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悟り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
修証から転送)

悟り覚り(さとり)は、サンスクリット語のボーディ(: bodhi菩提、目覚め)の一般的な訳語[注釈 1]であり、仏語、仏教の概念である[2][3][5][6]。迷いの世界を超え、真理(ダンマ、ダルマ、)に目覚めること、体得することであり、迷いの反対である[2][3][7]

日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくこと、察知などを意味する[8][6]

概要

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悟りとは、サンスクリット語の bodhi の訳語である。 bodhi は、、真実に目覚めるという意味で(かく)[注釈 2]、さとる、さとすという意味の漢語の覚悟、修行の結果得られるものであることから証(證)証得証悟、また得道などと漢訳される場合もある[3][10][11]。音訳は菩提[7]。仏教では人間の実存に根強くまつわる現実の苦悩から解放され自由となった状態を、涅槃、解脱、成仏などと呼び[12]、悟りは、煩悩を滅した状態である涅槃輪廻を脱した状態である解脱と同義である[7][10]釈迦(ゴータマ)は自身の悟りについて、「いまここに『解脱』して自由になる」、「『涅槃』に入る」等と説いたと伝えられ、弟子たちの仏教集団は釈迦を「仏陀(目覚めた人)」と呼んだり、彼の悟りを「ボーディ(菩提、目覚め)」と呼ぶようになった[5]

「bodhi」は、目覚めること、知ることを原意とし、縁起の道理(現代人が「因果律」と呼ぶような一種の自然の法則あるいは秩序)に目覚め、縁起の道理を理解・体得する智慧(プラジュニャーないしパンニャー、般若)によって悟りが開かれる[13]。全ては縁起したものであるから、無常であり、それ自体を根拠づける不変な本質はなく、不変なものは何一つない(無我)が、人間はこれを理解せず、常住性を期待しては裏切られ、そこに苦が生じる[13]。悟りを求める者は、この苦の超克を求める者であり、全ての人間が悟りを求めるわけではない[13][14][注釈 3]。このように釈迦が説いた縁起の道理は極めて合理的で、科学的とも言えるようなものであった[15]。釈迦は「苦しみ」と「苦しみからの最終的な解放」を縁起の道理によって説いており、彼が「縁起」を「ダンマ(法)」と呼んだかは不明であるが、その教えを継いだ仏道者たちは「縁起」を釈迦の「ダンマ」と見なした[15]

悟りは仏教の究極の目的であり、仏教の修行道の極致の特徴と言える[4][2]。悟りは、貪り、怒り、愚かさといった煩悩が除かれた心境であるが、ものを正しく見る目、智慧を伴っていなければならず、単に煩悩のない状態が悟りではない[13]

悟りは智慧を本質とし、その原型は仏陀が35歳で涅槃に達した時の悟りである[2][3]。『ウダーナ』(自説経)や『律蔵』に記されるところによれば、釈迦(仏陀)の悟りとは「ダンマ(法)が顕わになる」ことであり、これが悟りの原点である[16]。仏教の出発点は、現実の人生における人間、釈迦の苦悩であり、釈迦が覚者たる仏陀となったことを起源とし、釈迦を仏陀とならしめた「ダンマ(法)」が中心問題である[17]。仏教学者の玉城康四郎によると、ダンマとは「形のない命のなかのいのち、ダンマとしかいいようのないもの」であり、『ウダーナ』で自身の悟りについて、「夕暮れの詩」で「ダンマが顕わになっての理法を知った」、「夜中の詩」で「その縁も消滅した」、「明け方の詩」で「悪魔の軍隊、すなわち無数の煩悩を粉砕して、太陽が虚空を照らすように、ダンマが照らし抜いた」と語られ、夕暮れから夜中、明け方にかけて、ダンマが顕わになり、浸透し、全人格に通徹し、仏陀(目覚めた人)となった軌跡をみることができる[4]。仏教において釈迦は、現実の苦悩から正しく完全に自由になり、この解放の原理となるダンマ(法)とそのマールガ()とを自覚し獲得した覚者であるとみなされており、釈迦は、彼自身と同じ道を同じ方法で修行し工夫するならば、同じく悟りを得て覚者になり仏となることができると説いた[17]。仏教において崇敬の対象となるのは、神、人格神ではなく、人々を悟らしめ、仏陀たらしめる非人格的法であるダンマ(法)である[17]

なお、初期の教典である『スッタニパータ』(経集)に「悟り(bodhi)」という項目はなく、老い、争い、欲望といった具体的な問題それぞれに対処する心得が教えられ、これらの迷いに挑む修行者が讃えられており、宗教学者の山折哲雄は、初期の仏教における悟りの内容は抽象的なものではなく、それぞれの具体的な苦悩を超克することであったと推定している[10]。悟りは抽象化し、後に「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら さんみゃく さんぼだい)[注釈 4]」(無上正等覚、無上の悟り)といった仏教における標語となり、唱句となった[10][18]

釈迦は当時の世俗的な幸福の概念を全否定し、生死の繰り返し(輪廻)は苦そのものであり、真の安楽とは輪廻から逃れることだと考え、輪廻の原動力である(カルマ)を生み出さない状態になり、それを維持することを目指した[22]。生命の本質である生きようとする欲望・希望が人間に強い意思作用を生じさせ、それが業を生み、業が輪廻を発動するため、釈迦はものを正しく見る目、智慧を具え、縁起の道理を理解し、生命が生きようとする欲望・希望から生じる意思作用を継続的な訓練で抑制し、ごく自然な衝動である幸福のために行動したいという思いを捨て、心を善悪の意思を離れた中立状態に維持することで、業が生じない境地を得た[22]。この教えと訓練の実践方法(修行)を望む人々(弟子)に教え、この訓練を実践し正しく伝授するための場として仏教集団、サンガ(僧伽)が形成された[22][13]

釈迦の説法の根本は、自身の悟りの体験を言語化して伝え、人々をその境地に導くことが、後代に至るまで仏教の根本目的であるとされることがある[7]。ただし、仏道を志す者が言語のみの学びに留まることはなく、必ず実践道()が伴う(三学)。

インド仏教では、悟りには段階があるとされ、現実の苦を超克し悟りに達するには無限とも言える時間が必要であり、輪廻を繰り返して修行を重ねることで、ようやく悟りに近づくことができると考えられた[2][23]。修行者はたゆまぬ訓練で段階的に悟りの体験を深化させていく(漸悟[2][24]。仏陀となる前の釈迦(しゃか)は、29歳で出家する前にすでに阿羅漢を得ていたとされ[25][要ページ番号]菩提樹の下で降魔成道を果たして悟りを開き[26][注釈 5]梵天勧請を受けて鹿野苑(ろくやおん)で初めて教えを説いたとされる(初転法輪[28]

釈迦は悟りを開いた当初、自身の境涯は他人には理解できないと考え、自分でその境地を味わうのみに留めようとしたが、梵天勧請を受けて教えを説くようになったと伝えられ(聖求経[7]、釈迦に続き多くの弟子たちも悟りに達したという[2]。時を経て釈迦は、ダンマに目覚め悟ったのは自分が最初ではなく、過去にもダンマに目覚めた仏がおり、未来の仏道者たちも悟りに至るだろうと信じ、ダンマは「永遠に顕わになり続けているもの」であると知られるようになり、如来と名付けられ、大乗経典への基礎となった[4]。大乗経典の『般若経』における般若波羅蜜多(智慧の完成)は、釈迦のダンマにあたる[4]。悟りは様々に理解され、例えば、インド仏教の中観派龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』では戯論寂滅(全ての分別が消滅して平安となる)が悟りであり、唯識派(瑜伽行派)の無著(アサンガ)の『摂大乗論』では、「最清浄法界より流れてくる響きを聞き、それが全人格体に染みついて、ついにアーラヤ識(迷いの源泉たる根本意識)が転換する」ことが悟りである[4]中国仏教天台宗では、10種の観法の実践により不可思議境の境地に至ることが悟りであり、華厳宗では、縁起とは形のない法身仏毘盧遮那仏のあらわれであると知り、仏道を行じ続け毘盧遮那仏に融没することが悟りであり、禅宗では、ひたすら座禅に打ち込み、師から弟子へ以心伝心で正法を伝え、自己の本性を徹見して己の仏性に気づき、成仏することが悟りであり、浄土宗では、阿弥陀仏の本願力にを支えに念仏を行じ信心を開くことが救い[注釈 6]であり悟りである[4]

中国仏教では、今のこの人生を輪廻を繰り返し修行を重ねた悟りへの最終段階と考え、全ての人間は皆仏性を備え、清浄であり(自性清浄)、智慧と徳性をも具えており、本来そのまま仏であるという「本来成仏」の理を前提に、一挙に悟る頓悟英語版を説いた[23][24][30][31]。中国で生まれた禅宗には、漸悟の北宗禅と頓悟の南宗禅があり、北宗禅は大勢力を誇っていたが、安史の乱で両京が破壊されたことで支持基盤を一気に喪失して衰退、消滅し、以降禅宗は南宗禅の系統が発展した[32]。中国仏教では、漸悟も頓悟の存在を前提とするものとなり、漸悟も頓悟的に受けとめられている[23][24]。日本の禅宗も南宗禅の系統で、「直観的に真理を体得すること」を悟りといい、それは言葉や文字によって表すことのできない、概念的な思考を超越したものとみなされている[2]。欧米に普及した Zen は日本人が広めたもので、鎌倉時代に道元が開いた曹洞宗と、江戸時代に白隠慧鶴によって大成された臨済宗で、中国から日本に伝わった南宗禅が発展した日本禅であり、中国禅(CHAN)や韓国禅(SEON)の系統ではない[33]

英訳

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悟り、「bodhi」は「awakening」(覚醒)や「enlightenment」(enlightening(啓発・啓蒙)された状態、光明)と英訳される[34]。ドイツの文献学者で東洋学者のマックス・ミュラー(1823-1900)が「bodhi」を「enlightenment」と訳し、仏教における霊的・精神的達成を表す用語として広く用いられ、二次文献で確立されてきた[2][35]。英語辞書では、仏教における意味として「a final blessed state marked by the absence of desire or suffering(欲望や苦悩のない究極の恵まれた状態)[36]」と説明されている。しかし、「bodhi」は釈迦(釈迦)を「仏陀」(目覚めた者)たらしめたものであり、厳密には「enlightenment」ではなく「to be awakened」の方が正確である[2][35]。「enlightenment」は西洋における文化的・歴史的背景があり[注釈 7]、「enlightenment」という訳語は誤解を招く可能性があると批判する研究者もいる[2]

日本の禅宗における悟りは、英語では「Satori」と表記されている[38]

女性の悟り

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釈迦は女性の出家に積極的ではなかったが、女性も男性と変わらず修行して悟ることができると明言しており、女性の阿羅漢尼も多数存在した[39]。しかし仏教は、マヌ法典に見られるようなインド・アーリア文化の男尊女卑を取り入れていき、パーリ経典等の初期経典には「正自覚者(仏陀)や転輪聖王が女として生れることはありえない(「およそ女性が正自覚者となるような、この道理は存在しない」)」という記述があり、女性は悟れないとされていた[39]。また、大乗仏教の菩薩道(六波羅蜜)は、仏陀の教えに従って悟りを得る「阿羅漢果」の成就を目指すのではなく、自ら仏陀となる「成仏」を修行の目的にしたが、先行する経典等にある性差別を教義の中心に組み込んでおり、仏教本来の平等思想と修行道に埋め込まれた差別思想との齟齬という悩みを抱えることになった[39]。そのため、『法華経』の龍女成仏(龍女が女から男に変じ(変成男子)成仏する物語等も語られた[39]上座部仏教でも、辟支仏(びゃくしぶつ)と仏陀(正自覚者)を目指す菩薩は男根があることが条件とされたが、仏道自体は女性にも開かれていた[39]

悟りと一神教

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悟りや、時にこれと同一視される解脱、涅槃、真我、梵智といった用語は全てインドに起源があり、完全な、最終的な解放という考えは、ユダヤ教キリスト教イスラム教にはほとんど馴染みのない概念である[35]。これらアブラハムの宗教一神教であり、被造物である人間が神によって創造された本性を完全に克服することは不可能で、神秘的な達成の頂点にあっても神に従属したままである[35]

悟りはアジア全域に広まったインド的な概念であり、今日西洋で見られる悟りの概念は、20世紀に欧米で代替的霊性を形成したアジアの宗教から来たものと考えられる[35]

ニューエイジ

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ニューエイジでは enlightenment は、モクーシャ(解脱、liberation(解放))、ニルヴァーナ(涅槃)、自己実現(self-realization。アートマ(真我)、ブラフマ・ジュニャーナ(智))などの用語と同義と理解されている[35]。ニューエイジの enlightenment(悟り)の概念は、キリスト教における神の照明英語版(神の啓示、羅:illuminatio、illustratio)の概念に関連してはいるが、地上に生きる存在として到達できる完全な、最終的な解放の状態が強調されており、神の照明とは区別する必要がある[35]

即時主義とネオ・アドヴァイタ運動

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思想史家のバス・J・H・ジェイコブスは、宗教学者のアーサー・ヴァースルイス英語版が言う、悟りの「即時主義(immediatism)」(悟り(enlightenment)や霊的・精神的な照明(illumination)は、特別な方法なしに、往々にして瞑想や長年の指導を受けての修行もなしに、自然と達成できるという主張)が見られるの唯一の明確な例として、1990年代初頭に出現したネオ・アドヴァイタ英語版運動を挙げている[40]。これは非二元論運動としても知られ、一部の学者は「サットサン[注釈 8]・ネットワーク」と呼んでいる[40]。ネオ・アドヴァイタ運動はサットサンズと呼ばれる交流イベントを中心に展開し、これはインド人グルのH・W・L・プーンジャ、通称パパジ英語版が行ったものに由来する[40]。悟りを開いた教師はサットサンズで、チベット仏教で「指摘による指導英語版」(ngo sprod)と呼ばれる問答を参加者に行い、一連の質問、回答、ジョーク、コメントを通じて、参加者は自分がすでに悟りを開いていることに気付くよう巧みに説き伏せられる[40]。このようにネオ・アドヴァイタ運動における悟りは、当人の努力なしに即時に得られるとされ、その簡単さから膨大な数の悟りを開いた教師を生み出し、おそらくその結果、悟りという概念は総じて軽く見られるようになった[40]

ジェイコブスは、この運動の教師の大多数は、物議を醸したインド人グルのバグワン・シュリ・ラジニーシ(オショー)と何らかの形で関わりがあると指摘している[40]。ラジニーシの弟子の一人は、師の死後に多くの弟子がパパジのもとに流れていったと述べ、彼の晩年の禅宗をテーマとする教えとパパジのサットサンの類似性についてコメントしている[40]。バス・J・H・ジェイコブスは、ラジニーシの悪評のために関連が軽視されがちであるが、現代のネオ・アドヴァイタ運動の流行と悟りの即時主義の起源を理解するためには、そのつながりを調査する必要があると述べている[40]

類語・原語

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正覚
語頭に“無上”や“等”など何らかの形容語がついたものを含めれば、日本で編纂された三蔵経である大正新脩大藏經に1万5700余みられるが[41]、意味の異なる数種類以上のサンスクリットの単語・複合語の訳として用いられている[42][要ページ番号][要検証]。元となるサンスクリットの原意はその種類によって幅広く、初転法輪にかかわる意味から成仏に近似した意味、智波羅蜜に類した意味にまでに及ぶ[42]
開悟
日本語で悟りを開く意の「開悟」と漢訳されたサンスクリットは数種類ある[43][注釈 9]。いずれのサンスクリットも「仏地を熱望する」など、彼岸行の始まりを示唆する婉曲な表現の複合語で、prativibudda の場合、開悟のほかにも「夢覚已」「従睡寤」と漢訳されることがあった[44]
単独の訳語として用いられる数種類のサンスクリットのうち、日本の仏教で多用される「悟る」もしくはその連用形「悟り」に最も近いサンスクリットの原意は、「avabodha(目覚めたるもの)」という名詞と、「avabuddha(覚された/学ばれた)」という形容詞である[45][要ページ番号][要検証]。これらとは逆に、一つのサンスクリットが複数種類以上の漢訳語を持つケースは珍しくなく、「知」「解」「一致」など数種類の漢訳語を持つ anubodha, saṃvid, saṃjñā などの名詞は「悟」と訳されることもあった[45]

脚注

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注釈

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  1. ^ 中村元編纂の『仏教語大辞典』(1975年)では、「悟」の項目には avabodha、anubuddha、saṃvid、anubodha、bodhi など十数語が、「覺(覚)」の項目には bodhi、buddhi、vitarka、avabodha、prajñāna 等50語以上が挙げられており、平川彰編纂『仏教漢梵大辞典』(1997年)では、 彼岸行とされる波羅蜜の用法を含め20種類以上の「さとり」の類語が挙げられている[1][要検証]。現代日本の仏教辞典、仏教の解説では「悟り」はbodhiの訳語とされている[2][3][4]
  2. ^ 大乗経典では「bodhi」を「菩提」と音訳せず「覚」と意訳した新訳もあるが、「覚」の訳が当てられたサンスクリットは十種類以上に及ぶ[9][要検証]
  3. ^ 世俗的な幸福の概念を全否定し生死の繰り返し(輪廻)を苦とする仏教の価値観・世界観は広く一般的とは言えないものであり、仏教は最初から「一部の、理解できる人たちだけのための特殊な教え」であり、自分たちの価値観が全ての人間に受け入れられる普遍的なものとは考えておらず、サンガという特殊な一部だけで受け入れられるものだという自覚を持っていた[14]
  4. ^ サンスクリット語の「anuttara samyak saṃbodhi」の音訳[18]。大乗経典で多用され[19]、「最も優れた-正しい-知識」「最も勝った-完全な-理解」といった意味あい[20]。部派仏典にすでに見られる[21]
  5. ^ 釈迦が降魔成道を遂げて悟りを開いたとされる蝋月(12月)8日は、今日でも降魔成道会として、曹洞宗では最も重要な年中行事の一つとなっている[27]
  6. ^ 宗教的教説の基本的性格・信仰形態としては、救いと悟りは異なる[29]
  7. ^ 「enlightenment」はキリスト教と深いつながりのある言葉である。18世紀イングランドの文人サミュエル・ジョンソンの『英語辞典』によると、「to enlighten」は「光(light)」からの派生語で、語義は複数存在するが、第一の語義は「照らす(to illuminate)もしくは光を送る(to supply with light)」であり、用例として、旧約聖書詩篇』の「神は私の暗闇を照らす」と、イングランド国教会の聖職者リチャード・フッカーの『教会組織の諸法』(1597年)の「一つの太陽が全世界に向けて照り輝くのと同様、この唯一の信仰のみが公にされ、その輝きは真実の知識へといたる者すべてに光を送るに違いない」の2つが挙げられている。[37]
  8. ^ サットサンはサンスクリット語で聖なる仲間・交際の意味[40]
  9. ^ 「開悟」が仏教伝来以前から中国に存在していた漢語かどうかは不明。

出典

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  1. ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「悟」 483頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Keown 2016, p. 106.
  3. ^ a b c d e 中村 1989, pp. 306–307.
  4. ^ a b c d e f g 玉城 1998, p. 178.
  5. ^ a b 改訂新版 世界大百科事典『悟り (さとり)』 - コトバンク
  6. ^ a b 精選版 日本国語大辞典『悟り』 - コトバンク
  7. ^ a b c d e 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、370-371頁。 
  8. ^ 新村出(編)『広辞苑』(第三版)岩波書店、1986年10月、972頁。 
  9. ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「覺」 1062頁。
  10. ^ a b c d 山折 2000, pp. 36–37.
  11. ^ 『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) bodhi 932頁。
  12. ^ 岡 1956, p. 74.
  13. ^ a b c d e 一郷正道. “菩提”. 大谷大学. 2024年12月31日閲覧。
  14. ^ a b 佐々木 2019, pp. 158–161.
  15. ^ a b 桂紹隆. “普遍的法則としてのダルマ -仏教的パースペクティブー”. 龍谷大学. 2024年12月31日閲覧。
  16. ^ 玉城 1998, pp. 178–179.
  17. ^ a b c 岡 1956, pp. 73–74.
  18. ^ a b 阿耨多羅三藐三菩提』 - コトバンク
  19. ^ 阿耨多羅三藐三菩提 は大正新脩大蔵経に1万3500余回出現するが、阿含部は45回に過ぎない。
  20. ^ 『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) anuttarāṃ 58頁, samyak 1437頁, sambodhiṃ 1434頁。
  21. ^ 阿耨多羅三藐三菩提 (阿含部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  22. ^ a b c 佐々木 2019, pp. 158–160.
  23. ^ a b c 漸悟』 - コトバンク
  24. ^ a b c 頓悟』 - コトバンク
  25. ^ 『四禅‐定』 (禅学大辞典)参照: 釈迦族の農耕祭のときに四禅定を得たとする。同辞典の旧版では農耕祭での相撲のときに四禅の相を現したとしている。
  26. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大日經疏演奧鈔(杲寶譯)』 (T2216_.59.0414a08: ~): 疏如佛初欲成道等者 按西域記 菩提樹垣正中金剛座。…(中略)… 若不以金剛爲座 則無地堪發金剛之定 今欲降魔成道 必居於此。
  27. ^ 清水寺成道会12/8 ※記述内容は各寺共通 - 京都・観光旅行。
  28. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『釋迦譜』 (T2040_.50.0064a08: ~): 佛成道已 梵天勸請轉妙法輪 至波羅捺鹿野苑中爲拘隣五人轉四眞諦。
  29. ^ 救いと悟り”. 浄土宗大辞典. 2025年1月2日閲覧。
  30. ^ 本来成仏』 - コトバンク
  31. ^ 李 2002, p. 316.
  32. ^ 石井 2020, p. 230.
  33. ^ 石井 2020, p. 232.
  34. ^ bodhi”. BRITANNICA. 2024年12月27日閲覧。
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  38. ^ Satori”. Britannica. 2024年12月30日閲覧。
  39. ^ a b c d e 佐藤哲朗. “「小乗仏教」に対する誤解と混乱――日本では知られていない上座部仏教の実態”. note. 2018年11月14日閲覧。
  40. ^ a b c d e f g h i Jacobs 2020, pp. 392–393.
  41. ^ 『正覚』 大正新脩大蔵経テキストデータベース
  42. ^ a b 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「正覚」 687頁、ならびに『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) を対照逐訳。
  43. ^ 『広説佛教語大辞典』 中村元著 (東京書籍) 上巻 「開悟」 180-181頁。
  44. ^ 『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) prativibudda 840頁。
  45. ^ a b 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「悟」 483頁、ならびに『梵和大辞典』 (鈴木学術財団) を対照逐訳。

参考文献

[編集]
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  • 石井修道「北宋末・南宋初の曹洞宗と臨済宗 : 「沂州道楷塔銘」の発見をてがかりとして」『駒澤大學禪研究所年報』第32巻、駒澤大學禪研究所、2020年12月、232[15]-204[43]、CRID 1050582949362963968 
  • 佐々木閑「釈迦の死生観」『現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想―』、青土社、2019年、154-162頁。 
  • Damien Keown『オックスフォード仏教辞典』朝倉書店、2016年2月。 
  • 林直樹「イングランド啓蒙とは何か」『尾道市立大学経済情報論集』第16巻、尾道市立大学経済情報学部、2016年6月30日、85-103頁、CRID 1390009222860054784 
  • 鈴木学術財団 編『漢訳対照梵和大辞典』(新訂版)山喜房佛書林、2012年5月。ISBN 9784796308687 
  • 大蔵経テキストデータベース研究会『大正新脩大藏經テキストデータベース』(2012版)、2012年http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-bdk-sat2.php 
  • 渡辺研二『ジャイナ教入門』現代図書、2006年。ISBN 4-434-08207-8 
  • 李均煕「南宗禅の修証観-神会の頓悟を中心に-」『印度學佛教學研究』第51巻、日本印度学仏教学会、2002年、316-314頁、CRID 1390001205379487744 
  • 山折哲雄『仏教用語の基礎知識』角川書店、2000年6月。 
  • 中村元『広説佛教語大辞典』東京書籍、2001年6月。 NCID BA52204175 
  • 玉城康四郎 著「悟り」、広松渉 編『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年3月。 
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  • 禪學大辭典編纂所 編『禅学大辞典』(新版)大修館書店、1985年11月。ISBN 4469091081 
  • 中村元『仏教語大辞典 上巻』東京書籍、1975年。 
  • 岡邦俊「宗敎に於ける崇拜對象 : 神と佛との對比について」『相愛女子短期大学研究論集』第3巻、相愛女子短期大学、1956年11月、1-27頁、CRID 1050564287588336768 

関連項目

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