利用者:とらもん192/sandbox
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一関市立津谷川小学校
[編集]一関市立津谷川小学校 | |
---|---|
閉校後の校舎外観(2024年7月) | |
北緯38度50分55.28秒 東経141度25分35.31秒 / 北緯38.8486889度 東経141.4264750度座標: 北緯38度50分55.28秒 東経141度25分35.31秒 / 北緯38.8486889度 東経141.4264750度 | |
過去の名称 |
津谷川小学校 津谷川尋常高等小学校 大津保村立津谷川国民学校 大津保村立津谷川小学校 室根村立津谷川小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
大津保村( - 1955年) 室根村(1955年 - 2005年) 一関市(2005年 - 2009年) |
設立年月日 | 1873年10月 |
閉校年月日 | 2009年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒029-1211 |
岩手県一関市室根町津谷川字上川原19 | |
外部リンク | 公式サイト未開設 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
一関市立津谷川小学校(いちのせきしりつ つやがわしょうがっこう)は、岩手県一関市室根町にあった公立小学校。
概要
[編集]学制の発布により1873年に開校し、児童数の減少により2009年をもって閉校した小学校である。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)10月 - 「津谷川小学校」として、津谷川字町の榊原堅盤別宅を借用して開校。上津谷川分教場と下津谷川分教場を開設[1]。
- 1874年(明治7年) -
- 2009年(平成21年)
- - 閉校式を挙行。
- 3月31日 - 一関市立室根西小学校への統合に伴い、閉校。
児童・学級数
[編集]アクセス
[編集]周辺
[編集]- 津谷川簡易郵便局
- 室根交流促進センター
- 千厩警察署津谷川駐在所
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 室根村史編纂委員会 2004, p. 306.
参考文献
[編集]- 室根村史編纂委員会 編『室根村史 下巻』室根村、2004年3月31日。
関連項目
[編集]- 岩手県小学校の廃校一覧
- 一関市立室根西小学校 - 統合先
でふぉ・きゃっと
[編集]でふぉ→いちのせきしりつつやかわしよう
きゃっと→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:つやかわ、一関市の歴史:つやかわしようかつこう、学校記事
岩手県立千厩東高等学校
[編集]岩手県立千厩東高等学校 | |
---|---|
千厩東高校跡地(2024年5月) | |
北緯38度55分11.8秒 東経141度20分32.5秒 / 北緯38.919944度 東経141.342361度座標: 北緯38度55分11.8秒 東経141度20分32.5秒 / 北緯38.919944度 東経141.342361度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
過去の名称 | 岩手県立千厩農業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岩手県 |
設立年月日 | 1974年4月1日 |
閉校年月日 | 2002年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
産業技術科 生産技術科 |
学期 | 2学期制 |
校舎面積 | 2,360 m2 |
所在地 | 〒029-0803 |
岩手県東磐井郡千厩町千厩字石堂45-2 (現:岩手県一関市千厩町千厩字石堂45-2) | |
外部リンク |
公式サイト (Wayback Machine) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岩手県立千厩東高等学校(いわてけんりつ せんまやひがしこうとうがっこう、英: Iwate Prefectural Senmayahigashi High School)は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)にあった公立高等学校。略称および通称は東高(ひがしこう)。
概要
[編集]1974年に岩手県立千厩高等学校から分離して開校し、2002年をもって千厩高校への統合により閉校した高等学校である。千厩字石堂に所在し、千厩高校は駒場校舎(現:一関市立千厩小学校)に移転した。片倉教室は
沿革
[編集]千厩農業高校
[編集]- 1974年(昭和49年)4月1日 - 「岩手県立千厩農業高等学校」として開校。全日制農業科・畜産科・生活科、定時制普通科を開設[8]。校歌は1951年制定の千厩高校のものを制定[9]。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 畜産科を募集停止[8]。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 温室と更衣室を設置[8]。
- 1974年(昭和54年)7月17日 - 新校舎を落成。第二校舎を改装[8]。
- 1981年(昭和56年)4月7日 - 岩手県立千厩高等職業訓練校との技能連携により、定時制普通科建築コースを開設[8]。
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 生活科実習棟と蚕業実習棟を落成[8]。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)3月31日 - 片倉教室の施設を返還[8]。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 全日制の産業技術科を開設[8]。
- 1987年(昭和62年)3月24日 - 産業技術科棟を落成。体育館を増築[8]。
千厩東高校
[編集]- 1988年(昭和63年)4月1日 -「岩手県立千厩東高等学校」に改称。生活科を募集停止し、生活科学科を開設[8]。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)1月23日 - 体育館を改修[8]。
- 1992年(平成4年)3月13日 - 農場管理棟と牛舎を落成[8]。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 学科再編に伴い、農業科と生活科学科を募集停止[8]。
- 1994年(平成6年)3月22日 - 産業技術科実習棟を落成[8]。
- 1995年(平成7年)11月8日 - 姉妹校としてラファイエット高校(アメリカ合衆国ミシシッピー州オックスフォード町)と締結[8]。
- 1996年(平成8年)6月27日 - 第二グラウンドを造成[8]。
- 2000年(平成12年)1月24日 - 岩手県教育委員会が「県立高等学校新整備計画」を策定し、2002年4月付で千厩高等学校との統合が決定[8][10]。
- 2002年(平成14年)
設置学科
[編集]- 全日制課程
- 産業技術科 - 1986年度設置
- 生産技術科 - 1993年度設置
- 定時制課程
- 普通科 - 1974年度設置
廃止学科
[編集]課程 | 学科・コース | 設置年度 | 廃止年度 | 備考 |
---|---|---|---|---|
全日制課程 | 農業科 | 1974年度 | 1994年度 | |
畜産科 | 1974年度 | 1970年代 | ||
生活科 | 1974年度 | 1989年度 | ||
生活科学科 | 1988年度 | 1994年度 | ||
定時制課程 | 普通科建築コース | 1981年度 | 1981年度以降 |
部活動
[編集]運動部
[編集]- 野球部
施設概要
[編集]主な施設を掲載。
- 体育館 - 鉄骨造平屋建て
- 柔剣道場(356.92 m2)- 鉄筋コンクリート造平屋建て
- 部室(256 m2)- 鉄骨造2階建て
- 第一グラウンド
- 第二グラウンド(10,200 m2)
- 産業技術科棟(1,848.96 m2)- 鉄筋コンクリート造2階建て
- 産業技術科実習棟
- 生産技術科棟
- 生産技術科実習棟(969.92 m2)- 鉄筋コンクリート造2階建て
- 農業実験実習棟(486 m2)- 鉄筋コンクリート造
- 牛舎(423 m2)
- 農場管理棟(264 m2)
生徒・学級数
[編集]年度 | 定員 | 生徒数 | 増減 | 学級数 | 増減 | 出典 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1974(昭和49)年度 | 不明 | 不明 | 開校 | ||||
1975(昭和50)年度 | 畜産科募集停止、農業科+2 | ||||||
1981(昭和56)年度 | 建築コース開設 | ||||||
1986(昭和61)年度 | 160 | 産業技術科開設 | |||||
1993(平成5)年度 | 農業科・生活科学科募集停止、生産技術科開設、産業技術科+1 | ||||||
1998(平成10)年度 | 359 | 12 | [11] | ||||
1999(平成11)年度 | 不明 | 不明 | |||||
2000(平成12)年度 | 365 | 9 | [12] | ||||
2001(平成13)年度 | 368 | 3 | 9 | 0 | [13] | 閉校 |
周辺
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 「高等教育の行方1 急速に進む少子化 県立校は10校から7校に」『岩手日日』2002年。オリジナルの2002年3月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ 「高等教育の行方2 開校向け準備着々 生徒同士の交流も始まる」『岩手日日』2002年。オリジナルの2002年3月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ 「高等教育の行方6 姿消す農業単独校 専門性追求など課題に」『岩手日日』2002年。オリジナルの2002年3月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ 「高等教育の行方7 進学高校選択の幅に”地域格差”見直し危ぐする声も」『岩手日日』2002年。オリジナルの2002年3月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ 「高等教育の行方8 時代の流れで役割変化 県教委聴講生受け入れも検討」『岩手日日』2002年。オリジナルの2002年3月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ 「高校再編へ施設整備始動」『岩手日報』2000年3月6日。オリジナルの2002年8月3日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ a b 「県立高の統合第1号<新千厩高開校式>」『岩手日報』2002年4月9日。オリジナルの2002年4月8日時点におけるアーカイブ。2023年5月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y “沿革”. 岩手県立千厩高等学校. 2023年3月23日閲覧。
- ^ “岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』70曲目 岩手県立千厩東・千厩農業・千厩高等学校校歌”. トーバン印刷株式会社 (2017年3月13日). 2023年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ “県立高等学校再編の取組み”. 岩手県. 2023年3月23日閲覧。
- ^ “学校概要”. Wayback Machine. 2002年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月8日閲覧。
- ^ “高等学校”. Wayback Machine. 2001年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
- ^ “高等学校”. Wayback Machine. 2002年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]公式サイト
- 岩手県立千厩東高等学校(Wayback Machine・2002年2月10日アーカイブ分)
でふぉるとそーと・Cat
[編集]DEFAULTSORT→いわてけんりつせんまやひかしこうとう
かてごり→岩手県の公立高等学校 (廃止):せんまやひかし、一関市の高等学校:せんまやひかし、一関市の歴史、学校記事
千厩町立清田中学校
[編集]千厩町立清田中学校 | |
---|---|
北緯38度55分53.24秒 東経141度22分31.6秒 / 北緯38.9314556度 東経141.375444度座標: 北緯38度55分53.24秒 東経141度22分31.6秒 / 北緯38.9314556度 東経141.375444度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
過去の名称 |
小梨村立小梨中学校清田校舎 小梨村立小梨中学校清田分教室 小梨村立小梨中学校清田分校 千厩町立小梨中学校清田分校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
小梨村(1947年 - 1956年) 千厩町(1956年 - 1963年) |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
閉校年月日 | 1961年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
本校 |
千厩町立小梨中学校(1957年独立) 1947年 - 1957年 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒導入前に閉校 |
岩手県東磐井郡千厩町清田字落合3 (現:岩手県一関市千厩町清田字落合2付近) | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
千厩町立清田中学校(せんまやちょうりつ きよたちゅうがっこう)は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)にあった公立中学校。略称は清中(きよちゅう)。
一関市立清田小学校(当時:千厩町立)を併設していた。
概要
[編集]沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1950年(昭和25年)
- 1956年(昭和36年)9月30日 - 町村合併に伴い、「千厩町立小梨中学校清田分校」に改称。
- 1957年(昭和32年)4月1日 -「千厩町立清田中学校」として本校から独立[3]。
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 実質統合に伴い、校舎制を廃止。
生徒・学級数
[編集]1949年度以降の生徒数と学級数の推移。1957年度以降は毎年度掲載。
年度 | 生徒数 | 増減 | 学級数 | 増減 | 出典 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1949(昭和24)年度 | 119 | 3 | [4] | |||
1952(昭和27)年度 | 不明 | 3 | 0 | [5] | ||
1955(昭和30)年度 | 119 | 0 | 3 | 0 | [6] | |
1957(昭和32)年度 | 114 | -5 | 3 | 0 | [7][8] | 独立 |
1958(昭和33)年度 | 105 | -9 | 3 | 0 | [9] | |
1959(昭和34)年度 | 105 | 0 | 3 | 0 | [7][10] | |
1960(昭和35)年度 | 128 | 23 | 3 | 0 | [11] | |
1961(昭和36)年度 | 128 | 0 | 3 | 0 | [12] | 閉校 |
学区
[編集]- 東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)
- 清田
進学前小学校
[編集]- 千厩町立清田小学校(千厩町清田)
アクセス
[編集]国道284号沿い、清田テニスコートの場所に位置していた。
鉄道
[編集]バス
[編集]- 「小梨駅前」バス停(岩手県交通)から徒歩で約9分
- 「市道」バス停(同上)から徒歩で約10分
自動車
[編集]周辺
[編集]- 国道284号
- 大船渡線
- 花の駅せんまや
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 創立50周年記念事業実行委員会記念資料部 1996, p. 14.
- ^ 記念誌発行委員会 2000, p. 43.
- ^ 創立50周年記念事業実行委員会記念資料部 1996, p. 16.
- ^ 日敎組調査部 編『全国学校名鑑 昭和25年版』文化研究社、1950年6月1日、37頁。doi:10.11501/3033164。
- ^ 岩手県総務部統計課『岩手県統計年鑑 昭和27年』岩手県総務部統計課、1953年、535頁。doi:10.11501/9547068 。2023年11月17日閲覧。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和31年版』文化研究社、1956年5月25日、46頁。doi:10.11501/3032777。
- ^ a b 千厩町史編纂委員会 2005, p. 666.
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和33年版』文化研究社、1958年4月30日、48頁。doi:10.11501/3033357。
- ^ 全国学校教育振興会『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月20日、1530頁。doi:10.11501/9524018。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和35年版』文化研究社、1960年3月30日、48頁。doi:10.11501/3041007。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和36年版』文化研究社、1961年3月30日、48頁。doi:10.11501/3043685。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和37年版』文化研究社、1962年4月10日、48頁。doi:10.11501/3043687。
参考文献
[編集]- 創立50周年記念事業実行委員会記念資料部 編『千厩町立小梨中学校創立50周年記念誌「時は流れて」』創立50周年記念事業実行委員会、1996年。
- 記念誌発行委員会 編『千厩町立小梨中学校閉校記念誌「時を超えて」』千厩町立小梨中学校閉校記念事業推進実行委員会、2000年3月31日。
- 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第5巻 現代編』千厩町、2005年9月12日。
関連項目
[編集]- 岩手県中学校の廃校一覧
- 千厩町立小梨中学校 - 元本校
- 一関市立清田小学校 - 併設校
- 一関市立千厩中学校 - 統合先
でふぁうるとそおと・きゃっと
[編集]DEFAULTSORT→せんまやちようりつきよたちゆう
かてごり→岩手県の公立中学校 (廃止)、一関市の中学校:せんまやちようりつきよた、一関市の歴史:せんまやちようりつきよたちゆう、学校記事
千厩町立磐清水中学校
[編集]千厩町立磐清水中学校 | |
---|---|
北緯38度56分29.03秒 東経141度19分8.34秒 / 北緯38.9413972度 東経141.3189833度座標: 北緯38度56分29.03秒 東経141度19分8.34秒 / 北緯38.9413972度 東経141.3189833度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
過去の名称 | 磐清水村立磐清水中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
磐清水村(1947年 - 1955年) 千厩町(1955年 - 1961年) |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
閉校年月日 | 1961年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒導入前に閉校 |
岩手県東磐井郡千厩町磐清水字蒲沢101 (現:岩手県一関市千厩町磐清水字蒲沢101) | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
千厩町立磐清水中学校(せんまやちょうりつ いわしみずちゅうがっこう)は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)にあった公立中学校。略称は磐中(いわちゅう)。
概要
[編集]沿革
[編集]統合の経緯は5-p752
年表
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)3月6日 - PTAを発足[1]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)6月 - 校旗を制定[4]。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)1月 - 給食を開始[4]。
- 1955年(昭和30年)2月 - 放送室を設置。給食調理室をを改造[4]。
- 1956年(昭和31年)
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)4月 - 磐清水校舎を廃止し、新校舎へ生徒を移動[8]。
部活動
[編集]卓球部と庭球部の功績 p678
施設概要
[編集]主な施設を掲載。
- 校舎
- 講堂
- 校庭
- 桑園
生徒・学級数
[編集]1947年度以降の生徒数と学級数の推移。
年度 | 生徒数 | 増減 | 学級数 | 増減 | 出典 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1947(昭和22)年度 | 118 | 3 | [2] | 開校 | ||
1948(昭和23)年度 | 134 | 16 | [9] | |||
1949(昭和24)年度 | 151 | 17 | ||||
1950(昭和25)年度 | 137 | -14 | ||||
1951(昭和26)年度 | 147 | 10 | ||||
1952(昭和27)年度 | 139 | -8 | ||||
1953(昭和28)年度 | 147 | 8 | ||||
1954(昭和29)年度 | 141 | -6 | ||||
1955(昭和30)年度 | 161 | 20 | ||||
1956(昭和31)年度 | 149 | -12 | ||||
1957(昭和32)年度 | ||||||
1958(昭和33)年度 | 121 | 3 | [10] | |||
1959(昭和34)年度 | 不明 | 3 | 0 | [11] | ||
1960(昭和35)年度 | 139 | 18 | 3 | 0 | [12] | 閉校 |
学区
[編集]- 千厩町磐清水(全域)
進学前小学校
[編集]- 千厩町立磐清水小学校(のちの一関市立磐清水小学校)
アクセス
[編集]バス
[編集]- 「田ノ神」バス停(一関市営バス)から徒歩で約7分
周辺
[編集]- 磐清水市民センター体育館
- 千厩磐清水農村公園
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 磐清水村誌編纂委員会 1957, p. 167.
- ^ a b c 千厩町史編纂委員会 2005, p. 676.
- ^ a b c d e 千厩町史編纂委員会 2005, p. 679.
- ^ a b c d e f g h i 磐清水村誌編纂委員会 1957, p. 168.
- ^ 磐清水村誌編纂委員会 2005, p. 679.
- ^ a b 千厩町史編纂委員会 2005, p. 678.
- ^ 磐清水村誌編纂委員会 2005, p. 680.
- ^ 千厩町役場企画商工課 編『せんまや 30周年記念誌』千厩町、1985年10月、11頁。
- ^ 磐清水村誌編纂委員会 1957, p. 169.
- ^ 全国学校教育振興会『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月20日、1530頁。doi:10.11501/9524018。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和35年版』文化研究社、1960年3月30日、48頁。doi:10.11501/3041007。
- ^ 千厩町史編纂委員会 2005, p. 752.
参考文献
[編集]- 磐清水村誌編纂委員会 編『磐清水村誌』磐清水公民館、1957年3月3日。
- 千厩町史編纂委員会 編『千厩町史 第5巻 現代編』千厩町、2005年9月12日。
関連項目
[編集]- 岩手県中学校の廃校一覧
- 一関市立磐清水小学校 - 併設校
- 一関市立千厩中学校 - 統合先
きゃっと・でふぉると
[編集]DEFAULT→せんまやちようりついわしみすちゆう
Cat→岩手県の公立中学校 (廃止)、一関市の中学校:せんまやちようりついわしみす、一関市の歴史、学校記事
一関市立清田小学校
[編集]- スポーツ少年団の活躍
1994年に、本校の「清田ソフトボールスポーツ少年団」が県大会に出場してからは各種大会で功績を残してゆき、1995年から2001年にかけては全国大会
藤沢町立保呂羽小学校
[編集]これらの活動を通じて地区との関係が築かれ、
学び舎に留まらず、地区の交流拠点と化した。学校行事には地区民かけつける、日常的に駆けつける
開かれた学校0611p10
スクールガードも地域民や保護者 広報07年5月 12p
一関市立奥玉小学校
[編集]一関市立奥玉小学校 | |
---|---|
北緯38度57分18.0秒 東経141度22分31.4秒 / 北緯38.955000度 東経141.375389度座標: 北緯38度57分18.0秒 東経141度22分31.4秒 / 北緯38.955000度 東経141.375389度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
過去の名称 |
奥玉小学校 奥玉中尋常小学校 奥玉尋常小学校 奥玉尋常高等小学校 奥玉国民学校 奥玉村立奥玉小学校 千厩町立奥玉小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
奥玉村(時期不明 - 1956年) 千厩町(1956年 - 2005年 一関市(2005年 - 2018年) |
併合学校 |
奥玉学校 中の前学校 千厩町立奥玉小学校下分校 千厩町立奥玉小学校上分校 |
設立年月日 | 1878年11月 |
閉校年月日 | 2018年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
下分校(1970年統合) 1879年 - 1970年 上分校(1979年統合) 1879年 - 1979年 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒029-1111 |
岩手県一関市千厩町奥玉字宿下94-1 | |
外部リンク |
公式サイト(一関市HP) (WARP) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
一関市立奥玉小学校(いちのせきしりつ おくたましょうがっこう)は、岩手県一関市千厩町にあった公立小学校。略称は奥小(おくしょう)。
概要
[編集]沿革
[編集]分校
[編集]奥玉小学校下分校
[編集]千厩町立奥玉小学校下分校 | |
---|---|
北緯38度57分8.49秒 東経141度21分1.72秒 / 北緯38.9523583度 東経141.3504778度座標: 北緯38度57分8.49秒 東経141度21分1.72秒 / 北緯38.9523583度 東経141.3504778度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
奥玉村(時期不明 - 1956年) 千厩町(1956年 - 1970年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒029-11 |
岩手県東磐井郡千厩町奥玉字北ノ沢44 (現:岩手県一関市千厩町奥玉字北ノ沢44) | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
奥玉小下
奥玉小学校上分校
[編集]千厩町立奥玉小学校上分校 | |
---|---|
北緯38度57分39.4秒 東経141度24分48.5秒 / 北緯38.960944度 東経141.413472度座標: 北緯38度57分39.4秒 東経141度24分48.5秒 / 北緯38.960944度 東経141.413472度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
奥玉村(時期不明 - 1956年) 千厩町(1956年 - 1979年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒029-11 |
岩手県東磐井郡千厩町奥玉字大森5-3 (現:岩手県一関市千厩町奥玉字大森5-3) | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
学校目標
[編集]学校活動
[編集]付属施設
[編集]児童・学級数
[編集]学区
[編集]進学先の中学校
[編集]アクセス
[編集]周辺
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]- 岩手県小学校の廃校一覧
- 一関市立千厩小学校 - 統合先の小学校
外部リンク
[編集]公式サイト
きゃっと・でふぉるとそおと
[編集]DEFAULTSORT→いちのせきしりつおくたましよう
Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:おくたま、一関市の歴史、廃校活用施設、学校記事
金越沢ダム
[編集]金越沢ダム | |
---|---|
所在地 | 岩手県一関市藤沢町保呂羽 |
左岸所在地 | 岩手県一関市藤沢町保呂羽字上野平151番地10地先 |
右岸所在地 | 岩手県一関市藤沢町保呂羽字栗沢10番地6地先 |
位置 | |
河川 | 北上川水系黄海川 |
ダム湖 | ほろわ湖 |
ダム諸元 | |
ダム型式 | 中央コア型ロックフィルダム |
堤高 | 43.0 m |
堤頂長 | 338.0 m |
堤体積 | 635,000 m3 |
流域面積 | 3.7 km2 |
湛水面積 | 14 ha |
総貯水容量 | 1,160 m3 |
有効貯水容量 | 1,100 m3 |
利用目的 | かんがい |
事業主体 | 岩手県 |
施工業者 |
青木建設 橋本工務店 |
着手年 / 竣工年 | 1979年 / 2004年 |
金越沢ダム(かなごえざわダム)は、岩手県一関市藤沢町保呂羽にあるダム。ほろわ湖(ほろわこ)の別名をもつ。
概要
[編集]出典リスト:岩日2023年11月29日の記事
沿革
[編集]ギャラリー
[編集]-
金越沢ダム管理事務所(2023年9月)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “一関市公共施設白書 第4章 - 4.産業系施設”. 一関市ホームページ. 一関市. p. 79. 2023年11月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]でふぉ・きゃっと
[編集]でふぉ→かなこえさわだむ
きゃっと→日本のロックフィルダム、岩手県のダム、一関市、藤沢町、北上川水系
宮古市立愛宕小学校白浜分校
[編集]宮古市立愛宕小学校白浜分校 | |
---|---|
北緯39度36分34.49秒 東経141度58分55.3秒 / 北緯39.6095806度 東経141.982028度 | |
過去の名称 |
私立白浜小学校 磯鶏村立磯鶏尋常小学校白浜分教場 磯鶏村立磯鶏尋常高等小学校白浜分教場 宮古市立磯鶏国民学校白浜分教場 宮古市立磯鶏小学校白浜分校 宮古市立白浜小学校 |
国公私立の別 |
私立学校(1887年 - 1892年) 公立学校(1892年 - 2001年) |
設置者 |
磯鶏村(1892年 - 1941年) 宮古市(1941年 - 2001年) |
設立年月日 | 1887年8月 |
閉校年月日 | 2001年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
本校 |
宮古市立磯鶏小学校 1892年 - 1949年 宮古市立愛宕小学校 1968年 - 2001年 |
学期 | 3学期制 |
校地面積 | 2,515 m2[1] |
校舎面積 | 553 m2[1] |
所在地 | 〒027-0201 |
岩手県宮古市白浜1-190-1 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮古市立愛宕小学校白浜分校(みやこしりつ あたごしょうがっこう しらはまぶんこう)は、岩手県宮古市白浜にあった公立小学校の分校。略称は白小。
概要
[編集]出典りすと:[2]
沿革
[編集]1963年に前川校長が死去したことを書く、市内の小学校の中では先駆けて完全給食を開始したことと市内唯一の米飯給食校であることをp70より書く、ほか給食に関することが書かれているので書く
学校林に関することをp71より書く
年表
[編集]- 1887年(明治20年)8月 - 開校[3][4]。
- 1892年(明治25年)10月20日 - 磯鶏尋常小学校へ統合し、「磯鶏村立磯鶏尋常小学校白浜分教場」に移行[5]。
- 1896年(明治29年)6月15日 - 明治三陸地震の津波により被災[6]。
- 1902年(明治35年)4月 - 「磯鶏村立磯鶏尋常高等小学校白浜分教場[7]」に改称。
- 1916年(大正5年) - 現在地に新校舎を落成[8]。
- 1917年(大正6年) - 新校舎落成式を挙行[8]。
- 1919年(大正8年) - 教員住宅を落成[8]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「宮古市立磯鶏国民学校白浜分教場」に改称[9]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行に伴い、「宮古市立磯鶏小学校白浜分校」に改称[9]。
- 1948年(昭和23年) - 校舎を増築。校庭を拡張[10]。
- 1949年(昭和24年)5月18日 - 「宮古市立白浜小学校」として本校から独立[11]。
- 1950年(昭和25年) - 校歌(作詞:佐藤善一、作曲:千葉了道)と校章を制定[12]。
- 1952年(昭和27年)6月8日 - 白浜農事実行組合部分林を学校林に制定[11]。
- 1953年(昭和28年)3月16日 - 講堂を落成[13]。
- 1963年(昭和38年) - 校門を設置。完全給食を開始[14]。
- 1965年(昭和40年) - 給食室を設置[15]。
- 1967年(昭和42年) - 教員住宅2棟を落成[15]。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 宮古市立愛宕小学校へ統合し、「宮古市立愛宕小学校白浜分校」に移行[15][4]。
- 1973年(昭和48年) - へき地校1級に指定[15]。
- 1974年(昭和49年)5月 - 白浜季節保育所が講堂を借用開始[16]。
- 1977年(昭和52年)8月11日 - 新校舎建設に伴い、校舎を解体[15]。
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1986年(昭和61年)9月21日 - 創立100周年記念として、記念誌(白浜)を発行・校歌碑を設置[18]。
- 2001年(平成13年)
教育目標
[編集]1986年度の教育目標[22]。
明るく 健康な いきいきした子
- よく考え、行動する子
- 心が豊かで、思いやりのある子
- 健康で、たくましい子
年間行事
[編集]1986年度の主な学校行事[22]。
1学期
- 4月 - 始業式、入学式、家庭訪問、児童総会
- 5月 - 遠足、運動会
- 6月 - 知能テスト、奉仕作業、映画教室
- 7月 - 浜開き、終業式(夏季休業)
2学期
- 8月 - 始業式、夏休み作品展
- 9月 - 水泳納め、後期児童会、写生会
- 10月 - 遠足、奉仕作業、マラソン大会、学習発表会
- 11月 - 映画教室、校庭整備作業
- 12月 - なわとび大会、大掃除、終業式(冬季休業)
3学期
- 1月 - 始業式、冬休み作品展
- 2月 - 新入児1日入学、児童会役員改選
- 3月 - 4年生おわかれ会、大掃除、修了式(学年末休業)
施設概要
[編集]主な施設を掲載[1]。
- 校舎
- 教室棟(433 m2)
- 給食棟(120 m2)
- 屋内体育館(237 m2)
- 校庭(1,100 m2)
- 学校林
- 教員住宅(291 m2)
児童・学級数
[編集]学区
[編集]進学先の中学校
[編集]アクセス
[編集]周辺
[編集]- 宮古地区広域行政組合宮古市消防団 第15分団屯所(白浜コミュニティ消防センター)
- 白浜海嘯横死者精霊塔
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 花坂蔵之助 1986, p. 66.
- ^ 「愛宕(あたご)小学校白浜分校 閉校式」『IBC岩手放送』2001年3月20日。オリジナルの2002年1月5日時点におけるアーカイブ。2023年12月26日閲覧。
- ^ 花坂蔵之助 1986, p. 26.
- ^ a b c d 「宮古・愛宕小白浜分校の閉校式」『岩手日報』2001年3月21日。オリジナルの2001年7月30日時点におけるアーカイブ。2023年12月23日閲覧。
- ^ 花坂蔵之助 1986, pp. 26–27.
- ^ 花坂蔵之助 1986, p. 27.
- ^ 『帝国小学校名簿』東京書籍商組合、1910年10月、381頁。doi:10.11501/813004 。2023年12月26日閲覧。
- ^ a b c 花坂蔵之助 1986, p. 164.
- ^ a b 花坂蔵之助 1986, p. 166.
- ^ 花坂蔵之助 1986, pp. 166–167.
- ^ a b 花坂蔵之助 1986, p. 167.
- ^ 花坂蔵之助 1986, pp. 47, 167.
- ^ 花坂蔵之助 1986, pp. 50, 167.
- ^ 花坂蔵之助 1986, pp. 69, 168.
- ^ a b c d e 花坂蔵之助 1986, p. 168.
- ^ 花坂蔵之助 1986, pp. 101, 168.
- ^ a b 花坂蔵之助 1986, p. 62.
- ^ a b c 花坂蔵之助 1986, p. 169.
- ^ 花坂蔵之助 1986, p. 69.
- ^ 花坂蔵之助 1986, pp. 62, 169.
- ^ 宮古市教育委員会 編『宮古市史 年表』宮古市、1991年3月30日、523頁。doi:10.11501/9572182。
- ^ a b 花坂蔵之助 1986, p. 68.
参考文献
[編集]- 花坂蔵之助 編『白浜 宮古市立愛宕小学校白浜分校創立百周年記念誌』宮古市立愛宕小学校白浜分校創立百周年実行委員会、1986年9月20日。doi:10.11501/12054503。
関連項目
[編集]でふぉ・きゃっと
[編集]でふぉ→みやこしりつあたこしよう しらはまふんこう
きゃっと→Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、宮古市の学校:あたこ しらはま、宮古市の歴史:あたこしよう しらはまふんこう、学校記事
一関市立市野々小学校
[編集]一関市立市野々小学校 | |
---|---|
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
市野々村(1872年 - 1889年) 萩荘村(1889年 - 1954年) 一関市(1955年 - 2005年) |
設立年月日 | 明治5年6月(1872年7月頃) |
閉校年月日 | 2005年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒021-0102 |
岩手県一関市萩荘字上本郷315-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
一関市立市野々小学校(いちのせきしりつ いちののしょうがっこう)は、岩手県一関市萩荘にあった公立小学校。略称は市小(いちしょう)。
概要
[編集]沿革
[編集]年表
[編集]- 明治5年6月(1872年7月頃) - 「市野々小学校」として、市野々村字下本郷20番地に開校[1]。
- 1886年(明治19年)4月 - 「市野々簡易小学校」に改称[1]。
- 1892年(明治25年)8月 - 「萩荘村立市野々尋常小学校[2]」に改称[1]。
- 1908年(明治41年)4月 - 萩荘村字下本郷12番地に移転[1]。
- 1912年(明治45年)1月 - 現在地に校舎を落成し、移転[1]。
- 1924年(大正13年)4月 - 高等科を併設し、「萩荘村立市野々尋常高等小学校」に改称[1]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行に伴い、「萩荘村立市野々国民学校」に改称[1]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法施行に伴い、「萩荘村立市野々小学校」に改称[1]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 市村合併に伴い、「一関市立市野々小学校」に改称[1]。
- 1961年(昭和36年)6月 - 新校舎を落成[1]。
- 1962年(昭和37年)12月 - 体育館を落成[1]。
- 1965年(昭和40年)12月 - 給食室を設置[1]。
- 1968年(昭和43年)6月 - プールを落成[1]。
- 1973年(昭和48年) - 特殊学級(精神薄弱)を開設[3]。
- 1975年(昭和50年)10月 - 学研教育賞を受賞[1]。
- 1976年(昭和51年)7月 - 新プールを落成[1]。
- 1977年(昭和52年)9月 - 郷土芸能「鶏舞」の伝承活動を開始[1]。
- 1979年(昭和54年)12月 - 日本水泳連盟より水泳優秀校として受賞。記念像を設置[1]。
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)2月 - 一関ロータリークラブより奨励賞(文化部門)を受賞[1]。
- 1983年(昭和58年)3月 - 一関ロータリークラブより奨励賞(水泳)とロータリー賞(善行)を受賞[1]。
- 1992年(平成4年)2月 - 職員室を拡張[1]。
- 1995年(平成7年)2月 - 保健室を改修[1]。
- 1997年(平成9年)9月 - 給食室を改修[1]。
- 2005年(平成17年)
教育目標
[編集]- 進んで学びよく考える子ども
- 思いやりがあり助け合う子ども
- 健康でねばり強い子ども
出典:[1]
年間行事
[編集]施設概要
[編集]主な施設を掲載。
- 校舎
- 体育館
- プール
- 校庭
児童・学級数
[編集]学区
[編集]- 一関市
進学先の中学校
[編集]- 一関市立萩荘中学校(一関市萩荘) - 1970年度以降
アクセス
[編集]バス
[編集]- 「市野々保育園前」バス停(一関市営バス)から徒歩で約1分
自動車
[編集]周辺
[編集]- 一関小山テレビ中継局
- 市野々土地改良区
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z “学校要覧”. 一関市立市野々小学校. 一関市. 2005年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月10日閲覧。
- ^ 『帝国小学校名簿』東京書籍商組合、1910年10月、373頁。doi:10.11501/813004 。2024年1月10日閲覧。
- ^ 岩手県教育委員会 編『岩手県教育年報 昭和48年度版』岩手県教育委員会、1974年9月30日、64頁。doi:10.11501/12112075。
- ^ 「132年の歴史刻み幕~一関・市野々小閉校式」『岩手日日』2005年3月21日。オリジナルの2005年4月5日時点におけるアーカイブ。2024年1月13日閲覧。
- ^ 「新校舎:一関・萩荘小の学区住民が見学--9日に開校式 /岩手」『毎日新聞』2005年4月4日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ。2024年1月13日閲覧。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 一関市立市野々小学校 - ぷらら(Wayback Machine・2005年4月9日アーカイブ分)
でふぉ・きゃっと
[編集]でふぉ→いちのせきしりついちののしよう
きゃっと→Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:いちのの、一関市の歴史:いちののしようかつこう、学校記事
一関市立釘子小学校
[編集]一関市立釘子小学校 | |
---|---|
過去の名称 |
明進学校 昇明小学校 釘子尋常小学校 釘子尋常高等小学校 矢越村立釘子国民学校 矢越村立釘子小学校 室根村立釘子小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
矢越村( - 1955年) 室根村(1955年 - 2005年) 一関市(2005年 - 2009年) |
設立年月日 | 1875年3月21日 |
閉校年月日 | 2009年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒029-1202 |
岩手県一関市室根町矢越字沼田78-2 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
一関市立釘子小学校(いちのせきしりつ くぎこしょうがっこう)は、岩手県一関市室根町にあった公立小学校。略称は釘小(くぎしょう)。
概要
[編集]校歌は創立100周年の記念式典を行った1975年3月に制定されたもので、森山耕平が作詞し、千葉了道が作曲した[1]。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)3月21日 - 「明進学校」として、大泉寺を仮校舎として創立[2]。
- 1877年(明治10年)3月1日 - 民家へ移転[2]。
- 1882年(明治15年)3月1日 - 茂林寺へ移転し、「昇明小学校」に改称[3]。
- 1883年(明治16年)9月10日 - 矢越字沼田83番のイに校舎を落成し、移転[2]。
- 1892年(明治25年)4月1日 - 「釘子尋常小学校」に改称。2学級に編成[2]。
- 1897年(明治30年)10月25日 - 校地を拡張[2]。
- 1903年(明治36年)4月10日 - 校舎を22.5坪分増築[4]。
- 1906年(明治39年)7月 - 学校林を設置[4]。
- 1912年(大正元年)11月14日 - 校地を拡張し、新校舎を落成[4]。
- 1918年(大正7年) - 教員住宅1棟を落成[3]。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 矢越村実業補習学校を併設(1935年7月15日廃止)[5]。
- 1923年(大正12年)6月23日 - 高等科を開設し、「釘子尋常高等小学校」に改称[6]。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 高等科に農業科と家事科を加設[4]。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 青年訓練所令施行に伴い、矢越青年訓練所を併設[4]。
- 1929年(昭和4年)4月 - 校地を拡張し、校舎を増築[4]。
- 1935年(昭和10年)7月15日 - 青年学校令施行に伴い、矢越村立釘子青年学校[7]を併設(1944年12月30日廃止)[4]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「矢越村立釘子国民学校」に改称[3]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行に伴い、「矢越村立釘子小学校」に改称[4]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 村合併に伴い、「室根村立釘子小学校」に改称[8]。
- 1959年(昭和34年)11月3日 - 児童が健康優良児として、朝日新聞社から全国特選を受賞[8]。
- 1962年(昭和37年)5月25日 - 新校舎と屋内体育館を落成[3]。
- 1969年(昭和44年)11月10日 - 岩手県花いっぱいコンクールにて優秀賞を受賞[8]。
- 1970年(昭和45年)11月12日 - 岩手県花いっぱいコンクールにて優秀賞を受賞[8]。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)2月28日 - 岩手県花いっぱいコンクールにて最優秀賞を受賞[8]。
- 1975年(昭和50年)3月3日 - 創立100周年記念式典を挙行し、校歌を制定[8]。
- 1987年(昭和62年)11月23日 - 全国俳句大会特別賞を受賞[9]。
- 1990年(平成2年)1月1日 - へき地校に指定[9]。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 2005年(平成17年)9月20日 - 市町村合併に伴い、「一関市立釘子小学校」に改称[10]。
- 2009年(平成21年)3月31日 - 室根西小学校への統合に伴い、閉校[10]。
施設概要
[編集]主な施設を掲載。
- 校舎
- 屋内運動場
- プール
- 校庭
児童・学級数
[編集]年度以降の児童数と学級数の推移。1903年度以降は毎年度掲載。
年度 | 児童数 | 増減 | 学級数 | 増減 | 出典 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1903(明治36)年度 | 93 | |||||
1904(明治37)年度 | 90 | -3 | ||||
1905(明治38)年度 | 84 | -6 | ||||
1906(明治39)年度 | 93 | 9 | ||||
1907(明治40)年度 | 96 | 3 | ||||
1908(明治41)年度 | 134 | 38 | ||||
1909(明治42)年度 | 145 | 11 | ||||
1910(明治43)年度 | 146 | 1 | ||||
1911(明治44)年度 | 153 | 7 | ||||
1912(明治45)年度 | 149 | -4 | ||||
1986(昭和61)年度 | 75 | 不明 | [11] | |||
1987(昭和62)年度 | 76 | 1 | ||||
1988(昭和63)年度 | 74 | -2 | ||||
1989(平成元)年度 | 71 | -3 | ||||
1990(平成2)年度 | 74 | 3 | ||||
1991(平成3)年度 | 71 | -3 | ||||
1992(平成4)年度 | 79 | 8 | ||||
1993(平成5)年度 | 80 | 1 | [12] | |||
1994(平成6)年度 | 75 | -5 | ||||
1995(平成7)年度 | 81 | 6 | ||||
1996(平成8)年度 | 81 | 0 | ||||
1997(平成9)年度 | 85 | 4 | ||||
1998(平成10)年度 | 77 | -8 | ||||
1999(平成11)年度 | 74 | -3 | ||||
2000(平成12)年度 | 68 | -6 | 6 | |||
2001(平成13)年度 | 62 | -6 | 6 | 0 | ||
2002(平成14)年度 | 55 | -7 | 5 | -1 | 複式学級設置 | |
2003(平成15)年度 | ||||||
2004(平成16)年度 | ||||||
2005(平成17)年度 | ||||||
2006(平成18)年度 | ||||||
2007(平成19)年度 | ||||||
2008(平成20)年度 | 閉校 |
学区
[編集]- 一関市室根町
- 釘子
進学先の中学校
[編集]- 室根村立矢越中学校(室根村矢越、現:室根町矢越) - 1970年度以前
- 室根村立室根中学校矢越校舎(室根村矢越、現:室根町矢越) - 1971年度から1972年度
- 一関市立室根中学校(室根町矢越) - 1973年度以降
アクセス
[編集]デマンドタクシー
[編集]- 「宿」バス停(室根タクシー)から徒歩で約5分
自動車
[編集]- ニューヤマザキデイリーストア室根中央店そばのT字路交差点から県道18号経由で約6分
- 本吉市街地から県道18号経由で約20分
周辺
[編集]- 星商店Yショップ室根店
- 茂林寺
- 大泉寺
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “広告原稿”. 公益財団法人著作権情報センター. 2024年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月3日閲覧。
- ^ a b c d e 室根村史編纂委員会 2004, p. 294.
- ^ a b c d 室根村史編纂委員会 2004, p. 295.
- ^ a b c d e f g h 室根村史編纂委員会 2004, p. 296.
- ^ 室根村史編纂委員会 2004, p. 295-296.
- ^ 室根村史編纂委員会 2004, pp. 295–296.
- ^ 文部省社会教育局『青年学校名簿 昭和11年4月末日現在』文部省社会教育局、1937年3月30日、145頁。doi:10.11501/1278127 。2024年3月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 室根村史編纂委員会 2004, p. 297.
- ^ a b c d e f 室根村史編纂委員会 2004, p. 298.
- ^ a b “室根東・西小学校開校”. 一関市ホームページ. 一関市. 2024年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月3日閲覧。
- ^ 室根村史編纂委員会 2004, p. 303.
- ^ 室根村史編纂委員会 2004, p. 304.
参考文献
[編集]- 室根村史編纂委員会 編『室根村史 下巻』室根村、2004年3月31日。
関連項目
[編集]でふぉ・きゃっと
[編集]でふぉ→いちのせきしりつくきこしよう
きゃっと→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:くきこ、一関市の歴史:くきこしようかつこう、廃校活用施設、学校記事