内田俊一 (化学工学者)
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内田 俊一(うちだ しゅんいち、1895年〈明治28年〉12月3日 - 1987年〈昭和62年〉12月19日)は、日本の化学者、工学者。専門は化学工学。日本の化学工業の創始者の一人。主な功績は硝酸合成法の開発。1984年(昭和59年)に文化功労者。日本化学会会長、相模中央化学研究所理事長、東京工業大学学長などを歴任。
生涯
[編集]- 1895年(明治28年) 岡山県出身
- 1920年(大正9年) 旧制一高を経て東京帝国大学工学部応用化学科を卒業
- 1927年(昭和2年) 東京工業試験所の技師となる
- 1929年(昭和4年) 在外研究員として欧米に留学
- 1931年 (昭和6年) 東京帝大工学博士 論文の題は「アムモニア」ノ接触酸化ニ関スル研究
- 1933年(昭和8年) 東京工業大学教授に就任
- 1940年(昭和15年) 日本では初めて化学工学科を東工大に設置、初代主任に着任
- 1952年(昭和27年) 東京工業大学学長に就任
- 1969年(昭和44年) 日本化学会会長に就任
- 1987年(昭和62年)に92歳で死去
主な著書
[編集]- 『エンジニヤの道』工業調査会(1980) ISBN 9784769340348
関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
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