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内神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内神社

境内入口
所在地 京都府八幡市内里内1
位置 北緯34度51分36.01秒 東経135度43分41.50秒 / 北緯34.8600028度 東経135.7281944度 / 34.8600028; 135.7281944 (内神社)座標: 北緯34度51分36.01秒 東経135度43分41.50秒 / 北緯34.8600028度 東経135.7281944度 / 34.8600028; 135.7281944 (内神社)
主祭神 山城内臣
味師内宿禰
社格 式内社(小2座)
村社
創建 不詳
本殿の様式 一間社流造
例祭 10月9日
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内神社(うちじんじゃ)は、京都府八幡市内里内にある神社式内社で、旧社格村社

祭神

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山城内臣(やましろのうちのおみ)
「山代内臣」とも。
味師内宿禰(うましうちのすくね)
文献では「甘美内宿禰」とも記される。武内宿禰の異母弟で、山城内臣の祖。相殿に祀られる。

歴史

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社伝では、山城内臣の死後に祀ったのが創建とされる。相殿に祀られる味師内宿禰は、山城内臣の祖神として後に合祀されたと考えられている[1]。山城内臣の詳細は不明で、人名ではなく氏族名とも考えられ、『新撰姓氏録』には「大和国 内臣 孝元天皇皇子彦太忍信命之後也」という氏族としての内臣の記載がある。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では山城国綴喜郡に「内神社二座」と記載され、式内社に列している。中世には「春日宗像神社」と称されていた。

神社明細帳』によると、室町時代大永の戦乱に遭い、天正年間に現在地に遷座されたという。旧社地は当社南東にあり、現在も「内里古宮」という字として残っている。

平成13年10月から14年9月まで「内里区造営事業」として、現在の本殿及び境内が整備された。

境内

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本殿

境内は内里の集落の西端に位置し、周囲には水田が広がる。本殿は一間社流造、屋根は銅板葺で、平成14年の造営になる。

本殿の左脇には旧本殿が立っている。現本殿同様、一間社流造で銅板葺である。平成13年から14年の整備に際して、現本殿の鎮座地から移築保存された。それに伴って寛保3年(1743年)の墨書銘が発見され、ある程度の建築年代特定がなされている。建物は京都府登録文化財に登録されている。

摂末社

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  • 厳島神社
  • 奇神社
  • 稲荷神社

文化財

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京都府登録有形文化財

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  • 旧本殿(建造物) - 昭和58年登録。

京都府文化財環境保全地区

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  • 内神社文化財環境保全地区

現地情報

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所在地

  • 京都府八幡市内里内1
    「内里」の地名は当社に由来する。『和名類聚抄』に「山城国綴喜郡有智(うち)郷」と記されている古い地名になる。

交通アクセス

脚注

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  1. ^ 外部リンクの八幡市観光協会ページ参照。

参考文献

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  • 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社) 内神社項

関連項目

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外部リンク

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  • 内神社(八幡市観光協会ホームページ)