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利用者‐会話:HATARA KEI/過去ログ(質疑応答)

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こちらのページは利用者‐会話:HATARA KEIの過去ログです。こちらに書き込まれても原則的に対応しませんのであしからず。

「複式」電磁空気単位スイッチ式とは?

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「複式」電磁空気単位スイッチ式は、初めて目にしました。「複式」の意味など教えていただけないでしょうか? 出典は『RM LIBRARY 11』 p30の図でしょうか。Ysuzuki 2006年11月13日 (月) 12:49 (UTC)[返信]

出典は「昭和4 全国機関車要覧」中の「鉄道省電気機関車形式図」に掲載されていた各形式図(これに限らず古い形式図などではほぼ必ずこの記載があります)の「制御方式」項目記載内容となります。

複式の意味ですが、これはその名の通り、複数の主制御器を機関車内部で同期動作させているもの、となります。

EF52以降の鉄道省制式電機や小型機などでは単式が大半のようですが、大正期に鉄道省が購入したD型あるいはF型の輸入機では、スイッチ方式に関係なく複式となっていました。

以上、ご参考まで。-HATARA KEI 2006年11月13日 (月) 22:48 (UTC)[返信]

HATARA KEI さん、こんばんは。出典のご紹介ありがとうございました。

「複数の主制御器を機関車内部で同期動作」する電磁空気単位スイッチだから複式、ということは、一つの電磁空気単位スイッチに接点が複数あって、スイッチ一つを切り替えるだけで、複数の回路の入り・切りが可能である、というようなイメージでしょうか?「複数の主制御器」が、ピンと来ません。

複式電磁空気単位スイッチが紹介されている文献・ウェッブページをご存知でしたら、御教示いただければ幸いです。 Ysuzuki 2006年11月21日 (火) 12:16 (UTC)[返信]


南海C10001形蒸気機関車の譲渡等の状況について

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こんばんは。早々の加筆・修正ありがとうございます。ところで、標記項目中の終焉についてですが、小生が所持しております「車両発達史シリーズ 南海電気鉄道 下巻」(藤井信夫著、関西鉄道研究会刊、1998年)によりますと、「片上に行ったのは10001と10002、近鉄に返還されたのが10003である、なお以前は10002と10003が片上に行き、10001が近鉄に返還された発表していたが、新しい調査では以上のようになる」旨の記載があります。このたびの修正では藤井氏が訂正する前の内容になっていますので、出典等お示しいただければ幸いに存じます。--バンデベル将軍 2006年12月2日 (土) 16:31 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。 出典は「機関車の系譜図 3」です。「車両発達史シリーズ 南海電気鉄道 下巻」は所持しておりますが、確認を失念しておりました。 よって、他資料に基づく追加分と合わせて修正いたしました。 HATARA KEI 2006年12月2日 (土) 17:30 (UTC)[返信]

早々のご対応ありがとうございました。貴方様の記述の詳細さと分量にはただただ圧倒され、敬服いたすのみです。今後ともよろしくおねがいいたします。--バンデベル将軍 2006年12月5日 (火) 19:37 (UTC)[返信]

こんばんは。早々の加筆・修正ありがとうございます。ところで、標記項目中の主要機器内の台車についての記述中の「難波~橋本間直通運転用として新造した電5形」という部分についての疑問点ですが、小生の所持する文献ではいずれも同形式は南海本線の区間運転用に製作された車両であると解説されております。高野線用であれば電1形(大阪高野鉄道引継車)や電6形・電8形あたりが該当すると思われます。ブリル77Eであれば電5形ということになると思われますが、その場合は「難波~橋本間直通運転用として新造した」の正否に疑問があります。また、電8形等であればブリル77Eではないことになります。「難波~橋本間直通運転用として新造した電5形」の出典等お示しいただければ幸いに存じます。--バンデベル将軍 2007年1月8日 (月) 19:01 (UTC)[返信]

出典はレイルNo.36「ファンの目で見た台車の話XII」(吉雄永春)です。 南海が前後の電4・6・7・8と続けてBrill 27MCB-2を使用しており、鉄道線用としてのBrill 77E系台車の装備車が、問題の77E2を装備する大正10年製造の電5形113~124と大阪高野電1形13~15に限られることと、電5形の台車について監督官庁である当時の鉄道省が枕バネに用いる板バネの折損を危惧していたこと、それに何より77E2の構造が77E系としてもかなり特殊な設計であったことから、少なくとも計画段階では、高野下(時期から判断するとこちらが正しく、橋本云々は吉雄氏の勘違いと思います。これについては訂正いたします)開業に備えて計画された勾配線仕様のものである、とする吉雄氏の記述に誤りはないと判断いたします。

もっとも、実際に高野下開業に備えて揃えられた電8形が27MCB-2に戻っていることから判断する限り、高野下までの線形であればあえてこの様な特殊な台車とする必要はなく、また77E2の平坦線での乗り心地には問題があったことが判ります(実際にも乗り心地が不評であった旨、伝わっています)。

それでもなお、高野山デ101新造時には77E2類似台車(完全に同一でないのはブリルがパテントを持つグラジエート・スプリングの使用が出来ず、枕バネ周りの設計変更が必要であったためと思われます)が採用されていることからも、やはり77E2装備の電5形は当初高野下直通用として計画されたものであった可能性が極めて高い、と小生は判断いたします。 --HATARA KEI 2007年1月8日 (月) 19:50 (UTC)[返信]

早々のご返答ありがとうございます。電5形のみが77E2であったことは少々奇異に感じておりましたが、高野下への乗り入れを企図していたためというのは面白い説ですね。電1形(南海鉄道の)からの機器流用車ということもあって地味な扱いに終始したあげく、戦後すぐに国鉄63系受け入れのかわりに福井鉄道などに放出されてしまった電5形ですが、高野線のスターになっていた可能性があるんですね。勉強になりました。ありがとうございます。--バンデベル将軍 2007年1月9日 (火) 18:59 (UTC)[返信]

南アフリカ国鉄25型蒸気機関車について

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南アフリカ国鉄25型蒸気機関車の記事について修正ありがとうございました。私が参考にした文献には詳細な発注先の情報などが載っていなくて、C型が全てヘンシェル、NC型が全てノースブリティッシュであるかのようにも読める(そうでないようにも読める)記述だったので間違った記述をしてしまいました。ところで、機関車の番号についてNos.3452~3540のように記述されておられますが、Noにsをつけるのは特別な意味があるのでしょうか? 参考文献を書く時に対象が1ページのみであればp.103のように書いて、複数ページであればpp.103-105のように書くという慣習は知っているのですが、同じようなものがあるのだろうか、ということです。

それと、範囲指定に全角チルダ「~」を使うことに関しては、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他#全角チルダ「~」と波ダッシュ「〜」でも検討されていますが、ハイフンが使えるところはそれにした方がよいということになっているようです。

また、HATARA KEIさんの記述された内容に参考文献などあれば、追記していただけるとありがたいです。よろしくお願いします。--Tam0031 2007年12月23日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

Nos.表記は単純に複数車両の場合の表記法です。小生の知る限り、欧米メーカーのワークスリスト等では一般にこの表記法が用いられているはずです(日本では何も考えずに単複同形でNo.表記が使用されていますが)。後、斎藤氏の著書は非常に良くまとまっていて参考になるのですが、割と具体的というか突っ込んで読もうとした場合に肝心なところが書かれていないことがあるので、要注意です(小生もそれで以前ポカをやったことがあります)。とはいえ、一番の問題は日本で公刊されている書籍、それも現時点で容易に入手可能なもので、海外の蒸気機関車に関するまともな記述のあるものが、斎藤氏の上梓された3冊以外に見当たらないことではあるのですが。なお、参考文献については、現状正確な書名・誌名を出せない(手元ですぐ取り出して確認できない)状態にありますので、保留とさせていただきます。但し、基本的には60~80年代の鉄道雑誌(それぞれ1行とかそんな感じの記述の記憶を拾っていますので、参考文献として記載することには躊躇があります)であることは申し添えておきます。--HATARA KEI 2007年12月23日 (日) 09:45 (UTC) --HATARA KEI 2007年12月23日 (日) 10:01 (UTC)(追補)[返信]
ありがとうございます。やはり複数表記なんですね。参考文献についても了解しました。これからも機会を見て齋藤氏の著作を参考にした記事を投稿したいと思っておりますので、よろしくお願いします。--Tam0031 2007年12月23日 (日) 10:37 (UTC)[返信]

この車両を先日丸子に行って撮影してきました。で、ブリル系の台車を平軸受けのまま履いてますので「これは撮り逃すと勿体ない」と撮ってきたんですが、台車のどこを見てもブリルの銘板も刻印もないので、「本当に本物の27MCB-2なのかな?」と自信を持てないところがあります。「実はブリルじゃないです」と言われると困っちゃいますので(ついでに三菱製とおぼしき床下ブレーキ弁装置も撮影してきました)。ファイル名にも配慮が必要かと思いまして、アップロード前に、この手の古典車にお詳しいHATARA KEIさんに情報をお尋ねしたい次第です。NEXT-EXIT 2008年1月4日 (金) 10:46 (UTC)[返信]

わざわざご連絡ありがとうございます。さて、お尋ねの上田丸子ED25 1の台車ですが、これは1951年に廃車となった旧伊那電鉄デ200形203に装着されていたものを主電動機(WH-558-J6)ごと振り替えています。
Brill 27MCB系については日本製コピー品は少数派で、例外的に日本車輌製造が中部地方の私鉄各社へ納入したことが知られているのですが、伊那のものは純正品(軸距2,134mm)であったことが確認されており、よってこれは来歴が明確であることから「本当に本物のJ.G.Brill製27MCB-2」としてよろしいかと思います。
ちなみにこの台車に装架されたWH-558-J6は、伊那のデ200以外の日本での採用例があの南海電7系電車程度しかないという、珍品の部類に入る高回転型モーター(端子電圧600V時定格出力74.6kW/985rpm。そのため、牽引力が必要なED25 1では4.56と極端な歯数比設定となっています)です。
以上、ご参考まで。--HATARA KEI 2008年1月4日 (金) 18:44 (UTC)[返信]

素速いご回答有り難う御座います。これでTR11の轍を踏まず安心してブリルとして上げられます。早いうちに画像を加工して上げるつもりです。主電動機とギアケースもしっかり撮影したいところでしたが、内側モーターでは車体をジャッキで持ち上げないと(笑)なので上手く撮れませんでした。現車は片方の尾灯が割れてはいたもののまずまず良好な状態で、車体にペンキを塗られてメンテされ、足回りには油の匂いも残っていたのが嬉しかったです。NEXT-EXIT 2008年1月4日 (金) 22:51 (UTC)[返信]

アップロードされた画像を拝見させていただきましたが、揺れ枕吊りのサイドウイングダンプナーや側枠とボルスターを連結するトラニオン、それに特徴的な形状の軸箱守控えなど、J.G.Brill社製品の特徴(特にトラニオンは特許で保護されておりましたので、ブリル社と提携していた日本製鋼所製以外の国産ブリル系台車には付いていません)が備わっており、枕ばねの重ね板ばねが2列(実はこの板ばねの列数が27MCBの後のサフィックスの-2などの数字を示しています)でありますので、これはJ.G.Brill社製Brill 27MCB-2で間違いないと思います。--HATARA KEI 2008年1月5日 (土) 09:47 (UTC)[返信]

TR10系台車についてのご判定のお願い

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ご多忙の所、お知恵をお借りしたく思います。右の画像の件です。

TR10C?

この台車は上毛電気鉄道大胡駅側線に仮台車として置かれているもののようです(塗装されていますので、捨て置いてある、というわけではないようです)。以前、デハ100を撮影した際に撮って、今回アップロードしたこの台車、アップでは暫定的にTR10Cの名を使ってしまいましたが、正直なところ正確な素性がわからないのです。お見立てをお訊ねしてよろしいでしょうか。

  • 左右のメインフレームに八幡製鉄所の球山型鋼を使った客車用イコライザー台車であること(「ヤワタ」の刻印と製鉄所マークは確認できたものの、鋼材の製造年は塗装が厚く判読不能)
  • TR11のような軸受け真上の削り落としがないこと
  • 全般に細身で華奢な体裁だが、フレームのホイールベース間に補強板を当ててあること
  • 戦後の上毛電気鉄道が西武所沢改造の中古車両を多く導入し、最後には西武クハ1411をまとめて導入していること。現台車装備のNSKローラーベアリングは西武車で結構使われており、西武車の後に入った東武3000系が台車の出所ではなさそうなこと

これらの状況から、これはHATARA KEIさんが国鉄TR10形台車で記述されていた、TR10を所沢で補強したという「TR10C」ではないか、と推論したものです(それにしても年式は皆目不明。メジャーを持っていかずにホイールベース計測をし損なったのはミスです)。NEXT-EXIT 2008年10月4日 (土) 11:14 (UTC)[返信]

わざわざご連絡ありがとうございます。さて、お問い合わせの台車ですが、側枠が球山形鋼であること、側梁のフランジの車端部寄りがトラス棒との干渉を避けて斜めに削られていること(これは1922年製造分までの特徴です)、車軸が標準軌間への改軌に対応した長軸となっていること、ばね帽上部の補強用板が2列となっていることから客車用、つまりTR10ではなくTR11 - 13のいずれかとなります。次に、端梁との干渉を避けて円弧状とされたブレーキてこや、車体からのブレーキロッドとの干渉を避けて中央部を一段低くするために斜めに折れ曲がった、明らかに後日交換したとおぼしい端梁の独特の形状(オリジナルは鋳鋼製で、水平を保ちつつ途中で段をつけて一段低くする設計です)、それにペデスタル部に補強を施した改造内容から、東武鉄道で大改修されたTR11、つまり3000系由来の台車と断定して良いと思います。--HATARA KEI 2008年10月4日 (土) 13:12 (UTC)[返信]
(追記)なお、「全般に華奢」というNEXT-EXITさんの印象ですが、TR11の初期グループ(大正11年度製造分まで)についてはTR10と同様、イコライザーの弓の部材断面寸法が150mm×50mm(後期グループはTR14(DT10)と同じ185mm×50mmに大型化)なのでそれで正解です。ちなみに、西武所沢が大改修したTR11は、東武がやったようにペデスタル部分を、板材に鋲接で鋳鋼製すり板支持部品を固定するオリジナルの設計に補強を行うのではなく、TR23のそれと同じように外周部にフランジを設けた一体鋳鋼品(スリ板部分にボルト穴を設け、ここにスリ板を固定する設計)へ新製交換することで強度不足に対処しており、同様にNSK製ローラーベアリングを装着していますが、判別は比較的容易です。また、西武のTR10Cについては平軸受のままで終始した模様です。--HATARA KEI 2008年10月4日 (土) 13:39 (UTC)[返信]

どうも、細かな考証までまじえての検証をいただき、改めて敬服いたしました。

やはり早とちりだったか……おぼろげな記憶で勝手に推測してしまいました。TR13の二の舞で汗顔しきりです。初期形TR11ということは製造は1919-1922年あたりになりましょうか。
東武が出所とすると、天野工場(またはその合併直後の日車東京)製の東武形木造客車から32ないし54系半鋼車に回った、東武プロパーのものというのが一番可能性が高いのかな、と思いました。省払い下げ品の可能性も否定はできませんが……
撮影はフェンス越し(駐車場沿いで、昔の貨物ホーム跡が均されてフェンス囲いにされてしまっています)なので、引きがとれずに妙なアングルになりましたが、古典台車を単体で撮れる事例もそう多くないので撮影してみたものです。しかし、端梁がノンオリジナルなのは、目立つところだけに痛いです(確かにここが妙に近代的ですね)。TR11系の場合、大手私鉄の更新車上がりだと、老朽化や過過重に対処した補強による改変が著しいので、国鉄旧客装備品ほどにはオリジナルコンディションを保っていない事例が多いということなのでしょうね。
これに懲りずに、ディテールを観察できる単体の古典台車がどこかに転がっていないか折を見て探してみます。重ね重ね、お手数をお掛けしました。NEXT-EXIT 2008年10月4日 (土) 17:45 (UTC)[返信]
当該TR11の出所ですが、東武が1921・1922年に製造した客車(鉄道省大形2AB車と同じUF12を台枠としながら、中形2AB車並の寸法で製造)が正にこのタイプの台車を装着しており、これは戦後クハ500・サハ80を経て3000系更新車に伝えられています。このタイプの台車は国鉄だと大形2AB車限定、それも関東大震災前に製造されたグループにしか装着されておらず、元々生産数がそれほど多くない上に震災の後、被災廃車で新造間もなくの段階で既に大きく数を減じてもいます。このため、今回の上毛の分は大改修が行われているとは言っても貴重な現存例であることには変わりはありません。後期のTR11ですら現役のものは今や皆無で、各地に保存されている60系鋼体化客車に転用された分や、大宮のオハ31についている分くらいしか現存していないことを考えると、むしろこれはこうした徹底的な大改修を行っていたおかげで、大正の木造車用台車が今に伝わったことを感謝すべきなのではないでしょうか。あと、余談ですが小生が実見した古い台車単体、ということで加悦のSL広場にあった汽車K-16(南海モハ1201形用)を挙げておきます。カヤ興産が何をどう考えて南海モハ1201形(台車付き)と別にK-16単体(それも1両分2基)を引き取ったのかは謎なのですが、MB-146付の典型的なボールドウィンAA系の吊り掛け台車を心皿の上から見る機会というのは今時稀なので、(果たして今も展示というか放置してあるのか知らないのですが)一応ご参考まで。--HATARA KEI 2008年10月5日 (日) 07:50 (UTC)[返信]

反圧ブレーキについて

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お世話になっております、Tam0031です。英語版からen:Counter-pressure brakeen:Countersteam brakeの翻訳をやりたいと考えているのですが、記事名で困っております。一般的にこのようなブレーキは日本語では反圧ブレーキと呼ぶと理解しているのですが、英語版を見ると空気圧をシリンダーに送る方法と蒸気圧をシリンダーに送る方法を区別しているようで、「反圧ブレーキ」の記事名だけではこれらの2記事を区別して立項できません。齋藤さんの「蒸気機関車の興亡」のブレーキに関する項では2つを同一視してcounter-pressure brake - 反圧制動機と取り扱っているようなのですが、日本語では区別されないものなのでしょうか。立項に関してどのようにすればよいか、アイデアを拝借したく、よろしくお願いいたします。--Tam0031 2008年11月3日 (月) 06:57 (UTC)[返信]

ご指摘の通り、日本では弁装置のバルブタイミングを抵抗に利用して制動補助を行う後者と、空気圧を直にシリンダに送り込んで下山時等の抑速制動に役立てる前者を、特に区別無く「反圧ブレーキ」と呼んでいますね。英語版では動作原理(何らかの圧力供給によるシリンダ往復への抵抗作用を利用)は同じでも、双方で来歴も機構も異なり、また使用範囲が異なっていたことから峻別して別項としているものと思いますが、日本語ではいずれも動作原理に注目して「反圧ブレーキ」と呼んでいるため、一般的な訳語としては両者は区別されていない筈です。
これは日本の場合、後者の反圧ブレーキの積極的な利用の前に早々と同ブレーキの採用前提となる真空ブレーキに見切りを付け、安全性の高い自動空気ブレーキへ移行したことや、前者のタイプの反圧ブレーキがほとんど導入されなかったこと(電化前の碓氷峠向け機関車程度でしょうか?)で、当時の日本の技術者に厳密な区分の必要性を感じさせなかったためではないかと思います。前置きが長くなりましたが、このように訳語が一つしか無いことから、これらについては項目名を反圧ブレーキ (蒸気)反圧ブレーキ (空気)とでもすればよろしいのではないでしょうか。--HATARA KEI 2008年11月3日 (月) 09:17 (UTC)[返信]
ありがとうございます。やはり日本語では区別されていなかったということですね。それでは「反圧ブレーキ」そのものの項目は曖昧さ回避にした方が良さそうです。なぜか未立項の「真空ブレーキ」ともども、翻訳して投稿したいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。--Tam0031 2008年11月3日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

Nosの件

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どうもです。

文法的には「Nosが正しい」というのはわかるんですが、不勉強なことにこれまで文献などでその表記を見たことがありませんでした。また、それぞれの機関車は「No.1」「No.2」「No.3」であり、「Nos.1-3」と記すことには微妙な違和感があります。模型を作るひとが「Nos.1」なんていうナンバープレートをエッチングで作ってしまいそうな気がする。

妥協して「No(s).」とかじゃだめなのでしょうか。--Nekosuki600 2008年12月11日 (木) 14:02 (UTC)[返信]

手元にある資料で言えば、「日本の森林鉄道 上巻」(小熊米雄、プレスアイゼンバーン、1988年)とか割と当たり前にNos.表記とNo.表記が厳格に区別して記されていて、洋物のワークスリストとかでも当然のごとくNos.とNo.は峻別して表記されているので、やはりここは悪い癖をつけない意味でもNos.とNo.の峻別は行っておいた方が良いように思います(ことに近年のWikipediaでの記事内容が公刊鉄道雑誌等に及ぼしている影響を考えると)。確かに、Nos.1などというナンバープレートを作ってしまう人が出てくる危険性があることは否定しませんが、記事中で車両単体の番号記述を明確に行って区別して記載していることを示せば、それで対応可能な問題であるとも思います。釈迦に説法のような気もしますが、Wikipediaがあくまで「日本語版」であって「日本版」ではないことは常に念頭に置いておく必要があるでしょう。複数車両の列挙時にNo.表記を用いて、他言語圏の人々に日本では世界的に通用しない記載がおおっぴらにまかり通っている状況を大々的に宣伝するようなことになるというのは、やはりまずいと思います--HATARA KEI 2008年12月11日 (木) 14:21 (UTC)[返信]
正直、納得はいかないのですが、そういう見方もあるのだということはわかりました。そこで、今回のケースではわずか3輌なので「全数併記」で書き直してみました。これでいかがでしょうか?--Nekosuki600 2008年12月11日 (木) 14:32 (UTC)[返信]
小生としては、今回Nekosuki600さんが書き直された表記法には強い反対の意を表明しておきます。幾ら何でもこれは不自然が過ぎますし、C122・123との表記の統一など、他に対する影響が大きすぎます。正直申しまして、金田、小熊といった偉大な諸先達が正しく表記してこられたものを、私たちの世代で誤用まみれの表記法が広まるのに手を貸すのは、小なりとはいえ彼らの衣鉢を継がんと志す身としては到底耐え難いものがあります。なお、小生が立ち上げた各車両記事の幾つかでは既にNos.表記を用いておりますので念のため。--HATARA KEI 2008年12月11日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
C122・C123と同じ表記にしただけなんですけど、どう違うのでしょう?
あと、Wikipediaを「そういう表記法を広めるための媒体」として使うのは間違いであり、そういう表記が一般化してから後追いで採用するくらいがちょうどいいんじゃないかという気がします。プレス・アイゼンバーンの書籍はそれなりに持っていますので、注意しつつチェックしてみますが、しばらくお時間をください。--Nekosuki600 2008年12月11日 (木) 14:51 (UTC)[返信]

(インデント戻します)現状の版ではC122・123としてあって、C122・C123ではございません。良くご確認をお願いいたします。また、今回Nekosuki600さんが行われたルールを適用いたしますと、例えばシハ5・7(旧か5・7)という記述もシハ5・シハ7(旧か5・か7)などと記さねばならないということになってしまいます。あと、今回の参考文献という意味では金田氏の「O&Kの機関車」を挙げておきます。今手元にないので断言はいたしませんが、同書では首尾一貫してNos.とNo.を峻別表記していて、問題の沼尻の3両についてもNos.表記での記載があった筈です。--HATARA KEI 2008年12月11日 (木) 15:05 (UTC)[返信]

国鉄DT21形台車での修正について

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「派生形式」の記述で、日本車輌製造の ND-112 を ND-113 と修正された件についてお伺いします。

確かに、『日車の車輌史 図面集-戦後私鉄編』(鉄道史資料保存会、1998年)169頁では「台車 日車ND113」と記されていますが、『日車の車輌史 写真・図面集-台車編』(鉄道史資料保存会、2000年)の233頁において、インドネシア国鉄向け台車の項であるにもかかわらず、わざわざ重複形式の件が記述されております。この件は、小生が富士急行5000形電車の加筆時に、脚注に記しております。

お手数とは存じますが、出典をお示しいただければ幸いです。--Kicho- 2009年3月24日 (火) 11:16 (UTC)[返信]

お問い合わせありがとうございます。
当該修正の典拠としたのは、『鉄道車両のダイナミクス 最新の台車テクノロジー』(電気車研究会、1994年)pp.248-258掲載の台車リストです。小生としても、従来雑誌(例えば鉄道ピクトリアルNo.431 p.123)などでND112と掲載のあったものであったことから、その付番変更について疑念を抱いていたのですが、上掲台車リストが日本車輌製造をはじめとする各社の手によって追補訂正を実施の上で公表されたものであったことを重視して、当該修正を実施したものです。付言すれば、Kicho-氏がご指摘の『日車の車輌史 写真・図面集-台車編』については所持しておらず、未見でありました。当該修正箇所については原状に復させていただきます。--HATARA KEI 2009年3月24日 (火) 11:59 (UTC)[返信]

移動変電所について

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HATARA KEIさん、はじめまして。Penn Stationと申します。移動変電所にてHATARA KEIさんが{{参照方法}}テンプレートをコメントアウトされた際のコメントを拝見しました。テンプレートの貼り付けによって気分を害されたなら申し訳なく思いますが、私が当該テンプレートを貼らせて頂いた理由を少し説明させてください。

当該記事は、現時点では、すべてHATARA KEIさんが執筆された部分で占められています。現在のままの状態であれば、何の問題もないと思います。しかしながら、今後5年、10年と経過するうちに、多数の他の方の加筆が行われ、それらの中には真偽が不明確な情報も含まれる可能性があります。そうなると、そのような部分についても「参考文献」がカバーすることとなり、記述の真偽を検証することが困難になりかねません。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方でも推奨されていますように、脚注機能を使用することで記事本文の内容に関する出典を分かりやすく提示することができますし、将来の第三者の加筆から参考文献を切り離すこともできます。もちろん、すべての文に機械的に脚注を付ける必要はないと思いますが、一般読者が容易に真偽を確かめることができない部分については、脚注で明示的に示した方が良いのではないかと思った次第です。脚注の利用についてはバラク・オバマ大統領就任式などが参考になるかと存じます。

以上、コメント部分で示された質問に対する回答です。ご配慮くださいますよう、よろしくお願いいたします。--Penn Station 2009年5月30日 (土) 10:44 (UTC)[返信]

趣旨の方、一応了承しました。とりあえず、脚注は追加しました。ただし、この種のタグ貼付については、事前にノートなり小生のこのページなりで意図なり趣旨なりをご連絡いただきたかった、というのが正直な感想です。あの種のタグだけを貼付され、なおかつ貼付者の方の編集履歴に全くといって良いほど自身で有意な記事内容の加筆を行った形跡が見あたらないような場合、正直申しましてこいつは荒らしか生体Botか?という疑念を抱いてしまいますので(少なくとも小生は、このような方については好意的には見ておりません)。後、紙の文献資料を真面目に調べて記事の記述を行っている立場からすると、Webページのリンクを貼り付けただけの脚注が並ぶページを参考になると提示されても不快感が増すだけです。例示される場合はこの点について多少なりとも配慮された方が、軋轢は少ないかと思います。後、最後に一つ。他人に何か要求されるのであれば、ご自身が率先して範を示された方が宜しいかと思います。自身が全く行っていないことを他者に要求されるというのは、された側からすると、いかにルールに則っていようととも非常に高飛車かつ無神経な要求に見えますし、その方の人物像について「他人に厳しく自分に甘い」と判断することにもなります。もし貴方がWikipediaでの活動を今後も続けられる意図がおありならば、せめて1本、できれば5本は自身が他者に出される要望においてリファレンスたり得る記事を、ご自身で作成されることを強く強く要望するものであります。--HATARA KEI 2009年5月30日 (土) 13:32 (UTC)[返信]
脚注の追加、ありがとうございました。まずWikipedia:安易に荒らしと呼ばないをご紹介させていただいた上で、少し誤解があるようなので簡単に触れますが、私の履歴を精査していただけば、リファレンスとなり得るかどうかは分かりませんが、複数の記事を投稿していることを確認していただけると思います。今のところ翻訳記事ではありますが、時には独自の出典を追加したりなどもしています(最近はなかなか筆が進んいませんが…)。また、ご紹介させていただいた記事の出典は確かにWebですが、信頼できる情報源として問題ないと判断しました。ですが当該記事と同じ紙媒体の例を示すことができなかった点は申し訳なく思います。ともあれ実際に不快感を抱かせてしまったのは私の不徳のいたすところです。ご助言は今後の活動の参考にさせていただきます。今後もHATARA KEIさんが充実したWikipediaライフを送られることをお祈り申し上げます。--Penn Station 2009年5月30日 (土) 16:02 (UTC)[返信]

北陸鉄道ED201の出自について

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HATARA KEI様はじめまして。Ntjと申します。 このたびの北陸鉄道ED201の項目作成お疲れ様でした。また精力的なご執筆ぶりには常々感服いたしております。さてこのED201の出自につきましては私も発注元が能美電気鉄道なのか金沢電気軌道なのか疑問に思っておりましたが、これを解明すべく旧運輸省所蔵の鉄道省文書を閲覧したところ、金沢電気軌道が昭和13年1月18日付で地方鉄道車両設計認可申請(鉄道線電気機関車)、同年3月24日付認可、同年4月14日付地方鉄道車両購入届(ED1)との記載にたどり着き、能美電気鉄道が金沢電気軌道に併合されたのは翌年の昭和14年8月1日ですから1年以上の開きがあり、発注も金沢電気軌道であると見ておりました。前所有者が能美電気鉄道株式会社と記された竣功図は私も拝見したことがありますが、戦時統合で引き継いだ雑多な車両が転属や改造を繰り返した同社においては当時の担当の方にも多少の混乱があったようで、昭和18年の合併成立後に鉄道者から譲り受けた車両の前所有者が石川鉄道(大正12年に金沢電軌に併合されて消滅)と記されているものもあり、記載事項の信頼性に関しては疑問視せざるを得ない部分があると思っております。まだwikipediaでの活動が浅い私がこのようなご意見を申し上げるのは大変失礼かと存じますが、もしお時間がございましたらHATARA KEI様のご意見をいただければ幸いに存じます。--Ntj 2009年6月8日 (月) 13:45 (UTC)[返信]

Ntj様初めまして。北陸鉄道ED201の記事についてのご指摘と、詳細な調査結果のご報告、ありがとうございます。さて、ED201の車歴についてですが、鉄道省文書で許認可申請者が金沢電軌であったのならば、これはもう同社の発注で、かつ同社籍に直接入ったと考えるのが妥当かと思います(それとも、能美電鉄と金沢電軌の間には直接的な資本関係はあったのでしょうか? あれば、金沢電軌が何らかの事情で能美電鉄の機関車を代行して手続きする、というシナリオも可能性が皆無ではなくなるのですが)。よって当該記事につきましては金沢電軌ED1として新造・入線したものとして修正させていただきました。この件で気になることがあるとすれば、それは能美電気鉄道としてのデキ1形という形式称号が一体どのような経緯で出現したのか、ということです。火のない所に煙は立たないと申しますし、担当者の方の錯誤にしても、何かそれを誘発するような何かが能美電鉄にあったのかな?と考えてしまいますが・・・。何はともあれ今後ともよろしくお願いいたします。--HATARA KEI 2009年6月8日 (月) 17:53 (UTC)[返信]

ご忠告に対して

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FOZと申します。ご忠告ありがとうございます。記事が粗悪とかいう、あまり好ましからざる表現をされているようですが、私の考えとしては、HATARA KEI様のように最初から完璧な記事は目指しておりません。私が作成する記事は最小限の基本情報(鉄道車両なら寸法、機関、出力、履歴など、確実性の高い内容)であり、記事内容を詳細に記すことも極力さけております。これはあまり詳細に記すと、著作権の問題を指摘されることがありますので。基本的には存在していなかった記事の叩き台を中心に考えております。Wikipediaは数多くの方々が編集されております。当然詳しい方が見えますので、更なる記事内容が見込めます(私も極力新たな文献やデータを入手し次第、確実性の高いもののみを参考にして編集していますが、最近は入手する時間がありません。)。あらゆる方が手を加えることにより内容が充実していくことがWikipediaの特徴と考えておりますので。なお、参考文献の未記入は、私の作成時の記入し忘れです。--FOZ 2009年12月1日 (火) 19:49 (UTC)[返信]

ご返答ありがとうございます。表現につきまして失礼がありましたこと、お詫び申し上げます。ただ、今回小生があのようなことを書いたのは、FOZ氏のおっしゃる「確実性の高い内容」に少なからぬ問題があったためであることは申し上げておきたいと思います。例えば、先ほど確認した範囲でも、例えば銚子電鉄デキ3の諸元には1つ大きなミスがあるのを発見しましたし、栗原ED20についても複数の文献をチェックしていれば恐らく容易に発見されたであろうミス(特に、1955年改軌の路線で1957年に台車を改軌改造、などというのは単独文献のみでもその事実関係について疑念を抱くべきレベルの話であると思います)がありました。文献調査に関して小生から一つ申し上げられるのは、寺田裕一氏の『私鉄機関車30年』など、単一書籍の記述を鵜呑みにしてそれ以外を十分確認せずに記述するのは大変に危険だ、ということです。残念ながら公刊される出版物全般に誤植を完全に無くすることはほぼ不可能(これは小生の本業での経験からも確信をもって断言できます。鉄道ピクトリアル誌などでも例えば「TDK-31T」を「TDK-3/T」としてしまうといった誤植が少なからず存在します)ですし、著者の方の思いこみやリサーチ不足でとんでもない誤記が行われることも少なくありません(小生の見る限り、寺田氏の著作にはその傾向が強いように思います)。単一の文献を典拠としてそれ以外の確認を怠った場合、そういた誤植や誤謬について認識することはまずできないでしょう(それを立項段階で確信犯的に放置し、他人に訂正してもらえばいいや、というのはいかにも他力本願かつあまりに無責任に過ぎます)。Wikipedia全体の記述の信頼性が問われる機会の多い昨今の情勢を鑑みるに、FOZ氏には記述の信頼性について十分な検討を経ずにほぼ単独の文献のみに依拠する記事を量産されることだけはお止めいただきたいと小生は切に願います。 --HATARA KEI 2009年12月1日 (火) 22:10 (UTC) --HATARA KEI 2009年12月2日 (水) 00:34 (UTC)(追補)[返信]
アドバイスありがとうございます。今後は複数の資料を基に作成を心掛けます。--FOZ 2009年12月2日 (水) 12:42 (UTC)[返信]

出力単位系の続き

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私自身も、試しに調べてみたりしたのですが、確かに混乱の要因になりそうです。同じ、SS-50搭載車の広島電鉄550形電車で参考までに調べてみると、

書籍名 ISBN 出力
ローカル私鉄車両20年 路面電車・中小私鉄編 ISBN 4-533-04718-1 38.0×2 kw
広電が走る街今昔 ISBN 4-533-05986-4 38×2 kW
私鉄の車両3 広島電鉄 ISBN 4-586-53203-3 38×2 kw
いこま 16 広島電鉄 - 38×2 Kw
鉄道ファン 1989年3月号 - 38×2 kW

単位系込みで細かく書きました。正しい表記は「kW」ですが、原典通りにしております。SS-50で、37.3kWや37.5kWの表記の他に、38.0kWの表記も多い様に思います。今回の場合は多分、資料元の広電が提供したデータがそうなっていると思いますが、検証可能性を考慮したら、38kWとしか書けないと思います。もっとも、極端な誤差ではありませんので目くじら立てる程でもないのですが、日本馬力に仏馬力、英馬力どうあつかうか、難しいと実感しております。

もっとも、大分交通別大線の例は極端な例でしょうが。

現在、国際単位系(SI)を使うのが義務になっているので、馬力ではなくワットを使用するのが原則です。出典が馬力の場合は、原典に使われている単位「HP、PS、馬力」、特段の理由がなければ日本馬力で換算するのが無難。そして、原典の馬力とkW換算値を併記及び換算方法の明記。原典がkW表記なら極端でない限りはそのまま使うのが無難かと思っております。出典の明記・換算方法の明記は、解決法の一つだと思っております。

複数出典で固めるのは理想です。しかし、救済加筆などで単一原典しか確保できない時は、仕方ない時もあります。万が一、複数出典が同様に変な時はどうするかは悩みますが。

検証可能性と情報の正確性のバランスを取るべく、色々考えたりしたのですが、「SS-50」や「SS-60」等の電動機の記事を起こす(その中で出典とか書けば問題解消になるのではないか)。ガイドラインページで「単位系を正確に(仮)」とか作って対応するとか。いつかは真面目にやらないといけない問題の様な気がしております。

色々考えて居まして、自動車にも同様の問題があり、先の馬力とワットの他に、グロス値(エンジン単体出力)とネット値(エンジンを車体に載せた条件と同様の出力)の問題も有ると思います。

SI単位系の件で、出力の件ではないのですが、質量の件で遵守を求められたことがありました(Template‐ノート:Infobox 携帯電話の仕様表)。出力でも同様の話が出る様に思います。

さすがに、今真面目に大々的な議論をしろと言われても困りますが(こぢんまりとした議論であれば大丈夫なのですが)、少しずつでも全体的なルール構築の準備を始めないといけないのかなと思っております。--Taisyo 2010年7月5日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

Wikipedia:表記ガイド#単位に少しありますが、もう少し強化する必要がある様に思います。--Taisyo 2010年7月5日 (月) 13:16 (UTC)[返信]
電動機でも、欧米メーカー製品についてはそもそも日本馬力での表記を考慮する必要がなく、またそれらの製品日本メーカーでのスケッチ生産品についても同様に取り扱ってよろしいかと思います。ただ、ご指摘のあった電動機記事の作成ですが、これは具体的にこれらの電動機について触れた文献資料の少なさを考慮すると、かなり難しいかと思います。実を申しますと、以前東洋電機製造TDK-527-A・TDK-529-Aなどについての記事を立項できないものかと検討してみたことがあるのですが、単独記事として成立しうるほどのテクストを確保できない、という結論に達し、結局あきらめたことがあります。SS50・60・SN50・60については、例えば三菱電機MB-172などの、そのグループに含まれる各社製電動機の一覧を作るだけでも結構な意味があるとは思いますが、果たしてそれを網羅的にリストアップできるか、となると、現状では検証可能性の点でもかなり難しいかと思います。--HATARA KEI 2010年7月5日 (月) 16:25 (UTC)[返信]

国鉄ED17形電気機関車の編集取り消しについて

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こんばんは、国鉄ED17形電気機関車でクロコダイルのリンクを差し替えたのですが、貴方に差し戻されましたので理由を説明して頂けないでしょうか。折角機関車の方のクロコダイルの項目があるのだし、ワニの方のクロコダイルには機関車に関する内容は無いので機関車の方にリンクさせるのが自然かと思うのですが…。かなり前のことなのでもう忘れてしまっているかもしれませんが、宜しければ回答お願いします。--120.75.113.176 2011年8月25日 (木) 21:20 (UTC)[返信]

まず、端的に申し上げますと、貴方の「機関車のほうにリンクさせるのが自然」という認識に致命的な錯誤があるというのが小生の判断です。機関車の方のクロコダイルの記事はあくまでSBBのCe 6/8シリーズをはじめとする一連のスイス系ボンネット付電気機関車を取り上げた記事であり、「クロコダイル」の異名を持つ機関車全般の総括記事となっていません(総論とするならば、日本での事例としてED17やED18などだけではなく、「大ワニ」ことEF50についても記述する必要があるでしょう)。そもそも、ワニのクロコダイルについて言及している節で何のエクスキューズもなしに機関車にリンクするというのは不親切かつ無神経極まりないと小生は考えます。また、確かにED17もCe6/8もともに「クロコダイル」の異名を与えられてはいますが、ED17のそれは側面通風器の形状が件のワニの外皮に類似していたことからの連想、Ce6/8は背が低く長いボンネットの形状が件のワニのシルエットを想起させたことからの連想で綽名されたものであり、両形式の間には「クロコダイル」という綽名が存在するという以外に何の共通点も接点も存在しません(しいて言えば、ともに電気機関車である点は共通しますが)。百歩譲って機関車の方へリンクを貼るとしても「関連項目」の項で行うべきもので、よって差し戻しを実施しました。--HATARA KEI 2011年8月26日 (金) 00:32 (UTC)[返信]
回答有難う御座いました。確かに由来から調べてみると機関車の方の記事は日本の事例についてなかなか関連付けにくいですね(まさかワニの外皮からの連想だったとは)。自分は機関車という一点のみで見ていました。--120.75.113.176 2011年8月26日 (金) 17:17 (UTC)[返信]