入山瀬 (掛川市)
入山瀬 | |
---|---|
大字 | |
入山瀬の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
北緯34度43分38.02512秒 東経138度1分6.13153秒 / 北緯34.7272292000度 東経138.0183698694度座標: 北緯34度43分38.02512秒 東経138度1分6.13153秒 / 北緯34.7272292000度 東経138.0183698694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 掛川市 |
人口情報(2024年11月末日[1]) | |
人口 | 465 人 |
世帯数 | 155 世帯 |
郵便番号 | 437-1438 |
市外局番 | 0537(掛川MA) |
ナンバープレート | 浜松 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 静岡県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
入山瀬(いりやませ、英語: Iriyamase)は、静岡県掛川市にある大字。
地理
[編集]静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。南北に細長い形状の大字であり、領域内には小笠山の山頂が位置している。北から西にかけては小笠山の山林が大半を占めており、東には佐束山が存在することから、三方を山々に囲まれている。北西には小笠池が水を湛えており、そこから南に向かって下小笠川が流れ出でている。南東には下小笠川の流れに沿って人家や田畑がみられる。
近隣には大字の名称と集落の名称とが合致していない地が散見されるが、入山瀬においては大字としての住所表記は「入山瀬」[2]と記され、集落としても同じく「入山瀬」と呼ばれている。なお、集落としての入山瀬は、掛川市の自治区である上土方区に属している[3]。
山岳
[編集]湖沼
[編集]- 小笠池
河川
[編集]- 下小笠川
歴史
[編集]入山瀬と呼ばれている地には、もともとは自然村である遠江国城東郡入山瀬村が置かれていた[4]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、入山瀬村の当時の石高は463石1斗2升1合であったとされている[5][† 1]。
町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。入山瀬は三方を山に囲まれており[6][7]、当時は交通の便が悪く茶葉の出荷などに支障をきたしていた[8]。これを受け、政治家の靑野卯吉は風吹トンネルの建設に奔走した[7][8][9]。その結果、1900年(明治33年)より工事が開始され[7][10][11]、岩井寺と入山瀬とを結ぶ素掘りのトンネルを2年がかりで完成させた[7]。
その後の度重なる市町村合併を経て、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[4]。1999年(平成11年)に岩井寺と入山瀬とを結ぶ風吹バイパスが開通したため[12]、それ以降は風吹トンネルを通る旧道は利用されなくなった[6][7]。
大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
沿革
[編集]- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡下土方村、入山瀬村、今滝村、上土方村、川久保村の大部分、中村の一部が合併して土方村を設置。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 1999年 - 風吹バイパス竣工[12]。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
入山瀬 | 155世帯 | 465人 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
入山瀬 | 8事業所 | 64人 |
小・中学校の学区
[編集]番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 掛川市立土方小学校 | 掛川市立城東中学校 |
交通
[編集]バス
[編集]道路
[編集]施設
[編集]史跡
[編集]その他
[編集]郵便
[編集]- 郵便番号:437-1438[2](集配局:遠江大東郵便局)
警察
[編集]警察の管轄区域は以下の通りである[18]。
番地 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 掛川警察署 | 城東駐在所 |
消防
[編集]消防の管轄区域は以下の通りである[19]。
番地 | 消防署・分署 | 消防団分団 |
---|---|---|
全域 | 南消防署 | 大東第四分団 |
脚注
[編集]註釈
[編集]- ^ 今日では「遠江国風土記伝」と表記するのが一般的であるが、1900年に発行された『逺江國風圡記傳』では「逺江國風圡記傳」との表記を用いているため、同書に関する出典表記はそれに倣った。
出典
[編集]- ^ a b 『令和6年11月末日現在掛川市人口・世帯数』。
- ^ a b 「郵便番号・住所」『静岡県 掛川市 入山瀬の郵便番号 - 日本郵便』日本郵便。
- ^ 「地区・自治区・小区――大東・大須賀区域」『地区・自治区・小区 大東・大須賀区域 - 掛川市』掛川市役所、2020年4月8日。
- ^ a b 「入山瀬村」『入山瀬村(いりやませむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、472頁。
- ^ a b 三戸岡道夫監修、金原義明ほか執筆委員『なるほどなっとく金次郎さん』改訂版、掛川市教育委員会、2016年、50頁。
- ^ a b c d e 『風吹隧道を讃える』。
- ^ a b 「青野卯吉(1844~1907)」『青野卯吉』大東町。(2005年1月21日時点でのアーカイブ)
- ^ 三戸岡道夫監修、金原義明ほか執筆委員『なるほどなっとく金次郎さん』改訂版、掛川市教育委員会、2016年、51頁。
- ^ 三戸岡道夫監修、金原義明ほか執筆委員『なるほどなっとく金次郎さん』改訂版、掛川市教育委員会、2016年、52頁。
- ^ 三戸岡道夫監修、金原義明ほか執筆委員『なるほどなっとく金次郎さん』改訂版、掛川市教育委員会、2016年、63頁。
- ^ a b 「現代(1989年から)」『現代(1989年から) - 掛川市』掛川市役所、2020年4月9日。
- ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市』掛川市役所、2024年5月1日。
- ^ 「上土方コミュニティセンター」『上土方コミュニティセンター - 掛川市』掛川市役所。
- ^ 「小笠神社」『小笠神社 - 静岡県神社庁』静岡県神社庁。
- ^ 「基本情報」『宝寿庵 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト』曹洞宗宗務庁。
- ^ 「管轄区域」『城東駐在所|静岡県警察』静岡県警察本部。
- ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 上土方コミュニティセンター - 掛川市 - 上土方コミュニティセンターを紹介する掛川市役所の公式ページ
豊沢 山崎 |
板沢 | 岩井寺 | ||
西大渕 | 上土方落合 | |||
入山瀬 | ||||
上土方旦付新田 | 上土方旦付新田 | 上土方落合 |