宮城郡塩竈町 1941年11月23日

塩竈市

塩竈市
宮城郡野々島 宮城郡浦戸村 1950年4月1日

塩竈市

宮城郡石浜
宮城郡寒風沢浜
宮城郡桂島
宮城郡七ヶ浜村

(一部)

宮城郡七ヶ浜村(一部) 1938年9月1日

塩竈市

宮城郡笠神村

(一部)

宮城郡多賀城村(一部) 1938年9月1日

塩竈市

宮城郡多賀城村(一部) 1949年12月1日

塩竈市

宮城郡加瀬村

(一部)

宮城郡利府村(一部) 1967年10月1日

宮城郡利府町(一部)

1996年1月24日

塩竈市

町村制前後の町・字

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町村制以前

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宮城県各村字調書によると、町村制施行以前の各村の字名は以下の通りである[10]

自治体 小字
塩竈村 大日向・権現堂・泉沢・清水シツ沢・カノヘ塚・伊保石イホイシ・石田・越ノ浦・杉ノ入裏・杉ノ入表・藤倉・台・小松崎・長沢・山ノ寺・一森イチモリ山・門前・町・香津カウツ・小山・江尻・一ノ沢・漆沢・母子沢・作田・カミノ前・辰ノ口・赤浜・花立・土城トジヤウ入・中新田ナカニイタ・尾島・二又・石堂・野田・袖野田・西田・後楽ゴラク・千賀ノ浦
石浜 河岸・山神・梅ヶ沢・金ヶ浜・小砂羅コサラヒラ森・本石浜・鹿野
桂島 鬼ヶ浜・台・庵寺アンデラ・神手洗・菖蒲・前田一・前田二・飛地
野々島 河岸・毛無崎・柳浜・吹越・宇内浜・馬越マコシクスリヶ崎・新田・ヒラ和田・根崎・宅地・家ノ上一・家ノ上二・堂ヶ崎・窪沢・丑太朗・長楽チヤウラク・二ッ段・鱈・鷺島・桑・海賀カイガ込浦コメウラ・馬ノ脊・平田・烏帽子・梅島
寒風沢浜 港・日和山・寒沢・中月ナカツキ・前浜・小峯・大迎・平戸・本屋敷・桃和田上・桃和田下・沢・愛宕・彦和田・貝ノ浜上・貝ノ浜西・阿勢アセ浦・鰐渕・赤藻崎・美女ビジヨ浦・西三百浦・東三百浦・笹峯・貝ノ浜東

塩竈町

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塩竈町は、1889年明治22年)4月1日町村制施行時に、「明治22年宮城県令第8号」の規定に基づき、従来の塩竈村にあたる区域を以て発足した。塩竈町の区域については、大字を設けずに39の小字を設置した。設置された小字は以下の通りある[1][2]。なお、小字の前につく「字」は省略してある。

自治体 小字
塩竈町 尾島・藤倉・泉沢・杉ノ入表・杉ノ入裏・赤浜・長沢・庚塚・石田・神ノ前・中新田・千賀ノ浦・町・花立・二又・小松崎・小山・権現堂・大日向・越ノ浦・石堂・野田・一森山・辰ノ口・台・母子沢・袖野田・一ノ沢・門前・伊保石・香津・後楽・㯃沢・土城入・清水沢・西沢・山ノ寺・作田・江尻

浦戸村

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塩竈町成立と同日、町村制施行に伴い桂島・石浜・寒風沢浜・野々島が浦戸村として村制施行した。明治22年宮城県令第8号の規定による大字は以下の通りである[3]。なお、大字の前につく「大字」は省略してある。

自治体 大字
浦戸村 桂島石浜野々島寒風沢

町村制施行から1950年まで

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塩釜港埋立地の編入

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多賀城村・七ヶ浜村の一部の編入

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塩釜港の埋立地の帰属については、塩竈町と多賀城村との間で長い間未定となっていた。範囲は港橋からかつて塩竈線塩竈港駅があった中埠頭の一帯、砂押貞山運河以東(現在の貞山通付近)であり、全域を新たに塩竈町とするには埋立によって生じた所属未定地の編入と、多賀城村に既に属していた地域の境界変更手続きを必要とした。この帰属問題は「築港地行政区域変更問題」と呼ばれ、塩竈町側が理由を明確にしないまま多賀城村と交渉を行い、多賀城村側が納得しなかったことで事態を紛糾させた[11]

1938年昭和13年)4月、塩竈町長の佐浦重次郎は問題の解決案を町会議員だった板宮文蔵に委嘱し、同年4月10日付で「塩竈築港地内多賀城境界変更並びに塩竈築港埋立所属未定地区編入に関する件申入」を多賀城村長の小野清吉に宛てた。これは新聞上にも発表され、世論喚起や宮城県による斡旋の一助となった。これらを背景に両者の間で交渉が開始され、多賀城村は1万5,000円の補償金が支払われることを条件として築港地の塩竈町編入に合意した[11]

同年8月5日、宮城県知事の菊山嘉男は塩竈町会に対して次の2件の諮問を求めた。

  1. 宮城郡多賀城村大字笠神字端島の全部、字牛生、字一本松、字天神及び字天満崎の一部を編入することに関する意見
  2. 宮城郡七ヶ浜村東宮浜字雀島1番地を編入することに関する意見

この2件について8月9日に行われた町会で議論が交わされ、特に牛生地区の住民に関しては塩竈町編入を請願していることも取り上げられた。議論の結果、2件とも異議がなく、知事宛てに答申を行った。七ヶ浜村との境界変更については円満に解決され、七ヶ浜村長の鎌田作右衛門へ感謝状が贈られた[11]8月27日、昭和13年宮城県告示第622号によって編入が告示され、9月1日に施行された[8]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 大字 自治体 大字 字(一部)
塩竈町 大字笠神 端島(新設) 多賀城村 大字笠神 端島 1938年(昭和13年)9月1日[8]
牛生(新設) 牛生
一本松(新設) 一本松
天神(新設) 天神
天満崎(新設) 天満崎
大字東宮浜 雀島(新設) 七ヶ浜村 大字東宮浜 雀島

海面埋立地の編入

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1938年(昭和13年)9月1日、菊山知事は塩竈町会に対して次の件を諮問した。

  • 以下の所属未定地を塩竈町に編入することに関する意見
    1. 宮城郡塩竈町字尾島地先から大字笠神字一本松に至る地先(11万3,5729
    2. 宮城郡塩竈町字台地先(3,4001
    3. 宮城郡塩竈町大字笠神一本松地先(3万4,698
    4. 宮城郡塩竈町大字笠神一本松地先(1万3,586

同年9月10日に行われた町会で上記の件を議論し、すべて異議なしとして答申した[11]。その後、同年9月16日に編入された[12]

なお、2は築港の対岸にある藤倉地区の内務省関連施設の所在地である。1・3・4はいわゆる「築港地行政区域変更問題」で塩竈町が編入を目標としていた築港埋立地の残部であり、これによってようやく全域が塩竈町に編入されることとなった[11]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 大字
塩竈町 (なし) 尾島(編入) 公有水面埋立地 1938年(昭和13年)9月16日[12]
(編入)
大字笠神 一本松(編入)

浦戸村の編入による改称

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浦戸村の編入計画については戦時中より存在し、1947年(昭和22年)9月に開かれた浦戸村の協議会においては全面的に即時合併することが表明されたが、その後は停滞状態となっていた。多賀城村牛生地区の編入後、市長の桜井辰治は浦戸村との合併問題に注力し、合併交渉は1949年(昭和24年)9月に再開された[13]。その後、翌年3月27日には宮城県議会で編入案が可決となり、3月31日にはそれぞれの議会において合併事項の議決を行った。ここでは浦戸村民の要望であった従来の大字名に「浦戸」を冠することも決まり、1950年(昭和25年)4月1日、浦戸村の塩竈市編入と同時に全大字が改称された[14]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 大字 自治体 大字
塩竈市 浦戸桂島(改称) 浦戸村 大字桂島 1950年(昭和25年)4月1日[14]
浦戸野々島(改称) 大字野々島
浦戸石浜(改称) 大字石浜
浦戸寒風沢(改称) 大字寒風沢

1950年から1968年まで

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尾島町などの町名変更

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1961年(昭和36年)4月1日、塩竈市の一部で町名変更が行われ、字中新田・字稲戸町・字東町・字町・字土城入・字尾島町・字尾島仲町・字尾島元町の一部を以て旭町[15]、字町・字尾島・字尾島元町・字尾島仲町・字尾島大町・字中新田町・字中新田の一部を以て尾島町[16]、字西沢・土城入・辰ノ口の一部を以て佐浦町[16]、字赤浜・字土城入・字花立の一部を以て錦町[17]、字花立・字赤浜・字中新田・字二又の一部を以て花立町[17]、字南町・字船戸町・字小山・字土城入・字辰ノ口の一部を以て南町が新設された[17]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 旭町(新設) 塩竈市 中新田 1961年(昭和36年)4月1日
稲戸町
東町
土城入
尾島町
尾島仲町
尾島元町
尾島町(新設)
尾島
尾島元町
尾島仲町
尾島大町
中新田町
中新田
佐浦町(新設) 西沢
土城入
辰ノ口
錦町(新設) 赤浜
土城入
花立
花立町(新設) 花立
赤浜
中新田
二又
南町(新設) 南町
船戸町
小山
土城入
辰ノ口

中心部の住居表示

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1963年(昭和38年)5月1日、塩竈市の中心部で住居表示が実施され、字長沢・字小松崎・字庚塚の一部を以て梅の宮が、字長沢の一部を以て長沢町が、字長沢の一部を以て今宮町が、字小松崎・字長沢・字台の一部を以て小松崎が、字山ノ寺の一部を以てみのが丘が、字門前・字山ノ寺・字台の一部を以て宮町が、字町・字江尻の一部と南町・舟戸町・本町の全部を以て本町が、字町・字泉沢・字江尻の一部を以て西町が、字一ノ沢・字権現堂・字江尻の一部を以て赤坂が、字江尻・字小山の一部を以て泉ケ岡が、字石堂・字小山・字漆沢・字作田・東玉川町・白萩町の一部を以て石堂が、東玉川町・字野田・字漆沢・字石堂の一部を以て東玉川町が、白萩町・字作田・字野田の一部を以て白萩町が、字西沢の全部と字赤浜・字辰の口の一部を以て桜ケ丘が、字千賀ノ浦の全部と字町・字尾島・字門前の一部を以て海岸通が、字港・字尾島の一部を以て港町(一丁目・二丁目)が、字中ノ島の一部を以て中の島が、字泉沢の一部を以て栄町がそれぞれ新設された。なお、自治省による告示は1965年(昭和40年)6月15日付で行われた[18]

同日、町名変更によって字藤倉・字台・字杉ノ入の一部を以て藤倉(一丁目 - 三丁目)が新設された[17]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 梅の宮(新設) 塩竈市 小松崎 1963年(昭和38年)5月1日[18]
長沢
庚塚
長沢町(新設) 長沢
今宮町(新設) 長沢
小松崎(新設) 小松崎
長沢
みのが丘(新設) 山ノ寺
宮町(新設) 門前
山ノ寺
本町(新設)
江尻
南町
舟戸町
本町
西町(新設)
泉沢
江尻
赤坂(新設) 一ノ沢
権現堂
江尻
泉ケ岡(新設) 江尻
小山
石堂(新設) 石堂
小山
漆沢
作田
東玉川町
白萩町
東玉川町(新設) 東玉川町
野田
漆沢
石堂
白萩町(新設) 白萩町
作田
野田
桜ケ丘(新設) 西沢
赤浜
辰の口
海岸通(新設) 千賀ノ浦
尾島
門前
港町一丁目(新設)
尾島
港町二丁目(新設)
尾島
中の島(新設) 中ノ島
栄町(新設) 泉沢

西部などの住居表示・町名変更

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1964年(昭和39年)5月1日、塩竈市西部と貞山通で住居表示が実施され、字権現堂・字泉沢・字大日向の一部を以て月見ケ丘が、字権現堂・字泉沢の一部を以て権現堂が、字一ノ沢・字母子沢の一部を以て白菊町が、字母子沢の一部を以て西玉川町が、字石堂・字袖野田・字野田・字漆沢・字母子沢の一部を以て玉川(一丁目 - 三丁目)が、字大日向・字権現堂の一部を以て向ケ丘が、字野田の一部を以て野田が、字赤浜の全部と字野田の一部を以て南錦町が、大字笠神字一本松・字端島・字天神・字牛生の一部を以て貞山通(一丁目 - 三丁目)が新設された。また、字一ノ沢の一部が赤坂に編入された。なお、自治省による告示は1965年(昭和40年)6月15日付で行われた[18]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 大字
塩竈市 月見ケ丘(新設) 塩竈市 (なし) 権現堂 1964年(昭和39年)5月1日[18]
泉沢
大日向
権現堂(新設) 権現堂
泉沢
白菊町(新設) 母子沢
一ノ沢
西玉川町(新設) 母子沢
玉川一丁目(新設) 石堂
袖野田
野田
玉川二丁目(新設) 石堂
漆沢
袖野田
玉川三丁目(新設) 漆沢
石堂
母子沢
向ケ丘(新設) 大日向
権現堂
野田(新設) 野田
南錦町(新設) 赤浜
野田
貞山通一丁目(新設) 大字笠神 一本松
貞山通二丁目(新設)
貞山通三丁目(新設) 端島
一本松
天神
牛生
赤坂(編入) 一ノ沢

北浜の町名変更

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1965年(昭和40年)5月1日、塩竈市の一部で町名変更が行われ、字門前・字台・字藤倉・字杉ノ入表の一部を以て北浜[16]、新浜町・字杉ノ入の一部を以て新浜町(一丁目 - 三丁目)[19]、。

香津町の町名変更

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1966年(昭和41年)5月1日、塩竈市の一部で町名変更が行われ、字神ノ前・字辰ノ口・字白萩・字香津・字作田の一部を以て香津町が新設された[16]

海岸通の住居表示

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1971年(昭和46年)5月1日海岸通の一部で住居表示が実施された。なお、自治省による告示は同年7月9日付で行われた[20]

新浜町の住居表示

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1975年(昭和50年)5月1日新浜町(一丁目 - 三丁目)で住居表示が実施されたほか、杉ノ入裏の一部が新浜町二丁目に編入された。なお、自治省による告示は同年7月5日付で行われた[21]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 新浜町二丁目(編入) 塩竈市 杉ノ入裏 1975年(昭和50年)5月1日[21]

松陽台・楓町の住居表示

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1979年(昭和54年)5月1日、塩竈市北部で住居表示が実施され、字越の浦・字庚塚・字藤倉・藤倉二丁目・梅の宮の一部を以て松陽台(一丁目 - 三丁目)が、字越の浦の一部を以て楓町(一丁目 - 三丁目)が新設された。なお、自治省による告示は同年6月14日付で行われた[22]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 松陽台一丁目(新設) 塩竈市 越の浦 1979年(昭和54年)5月1日[22]
藤倉二丁目
庚塚
松陽台二丁目(新設) 藤倉
庚塚
松陽台三丁目(新設) 梅の宮
藤倉
藤倉二丁目
庚塚
楓町一丁目(新設) 越の浦
楓町二丁目(新設)
楓町三丁目(新設)

牛生地区の住居表示

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1981年(昭和56年)5月1日、塩竈市南部の牛生地区(旧多賀城村)を中心とした地域で住居表示が実施され、字中新田・字中ノ島・字二又・大字笠神字天神・字天満崎・字一本松を以て舟入(一丁目・二丁目)が、大字笠神字牛生・字牛生前・字天満崎の一部を以て牛生町が、大字笠神字葦畔・字大木戸・字牛生・字牛生前の一部を以て芦畔町が、字二又の一部を以て新富町が新設された。なお、自治省による告示は同年6月15日付で行われた[23]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 大字
塩竈市 舟入一丁目(新設) 塩竈市 (なし) 中新田 1981年(昭和56年)5月1日[23]
中ノ島
二又
大字笠神 天神
天満崎
舟入二丁目(新設) 一本松
天神
天満崎
(なし) 二又
牛生町(新設) 大字笠神 牛生
牛生前
天満崎
芦畔町(新設) 葦畔
大木戸
牛生
牛生前
新富町(新設) (なし) 二又

大日向町・母子沢町・袖野田町の住居表示

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1982年(昭和57年)5月1日、塩竈市西部で住居表示が実施され、字大日向の全域を以て大日向町が、字母子沢の全域を以て母子沢町が、字袖野田の全域を以て袖野田町が新設された。なお、自治省による告示は同年6月11日付で行われた[24]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 大日向町(新設) 塩竈市 大日向 1982年(昭和57年)5月1日[24]
母子沢町(新設) 母子沢
袖野田町(新設) 袖野田

泉沢地区の住居表示

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1983年(昭和58年)5月1日、泉沢地区周辺で住居表示が実施され、字後楽・字泉沢の一部を以て後楽町が、字泉沢の一部を以て泉沢町が、字山ノ寺・字一森山・字泉沢の一部を以て一森山が新設された。また、清水沢(二丁目)が字泉沢の一部を編入した。なお、自治省による告示は同年5月23日付で行われた[25]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 後楽町(新設) 塩竈市 泉沢 1983年(昭和58年)5月1日[25]
後楽
泉沢町(新設) 泉沢
一森山(新設) 山ノ寺
泉沢
一森山
泉沢
清水沢二丁目(編入)

杉ノ入地区の住居表示

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1984年(昭和59年)5月1日、杉ノ入地区周辺で住居表示が実施され、字杉ノ入表・字杉ノ入裏・藤倉三丁目・新浜町二丁目・字越ノ浦の一部を以て杉の入(一丁目 - 四丁目)が、字越ノ浦の一部を以て越の浦(一丁目 - 二丁目)が、字越ノ浦・字石田、字庚塚の一部をもって青葉ケ丘が新設された。また、楓町(一丁目・三丁目)が字杉ノ入裏・字越ノ浦の一部を、藤倉(三丁目)が字杉ノ入表の一部を、松陽台(一丁目)が字越ノ浦・字庚塚の一部をそれぞれ編入した。なお、自治省による告示は同年6月4日付で行われた[26]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 杉の入一丁目(新設) 塩竈市 杉ノ入表 1984年(昭和59年)5月1日[26]
杉ノ入裏
藤倉三丁目
新浜町二丁目
杉の入二丁目(新設) 越ノ浦
杉ノ入裏
杉の入三丁目(新設) 越ノ浦
杉ノ入裏
新浜町二丁目
杉の入四丁目(新設) 越ノ浦
杉ノ入裏
新浜町二丁目
越の浦一丁目(新設) 越ノ浦
越の浦二丁目(新設)
青葉ケ丘(新設) 石田
庚塚
越ノ浦
楓町一丁目(編入) 杉ノ入裏
楓町二丁目(編入) 越ノ浦
藤倉三丁目(編入) 杉ノ入表
松陽台一丁目(編入) 越ノ浦
庚塚

千賀の台地区の住居表示

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1995年平成7年)5月1日、千賀の台で住居表示が実施され、字伊保石の一部を以て千賀の台(一丁目 - 三丁目)が新設された。なお、自治省による告示は同年8月22日付で行われた[12]

変更後 変更前の区域 変更日
自治体 町丁 自治体 町・字
塩竈市 千賀の台一丁目(新設) 塩竈市 伊保石 1995年平成7年)5月1日[12]
千賀の台二丁目(新設)
千賀の台三丁目(新設)

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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書籍

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  • 塩竈市史編纂委員会 編『塩竈市史II 本編II』塩竈市、1986年12月25日。doi:10.11501/3005019 
  • 塩竈市史編纂委員会 編『塩竈市史IV 別編II』塩竈市、1986年3月30日。doi:10.11501/3025403 
  • 宮城縣史編纂委員会 編『宮城縣史32(資料篇9)』宮城縣史刊行会、1970年3月31日。doi:10.11501/2992712 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典4宮城県』角川書店、1979年12月8日。ISBN 9784040010403 

官報

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関連項目

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