コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

依田駅 (北海道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
依田駅
よだ
Yoda
帯広 (4.1 km)
(2.6 km) 北愛国
所在地 北海道中川郡幕別町字依田
北緯42度53分36秒 東経143度13分37秒 / 北緯42.89333度 東経143.22694度 / 42.89333; 143.22694座標: 北緯42度53分36秒 東経143度13分37秒 / 北緯42.89333度 東経143.22694度 / 42.89333; 143.22694
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 広尾線
キロ程 4.1 km(帯広起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度-
3人/日
-1981年-
開業年月日 1957年昭和32年)12月25日[1]
廃止年月日 1987年(昭和62年)2月2日[1]
備考 広尾線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の依田駅と周囲約500m範囲。下が広尾方面。帯広駅から真っ直ぐ札内川を渡ると、ほぼ90°に近いカーブを描いて、南南西へと向かう。駅の周囲は平坦な畑作地帯で、農家が点在する。北側に南八線の踏切があり、待合室は見当たらない。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

依田駅(よだえき)は、北海道十勝支庁中川郡幕別町字依田にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)広尾線廃駅)である。事務管理コードは▲111501[2]

歴史

[編集]

地元の要望・費用負担によって設置された請願駅であった[広報 1]

  • 1957年(昭和32年)12月25日 - 国有鉄道広尾線依田駅として開業[3][広報 1]。旅客のみ取り扱い[1]
  • 1987年(昭和62年)2月2日 - 広尾線の全線廃止に伴い、廃駅となる[広報 1]
    • 廃止時点で一部の普通列車は通過していた(1986年(昭和61年)11月1日改定の時刻(廃止時の時刻表)で、朝一番の下り列車、及び最終の上り列車[4])。

駅名の由来

[編集]

所在地名より。明治期に当地を開拓した晩成社のリーダー、依田勉三名字に由来する[3][広報 1]

駅構造

[編集]

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(広尾方面に向かって左手側)に存在した。また、転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]

開業時からの無人駅で、駅舎及び待合所は存在しなかった。上屋などもなかったが、ベンチのみ設置されていた[3]

利用状況

[編集]

1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は3人[3]

駅周辺

[編集]

周囲は作地帯である[3]

バス路線

[編集]

十勝バスが運行する代替バスは道路事情の関係で帯広 - 依田 - 北愛国 - 愛国の別系統が設定されたが、路線統合を経て2003年(平成15年)9月をもって廃止されている。現在は一般客も乗車できるスクールバスが「依田近隣センター前」に停車する。

駅跡

[編集]

現在、駅跡地に遺構は残っておらず、畑と化している。

隣の駅

[編集]
日本国有鉄道
広尾線
帯広駅 - 依田駅 - 北愛国駅

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、890頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)138ページより。
  4. ^ 書籍『廃線終着駅を訊ねる 国鉄・JR編』(著:三宅俊彦JTBパブリッシング2010年4月発行)33ページより。
  5. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)13ページより。

広報

[編集]
  1. ^ a b c d 幕別町 (March 1987). 広報まくべつ昭和62年3月 No.422 (pdf) (Report). p. 10.

関連項目

[編集]