磐清水村
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いわしみずむら 磐清水村 | |
---|---|
安楽寺 | |
廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 磐清水村、千厩町、奥玉村、小梨村 → 千厩町 |
現在の自治体 | 一関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 東磐井郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 15.15 km2. |
総人口 |
2,107人 (『岩手県町村合併誌』、1956年8月) |
隣接自治体 | 東磐井郡:千厩町、大東町、奥玉村、東山村、松川村、門崎村、薄衣村 |
磐清水村役場 | |
所在地 | 岩手県東磐井郡磐清水村字田神78-2 |
座標 | 北緯38度56分45秒 東経141度19分18秒 / 北緯38.945792度 東経141.321531度座標: 北緯38度56分45秒 東経141度19分18秒 / 北緯38.945792度 東経141.321531度 |
ウィキプロジェクト |
磐清水村(いわしみずむら)は、1956年(昭和31年)まで岩手県東磐井郡にあった村。現在の一関市千厩町磐清水にあたる。
地理
[編集]東磐井郡の中央部に位置し、千厩町や大東町など7町村と境を接していた[1]。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、寺沢村・濁沼村・仏坂村が合併して磐清水村となる[2]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、磐清水村単独で村制施行[2]。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 千厩町・奥玉村・小梨村と合併し、新制の千厩町となる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 | 出典 |
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1 | 菅原雄右ェ門 | 1889年(明治22年)5月22日 | 1893年(明治26年)5月21日 | [2] | |
2 | 藤野篤海 | 1893年(明治26年)5月26日 | 1897年(明治30年)3月20日 | ||
3 | 菅原雄右ェ門 | 1897年(明治30年)3月31日 | 1899年(明治32年)4月30日 | 再任 | |
4 | 板橋渉 | 1899年(明治32年)6月2日 | 1902年(明治35年)10月30日 | ||
5 | 伊藤米吉 | 1902年(明治35年)12月24日 | 1911年(明治44年)8月30日 | ||
6 | 千葉寅治 | 1911年(明治44年)9月16日 | 1920年(大正9年)5月22日 | ||
7 | 菊池弥七 | 1920年(大正9年)6月20日 | 1924年(大正13年)6月29日 | ||
8 | 菊池健雅 | 1924年(大正13年)7月28日 | 1928年(昭和3年)7月27日 | ||
9 | 千葉襄一郎 | 1928年(昭和3年)8月6日 | 1946年(昭和21年)11月20日 | ||
10 | 菊池敬夫 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1955年(昭和30年)4月30日 | ||
11 | 千葉義七郎 | 1955年(昭和30年)5月1日 | 1956年(昭和31年)9月29日 |
経済
[編集]第一次産業
[編集]教育
[編集]村内に高等学校は所在しない。最寄りの高校は岩手県立千厩高等学校(千厩町千厩)、岩手県立摺沢高等学校(大東町摺沢)。
中学校
[編集]- 磐清水村立磐清水中学校
小学校
[編集]- 磐清水村立磐清水小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]国鉄大船渡線が南北に通っていたが、村内に駅は置かれなかった。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 磐清水村誌編纂委員会 1957, p. 3.
- ^ a b c 岩手県総務部地方課 1957, p. 820.
参考文献
[編集]- 磐清水村誌編纂委員会 編『磐清水村誌』磐清水村、1957年3月3日。 NCID BA41182503。
- 岩手県総務部地方課 編『岩手県町村合併誌』岩手県総務部地方課、1957年3月30日。doi:10.11501/3027606。 NCID BN12136231。