分水町
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ぶんすいまち 分水町 | |||||
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国上山にある五合庵 | |||||
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廃止日 | 2006年3月20日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 燕市・分水町・吉田町 → 燕市 | ||||
現在の自治体 | 燕市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
郡 | 西蒲原郡 | ||||
市町村コード | 15343-5 | ||||
面積 |
39.61 km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
15,130人 (2005年4月1日) | ||||
隣接自治体 | 弥彦村、吉田町、燕市、三条市、長岡市 | ||||
町の木 |
サクラ (町推奨の木:サザンカ、 モミジ、マツ、スギ) | ||||
分水町役場 | |||||
所在地 |
〒959-0195 新潟県西蒲原郡分水町大字地蔵堂2687-3[1]画像:旧分水町役場の建物(燕市役所分水庁舎として使用されていた頃) | ||||
座標 | 北緯37度37分35秒 東経138度50分23秒 / 北緯37.62647度 東経138.83961度座標: 北緯37度37分35秒 東経138度50分23秒 / 北緯37.62647度 東経138.83961度 | ||||
ウィキプロジェクト |
分水町(ぶんすいまち)は、新潟県西蒲原郡に属した町[2]。2006年3月20日、(旧)燕市、吉田町と合併し燕市となり消滅した。
町名は、この地で信濃川と分岐し、町の南西を流れる大河津分水に由来する。(旧)燕市への通勤率は11.3%(平成17年国勢調査)。
地理
[編集]越後平野の中央部に位置しており、町域の西側に弥彦山脈と俗に呼ばれる山地があるほかは、平坦地となっている。
歴史
[編集]町の行政・経済の中心となる地蔵堂は、近世には西川舟運と寺泊港の連絡河岸として栄えた町である[2]。
- 1870年(明治3年) - 大河津分水着工。
- 1872年(明治5年) - 大河津分水工事中止を要求する一揆(悌輔騒動)が発生。
- 1896年(明治29年) - 横田切れ発生。
- 1922年(大正11年) - 大河津分水完成。
- 1954年(昭和29年) - 国上村、地蔵堂町、島上村の合併により分水町が発足[2]。
- 1957年(昭和32年) - 五千石、野中才及び大川津が三島郡大河津村より編入。溝及び溝古新が西蒲原郡吉田町に分離合併。
- 2006年(平成18年)3月20日 - 燕市、吉田町と合併し燕市となり消滅。
経済
[編集]町内の主な企業
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]教育
[編集]高等学校
[編集]中学校
[編集]- 分水町立分水中学校
小学校
[編集]- 分水町立島上小学校
- 分水町立分水小学校
- 分水町立分水北小学校
娯楽
[編集]- 地蔵堂新栄座 - 1969年の分水町では唯一の映画館[3]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]出身有名人
[編集]- 上山善紀(近畿日本鉄道元社長・会長、大阪近鉄バファローズ元オーナー)
- 原田泰夫(将棋棋士、元日本将棋連盟会長)
- 原田亮介(日本経済新聞論説主幹、日本記者クラブ理事長)
- 星野順治(元福岡ソフトバンクホークス投手。東京都生まれ。出身中学が学区の関係で分水中学校なのであり、住居は隣接の吉田町)
- 丸山蘭那(中部日本放送アナウンサー)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 行政
- 分水町 公式ウェブサイト(2006年2月20日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 分水町 公式ウェブサイト - ウェイバックマシン(2005年12月12日アーカイブ分)
- 燕市 公式ウェブサイト
- その他