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利用者‐会話:210.4.242.26

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アメリカ合衆国の政党色テンプレートについて

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編集合戦をせず、プロジェクト‐ノート:政治で議論し合意を目指していただけませんでしょうか?--K-iczn会話2016年7月31日 (日) 13:51 (UTC)[返信]

議論の経過途中に議論に関する部分の編集をする行為はやめてください。--60.146.103.53 2016年8月1日 (月) 03:42 (UTC)[返信]

20160802

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議論節

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小池百合子の元ニュースキャスターから「元」を取る理由をお教えください。--Kyoyaku-25会話2016年8月1日 (月) 23:11 (UTC)[返信]

再度「元」を削除されましたが、要約の ‎ (「元」は不要)では除去理由になりません。ちゃんと説明してください。--Kyoyaku-25会話2016年8月2日 (火) 09:34 (UTC)[返信]
  • 例えば、現在、ヒラリー・クリントンは弁護士として活動しておりませんが、「弁護士」とクレジットされています。石井啓一は現職の建設官僚ではありませんが、「建設官僚」とクレジットされています。Wikipediaでは、役職歴は別として、経歴上の職業そのものには「元」を付けないことが慣例となっています。ぜひこれを機に覚えてくださいませ。--210.4.242.26 2016年8月2日 (火) 11:51 (UTC)[返信]
    • 返信ありがとうございます。弁護士については弁護士資格を有するという意味で元は付ける必要はありません。建設官僚については現役でないのなら元をつけるべきと考えます。「経歴上の職業そのものには「元」を付けないことが慣例」とのことですが、それが記されている方針またはローカルルールはどちらにございますでしょうか?--Kyoyaku-25会話2016年8月2日 (火) 13:07 (UTC)[返信]
      • 「慣例」ですから明文上の規定などあるはずもありません。例えば、伊藤博文は現職の政治家ではありませんが「元政治家」との表記は求められず、むしろ「元政治家」との記述は不適切であるというのがWikipediaにおける「慣例」です。このことは、これまでWikipediaを閲覧・編集してきたのならば分かり切ったことだと思うのですが……。ちなみに、伊藤が「現在の政治家でないこと」、小池百合子が「現在のニュースキャスター」ではないことはまったく共通していますから、対象人物が物故者であるか否かはまったく関係ありません。--210.4.242.26 2016年8月2日 (火) 13:28 (UTC)[返信]
        • いいえ、守られるべき慣例であれば明文化されます。例えば、WP:RCUWP:JPEWP:PLOTSUMなどで慣例が明文化されています。政治家というのは、首長や議員をしていなくても政治に何らかの形で携われば当てはまり、区切りが付けられないので元はつけられません。よって、きっぱりやめることができるニュースキャスターとはまったく違います。物故者の場合、死亡時点の職業となるので元は使いません。ちなみに島田紳助は元お笑いタレントとなっていますね。そのほかにも元○○で職業が表記されている人物記事はいくらでもあるので、慣例であるとは言えません。--Kyoyaku-25会話2016年8月2日 (火) 13:54 (UTC)[返信]
        • 以上の理由から元に戻させていただきました。人物記事において「経歴上の職業そのものには「元」を付けない」という慣例は存在しませんので、慣例またはルールとしたいのであればしかるべき場所で提案するようにしてください。--Kyoyaku-25会話2016年8月2日 (火) 23:32 (UTC)[返信]
          • いえ、政界を引退すれば「元政治家」となりますし、武家制度が廃止されれば自動的に「元武士」となります。あなたの理屈に従うと、あらゆる政治家や武士の経歴を「元」と表記しなければいけないことになりますね。それに、その理屈だと小池百合子はニュースキャスター引退を宣言したわけでもないので、「元ニュースキャスター」と断定するのは誤りということになります。現在の安藤優子は正確にはニュースキャスターではなく情報番組の司会者ですが、「元ニュースキャスター」とは記されていません。「元○○で職業が表記されている人物記事はいくらでもある」ということなら、それらの記述が誤りということです。「島田紳助」については、後ほど「元」を外させていただきますね。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 02:12 (UTC)[返信]
          • 以上の理由から元に戻させていただきました。人物記事において「経歴上の職業そのものには『元』を付けなければならない」という慣例は存在しませんので、慣例またはルールとしたいのであれば然るべき場所で提案するようにしてください。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 02:12 (UTC)[返信]
            • 横から失礼します。島田紳助は自ら芸能界引退を宣言していますから、あなたの政界を引退すれば「元政治家」となりますという定義に従うと「元お笑いタレント」であり、従って「元」を外すのは間違いですな。--Kokusui会話2016年8月3日 (水) 05:46 (UTC)[返信]
              • 「あなた(Kyoyaku-25)の理屈に従うと」「その理屈だと」と明記したのですが……。『「島田紳助」については、後ほど「元」を外させていただきますね。』というのはそれを受けての一種の皮肉だったのですが、伝わっていなかったようで残念です。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 05:54 (UTC)[返信]
  • 主張が二転三転しているようですね。武士とニュースキャスターを同列に扱うのは無茶苦茶です。元をつける慣例はないというご主張ですが、過去にニュースキャスターをやっており、いまはやっていないというごく単純なことであり、さも現役であるように書くことは明らかに間違っています。--Kyoyaku-25会話2016年8月3日 (水) 07:35 (UTC)[返信]
    • どこがどう「二転三転している」のでしょうか。レッテル貼りはおやめください。政治家や「武士とニュースキャスターを同列に扱うのは無茶苦茶」という主張もまったく趣旨が分かりません。そう考える理由を説明してください。現職でないことを根拠に「ニュースキャスター」と表記しなければならないと主張するのであれば、やはり「政治家」や「武士」などと記さなければならないことになりますよ。それと、「ニュースキャスター」などと表記しているのであれば「さも現役であるように書くこと」に該当するでしょうが、個人の肩書きに「」を付けなければならないとする主張に根拠はありません。例えば山田邦子は最後に小説を執筆してから約15年が経過していますが、「小説家」という肩書きは当然に容認されます。明石家さんまも現在は歌手活動を行っておりませんが、「歌手」と表記されています。あなたは個人の肩書き(「ニュースキャスター」)と過去の職歴(元『世相講談』キャスター)を混同しているのでしょうね。これを機に、ぜひともご自身の誤りにお気付きくださいませ。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 08:47 (UTC)[返信]
      • 武士とニュースキャスターでは時代も制度もまったく違います。これを同列に扱うことを無茶苦茶といわずなんというのでしょうか。現在ニュースキャスターとして活動していないという経歴は元をつける根拠として十分です。「ニュースキャスター」などと表記しているのであれば「さも現役であるように書くこと」に該当するとのことですが、現はあってもなくても意味はさほど変わりません。さて、今回はニュースキャスターは個人の肩書きとおっしゃいましたが、意味がよくわかりかねます。ニュースキャスターは弁護士や武士と違って資格や制度のものではありませんが、個人の肩書きだという根拠を説明してください。--Kyoyaku-25会話2016年8月3日 (水) 09:13 (UTC)[返信]
        • 「時代も制度もまったく違」うのは当然ですよ(笑)。そのことがあなたの主張の何の根拠になるのかを説明していただきたいのです。現在、小池百合子がニュースキャスターとして活動していないのは事実ですが、そのことは彼女の「ニュースキャスター」という紹介に「元」を付けなければならない理由とはなりません。現在、タモリは作詞活動も作曲活動もまったく行っておらず、明石家さんまは歌手活動をまったく行っておらず、山田邦子は最後に小説を執筆してから15年以上が経過していますが、彼ら彼女らは「元作詞家」「元歌手」「元小説家」などと紹介されなければならないわけはありません。失礼ですが、これまでのところKyoyaku-25さんはご自身の思い込みに基づき、「自分ルール」を展開なさっているようです。編集作業の現実を直視してくださるよう、お願い申し上げます。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 09:19 (UTC)[返信]
          • 現在ニュースキャスターとして活動していないことは元をつける根拠として十分ですよ。それから、明文化されていないのであれば、他の例をもってきても無意味です。ニュースキャスターが職業ではなく肩書きであるというなら一考の余地はあるかも知れません。肩書きだという根拠を示してください。あいにくですが、あなたの方が自身の思い込みに基づいて慣例という自分ルールを展開しているように思います。実際問題、虚偽となる文にすることになるので、方針やローカルルールとして明記されていないとダメです。明文化されていない慣例は慣例ではありません。それは自分ルールといいます。--Kyoyaku-25会話2016年8月3日 (水) 09:27 (UTC)[返信]
            • 「私がそう考えてきたから」というだけでは根拠として不十分です。あなたの「自分ルール」にこそ明文化された根拠が存在しないのですから、あなたの主張には何ら正当性がないと言わざるを得ません。あなたはタモリを「元作詞家」、明石家さんまを「元歌手」、山田邦子を「元小説家」と記さなければならないと考えているのでしょうか。「明文化されていない慣例は慣例ではありません」という主張もまったく趣旨不明ですし(明文化されているならそれは慣例ではなくルールです)、「自分ルール」を押し付ける前に、まずはWikipediaでの表記や記述スタイルの現実を直視しましょう。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 09:33 (UTC)[返信]
              • 「私がそう考えてきたから」とは言っておりません。慣例でも従う必要があるなら明文化されていることは先に示した通りです。よってあなたの主張は破綻しています。明文化されているならルールであるという主張こそまったく趣旨不明です。また例を出してきていますが、明文化されていないので無意味です。あなたは最初に慣例は規定されていないとお認めになっています。そもそもそこで話は終わっています。繰返します。自分ルールの押し付けはお止めください。--Kyoyaku-25会話2016年8月3日 (水) 10:54 (UTC)[返信]
                • ですから、明文化されているならそれは慣例ではなく単なるルールですよ……。それが分からないなら、あなたは「慣例」あるいは「ルール」いずれかの単語の意味をご存知でないか、あるいは双方の単語の意味をご存知でないだけです。ぜひ、国語辞書を引いて単語の意味を調べてみてくださいね。そもそもあなたの「現職でなければ『元』を付けなければならない」という主張こそ「例を出してきていますが、明文化されていないので無意味」なものなので、本件におけるあなたの主張には何ら正当性も説得力もありません。これを機にWikipediaでの表記や記述スタイルを覚えるようにしてくださいませ。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 16:01 (UTC)[返信]
                  • あなたは慣例と言いつつ元をつけないことを強要しておりますので、ルールとして扱っていますね。明らかに矛盾していますよ。Wikipediaでは明文化されていない慣例があって、それを忠実に守る必要があるというルールがあるならそれを出してください。ないなら、あなたの自分ルールでしかありませんよ。私は明文化されていない慣例とやらは守る必要はまったくないと思います。守らなくても何の方針にも違反しないんですから。--Kyoyaku-25会話2016年8月3日 (水) 16:51 (UTC)[返信]
                    • 「自分ルールでしかありませんよ」「明文化されていない慣例とやらは守る必要はまったくないと思います。守らなくても何の方針にも違反しないんですから」というのは、まさしくあなたの主張に当てはまるお言葉ですね。私は当初から「元」が不要であると申し上げているのであって、「元」と付けなければならないとするあなたの主張の誤りを指摘させていただいているのです。その上で、伊藤博文タモリ明石家さんま山田邦子露木茂らの例を挙げるまでもなく、その人が生涯において経験した肩書きについては「元」を付けることよりも付けないことのほうが慣例上適切であると申し上げているのです。あなたの年齢がおいくつなのかは分かりませんが、Wikipediaの他のページをよく閲読するようにして、私のご説明申し上げてきたことこそが慣例であることを知ってくださいね。--210.4.242.26 2016年8月3日 (水) 17:40 (UTC)[返信]
                      • 腕ずくで解決させようとしないでください。何度も申し上げているようで恐縮ですが、元をつけないという慣習は存在しないのです。いくら例示してもダメです。他もやってるから自分は正しいというのは、スピード違反の論理です。最後には、「私が説明してきたことが慣習」ですか。自分ルールであることを認めたようなものです。出典を追加されましたが、政治家に転身とありましたので、元をつけるのが適切ですね。いまもニュースキャスターであるかのように記載するのは虚偽です。--Kyoyaku-25会話2016年8月3日 (水) 21:35 (UTC)[返信]
                        • 「元をつけないという慣習は存在しない」という主張に根拠がありません。それどころか、現にそのような「慣習」が実例としてあまた存在しているではありませんか。生涯における経歴に「元」が不要であることは、Wikipediaにおける慣例であり慣習です。また、「いまもニュースキャスターであるかのように記載」している人などどこにもいません。あなたは伊藤博文が「政治家」と紹介されていなければ現職の政治家であり、山田邦子が「小説家」と紹介されていなければ現在も小説を執筆中だと思い込んでしまうのでしょうか。だとすればそれはあなた個人の問題にすぎません。ましてや小池百合子が担当番組を持つ現職のニュースキャスターであると勘違いしてしまう人は、Wikipediaの記述にかかわらず皆無でしょう。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 01:04 (UTC)[返信]
                        • もしも「元」を付けなければならないとお考えなのであれば、まずは、Kyoyaku-25さんが「『元』を付けなければならない」とする慣例が存在することを立証してください。その立証がなされずに「現職ではないから」という理由で「元」と表記して改めるのであれば、Kyoyaku-25さんは「自分ルール」に基づいて行動しているだけだということになります。もしも、現在、小池百合子がニュースキャスターとして活動していないことをもって「ニュースキャスター」と表記しなければならないということなら、現在、歌手として活動していない明石家さんまは「歌手」、現在、小説家として活動していない山田邦子は「小説家」と編集し直さなければいけなくなります。Wikipediaにおける人物のページをよく閲覧するようにしてください。「ニュースキャスター」や「歌手」や「小説家」などは肩書きであって、「(元)フジテレビアナウンサー」や「(元)日本コロムビア専属歌手」や「(元)朝日新聞書評委員」などの役職とは異なるものです。私が当初から申し上げてきたように、Wikipediaにおいて上記の意味での肩書きに「」という表記は不要なのです。ぜひ現実を直視して下さりますよう、よろしくお願い致します。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 01:22 (UTC)[返信]
  • こちらの主張を読んでおられないようです。慣例は守る必要がないと申し上げているのになぜ立証しなければならないんですか?私は出典を元に元をつけているだけですよ。それを無視して削除を強行するわけですから、ルールに則らなければダメですよ。それに、元をつけないと現職だと思うのが普通ですよ。小池百合子はニュースキャスターだと言い切ってしまっているわけですから。現役のニュースキャスターだと勘違いする人は皆無とおっしゃっいますが、さすがにあなたの読解力を疑わざるを得ません。小池百合子さんをご存知でない方が見れば現役なのかなと思うに決まってるじゃないですか。その活動をやめたのであれば元はつけるべきです。もちろん出典があればこしたことはありませんが。ちなみに存在しないことを証明するのは、悪魔の証明ですよ。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 03:43 (UTC)[返信]
    • 「『』を付ける必要はない」とお認めになるのですね。では、慣例に従い、「」と付けるのはやめましょう。Wikipediaにおける他の多くの人物ページを参照していただければわかるように、生涯における肩書きに「」を付ける必要性などないのですから――。なお、「ぼくがそれを『普通』だと思うから」という説明は主張の根拠とはなりません。あなたのご説明だと、タモリを知らない人はタモリを現役の作詞・作曲家、明石家さんまを知らない人は明石家さんまを現役の歌手、山田邦子を知らない人は山田邦子を現役の小説家だと勘違いしてしまうということらしいのですが、そのような理由でWikipediaにおける人物ページの肩書きにいちいち「元」を付けなければならないとする明文上の根拠を提示してください(小池百合子に関しては、現在、ニュースキャスターとして活動していないことは本文を読めばすぐに分かることですよね。Wikipediaの読者を「冒頭文は読めるが本文は読めない」存在とでも思っているのでしょうか)。ちなみに、私は「存在しないことを証明しろ」などと要求してなどいませんよ。「『元』を付けなければならない」とする慣例が存在することを立証するよう要請しているのです。それができないのならば、「元」を付ける必要などないのですから、他の多くの人物ページで示されている例(慣例)に従うまでです。――あなたが意地を張っているのはよく分かりますが、Wikipediaにおける記述形式の現実を受け入れ、これ以上、非生産的な抵抗をなさるのはおやめくださいませ。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 06:46 (UTC)[返信]
      • 話が通じませんね。どこをどう読んだら元はいらないと私が認めたことになるのでしょうか?なにを意気地になっているのか皆目見当が付きませんが、元はいらないという慣例は存在しません。元がついていない例を集めても、元がついている例もたくさんあるのであなたの主張は間違っています。本文を読めばいいというのはもはや論理がメチャメチャです。「AはBである」のあとに「AはBであった」と続くことになるので矛盾が生まれます。あなたの読解力・日本語力に問題があることがはっきりしたので何を言っても通じないのかも知れませんが、そろそろ自分ルールの押し付けはお辞めになって欲しいと切に願います。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 09:14 (UTC)[返信]
        • まさにその投稿で、あなたは「『』は付けなければならないものではない」とお認めになっているではありませんか。「」を付けなければならないことを立証できないのであれば、ご自身の主張をごり押しするのは潔く諦めてくださるようお願いいたします。また、相手の「読解力・日本語力」を揶揄し、中傷するのはおやめください。他ユーザーに対する誹謗中傷行為は投稿ブロックの対象となります。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 10:00 (UTC)[返信]
        • ところで、なぜKyoyaku-25さんは「アラビア語通訳者」には「元」を付けようと試みていないのですか。もちろん、私は「元」を付けるべきではないと思いますが、あなたのダブルスタンダードには辟易させられます。「『元』を付けなければならない」とするルールや慣例が存在することを立証し、自己の主張の正当性を証明した上で、ご自身のダブルスタンダードを解消するための努力に励みましょう。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 10:04 (UTC)[返信]
          • どこをどう読めばそう認めたことになるのかさっぱりです。出典には「転身」とあり、ニュースキャスターではなくなったことが読み取れますので「」になります。アラビア語通訳に関してはアラビア語を使わなくなったわけではないのでつけていないだけです。それから、「『元』を付けなければならない」とするルールや慣例が存在することを立証するのはあなた側ではなかったのですか?いくら主張を繰り返したところで元はつけないという慣習は存在しないわけですが。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 10:36 (UTC)[返信]
            • 恐縮ですが、主張が支離滅裂ですね……。まず、私は小池百合子が現職のニュースキャスターであるなどとは一度も申し上げておりません。現在、小池がニュースキャスターとして活動していないのは当然の事実ですが、だからといって「」を付ける必要はないと申し上げているのです(それどころか、むしろ、石井啓一タモリ明石家さんま山田邦子などのページの事例で明らかなように、「」を付けないのが一般的である)。次に、小池がアラビア語を使用しているからといって、小池の肩書きが「現職のアラビア語通訳」となるわけはありません。苦し紛れの詭弁はどうかおやめください(それならば、英語を使用しているあらゆる日本人のWikipediaページの冒頭に「英語通訳」と記述して構わないことになってしまいますよ……)。最後に、「元はつけないという慣習」については、上掲の具体的事例を挙げてすでに証明済みです。あなたが感情的になっているのはよく分かりますが、どうぞ一度冷静になって、Wikipediaとはどのような場所なのかを認識するようにしてください。申し訳ありませんが、これ以上、同じ話には付き合っていられません。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 10:48 (UTC)[返信]

長くなってきたので整理しましょう。反論していなかった部分に関してもこれを期に反論させていただきます。

(一覧表は小節に移動)

主張と異なっている箇所があれば適宜書き換えをお願いします。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 11:03 (UTC)[返信]

  • もうすでに反論したばかりのことなので、ここでは反論を繰り返しません。私による上記の投稿を読み直してください。ただ一点、ツッコませていただくなら、伊藤博文は「死去時点」では「武士」ですよね。ただでさえなぜ「死去時点」で肩書きに「元」を付けるべきか否かを判断することになっているのか不明ですが(明らかであるというなら明文規定を提示してください)、あなたのダブルスタンダードには本当に辟易させられます。もう少しは一貫性のある主張を行うよう心掛けてくださいね。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 11:15 (UTC)[返信]
  • ところで、Kyoyaku-25さん、ご質問にお答えください。なぜ、「アラビア語を使わなくなったわけではない」という理由だけで「アラビア語通訳」との肩書き・称号を記載するべきなのですか。英語を使わなくなったわけではない、あるいは、英語を現に使っている日本人の肩書き・称号は「英語通訳」であるべきなのでしょうか。あなたは、私の批判や指摘があなたにとって不都合なものであった場合、華麗にスルーしてしまう癖があるようですが、それでは話者としての誠実性を果たしていることにはならないと思いますよ。どうぞご質問にお答えください。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 11:34 (UTC)[返信]
  • 横から失礼しますが、当方の折衷案文にご理解いただきありがとうございました。--180.36.128.66 2016年8月4日 (木) 11:49 (UTC)[返信]
  • 反論しないということはこちらの主張についてご納得されたということですね。ありがとうございます。伊藤博文が生前に武士でなくなったんであれば元武士ですね。ただし、私は武士制度に詳しいわけではないので、現状でどうするかはコミュニティの判断に任せるしかないのが正直なところです。どの部分がダブルスタンダードになっているのかよくわかりませんし、こちらとしても慣例を強要しようとする210.4.242.26さんの姿勢には本当に辟易していますよ。通訳に関しては、「英語を使わなくなったわけではない、あるいは、英語を現に使っている日本人の肩書き・称号は「英語通訳」であるべきなのでしょうか」というのは暴論というほかありません。よく考えてご発言ください。(「華麗に」は余計ですが、)スルーする癖があるとのことですが、正当なご主張に関してはこちらとしても誠実に反論させていただいております。あまりにおかしなご主張に関しては趣旨がよくわかりませんのでスルーするほかありません。決して不都合だからという理由でスルーしているわけではありませんのでご理解ください。スルーされたご指摘・ご批判について、以下で分かりやすく列挙していただければ幸いです。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 12:05 (UTC)[返信]
    • いいえ、まったく納得しておりません。同じ質問を何度繰り返しても回答は同じであるから、上記の記述を読み直してくださいと申し上げたのです。明治維新によって「現職」の武士はいなくなったのですから、あなたの基準に従うならば、伊藤博文は「元武士」と表記されないといけませんよ。そして、「アラビア語を使わなくなったわけではないから『(現職の)アラビア語通訳』である(=英語を使わなくなったわけではないから『(現職の)英語通訳』である)」などという珍妙な暴論を振りかざしているのは、私ではなくあなたですよ。ご自身の主張ぐらいはきちんと覚えておいてください。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 14:44 (UTC)[返信]
  • 180.36.128.66様、読者に誤解を与えない文章への変更ありがとうございました。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 12:08 (UTC)[返信]
  • ご報告遅れて申し訳ありませんが、井戸端にてWikipedia:井戸端/subj/人物記事の冒頭に元を入れるか入れないべきかを作成しております。よろしければ210.4.242.26さんのご意見・ご主張を載せていただければと思います。また、Assemblykinematicsさんより情報が寄せられましたが、
という議論が過去にあったようです。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 12:45 (UTC)[返信]
      • 議論を拝見する限り、「元」という表記は必要ではないということで決着済みのようですね。Kyoyaku-25さんが潔くご自身の非をお認めになられるものと確信しております。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
  • 横から失礼します。この件に関しては井戸端かコメント依頼で再度第三者に尋ねた方がいいかも知れません。--114.179.102.159 2016年8月4日 (木) 15:55 (UTC)[返信]
  • これは弱りましたね。反論しないけど納得しないというのはもはや「いつまでも納得しない」領域に入っていると思う次第です。武士とか明治維新とか出されましても時代が違うので制度や法律も違いますし、かつ、該当者が故人なので存命人物とは扱いが大きく異なります。例示としては著しく適切を欠きます。過去の議論を見ましたが、決着・明文化には至っていないように私は読めました。--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 16:00 (UTC)[返信]
    • 「いつまでも納得しない」領域に入っているのはKyoyaku-25さんですよね。私はすでにあなたの主張に反論済みですし(あなたは自身の主張を繰り返し、私の反論を改めて記しているにすぎません)、「時代が違うので制度や法律も違」うことに関係なく「現職の」武士でない者は「元武士」です。あなたは「死去時点で肩書きに『元』を付けるべきか否かが決まる」と主張していたのですから、人物が故人であるか存命人物であるかはこの議論に直接関係ありませんし(あなたの主張に従うなら、伊藤博文は死去時点で『現職の』武士ではないのだから「元武士」と記さなければならないことになります)、「例示としては著しく適切を欠きます」という主張にも一切根拠がありません(単なるレッテル貼りにすぎません)。「過去の議論」を参照するに、「元」という表記が必要ではないことはすでに決着済みであり、これ以上「反論しないけど納得しない」「いつまでも納得しない」という姿勢をとり続けるのであれば、こちらとはしてはもうお手上げなので然るべき措置をとらせていただきます。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 22:49 (UTC)[返信]
  • (114.179.102.159さんへ返信)井戸端に議論場所があります。Wikipedia:井戸端/subj/人物記事で「経歴上の職業に元」はつけないという慣例はあるのか?--Kyoyaku-25会話2016年8月4日 (木) 16:01 (UTC)[返信]
    • 私は上記の「過去の議論」を参照した上で、Kyoyaku-25さんの主張に指摘・反論をさせていただきました。すでに「元」が必要ではない(不要である)ことは上記議論において決着済みですね。--210.4.242.26 2016年8月4日 (木) 22:49 (UTC)[返信]
      • やはりあなたの日本語の読解力には疑問符がつきますね。反論に対して再反論を放棄されているわけですから、反論なしと判断せざるをえません。議論とはそういうものです。裁判でも出廷しなければ相手の主張が全面的に認められますよね。繰り返しになりますが、明文化されていない慣例慣習とやらは私は従う気はありません。従ってほしいのなら明文化、ルール化につとめてください--Kyoyaku-25会話2016年8月5日 (金) 03:50 (UTC)[返信]
        • 反論の存在を無視し、そうやって他者を中傷することしかできないのであれば、こちらとしても然るべき対応をとらざるを得ません。肩書きに「元」を付けなければならないという「明文化されていない慣例慣習とやら」に私は従う気はないので、「従ってほしいのなら明文化、ルール化につとめてください」ね。--210.4.242.26 2016年8月5日 (金) 04:38 (UTC)[返信]
          • 反論の存在を無視し再反論を拒否しているのはあなたです。ダブルスタンダードとのレッテル貼りや意図的な敬称略をして中傷や攻撃をしているのもあなたです。私は出典の内容に従って編集しているだけです。繰り返しになりますが、さも現役であるかのように書くことは虚偽であり、虚偽になってしまう記述を求めるのであれば、求める方に明文化する義務があります。本文を読めばいいというのは理由になりません。--Kyoyaku-25会話2016年8月6日 (土) 03:31 (UTC)[返信]
            • 私はあなたが「ダブルスタンダード」を展開している事実を具体的な例示を添えて論証してきました。これに対し、あなたは「論点整理」に応答していないことをもって「反論していない」などと主張しているだけです(まさにその論点整理に至る過程で反論は提示済みなのですが)。「さも現役であるかのように書」かれていると勘違いしてしまうなら、それはWikipediaの慣例をご存知でないKyoyaku-25さん個人の認識不足に起因する問題なので、こちらとしてはどうにも対処しようがありません。Wikipediaのページをより多く閲読することで、人物記事の慣例を把握するよう努めましょう。--210.4.242.26 2016年8月6日 (土) 06:39 (UTC)[返信]

論点整理

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210.4.242.26さんの主張 対する反論
役職歴は別として、経歴上の職業そのものには「元」を付けないことが慣例 明文化されていないので、従う必要は無い。慣例であっても従う必要があるなら、例えばWP:RCUWP:JPEWP:PLOTSUMのように慣例が明文化されている。
ヒラリー・クリントンは弁護士として活動していないが弁護士となっている 弁護士資格を有しているという意味である
石井啓一は現職の建設官僚ではないが、建設官僚となっている 現役でないのなら元をつけるべき
伊藤博文は現職の政治家ではありません 死去時点の肩書きである。
あなたの理屈に従うと、あらゆる政治家や武士の経歴を「元」と表記しなければいけない 生前に引退したのであれば、元と書くべき
「島田紳助」については、後ほど「元」を外させていただきますね 島田紳助は自ら芸能界引退を宣言している
山田邦子は最後に小説を執筆してから約15年が経過していますが、「小説家」という肩書きは当然に容認されます 誰が容認するのか?
明石家さんまも現在は歌手活動を行っておりませんが、「歌手」と表記されています 歌手を引退したなら元歌手では?
個人の肩書き(「ニュースキャスター」) 肩書きだという根拠は?
「現ニュースキャスター」などと表記しているのであれば「さも現役であるように書くこと」に該当する 「現ニュースキャスター」でも「ニュースキャスター」でもさほど意味は変わらない
現在、小池百合子がニュースキャスターとして活動していないのは事実ですが、そのことは彼女の「ニュースキャスター」という紹介に「元」を付けなければならない理由とはなりません。 現在ニュースキャスターとして活動していないことは元をつける根拠として十分。出典にもキャスターから政治家に転身と書いてある
「私がそう考えてきたから」というだけでは根拠として不十分 「私がそう考えてきたから」とは言っておりません
明文化されているならそれは慣例ではなく単なるルールです 前述の通り、慣例であっても従う必要があるなら、例えばWP:RCUWP:JPEWP:PLOTSUMのように慣例が明文化されている。
「『元』を付けなければならない」とする慣例が存在することを立証してください 慣例は守る必要がない。守る必要があるならルール化、明文化してください。
私は小池百合子が現職のニュースキャスターであるなどとは一度も申し上げておりません 小池百合子は・・・ニュースキャスターである。との表現は現職であると言っているに等しい。
石井啓一タモリ明石家さんま山田邦子などのページの事例で明らかなように、「」を付けないのが一般的である 複数の事例があるからといってそれが慣例であり慣習であるというのは短絡的である。坂本光一冴桐由高柳芳夫嶋本達嗣は元小説家と書かれている。牧野アンナ大谷香奈子水原由貴木村早苗などは元歌手と書かれています。210.4.242.26さんの考え方でいけば、事例があるのでこれも慣例になります。
明治維新によって「現職」の武士はいなくなったのですから、あなたの基準に従うならば、伊藤博文は「元武士」と表記されないといけません 時代背景が違う、故人と存命人物では事情が違う。いま扱っているのは存命人物記事である

ご注意

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荒らし行為はやめてください。 荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--Kyoyaku-25会話2016年8月6日 (土) 07:04 (UTC)[返信]

  • 私は「荒らし行為」を行っておりません。相手を根拠もなく「荒らし行為」などとレッテル貼りし、テンプレートを貼り付ける行為こそ「荒らし行為」なのではないのでしょうか。もしも相手が「荒らし行為」をしていると思うのであれば、テンプレートを貼り付ける前に、私が「荒らし行為」をしていると考えられる理由を論証してください。もしもその論証がなされぬまま「荒らし行為」と攻撃するのであれば、Kyoyaku-25さんを「荒らし行為」をしている者と判断せざるを得ません。Kyoyaku-25さんがこれ以上「荒らし行為」を続けるのであれば、Wikipediaの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--210.4.242.26 2016年8月6日 (土) 07:14 (UTC)[返信]
    • 出典にある事実と異なる記述への編集を繰り返しておりますので荒らしです。ご注意ください。--Kyoyaku-25会話2016年8月6日 (土) 07:15 (UTC)[返信]
      • 私は「出典にある事実と異なる記述への編集を繰り返して」などおりません。これ以上レッテル貼りに終始するのであれば、Kyoyaku-25さんは「荒らし行為」と認定されますので、ご注意ください。--210.4.242.26 2016年8月6日 (土) 07:18 (UTC)[返信]
        • 石井啓一は今官僚じゃないでしょう。--153.183.67.98 2016年8月6日 (土) 07:33 (UTC)[返信]
          • 石井啓一は現職の官僚ではありません。その事実とは別に、少なくともWikipediaでは、生涯における肩書きについては「」表記が必要とはされません(他の人物記事、例えばタモリ明石家さんま町村信孝熊谷弘若林正俊泉信也などを参照してください)。これについては過去にも議論があり(「Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)#元・○○という表現」「Wikipedia:井戸端/subj/人物記事の冒頭に元を入れるか入れないべきか」「Wikipedia:井戸端/subj/人物伝記的な記事の冒頭の「元○○」との表記に物申す」)、「」表記は不要であるという方針で決着済みです。--210.4.242.26 2016年8月6日 (土) 07:40 (UTC)[返信]
            • いやいやいやいや、過去の議論いま見ましたけど、どれも途中で議論停止してて決着してないじゃないですか(笑)ウソはいけませんよ。--153.183.67.98 2016年8月6日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
              • 「ウソ」をついてなどいません。表記方針が統一されていないのですから、現時点では「必要ではない」としか言いようがありません。現状では「」表記が存在する場合もあれば存在しない場合もあり、どちらが規定として正しいと言えるものではありません。その上で、人物記事において「官僚」などについては「」表記がなされていないのが慣例的なパターンです。--210.4.242.26 2016年8月6日 (土) 07:50 (UTC)[返信]
                • 「決着済み」って言っておいて舌の根の乾かぬ内に「表記方針が統一されていない」とかこれ如何に。元官僚と書かれている記事があるのに「慣例」というのも之如何に。--153.183.67.98 2016年8月6日 (土) 08:03 (UTC)[返信]
                  • 「決着済み」とはあくまでも現時点においてのことです。表記が編集者に委ねられたマターである以上は、「『元』は必要ではない」ことが現時点での「決着」となります(もちろん、Wikipediaでは半永久的に編集作業や議論が可能なので、この「決着」を今後議論・修正することは当然に可能です)。「元官僚」と書かれている記事もありますが、私の目視したところでは「元」表記が存在しない記事のほうがパターンとしては多いと判断しました(その根拠を示せと言われても不可能なので、私は「統計」ではなく「慣例」と申し上げました)。--210.4.242.26 2016年8月6日 (土) 08:08 (UTC)[返信]
                    • 現時点で決着しているというのはあなた個人の考えで、「元」が無い記事が多いというのもあなたの個人的見解です。結論が出ていない議論を提示して「決着済みだ」と嘘をついたり、個人的見解を慣例と言い張ったり・・・、ご勘弁いただけませんか本当に。--Kyoyaku-25会話2016年8月7日 (日) 06:48 (UTC)[返信]
                      • 私の申し上げた「決着」の趣旨をあなたが理解していないだけでしょう。Wikipediaは半永久的に編集・議論が可能なメディアであり、議論過程での「決着」はすべて暫定的なものにすぎません。その上で、現時点で「『元』表記が必要」とは確認されていない状態で議論が停止している以上、「『元』表記は必要ではない」というのが現時点での結論となります。これは「嘘」でもなければ「個人的見解」でもなく、単なる事実にすぎません。これを「個人的見解」だと言うのならば、「『元』表記を付けなければならない」とするあなたの見解こそ「個人的見解」にすぎず、「ご勘弁いただけませんか本当に」とはこちらの台詞です……。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 01:35 (UTC)[返信]
                        • 暫定的な決着はしていませし、議論停止を以て「元が必要でないことが現時点の結論」とはなりません。それでは、逆に「元が必要なことが現時点の結論」とも言えてしまいます。ご自分の有利なように事実を捻じ曲げて解釈することは慎んでください。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 08:29 (UTC)[返信]
                          • 私がいつ「有利なように事実を捻じ曲げて解釈」したのでしょうか。レッテル貼りや誹謗中傷はおやめください。「『元』表記が必要である」という結論が出されていないことは、「『元』が必要なこと」を決して意味せず、むしろ現時点で「元」表記が必要とされないことを意味しています。例えば、ネッシーが哺乳類であると結論付けられていない状況では、ネッシーは「哺乳類」と説明される必要などありません。これは論理的思考さえできれば誰もが分かることですよね。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 09:30 (UTC)[返信]
                            • 結論が出ていないことは、必要不必要いずれも意味しません。結論が出ていないことを自分の主張が認められいると曲解しないでください。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 10:12 (UTC)[返信]
                              • 私は「結論が出ている」などとも「自分の主張が認められる」とも申し上げていませんので、その返信は反論になっていません。先日も申し上げた通り、表記方針が統一されていないのですから、現時点では「必要ではない」としか言いようがありません。現状では「元」表記が存在する場合もあれば存在しない場合もあり、どちらが規定として正しいと言えるものではありません。 ネッシーが存在するか否か結論が出ていない状況では、「ネッシーは存在する」と判断される必要がないのは当然のことです。筆を執る前に、どうぞ落ち着いてお考えくださいませ。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 10:24 (UTC)[返信]
                                • 方針が統一されていない状況から、どうして「必要ではない」という判断になるのかわかりません。ネッシーの例えも意味が分かりません。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 10:52 (UTC)[返信]
                                  • Kyoyaku-25さんは「Aは必要ではない」と「Aが存在してはならない」の区別が付かないのでしょうか。「必要である」と結論付けられていない以上、少なくとも現時点では「必要ではない」としか言いようがありません。傘を持参するべきか否かが指定されていないとき、傘を持参する必要がないのは当然のことです。「ネッシー」の喩えが分からないのは、恐縮ながら、あなたの国語力の問題でしょう。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 11:02 (UTC)[返信]
                                    • あなたは前に「相手の「読解力・日本語力」を揶揄し、中傷するのはおやめください。他ユーザーに対する誹謗中傷行為は投稿ブロックの対象となります。」と発言しておいでですね。非常に分かりやすいダブルスタンダードです。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 12:39 (UTC)[返信]
                                      • 誹謗中傷」や「ダブルスタンダード」を展開したきたのは、私ではなくあなたですよね(会話:参照のこと)。ネッシーの喩えはあくまでも日本語による比喩なので、これが理解できないのだとすれば、恐縮ながら「国語力」の問題であるとしか判断できません(当然ながら比喩の趣旨についてはすでに説明済みですので、疑問点があれば具体的に尋ねてくださればよいだけです)。本件で反論できなくなったからといって(現にあなたはもはや私に対する反論を放棄しています)、相手を「ダブルスタンダード」などとレッテル貼りして攻撃するのはおやめください。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 15:18 (UTC)[返信]

石井啓一

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えーと、「他の人物ページを参照してください」との要約でしたが、中川和雄菅野弘夫小林眞は元官僚と書かれてます。--153.183.67.98 2016年8月6日 (土) 07:40 (UTC)[返信]

投稿ブロックへの異議申し立て

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ブロックID: #1032235

方針によりブロックされたこの利用者 (ブロック記録 | 現在有効なブロック | 自動ブロック | ブロック解除 | 投稿記録 | 削除された投稿 | 不正利用記録) はブロックの解除を依頼しましたが、管理者がブロックを再検討し、依頼を却下しました。他の管理者がこのブロックを更に再検討することは可能ですが、充分な理由がない限り、この決定を覆すべきではありません(投稿ブロックの方針参照のこと)。ブロックが継続している間は、このブロック解除依頼を除去しないでください。

ブロック解除依頼の理由: 「私はアルトクールさんによってブロックされました。もしも「過度の編集合戦」が原因であるというならば、その「編集合戦」を誘発し、現に実行してきたKyoyaku-25会話)さんもまたブロックされる必要があるのではないでしょうか。経緯の検証やヒアリング等を踏まえず、一方的な判断に基づき今回の措置が取られたことを、極めて遺憾に存じます。 また、Kyoyaku-25さんの利用者-会話ページにも記した通り、私はKyoyaku-25さんからレッテル貼りや人身攻撃を繰り返されました。この件によってKyoyaku-25さんへのブロックを依頼しなければならないと考えておりましたが、現状ではそれも叶いません。これでは「先にブロックを依頼した者勝ち」の状態であり、あまりにもアンフェア(不公平)ではないでしょうか。もしもこの欄をご覧の方がいらっしゃったなら、編集の「差し戻し」(過度の編集合戦)を繰り返し、私からの質問や指摘に対してレッテル貼りや人身攻撃を繰り返してこられたKyoyaku-25さんをブロックしていただきたく存じます(さもなければ、Wikipediaでの編集・議論過程における公平性が担保されなくなるおそれがあると考えております)。 なお、私にも反省すべき点はございます。今後はページの「差し戻し」を繰り返してしまう前に、「過度な編集合戦」が発生しそうな段階でページの保護依頼を申請し、他のユーザーのみなさんを「ノート」での議論へ導きたいと考えております。以上の観点から、私に対するブロックの解除を要請するとともに、みなさまに本件の経緯を正確に把握していただくことを要請します。--210.4.242.26 2016年8月6日 (土) 10:45 (UTC)[返信]


却下の理由: ブロックが自動解除済み。--Marine-Bluetalkcontribsmail 2016年8月11日 (木) 16:25 (UTC)[返信]
ブロック解除の依頼を再度行いたい場合には、投稿ブロック解除依頼作成の手引きをまずお読みになり、もう一度 {{unblock}} テンプレートを使用してください。なお、これらのテンプレートの乱用があった場合は、あなたの会話ページの保護や、会話ページへのブロックを実施する場合もありますのでご注意ください。

同じ話題で複数箇所で議論を始めないでください

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先日も申し上げたと思いますが、まったく同じ話題の議論を複数箇所で始めないでください。意見を寄せる人が同様に複数箇所にコメントを書かなければなりません。もし、一定期間内にいずれかの議論にコメントが付かなかっとしても、それを指して「反対が無かったので賛同と見做す」と結論付けることは絶対におやめください。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 08:11 (UTC)[返信]

  • 私はノートに個別の議論を提示しているだけです。「人物の活動に『元』を表記すべきか」が全般的・一般的な規定としてスタイルマニュアルで定められていない以上、例えば、「伊藤博文を『元武士』と表記すべきか」と「明石家さんまを『元歌手』と表記すべきか」はそれぞれ異なる議論が必要となります。また、「意見を寄せる人が同様に複数箇所にコメントを書かなければなりません」というのはあなたの都合にすぎません。例えば「伊藤博文を『元武士』と表記すべき」と考えた人は伊藤博文のノートで議論を提示するでしょうし、「明石家さんまを『元歌手』と表記すべき」と考えた人は明石家さんまのノートで議論を提示するでしょうから、「ページ」ではなく「特定の編集ユーザー」をストーキングしているわけでもなければ、「意見を寄せる人が同様に複数箇所にコメントを書かなければなりません」などという懸念はそもそも発生し得ないはずです。個別のノートはスタイルマニュアルを代替できず、各ノートでは各ページの望ましい表記について議論がなされるのですから、「「反対が無かったので賛同と見做す」と結論付けることは絶対におやめください」という主張はそもそも成立し得ません。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 10:57 (UTC)[返信]
    • 「全般的・一般的な規定としてスタイルマニュアルに定められていない」点、また、「故人と存命人物について異なる議論が必要」とされた点、ご理解いただきありがとうございます。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 11:36 (UTC)[返信]
      • 「元」表記の是非について、以前から私は「全般的・一般的な規定としてスタイルマニュアル」が定まっていないことを再三に渡ってご説明してきました。逆に、なぜ私が「全般的・一般的な規定としてスタイルマニュアルに定められていない」と考えていないと判断していたのか、私の過去の記述を例示して説明してください。なお、「故人と存命人物について異なる議論が必要」などとは申し上げておりません。スタイルマニュアルの定まっていない現状においては、各人物ごとにそれぞれ議論が必要であると申し上げたのです。相手の主張を曲解するのはおやめください(「曲解」しているのではなく単に理解できていないのだとすれば、恐縮ながら、あなたの国語力を疑わざるを得ません)。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 15:31 (UTC)[返信]
        • あなたの文章をほぼそのままコピペして「ご理解ありがとうございます。」と書いただけですので、それを曲解と考えてしまうことが曲解ではないかと思います。ただし、故人(しかも戦前)と存命人物を並列して例示にしたのはよろしくなかったですね。「故人と存命人物について異なる議論が必要」とは考えていらっしゃらない件については了解ですが、再三申し上げている通り私は異なる議論が必要と思います。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 21:46 (UTC)[返信]
          • 「曲解と考えてしまうことが曲解」という主張は何の反論にもなっていません。反論を試みるのであればレッテル貼りに終始するのではなく、個別具体的な批判を寄せるようにしてください。スタイルマニュアルのノートでもすでに申し上げた通り、「現職でない活動に『元』を表記すべき」というあなたの主張に従えば、人物が「故人」であろうが「存命人物」であろうが変わりはありません。「故人と存命人物について異なる議論が必要」というあなたの主張は論理的に破綻しております(その理由はスタイルマニュアルのノートで確認してください)。この件につきましてはすでにスタイルマニュアルのノートで議論が進行中ですので、こちらで同じ話題を繰り返すのはやめてくださいね(まさしく、「同じ話題で複数箇所で議論を始めないでください」)。--210.4.242.26 2016年8月11日 (木) 09:53 (UTC)[返信]
    • 分野が全く異なる記事に出張ればストーキング行為に該当しますが、人物記事のしかも同じ議題について議論するのであればストーキング行為にはあたりませんでしょう。クラスメイトと同じ学校に通学すること、同僚と同じ会社に通勤することはストーキングになりません。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 11:36 (UTC)[返信]
      • なぜ「分野が全く異なる記事に出張ればストーキング行為に該当しますが、人物記事のしかも同じ議題について議論するのであればストーキング行為にはあた」らないのでしょうか。Wikipediaでは「分野」ごとにページが存在するのではなく、(当然のことながら)「ページ」ごとにページが存在しています。例えば、私が「タモリ」のノートで議論に参加しているからといって、「若林正俊」のノートで議論に参加しているとは限りません。もしもあなたが常に「人物」に関する全ページを監視しているならば話は別ですが、そうでもなければ、私がどの「人物」のノートで議論に参加し(続け)ているかは、私の投稿記憶をストーキングしなければ確認できないはずです。なお、私とあなたは「クラスメイト」や「同僚」のように、Wikipediaの「人物」に関する全ページを共同編集しているわけではないので、「クラスメイトと同じ学校に通学すること、同僚と同じ会社に通勤することはストーキングになりません」という比喩は比喩として体をなしていません。--210.4.242.26 2016年8月10日 (水) 15:31 (UTC)[返信]
        • 「人物」の前ページを監視することはおよそ現実的ではありませんので比喩として不適切ですよね。繰り返しになり恐縮ですが、あなたは前に「相手の「読解力・日本語力」を揶揄し、中傷するのはおやめください。他ユーザーに対する誹謗中傷行為は投稿ブロックの対象となります。」と発言しております。非常に分かりやすいダブルスタンダードです。--Kyoyaku-25会話2016年8月10日 (水) 21:46 (UTC)[返信]
          • あなたの主張を成立させるためには「およそ現実的でない」状況を前提にしなければならない、ということは上記でご説明したのですが……。何かコメントを寄せるのであれば、相手の記述を読んでから返信するようにしてくださいね。これもまた繰り返しになり恐縮ですが、あなたが私の「読解力・日本語力」を根拠なく揶揄していたのに対し、私は具体的な比喩を提示して「国語力」の必要性を提示しております。「読解力・日本語力」「国語力」という共通の単語だけを切り出し、論点を混在させるのはおやめくださいませ。--210.4.242.26 2016年8月11日 (木) 09:53 (UTC)[返信]

質問に回答します

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利用者‐会話:Kyoyaku-25よりの続きです。両者へのコメント依頼とはWikipedia:コメント依頼/だぶるすてっちとJapaneseAのように、客観的に見てどちらに非があるかわからない場合に提出するものです。ただし、これはあくまで提案なのでそれがベストかはわかりかねます。なお、頂いたアドバイスは[1]です。--JapaneseA会話2016年8月14日 (日) 08:06 (UTC)[返信]

ご回答いただきありがとうございます。なるほど、そのような機能があるのですね。今後、一つの選択肢として検討させていただきます。ご提示ありがとうございました。なお、私としましては、まず、私自身が当事者であるため、私が「客観的に見てどちらに非があるかわからない」と判断してしまうのはあまり適切ではないのではないかと存じております。また、私が具体的に指摘や反論をさせていただいているのに対し、残念ながらKyoyaku-25さんがレッテル貼りや人身攻撃を繰り返していらっしゃることは、必ずや閲読者のみなさまにご理解いただけるものと信じております。--210.4.242.26 2016年8月14日 (日) 09:29 (UTC)[返信]
御返事ありがとうございます。全ての議論を読み込んでいないので、これ以上のコメントは控えます。--JapaneseA会話2016年8月14日 (日) 11:58 (UTC)[返信]

ご注意

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合意に至っていないにも関わらず記事を編集すること、誹謗中傷をすることはおやめください。--114.161.96.29 2016年8月16日 (火) 20:09 (UTC)[返信]

合意に至っていないにも関わらず記事を編集」とは具体的にどの事例でしょうか。石井啓一のページのことを指しているのでしたら、他ならぬ114.161.96.29さんも2016年8月16日 (火) 20:05 ‎に「記事を編集」なさっていますよね。ダブルスタンダードはKyoyaku-25さんも嫌っていた行為ですので、どうぞお気を付けください。また、私は自ら誹謗中傷を行ったことはないものと認識しておりますが、問題とされる事例が報告されているのでしたらご提示ください。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 17:28 (UTC)[返信]

ブロックしました

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ブロックしました。ある記事において同一の編集とその差し戻しが繰り返されることを編集合戦といいます。ウィキペディアで、編集合戦は禁止されています。さて、議論をする際に「編集合戦が始まる直前の版」に戻すことを重要とお考えのようですが、ウィキペディアでこれを重要とする共通認識はないです。ゆえに、まず編集合戦を防ぐことを優先し、ブロックを行いました。なお、編集合戦の相手方は複数かつどれも数回の差し戻しにとどまっているのに対し、210.4.242.26さんにおかれましては長期間に渡り最も多くの差し戻しを行っていらっしゃることから、210.4.242.26さんのみのブロックとしています。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 17:34 (UTC)[返信]

その「編集合戦」について、ノート:石井啓一及びWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)では、「編集合戦の始まる直前の版」に一旦差し戻すことが合意されております。私個人が「『編集合戦が始まる直前の版』に戻すことを重要と」考えているわけではなく、私はあくまでも他ユーザーとの取り決めを実行したにすぎません(そもそも、「『編集合戦が始まる直前の版』に戻すこと」は私の提案ですらございません)。取り決めに従った行為自体を「編集合戦」の一端とみなされることは極めて遺憾であり、今回のブロック措置は残念ながら誤解の産物であろうと存じます(もしこの点に疑義があるならば具体的に反論してください。反論が提示されなかった場合、私としましては、Ohgiさんご自身が今回のブロック措置は誤りだったと認めたものと理解せざるを得ません)。
編集合戦の相手方は複数かつどれも数回の差し戻しにとどまっている」という主張も趣旨が不明瞭だと言わざるを得ません。Kyoyaku-25会話)さんは私と同様に(あるいはそれ以上に)これまで「長期間に渡り最も多くの差し戻しを行って」おります。また、210.4.242.26さんや114.161.96.29さんはわずか数日前に開始したばかりのIPユーザーですから(なぜか彼らは本件の議論・編集のみにしか参加していないため、私はKyoyaku-25さんと彼らと“深い関連性”を推測せざるを得ません)、「どれも数回の差し戻しにとどまっている」のは当然のことです。全体の経緯を把握せずに私のみをブロックする行為は不当であり、極めて遺憾に存じます。ぜひともOhgiさんには全体の経緯を公平かつ公正に認識し直していただきたく存じます。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 17:55 (UTC)[返信]
合意を実行した結果、編集合戦になったなら、それは編集合戦以外の何物でもないです。その場合、合意を実行することを大事にするのではなくて、編集合戦を回避することが望まれます。Wikipedia:Three-revert ruleには例外がありますが、「合意の実行」は例外に含まれておりません。それと、ブロックをかける際にはある程度公平性も気にしますが、第一に編集合戦の予防のためにかけたので、喧嘩両成敗みたいな無駄なことはしません。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 18:13 (UTC)[返信]
それならば、合意に背く編集・差し戻しを行った側をブロックしなければ不当となります。Ohgiさんが編集合戦の「回避」を望んでいることは十分に理解しておりますが、合意を実行したユーザーをブロックする一方で、合意に背いて編集・差し戻しを続けるユーザーをブロックしないのであれば、それは「『編集合戦の回避』を言い訳にして、『合意に背く編集の実施』を積極的に容認すること」でしかありません。「編集合戦の回避」を一義に置くとしても、その場合には「合意に従うユーザー」と「合意に背くユーザー」の双方をブロックしなければ、単純に公平性が担保されません。「合意に従うユーザー」のみをブロックするならば、今後、石井啓一のページで合意に背く差し戻しが再び実施された場合、Ohgiさんは「防げる事故」をあえて防がなかったことになってしまうのですが、その点はいかがお考えなのでしょうか。
――なぜ「編集合戦」が生じているのかという論点を把握せずに、一個の現象面のみに着目することは危険なことです(ノートでの合意に従うユーザーしか存在しなければ、そもそもその件で「編集合戦」は生じないことを思い出してください)。これは「喧嘩両成敗」などというお話ではありません。「スピード違反」を問題視するのなら、なぜ「逃走車(「合意」を守っていない側)」をスルーして「パトカー(「合意」を守っている側)」のみを検挙するのかというお話です。何よりもウィキペディアの公平性を担保するために、Ohgiさんには冷静かつ客観的に再考していただきたく存じます(もしも反論が提示されなかった場合、私としてはこの主張の正当性が確かめられたものと判断し、今回のブロック措置は誤りであったと理解せざるを得ません)。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 18:39 (UTC)[返信]
編集合戦の相手方となっているIPアドレスはいずれも単発です。次に差し戻すときはIPアドレスが変わっていることが予想されるため、ブロックしても意味がありません。実効性がないブロックはかけません。Kyoyaku-25さんに至っては直近の差し戻しがありません。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 18:54 (UTC)[返信]
単純に不明のためお尋ねしますが、「単発」とはどのような趣旨なのでしょうか(Ohgiさんも、上掲のIPユーザーがKyoyaku-25さんと“深い関連性”にあると推測されているのでしょうか)。「次に差し戻し」が生じたときに「IPアドレスが変わってい」なかった場合、Ohgiさんは私をブロックしたことと同様に、彼らに対してもブロックを講じてくださるのでしょうか。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 19:48 (UTC)[返信]
「合意に背く差し戻し」を「事故」と評価していらっしゃるようですが、「合意に背く編集」と「編集合戦」を比較すると後者のほうが防ぐべき大事故です。記事を合意の状態で維持しつつ編集合戦を防ぐということはできますが、現状編集合戦になっている以上まず編集合戦を止めるべきであって、合意の状態で維持するのは二の次です。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 18:54 (UTC)[返信]
私は「合意に背く編集」と「編集合戦」を比較して「どちらのほうが重大または深刻か」と論じているわけではないため、恐縮ですが、そのご回答は反論にはなっていないと存じます。「編集合戦の回避」を主張するのであれば、編集合戦が生じる原因(合意に背く編集が繰り返されること)を防止することこそが「編集合戦の回避」を意味します。そのような措置を考慮に入れずに「合意に従うユーザー」のみをブロックすることは、結果として、「編集合戦の回避」を言い訳として「『合意に背く編集が繰り返されること』を積極的に容認すること」にしかなりません(他に取り得る選択肢が存在する場合、わざわざ「『合意に背く編集が繰り返されること』を積極的に容認する」手法を選択しなければならない合理性・必然性は確認できません)。本当に「編集合戦の回避」を一義に置くのであれば、公平性を考慮に入れた上で、編集合戦の防止に最も効果のある措置をとらなければ意味がないでしょう。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 19:48 (UTC)[返信]
なお、「編集合戦が始まる直前の版」への差し戻しの停止を含め、編集合戦の停止が約束されるようであるならブロックを解除する用意はありますが、いかがでしょうか。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 18:54 (UTC)[返信]
ご検討いただきありがとうございます。齟齬が生じてはならないため確認させていただきますが、「『編集合戦が始まる直前の版』への差し戻しの停止」とは具体的に何を指しているのでしょうか。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 19:48 (UTC)[返信]
追記。「編集合戦の回避」を目的に「合意に背く編集の実施」を実質的に容認しているものと理解していただいて差し支えありません。「言い訳に」しているわけでも、「積極的に容認している」わけでもありませんが、編集合戦の回避のほうが明らかに重要です。なお、理論上本当に合意がなされているのであれば編集合戦は起きません。「パトカー」は緊急性のあるときにのみスピード違反が許容されるのであって、そうでないときにスピード違反をしたら捕まります[2]。逃げられてしまえば「逃走車」を捕まえることはできないので、「パトカー」だけが捕まることになります。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 19:28 (UTC)[返信]
だとすれば、「編集合戦の回避」のためにまず講じるべきは、「合意に従うユーザー」に対してではなく「合意に背くユーザー」に対してのブロック措置ではないでしょうか。「本当に合意がなされているのであれば編集合戦は起き」ないという理論は「すべてのユーザーが合意に従う」という前提が存在した場合にのみ成立するものであって、現実には「すべてのユーザーが合意に従う」わけではないため(今回のケースはその一例です)、その前提を理論に採用することは残念ながら不可能でしょう。また、私は「パトカーがスピード違反をしたら捕まること」ではなく「『合意』に背いて追いかけられている側ではなく、『合意』に従って追いかけている側のみをスピード違反として捕まえること」を問題視しており(この場合、そもそも「追いかけられる側」が存在しなければ「追いかける側」も存在し得ません)、合意に背くユーザーに「逃げられてしま」ったという状況も確認されていないのですから、その比喩はあまり妥当ではないように存じます。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 19:48 (UTC)[返信]
――以上を踏まえると、編集合戦を阻止したかったのであれば、ノートでの合意が存在する以上、「石井啓一」の導入部を「編集合戦が始まる直前の版」の状態(「石井 啓一(いしい けいいち、1958年3月20日[1][2] - )は、日本政治家建設官僚。」)で一旦保護すれば十分であり、私をブロックする必要性・合理性はなかったものと判断されます。ましてや、Ohgiさんも示唆なさっているように、IPアドレスを変更して差し戻しを行う「単発」ユーザーの発生も予想されるのですから、編集合戦を防ぐためにはそれこそが最も適切な対応策だったのではないでしょうか。さもなければ、「(私でなくとも)他ユーザーが『編集合戦が始まる直前の版』に差し戻すこと → それに対し、合意に背くユーザーがさらなる差し戻しを繰り返すこと」が半永久的に継続されることとなり、導入部をめぐる問題は「編集合戦の回避」を名目に放置されるしかなくなってしまいます。「編集合戦の回避」ゆえに合意が実効性を持ち得なくなるのであれば、ノートでの議論も実質的に無意味なものとなり、ウィキペディアにおける議論の機能さえも否定されかねません。やはり、「石井啓一」の導入部を「編集合戦が始まる直前の版」の状態で一旦保護することが最も適切だったのではないかと存じます。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 20:16 (UTC)[返信]
仮に、編集合戦として保護するなら、版は選べません。保護は他の利用者の編集の機会を奪うので、ブロックで編集合戦がやむならブロックで対処すべきです。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 20:25 (UTC)[返信]
だとすれば、編集合戦を防ぐためにはまず「合意に従うユーザー」ではなく「合意に背くユーザー」をブロックすること(あるいは双方をブロックすること)が求められることはすでに説明した通りです。さもなければ、ノートでの合意をすべてのユーザーが否定しない限り、編集合戦(というよりも編集そのもの)が「やむ」ことはありません。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 20:40 (UTC)[返信]
Ohgiとしては、210.4.242.26さんが最も編集合戦を招いており、210.4.242.26さんのみをブロックすれば十分編集合戦停止の目的を達することができると判断したために、210.4.242.26さんのみをブロックしています。180.38.12.74さんや114.161.96.29さんをブロックしても編集合戦は止まらないことが容易に想像できるため、ブロックは見送っています。210.4.242.26さんにおかれましては、仮に編集合戦の相手方が議論に参加していなかったとしても合意に反していたとしても、編集合戦で対抗することが間違っているということをまずご理解いただく必要があります。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 20:25 (UTC)[返信]
「編集合戦」は一人でできるものではありません。ノートでの合意に背くユーザーをブロックすれば編集合戦を停止するという目的を達することは可能です。合意に従って編集を行ったユーザーを「編集合戦回避」の名目でブロックし続けるのであれば、ノートでの合意が無効化され続けるばかりか、「合意に従う」ことを是とする(常識的な)ユーザーがウィキペディアに存在する以上、永遠に「編集合戦回避」のリスクが軽減されることはありません(編集合戦が終着する状況を単に将来に先延ばしし、むしろ編集合戦を永続化させる効果しか及ぼしません)。「180.38.12.74さんや114.161.96.29さんをブロックしても編集合戦は止まらないことが容易に想像できる」という主張についてもその理由が明らかではありませんが、なぜOhgiさんは「容易に想像できる」のでしょうか(やはりOhgiさんも、180.38.12.74さんや114.161.96.29さんがKyoyaku-25さんと“深い関連性”にあると推測されているのでしょうか)。また、すでにこれも過去にご説明申し上げましたが、私は「編集合戦で対抗」したのではなく、合意に従って編集を行ったにすぎません。ノートでの合意に背く編集がページで固定化される状況にあるならば、「編集合戦回避」とは別にページの保護化が求められるはずです。ページを保護しないのであれば、合意に従って編集をしようとするユーザー(それは私であるとは限りません)がウィキペディア上に存在する限り、石井啓一のページでは編集合戦が永続化することになってしまうでしょう。そのような選択肢が果たして真に「編集合戦回避」の手法として妥当なのか、Ohgiさんには冷静かつ公正な視点で再考していただきたく存じます。--210.4.242.26 2016年8月18日 (木) 20:44 (UTC)[返信]
一般に、編集合戦になってしまった場合には、双方の当事者が編集を停止して、ノートで記事がどうあるべきかの議論に集中すべきです。最新の版のまま双方が編集をしないべきです。編集合戦当事者のうち少なくとも片方が編集を止めれば、編集合戦は止まります。そうではなく、暫定的にある版に固定して議論をするというように合意して、その合意を口実に編集合戦を起こしているというのは、編集合戦をやめるために議論をしているというのに本末転倒な事態です。編集合戦を助長している合意は、明らかに不適切な合意であって、守ろうとするべきではありません。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 21:15 (UTC)[返信]
暫定的にある版に固定して議論をするというように合意して、その合意を口実に編集合戦を起こしている」という理解は時系列が逆転していると言わざるを得ません。「暫定的にある版に固定」することがノートで合意されている以上、その合意に従って一旦版を差し戻した後、当該部分の表記についてはノートで議論がなされる必要があります(これを否定するのであれば、ウィキペディアにおけるノートを通じた議論プロセスの否定にすぎません)。「単発」のIPユーザーが「一度限りの」投稿を繰り返していることからも明らかなように、現状ではむしろ、「編集合戦回避」を名目として合意に背く編集が継続しているのが実情です。また、残念ながらそもそもすべてのユーザーが合意に従うとは限らないので、「編集合戦を助長している合意は、明らかに不適切な合意であって、守ろうとするべきではありません」という主張は本末転倒です(Ohgiさんは「編集合戦さえ起こらなければ、一人のユーザーが複数のIPアドレスを用いて『合意に背く編集』を繰り返すことは構わない」とお考えなのでしょうか。そのような措置はむしろ「編集合戦」を助長する行為であるとお気付きにならないのでしょうか)。なぜか本件にしか関わらない「単発」ユーザーが多発していることからも明らかなように、編集合戦の原因は「合意に背く編集」に起因するのであり、「合意に従うユーザー」を一人ブロックしただけでは何も問題は解決しません(繰り返しご説明申し上げてきたように、それではノートでの合意形成機能を否定するばかりか、単に「編集合戦」の解決を半永久的に先延ばしするだけです)。もしもOhgiさんが真に「編集合戦回避」を望むのであれば「落書きを消そうとする者」(=私であるとは限りません)ではなく「落書きをした者」をブロックすべきですし、その「いたちごっこ」を恐れるのであれば「落書きのされやすい壁」を保護するべきでしょう。少なくとも現状では、Ohgiさんのとられた措置は「落書き」を推奨するのと同趣旨であり、「変装すれば落書きも許容される」「落書きする者が存在するということは、その壁が落書きされるのも致し方ないということだ(「編集合戦を助長している合意は〜」)」という誤ったメッセージの発信と周知にすぎません。然るべき対応はまだ間に合います。ご自身のとられた措置が結果として「本末転倒」の事態を招いていないかどうか、私同様に「編集合戦回避」を望むOhgiさんにはぜひとも再考していただきたく存じます。--210.4.242.26 2016年8月18日 (木) 20:44 (UTC)[返信]
本件の「元」をつけるか否かという問題は、「壁の落書き」というよりも「壁を白く塗るか黒く塗るか」ということに近く、すなわち当面どちらでもいい問題です。ノートで「暫定的にある版に固定」することが合意されていたとしても、その合意を履行すると編集合戦が起きるのならば、合意を守る必要はありません。「ノートで合意されている以上、その合意に従って一旦版を差し戻した後、当該部分の表記についてはノートで議論がなされる必要があります」なるご主張は、差し戻し・編集合戦の正当化でしかなく、210.4.242.26さんの「ウィキペディアにおけるノートを通じた議論プロセス」の理解に不適切な点があります。Ohgiは「編集合戦さえ起こらなければ、一人のユーザーが複数のIPアドレスを用いて『合意に背く編集』を繰り返すことは構わない」ではなく「編集合戦さえ起こらなければ、『合意に背く編集』が一回限り行われることは構わない」と考えており、さらに暫定的には合意に反した状態のままにしておくことを推奨しているものと理解していただいて差し支えありません。「一人のユーザーが複数のIPアドレスを用いて」いるという点には根拠がないですが、本件においては複数のIPアドレスが出てきているので、それらのIPアドレスのブロックに編集合戦抑止の効果があるとは判断しませんでした。ブロックは永久的な編集合戦の解決ではなく、当面の編集合戦防止のために行ったものです。「『編集合戦』の解決を半永久的に先延ばし」する意図はなく、本件においては編集合戦以外の手段を用いるべきであるということを210.4.242.26さんにご理解いただければ、根本的な解決につながるものと期待します。--Ohgi 2016年8月19日 (金) 09:25 (UTC)[返信]
誤解なさっているようですが、こちらの話題において、私は「『元』を付けるか否か」ではなく「『編集合戦回避』を望むのであればどのような措置が求められるか」について説明をさせていただいております。「その合意を履行すると編集合戦が起きるのならば、合意を守る必要はありません」という主張にガイドライン上の根拠が存在するならば提示していただきたく存じますが、そもそも私は「何よりも合意が優先される」と主張しているのではなく、「合意に従ったユーザーを一人ブロックするのみでは根本的な解決にはつながらず、編集合戦は永続化すること」をご説明しているのだとご理解ください。ただし、Ohgiさんのご指摘やご関心がこの点に存在せず、「ブロックは永久的な編集合戦の解決ではなく、当面の編集合戦防止のために行ったもの」である点については、おかげさまで理解させていただきました。合意に背くユーザーが恒常的に発生する場合には保護依頼の措置などが必要になるのでしょうが、それはまた別の議論ですね。――さて、これは質問ですが、Ohgiさんのご理解では、異なるIPユーザーたち(それは同一人物かもしれないし、そうではないかもしれない)による「合意に背く編集」がそれぞれ一回に留まっているのであれば、短期間に差し戻しが何件重なっても、それは「編集合戦」には該当しないとお考えなのでしょうか。 --210.4.242.26 2016年8月19日 (金) 09:47 (UTC)[返信]
編集合戦とは状態のことをいいます。編集合戦において一度でも差し戻しをしたなら、編集合戦に参加したということになります。編集合戦の参加者のうちどれをブロックするかということについては管理者の裁量によります。Ohgiは差し戻しの回数、ブロックの実効性、その利用者の今までの編集その他の要素を総合的に考慮して、どれをブロックするかやブロックの期間を決めます。--Ohgi 2016年8月19日 (金) 13:14 (UTC)[返信]
なお、ウィキペディアで議論をする際には意見を簡潔に書くように心がけてください。--Ohgi 2016年8月19日 (金) 09:25 (UTC)[返信]
以前より心がけているつもりですが、具体的にどの点で「簡潔」さを欠如しているとお考えなのでしょうか。文字数のことをおっしゃっているのでしょうか。

下記のブロック解除申請を却下します。依然編集合戦を行ってでも合意を尊重すべきと考える姿勢に変化がなく、Ohgiの発言内の用語の定義を追求するような生産性のない会話が継続するため。なお、ブロック解除申請の乱発が認められる場合や対話姿勢の改善がみられない場合には、会話ページの編集を禁止します。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 20:25 (UTC)[返信]

私は「編集合戦を行ってでも合意を尊重すべきと考え」ているわけではないため(両者を比較しているわけでないことはすでに上記で説明した通りです)、「姿勢に変化がなく」という主張はブロック解除申請を却下する理由には該当しないものと存じます。比喩の適性を質すことが「生産性のない会話」であると決めつけられるのも遺憾に存じますし、「対話姿勢の改善」というのも主観的な評価にすぎません(もしも客観的な評価基準がウィキペディアに存在するならばご提示ください)。仮に私との会話がこれ以上は不可能だと判断するのならば、私の指摘や質問、反論に応じなければよいだけであり、「会話ページの編集を禁止」する必要性・合理性が確かめられません。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 20:37 (UTC)[返信]
合意が形成されたように主張されておりますが、合意は成立していません。210.4.242.26さんは、編集合戦が「停止」しているものを「継続」しているものと曲解され、GodsGardenさんの「現状維持することを提案します」を都合よく解釈したに過ぎません。そもそも最初から議論に参加している私が賛同していないにも関わらず合意事項だとされるのも不適切です。また、現時点でGodsGardenさんは長めのウィキブレイクに入っております。現時点では「いらっしゃらない方」として対応するべきです。--Kyoyaku-25会話2016年8月20日 (土) 12:02 (UTC)[返信]

投稿ブロックへの異議申し立て

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ブロックID: #1033080

方針によりブロックされたこの利用者 (ブロック記録 | 現在有効なブロック | 自動ブロック | ブロック解除 | 投稿記録 | 削除された投稿 | 不正利用記録) はブロックの解除を依頼しましたが、管理者がブロックを再検討し、依頼を却下しました。他の管理者がこのブロックを更に再検討することは可能ですが、充分な理由がない限り、この決定を覆すべきではありません(投稿ブロックの方針参照のこと)。ブロックが継続している間は、このブロック解除依頼を除去しないでください。

ブロック解除依頼の理由: 「: 私はOhgiさんによってブロックされました。私は、ノート:石井啓一Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝) での取り決めに従い、石井啓一のページを「編集合戦が始まる直前の版」に差し戻したのみであるにもかかわらず、その行為自体を「過度の編集合戦」などと断定されてしまったことを遺憾に存じます。

もしもこの欄をご覧の方がいらっしゃったならば、ノート:石井啓一Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)での取り決めを参照していただいた上で、私に対するブロックの解除ならびに本件の経緯を正確に把握していただきく存じます。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 17:40 (UTC)[返信]


却下の理由: 上記の通り。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 17:43 (UTC)[返信]
ブロック解除の依頼を再度行いたい場合には、投稿ブロック解除依頼作成の手引きをまずお読みになり、もう一度 {{unblock}} テンプレートを使用してください。なお、これらのテンプレートの乱用があった場合は、あなたの会話ページの保護や、会話ページへのブロックを実施する場合もありますのでご注意ください。
ブロックの理由につきましては、上記#ブロックしましたをご確認ください。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 17:43 (UTC)[返信]
確認させていただきましたが、現時点で合理的な説明が得られていません。また、この「異議申し立て」が却下された理由についても、Ohgiさんは明らかにされておりません。ご自身で施されたブロック行為を絶対化する前に、Ohgiさんにはぜひとも上記#ブロックしましたをご確認いただいた上で、公平かつ公正なご説明とご判断を行っていただきますよう要請します。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 18:02 (UTC)[返信]

方針によりブロックされたこの利用者 (ブロック記録 | 現在有効なブロック | 自動ブロック | ブロック解除 | 投稿記録 | 削除された投稿 | 不正利用記録) はブロックの解除を依頼しましたが、管理者がブロックを再検討し、依頼を却下しました。他の管理者がこのブロックを更に再検討することは可能ですが、充分な理由がない限り、この決定を覆すべきではありません(投稿ブロックの方針参照のこと)。ブロックが継続している間は、このブロック解除依頼を除去しないでください。

ブロック解除依頼の理由: 「上記#ブロックしましたをご確認ください。」


却下の理由: 上記の通り。なお、これ以上ブロック解除申請を乱発する場合は、会話ページの編集を禁止します。--Ohgi 2016年8月17日 (水) 20:25 (UTC)[返信]
ブロック解除の依頼を再度行いたい場合には、投稿ブロック解除依頼作成の手引きをまずお読みになり、もう一度 {{unblock}} テンプレートを使用してください。なお、これらのテンプレートの乱用があった場合は、あなたの会話ページの保護や、会話ページへのブロックを実施する場合もありますのでご注意ください。
  • あなたは編集合戦の停止を求められているのですが、その要請に応えることなく、曲解による自己正当化に終始しておられ残念です。編集合戦をしないという確約を頂ければ解除に賛同することも吝かではありませんが、この状況では無理です。--Kyoyaku-25会話2016年8月17日 (水) 20:18 (UTC)[返信]
    • 私の主張が「曲解による自己正当化」であることの根拠が提示されておりません。レッテル貼りはおやめください。また、これまで編集合戦に加担してこられたKyoyaku-25さんがなぜ上から目線でコメントなさっているのか理解に苦しみますが、私は当初から「編集合戦」を志向してなどおりませんので(そのことは上記#ブロックしましたですでに論証済みです)、まずは相手の主張を誤解・曲解しないように心がけてください。--210.4.242.26 2016年8月17日 (水) 20:25 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼のお知らせ

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Wikipedia:投稿ブロック依頼/210.4.242.26 延長を提出させていただきました。--Kyoyaku-25会話2016年8月18日 (木) 21:36 (UTC)[返信]

  • 以前からお気遣いいただきありがとうございます。「曲解や様々な詭弁の使用により実質的に議論になっておりません」という主張は、従来から続くKyoyaku-25さんの一方的なレッテル貼りにすぎません(それがレッテル貼りにすぎない理由は、このノートのほか、ノート:石井啓一Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル利用者‐会話:Kyoyaku-25ページなどですでにご説明申し上げた通りです)。
また、「「合理性が無い」と反発を強め生産性のない追求を繰り返したりしています」という主張にはそもそも根拠がありません(投稿ブロックをされた者には「そのご説明には合理性がありません、なぜなら〜」と説明する反論権さえ認められていないのでしょうか。ウィキペディアでは投稿ブロック解除依頼が認められておりますので、「対処に納得せず異議申し立て」すること自体に問題はないはずです)。仮に私の説明や反論に異議があるのならば再反論を試みればよいだけであり、再反論自体を放棄して「曲解」「詭弁」「生産性のない追求」などという単語で相手の主張を片付ける行為はレッテル貼りにすぎません。
1カ月以上かつ会話ページブロックも必要」という主張に至っては期間の根拠も一切示されておりません。また、片や「1カ月以上」の投稿ブロックを依頼しながら、片や「6か月以上」の投稿ブロックを依頼するなど、希望する期間にも不明瞭なふり幅があり、主張としての一貫性を欠如していると判断せざるを得ません。
Kyoyaku-25さんは以前、Wikipedia:削除依頼に投票理由を付記していなかったことを私から質された際、「粘着行為やに無駄な時間や労力を費やすよりも執筆活動に精進してくださいませ」(原文ママ)と返信なさっていましたが、現在、そっくりそのままそのお言葉をKyoyaku-25さんにお返しせざるを得ません(自身の措置による問題ではないという点で、「私が『Kyoyaku-25さんがWikipedia:削除依頼に投票理由を付記していなかったこと』を質すこと」と「Kyoyaku-25さんが『210.4.242.26がブロックされたこと』に介入すること」はまったく共通しています)。議論が長期化しているため、ややもすれば私怨ゆえに感情的になられている部分がおありになるのかもしれませんが、相手方からの主張や反論に対しては、感情的反発ではなくあくまでも「論」で応じるべきと存じます。反論や説明を放棄して「曲解」「詭弁」「生産性のない追求」などというレッテル貼りに終始することはおやめくださいませ。--210.4.242.26 2016年8月19日 (金) 09:27 (UTC)[返信]