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利用者:ゴンベイ/memo

エクメーネ

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エクメーネ - en:Ecumene - en:Oecumene
エキュメニズム
Ecumene - Geography(カナダ統計局)
Canada Census: Geographic files, geographic terms(マギル大学)
フリードリヒ・ラッツェル - en:Friedrich Ratzel

『近代世界システム』を読み解く

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ウォーラーステイン『近代世界システム』の執筆計画と実際に出版された著書の相関

覇権時代区分* 執筆計画時代区分 著書の時代区分 著書名/邦題キーワード 発行年 備考
1 - 1450年-1640年 1450年-1640年 Capitalist Agriculture and the Origins of the European World-economy in the Sixteenth Century/農業資本主義 1974* *ニクソン辞任,ベトナム戦争(-1975年)
2 17世紀初頭から18世紀中頃(オランダの覇権) 1640年-1815年 1600年-1750年 Mercantilism and the Consolidation of the European World-economy/重商主義 1980 -
3 18世紀中頃から1917年まで(イギリスの覇権) 1815年-1917年 1730年-1840年* Second Era of Great Expansion of the Capitalist World-economy/大西洋革命 1989 *阿片戦争勃発
4 1917年*1から1967年*2まで(アメリカ合衆国の覇権) 1917年-現代 - - - *1アメリカの第一次世界大戦参戦,ロシア革命、*2欧州共同体発足,東南アジア諸国連合結成

*「世界の一体化#世界システムという考え方」より

  • 1巻は計画と実際のずれはない。キーワードである大航海時代が題名中の「欧州世界経済の起源」の中に隠されている。
  • 計画時の2巻の年代区分は「17世紀初頭から18世紀中頃」であったが、出版時の2巻では当初計画が変更され重商主義の時代として「1600年-1750年」が抜き出されたのは、オランダの覇権時代区分と一致するもので、時代区分変更意図そのものは批判の対象とはならない。しかし、オランダ海上帝国ポルトガル海上帝国に対する勝利が目立つ程度で支配した植民地も大きくなく、経済実態としても植民地支配による富の収奪は他の植民地主義大国と比較にならないほど少ない。また、1652年~1677年の三次に及ぶ英蘭戦争で疲弊し、オランダの黄金時代の実態も17世紀前半までの短期に終わり、この時代をオランダの覇権の成立とその時代と見ること自体はなはだ疑問が多い。題名中の重商主義は1巻の農業資本主義と対照される概念であるが、実態は欧州の植民地主義による収奪であり、世界システム論が従属理論の後継理論であるならば、欧州による世界への軍事進出である大航海時代を扱った1巻の農業資本主義とともに、『近代世界システム』が欧州に偏ったものとの批判が生ずるのは当然である。
  • 続く出版時の3巻はイギリスの覇権とする時代(18世紀中頃から1917年まで)の始まりとする計画時の18世紀中頃と実際の1730年は一致するものの、実際は計画時の時代区分の途中である1840年で終わっている。著作の時代区分はまさに産業革命の時代であり、周辺に分類される前代までの植民地の役割は大きく変化している。前代でアメリカ大陸への欧州からの移民が進み植民地経営は現地定住者の手に移り始めており、この時代はアメリカ合衆国の独立をはじめ、1810年に始まるメキシコ独立革命とシモン・ボリバルに代表される対スペインの南米独立運動、1822年のブラジル帝国独立と、大西洋革命が邦題キーワードとされていることは必ずしも的を外しているものではない。しかし、経済史の観点からすれば、欧州における産業資本主義の勃興とイギリスが世界の工場とされた時代であり、カール・マルクス資本論で当代の課題として分析した時代でもある。1・2巻で資本主義の態様を題名に取り入れたことと対比すれば、経済学としての『近代世界システム』の衰弱を読み取らざるを得ない。なお、時代区分の終期とした1840年は阿片戦争開始の年であり、その前にロンドン証券取引所が1801年に、その後にニューヨーク証券取引所が1869年に設立されていることと、南北戦争(1861年-1865年)が、次巻へ展開の課題として特記されるべきことである。

書かれざる4巻以降

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ジョン・アトキンソン・ホブソンの『帝国主義論』とルドルフ・ヒルファーディングの『金融資本論』をもとに形成されたのがレーニンの『帝国主義論』である。この著作は「帝国主義は資本主義の最終段階である」との規定で知られている。(太田仁樹訳『反システム運動』(大村書店, 1992年) 太田仁樹:岡山大学経済学部教授、マルクス主義理論史特にレーニン帝国主義論とロシア革命)

  • Historical Capitalism, (Verso, 1983).
川北稔訳『史的システムとしての資本主義』(岩波書店, 1985年)
  • Historical Capitalism, with Capitalist Civilization, (Verso, 1995).
川北稔訳『史的システムとしての資本主義[新版]』(岩波書店, 1997年)

出版社/著者からの内容紹介:社会科学の諸分野に圧倒的な影響力を及ぼす,壮大な歴史理論「世界システム論」の骨子をかみ砕いて紹介した旧版に,新しく資本主義の総決算と将来の見取り図を提示.普遍主義,進歩主義を標榜する近代がなぜ人種問題,南北問題,性差別などの難問をもたらしたのか,またその解決は可能なのか? 「社会主義の実験」が終焉した今,我々の取りうる道とは何か,大胆に予測する. 内容(「MARC」データベースより): 「社会主義の実験」が終焉した現在、来るべき時代に我々の取りうる選択肢とは? 社会科学のパラダイムを変えたウォーラーステインが近代社会の本質を見据え、ポスト近代に向けて描く「将来図」を提示。

『脱=社会科学――19世紀パラダイムの限界』という著作があるものの19世紀マルクス・パラダイムから脱することができないのがウォーラーステイン自身

>アナール派手法が,もっとも有効に作動したのは,中世,アンシャン=レジーム期についてであり,19世紀以降に関しては,有効性が疑われている。--旅研世界歴史事典データベース:アナール学派

実際の3巻が取り扱っている時代がカール・マルクス(1818年-1883年)が資本論の研究対象としていた時代で終わっているのは偶然だろうか。

労働価値説#マルクスの剰余価値説

オーストリア学派ベーム=バヴェルクの『カール・マルクスとその体系の終結』である。また、費用価格も生産価格によって売買されることをマルクスが十分に論じなかったため、後に転形問題と呼ばれる論争のテーマとなった。

労働価値説#限界革命

コンドラチエフレフ・トロツキーシュンペーター金融革命金融の自由化金融ビッグ・バン 価格革命 転形問題 貨幣論 国民国家 兌換紙幣 不換紙幣 

  1. 金本位制#歴史金本位制#歴史

第一次世界大戦により各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行する。その後1919年にアメリカ合衆国が復帰したのを皮切りに、再び各国が金本位制に復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなり、1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。 日本では、関東大震災などの影響で金本位制復帰の時期を逸し、1930年(昭和5年)に浜口雄幸内閣が「金解禁(金輸出解禁)」を打ち出したが、翌年犬養毅内閣が金輸出を再禁止した。

第二次世界大戦後、米ドル金為替本位制を中心としたIMF体制(いわゆるブレトン・ウッズ体制)が創設された。他国経済が疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、各国はアメリカの通貨米ドルとの固定為替相場制を介し、間接的に金と結びつく形での金本位制となったのである。

しかし、1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は金と米ドルの兌換が停止され、各国の通貨も1973年までに変動為替相場制に移行したため、金本位制は完全に終焉を迎えた。

  1. ブレトン・ウッズ体制

1944年に開かれた連合国通貨金融会議によって国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)が設立され、これらの組織と米ドル中心の固定為替相場制を軸とした、いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」が生まれた。 第1のニクソン・ショック(ドル・ショック)1971年8月15日に発表されたドルと金との交換停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終了と変動為替相場制突入を告げた声明

  1. アメリカの金融システムの特徴と規制緩和 昭和61年/1986年
  2. 米国 - 外資に関する規制 - ジェトロ

連邦政府による銀行規制、国家安全保障に基づく規制、政府プロジェクトへの参入制限などがある。

<連邦政府による銀行規制> 州際業務規制……78年国際銀行法により外銀に対する内国民待遇が確立されたが、同時に、従来の州際業務の禁止(マクファデン法)、預金債務に対する預金準備率積立義務が米銀同様、課されることになった。しかし、94年の州際業務自由化案成立により、95年9月以降は他州銀行の買収、97年1月より支店経営が米銀同様、外銀にも認められている。

進出形態規制……国内個人向け小口預金(10万ドル以下)が平均全預金高の5%以上となる業務を行おうとする外銀には、支店でなく現地法人形態での進出が義務付けられる(91年国際銀行法修正)。

  1. 投資銀行#米国 - 1933年に成立したグラス・スティーガル法により商業銀行業務と投資銀行業務が明確に分離されていた(銀証分離とも呼ばれる)。
  2. 証券化
  3. メリルリンチ、1977 年にメリルリンチ証券がMMF を中心として証券取引、預り金の運用、証券担保融資、小切手・カード決済等を総合的に行うサービスであるCMA(Cash Management Account)を開発したのを契機に、MMFが決済目的でも保有されるようになったことが挙げられる。なお、メリルリンチ証券が提供したCMA は、銀行預金に対抗する決済機能を持つ証券口座として他の証券会社にも瞬く間に広がることとなった。
  4. 中国ファンド
  5. MRF→マネー・リザーブ・ファンドの略。
  6. Money Management Fund(投資信託の一種)→ マネー・マネージメント・ファンド
  7. Money Market Fund(投資信託の一種)→ マネー・マーケット・ファンド
  8. ビッグバン (金融市場) - 1986年にイギリスの証券取引所が実施した大改革
  9. 金融ビッグバン - 1990年代終わり~2000年代初めに行われた日本の金融制度改革

実際の巻での区分アメリカ史の時代区分と読むとわかりやすい、ヘゲモニー論としては??? ウォーラーステインをキリストとし川北稔が使徒ペテロの役回りとなる日本でのウォーラーステイン歴史教の成立を見るのである。

  1. 物象化 - 物神性- 物象化#宇野弘蔵の物神性論批判『資本論』が商品論の最後に置いている物神性論も有害無益となる。宇野理論で取り上げられるのは貨幣の物神性と資本の物神性だけである。(結局、貨幣論をもたなかった宇野経済学の限界)資本装備率

トップカテゴリ区分の対比

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en:Portal:Contents/Categorical index Wikipedia:カテゴリ(百のカテゴリ) Category:主要カテゴリ - 日本十進分類法 国際十進分類法
1 General reference 1 総記 総記 - 0類 総記 0 総記
2 Culture and the arts 3 芸術と文化 文化 - 1類 哲学 1 哲学、心理学
3 Geography and places - - 地理 - 2類 歴史 2 宗教、神学
4 Health and fitness - - - - 3類 社会科学 3 社会科学
5 History and events 9 歴史 - - 4類 自然科学 4 (未定義)
6 Mathematics and logic - - - - 5類 技術・工学・工業 5 自然科学、数学
7 Natural and physical sciences 6 自然 自然 - 6類 産業 6 応用科学、医学、工学
8 People and self - - 人間 - 7類 芸術 7 芸術
9 Philosophy and thinking - - - - 8類 言語 8 言語、文学
10 Religion and belief systems - - - - 9類 文学 9 地理、伝記、歴史
11 Society and social sciences 2 社会 社会 - - -
12 Technology and applied sciences 8 技術 技術 - - -
13 - 7 学問 学問 - - -
14 - 4 世界 - - - -
15 - 5 日本 - - - -
英語版の定義は「This is a list of Wikipedia's major topic classifications. These are used throughout.」とあり、リンクされたカテゴリ数は42あり、内容的には「Wikipedia:カテゴリ(百のカテゴリ)」に類似(ただし、ABC順)。
英語版の定義は「The Fundamental category is the "root" category, a top-level place to start when browsing Wikipedia categories for articles. This is the top level in terms of encyclopedia article function and content.」とあり、日本語版「Category:主要カテゴリ」と同じ位置づけ。
  • w:Appomattox Courthouse:Many rural counties in the Southern States had county seats whose names were formed by adding court house to the name of the county.(南部諸州の田園地帯にある多くの郡では、郡名にコートハウスを加えたものを郡庁所在地名としていた。) The court house town contains the courthouse building as well as a number of other buildings. In this case, one of those other buildings is the McLean house, a former tavern.

Discussion Style

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  • (被依頼者コメント)依頼者コータ氏はご自身が守り役となっているノート:世界システム論ノート:世界システム論#世界システム論は「歴史」理論か」節での議論に、私が同主題に言及したコメントを既にしているからと参照をお願いしたのに対してコータ氏ご自身は全く関心がないとおっしゃていた「ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か#「世界の一体化」は独自観点による独自研究」での議論を持ち出してきた上に、個人ノートにおける編集行為を合わせることで「合わせ技一本勝ち」、「世界システム論」記事に対する私の議論展開を不当なものと否定し、ご自身の自説である世界システム論を歴史(学)理論と評価することが唯一絶対であると論じたいとの意図が、この依頼の動機であると思います。世界システム論が歴史理論であるかどうかについてノート:世界システム論で行うように二度にわたりお願いしたにもかかわらず参加を拒否されたKanbun氏もコータ氏と同じように考えていらっしゃるようです。世界の一体化での議論に参加されているKojidoi氏とWikipedia‐ノート:コメント依頼/ゴンベイでのiwaim氏がご指摘のとおり、個々の記事の内容に関する議論については当該ノートで展開すべきで、記事内容に対する理解を含め記事の発展につなげる為にも、そのように願いたいし、結果として、この依頼が当該記事の編集参加者・読者の拡大につながることを望みたいです。

依頼者コータ氏が論点として挙げられた「Wikipediaの情報を元に編集や議論を行うことの是非」「出典の必要性」「典拠の恣意的な選択について」の3節に関してここで議論することは、上述の観点から本意ではありませんが、個別記事での議論を持ち出されて込み入って分かりにくくなっている依頼に関する議論の参考として解説したいと思います。

私は個々の記事の構造を「ウォーラステイン世界システム論世界の一体化(「世界の一体化#世界システムという考え方」節)」と、ウォーラステインの思想表現として一つながりにあるものとの観点で、それぞれ全ての編集と議論に参加しています。(ウォーラステインの思想源泉であるマルクス主義関連、従属理論アナール学派等に、現下で彼が肩入れしている世界社会フォーラムの関係なども幅広く編集参加)現状では各記事本文編集は「ウォーラステイン」がゴンベイ、「世界システム論」がコータ氏、「世界の一体化」がGreenland4氏と主な守り役の分業が成立していて、コータ氏とGreenland4氏は当該記事の主執筆者としてノートにおいては自説擁護の立場で議論を展開しています。Kanbun氏は「世界の一体化」への編集と議論に加わっています。(分業が成立と書きましたが、私が英語版から翻訳したウォーラステインの略歴をGreenland]]氏が「知の教科書 ウォーラーステイン」を参考に全面的に書き換えられて「略歴」とはいいがたい長文のものにしてしまいました(笑)GDFLは大丈夫でしょうか?)

記事の改善には当該記事の主執筆者自身が自ら気づき納得して記事を書き改めるのがベストだとの観点から、私は議論において直裁に言及するより関連情報を豊富に提示し多くの質問を投げかけること(自ら執筆した記事を客観的に眺められる自省的論理思考の持ち主かどうかのリトマス試験)で自覚していただくのを待つスタイルをとってきましたが、初回はともかく再反論以降の議論においては質問と示唆が議論を外している、あいまいであると受け取られ、かえって主執筆者が自説に固執するばかりで失敗となる場合があります。今回のコータ氏のコメント依頼が格好の例ですが、逆に私の質問に対してGreenland4氏からは丁寧な回答をいただいき、それに他の記事・カテゴリでのGreenland4氏との議論に基づいて私が包括的に纏め上げたのがノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か#ゴンベイさんによる解説と改定案(ゴンベイが本項記述に対して疑義を表明した包括的な理由と記事改定のプラン)」で、これに対しては、論争相手であるGreenland4氏からは「おみそれしました。そして、わたしの疑問に『完全に』答えてくださり、ありがとうございました。」との評価を得ています。

依頼者コータ氏が「ノート:世界システム論#世界システム論は「歴史」理論か」での議論に典拠と出典を求めたのは正しいことですが、コータ氏自身はウォーラステインの著作で題名に「近代」「史的」と入っているものだけを邦訳された川北稔の本しか基本的に目に入っておらず、ウォーラステインの著作の題名に政治、経済、社会が入ったものが多数あり、「ウォーラステイン自身の著書からの引用により論だてていただけるとありがたい」と示唆したにもかかわらず、それらの存在を無視しているのではないかと思われる如く一切目に入らない、もっぱら祖述・解説を含めた川北本にだけ限定依存した木を見て森を見ずの立論です。英語の「近代世界システム」書評題名に「jumbo history」とだけあるのを川北稔が「歴史理論」として訳したのやカバーの概要=宣伝文句に「歴史理論」とあったもの、或いは著者の専門が何であるかを考えずに「歴史」「史的」との文言が入っていれば片言隻句のなにかに構わず出典として挙げ、史料批判・文献批判を全くせずに提出してこられるのは、木の枝どころか落ちた葉っぱしか見ておられないような様で、コータ氏がかつて歴史学徒であったという自己紹介にも?がつきます。概念把握と論立ての無理はコータ氏がもっぱら執筆されている記事本文にも現れています。概要にしても重要概念にしても意外なことに史的分析の過程はわずかで、ほぼ全面的に政治経済学としての解説がされており、導入部の「歴史理論」という定義にそぐわないもので、これならば、Greenland4氏が書き起こされた世界の一体化#世界システムという考え方節がウォーラステインが自らの思想の源泉としたアナール学派と従属理論にも目配りされているばかりでなく、ヘゲモニー移動による時代区分表を付して歴史過程が明快となっているので、かえって「歴史理論」解説として世界システム論の本文記事にふさわしいものです。ノート:世界システム論#世界システム論の多言語版定義をご覧いただければ一目瞭然ですが、他言語版記事が導入部の定義において歴史理論であることよりに他の学理によるものを採用しているにもかかわらず、{{国際化}}ついて考慮を拒否し、自ら執筆した記事と矛盾を抱える定義である「歴史理論」に固着されています。

世界の一体化記事の導入部と最初の本章「世界の一体化#世界の一体化とは」は主執筆者であるGreenland4氏がもっぱらかかれたもので、ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か#「世界の一体化」は独自観点による独自研究での論争はGreenland4氏と私に限定され、二人の間では主題に沿った議論が成立しました。また、ノートのサブページ化の段階でKs aka 98氏から主題に沿った教科書指導要領の成立過程に関する貴重な情報をご報告いただき、要領に関してはもはや私が何も述べるほどのこともなく、後はWikiブレイクに入られていたいたGreenland4氏の復帰を待って、どう御料理いただくかを待つだけの状態かと思いました。ところが、Kanbun氏からコメントがあり、主題から離れた質問であり文脈を外した読み方をされていると思いつつ2度にわたりお答えし、また、同時に「歴史理論云々についてはノート:世界システム論#世界システム論は「歴史」理論かにおいでいただきたい」とお願いしたにもかかわらず結局参加されませんで、ついには2008年3月13日 (木) 11:02 (UTC)に私の会話ページへノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かでのご自分の歴史理論云々に関する質問に回答するように無理強いするコメントを寄せられました。これっきりとの思いで2008年3月13日 (木) 12:05 (UTC)にKanbun氏ご指定のノートへ最小限のコメントを記しましたが、やはりむかっ腹が立っていることを隠しようはありませんでした。2008年3月13日 (木) 14:50 (UTC)に対応を決了したKanbun氏の単発コメントを私の個人ノート内の歴史理論云々で同様に議論しているコータ氏のコメントがある節にまとめました。そこへ狙いすましたように15分後の2008年3月13日 (木) 15:05 (UTC)にKanbun氏が私の個人ノート内でのコメント移動に対してクレームをつけてきたというわけです。後の経過は利用者‐会話:ゴンベイの変更履歴で分かる荒れた展開になりました。リバートの経過は、私のコメント移動に対する2008年3月13日 (木) 15:05 (UTC)のKanbun氏のリバートで始まり、対抗する私のリバートが対になって2008年3月14日 (金) 16:15まで4回続き、この時点までKanbun氏のコメントは位置は変われど私は削除していませんでした。その後Ks aka 98氏が仲裁に入られリバートとコメントを加えられました。Kanbun氏のリバート返しが続くのは彼のコメントが残っている故と思い、削除を決意していましたが、手順を間違えてKs aka 98氏のコメントだけリバートして削除してしまう失態を犯し(このことについては、Ks aka 98氏会話ページで謝罪しました。)、次の編集で一連のKanbun氏のコメントを削除しました。そこへ飛び込んできたのがIP-User氏とネッツ氏というわけです。


世界システム論の多言語版定義 日本語世界システム論2008年3月14日 (金) 21:44版 カテゴリ:歴史学 | 社会学 | 政治学 | 世界史
世界システム論(英語:World-System(s) Theory)は、アメリカの社会学者・歴史学者、イマニュエル・ウォーラステインが提唱した「巨視的歴史理論」[1]である。(脚注[1]:川北稔「まえがき-訳者解説-」、ウォーラステイン『近代世界システム』I、p.xvii。訳者注によれば"The New York Review of Book"でのKeith Thomasによる論評が"jumbo history"「巨視的歴史理論」の初出であるとのこと。なお、訳者川北は「超巨視的」としたが、ここでは単に「巨視的」とした。)

以下は、ゲルマン語群版の世界システム論の定義が記された各導入部冒頭1段落のゴンベイによる邦訳

英語en:World-systems_theory22:20, 11 March 2008版 カテゴリ:政治経済、国際関係理論、社会学理論、システム科学、理論、歴史、歴史理論、進化論、社会文化進化論(≒経済発展段階説) Categories: History | Political economy | International relations theory | Sociological theories | Systems science | Theories | Theories of history | Evolution | Sociocultural evolution
導入部:World system theory is a post Marxist international relations-theory based in part on the works of Samir Amin, Giovanni Arrighi, Andre Gunder Frank and Immanuel Wallerstein.

粗ら訳:世界システム論は、S・アミーン、G・アリギ、A・G・フランクとI・ウォーラーステインの研究に基づくポスト・マルクス主義の国際関係論。

ドイツ語de:Weltsystem-Theorie09:59, 9. Mär. 2008版 カテゴリ:社会学理論、マルクス主義の系譜Kategorien: Soziologische Theorie | Marxistische Strömung
導入部:Die Weltsystem-Theorie untersucht die Beziehungen zwischen Gesellschaften und die daraus resultierenden Veränderungen. Sie steht damit im bewussten Gegensatz zu früheren soziologischen Theorien, die Modelle des sozialen Wandels bietet, die auf die Ebene einzelner Gesellschaften beschränkt sind. Sie wurde ursprünglich von Immanuel Wallerstein und seinen Kollegen als Antwort auf neue Entwicklungen in der kapitalistischen Weltwirtschaft während der 1970er Jahre entwickelt und basiert auf zwei intellektuellen Quellen, nämlich der neomarxistischen Literatur über Entwicklung sowie der französischen Annales-Schule.

粗ら訳:世界システム論は社会と「変化とその結果」の関係を研究したもの。個別の経済体制(≒各国経済)の限界を超える社会的な変化を提示するモデルにより、既存の社会学理論に対して対照的、対抗的なもの。当初1970年代に資本主義世界経済の新しい進展に対する答えとしてイマニュエル・ウォーラーステインとその同僚によって開発され、2つの知的な源、すなわち、ネオ・マルクス主義と、同時に発展してきたフランスのアナール学派の研究に基づいたもの。

社会的な変化を提示するモデル。個別の社会の限界を超えるものです。 (それは社会的な変更のモデルが提供する前の社会学的理論のそばに意識的な対照でそれで立っています。そして、その人は個々の会社のレベル上で制限されます。/制限されるレベル上でより独特の党は、そうです。 ) それは当初1970年代に資本主義世界経済の新しい進展に対する答えとしてイマニュエル・ウォーラーステインとその同僚によって開発され、2つの知的な源、すなわち、ネオマルクス主義と、同時に発展してきたフランスのアナール学派の研究に基づきました。

オランダ語nl:Wereld-systeemtheorie9 mrt 2008 09:59版 カテゴリ:グローバリゼーション、国際関係パラダイム、システム論 Categorieën: Globalisering | Paradigma in de internationale betrekkingen | Systeemtheorie
導入部:De wereldsysteem-theorie is een theoretisch raamwerk in de internationale betrekkingen en de sociologie, voornamelijk ontwikkeld door Immanuel Wallerstein.

粗ら訳:世界システム論は、社会学の国際分野の理論的フレームワークであり、イマニュエル・ウォーラーステインの(以下はドイツ語からの連想:業績による)。

フランス語fr:Système-monde9 mars 2008 à 09:59版 カテゴリ:地理経済学 Catégorie : Géographie économique
導入部:Le concept du système-monde, du post-marxisme économique (tiré du concept d'économie-monde inventé par Fernand Braudel) a été développé par le théoricien Immanuel Wallerstein (issu de l'école de la dépendance).

Il affirme que le sous-développement des pays du Sud est dû à leur place dans la structure de l'ordre économique international. Il estime ainsi que tous les pays étant globalisés, l'économie mondiale se caractérise par le centre, la semi-périphérie et la périphérie. Les grandes puissances de l'OCDE (les États-Unis en première place) constituant le centre de l'économie-monde, et les pays en développement se situant dans la périphérie. estimate such all state being globalisés 粗ら訳:世界システムの概念は、(従属理論学派に属する)理論家I・ウォーラーステインによってもたれたポストマルクス主義経済学(F・ブローデルによる経済的世界の概念から導き出された)ものである。 それは、南側の国の低開発が国際経済の秩序構造に位置づけられたものと主張する。 すべての国は、中心・半周辺・周辺と区分する世界経済であるグローバリズム下にあるとされる。 アメリカ合衆国を筆頭とするOECDの大国は世界経済の中心、発展途上国は周辺という構成である。

(システム-界の概念は、経済(フェルナンブローデルによって発明される経済的世界の概念の引き出される)ポストmarxismeの、理論家イマニュエルウォーラーステイン(依存の学校の下られる)によってもたれました。 彼/それは、南側の国の発育不全が国際的な経済命令の構築物の彼らのところによると断言します。 彼/それは世界化されているすべての国と同様に見積もります、世界経済はセンター、半周辺と周辺によって特徴づけられます。 経済的世界の中心を構成しているOECD(最初の場所のアメリカ合衆国)の大国と周辺にある発展の国。

スウェーデン語sv:Världssystemteorin11 februari 2008 kl. 03.11版 カテゴリ:社会学 Kategori: Sociologi
導入部:Världssystemteorin är en sociologisk teori på en högre abstrationsnivå i jämförelse med tidigare sociologiska teorimodeller.

粗ら訳:世界システム論は社会学理論であり、(途中はドイツ語からの連想不能)抽象...社会学理論モデル。


スペイン語es:Immanuel Wallerstein#El moderno sistema-mundo18:17 5 mar 2008版
Su obra más importante, El moderno sistema-mundo (The modern world-system) ha aportado a la ciencia histórica un nuevo modelo teórico-interpretativo. Apareció en tres volúmenes en 1974, 1980 y 1989.

En ellos, Wallerstein se basa en tres influencias intelectuales: Karl Marx, el historiador francés Fernand Braudel, la Teoría de la dependencia, en su experiencia práctica obtenida en su trabajo en la África post-colonial y las varias teorías acerca de las naciones en desarrollo.

Un aspecto de su trabajo por el cual se merece crédito fue el anticipar la importancia del creciente Conflicto Norte-Sur el cual estaba ya en la cima durante la Guerra Fría.

Wallerstein rechazaba la noción de un “Tercer Mundo”, afirmando que había solo un mundo conectado por una compleja red de relaciones de intercambio económico.

粗ら訳:「近代世界システム」はI・ウォーラーステインの重要な業績である。「近代世界システム」は理論的な解釈による新しいモデルにより歴史学に貢献した。 (彼らのより重要な仕事、現代のシステム-界は、理論的な解説的な新型を歴史の科学に貢献させました。/彼らのより重要な仕事(現代のシステム-界)。貢献します。科学。歴史の。新型。理論的な解説的な。) 「近代世界システム」は1974、1980と1989年に3巻が出版された。 (彼/彼女は、1974、1980と1989年に3冊で見かけました。)

ウォーラースティンはカール・マルクス、フランスの歴史家フェルナン・ブローデル、従属理論の3つの影響を受けている。また、開発において国についてアフリカのポスト植民地のに関するいくつかの理論研究で得られた実際的な経験に基づいている。(彼らの中で、ウォーラースティンは3人の影響知識人に基づきます: カールマルクス、フランスの歴史家フェルナンブローデル、依存のTheory(開発において国についてポスト植民地のfricaといくつかの理論で彼らの仕事で得られる彼らの実際的な経験の)。 ) 冷戦が頂点にあった時、既に彼は論文において南北問題の重要性の指摘を始めていた。 (どちらが信用に値するかというその仕事の面が、すでにグェッラの間、頂上にあった発達するConflict北南の重要性を進めていました彼/彼女フリース。 ) ウォーラースティンは「第三世界」の概念を拒絶し、経済交換関係の複雑なネットワークにつながれた世界があるだけと断言した。 (ウォーラースティンは「第三世界」の概念を拒絶しました。そして、経済交流の関係の複雑なネットのそばにつながれる世界があっただけと断言しました。)

※世界システム論のスペイン語直訳は"Teoría del sistema mundial"。対応記事がないため、ウォーラースティンの業績として筆頭に挙げられた「近代世界システム」節の冒頭1段落を訳出。 (El mundo-sistema moderno)

世界の歴史(せかいのれきし)は、地域・各国史や関係史、時代別歴史の集成とその要約(ダイジェスト)。さらには一国や一地域にとらわれず世界的規模で一体的な叙述を試みた歴史書のことで、世界の範囲はその記述された時点での時代と人物の属した地域的制約下で認識された地域に限定されていたが、現時点では全地球的規模である。

一体的な世界史を試みた歴史書

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{{節stub}} 欧米で「歴史の父」と呼ばれるヘロドトス紀元前5世紀頃に著したとされる『歴史』は、ヘロドトスが知りえた時代と地域の歴史に関するもので、自らが属するギリシア文明圏を超えた世界を展望した最初の歴史書といえるものである。


一国や一地域に囚われない世界的視点に立ち、世界的枠組みで歴史を把握する歴史叙述。日本では明治期の国史(日本史)・東洋史西洋史という枠組みの概念である。


野蛮・野蛮人(やばん、Barbarian)とは、文明に対立する概念、多く自身を「文明」と称する人々に依り付けられるレッテル。ここでは例として欧州人の蛮族観を説明する。古代古典時代

古代ギリシアでは異国の民をバルバロイ(Barbaroi)と呼んだ。歴史以前では必ずしも侮蔑の対象とはならなかったようだが、ペルシア戦争で異国の侵入と破壊を経験したあたりから、排外の感情とともに、今日のバーバリアン(Barbarian)という語にこめられるニュアンスをふくむ用法になったようである。


ヘーゲル歴史哲学で語られる歴史の上に築かれたカール・マルクス唯物史観から抽出した 経済発展段階説は、一国の経済発展が共通の歴史的段階を経るとみなす学説。フリードリッヒ・リストおよび後続のドイツ歴史学派が形成したモデルが有名であるが、その他の立場からの段階説も提示されている。

議論そのものは比較的単純なものであり、実証的な歴史学などからは批判も寄せられている。しかし、かつては発展途上国などにおいて、近代化政策推進の理論的支柱としての役割も果たすことがしばしばあった。

アメリカ合衆国の歴史社会学者イマニュエル・ウォーラステイン世界システム論に基づき、16世紀の大航海時代以降の世界を、経済的不平等・経済格差をともなう諸地域間の分業システム(近代世界システム)の形成と固定化、およびその再編の全過程として叙述する試みもある。

世界の一体化「世界の一体化とは」節の編集履歴

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