佐賀市立小中一貫校富士校
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佐賀市立小中一貫校富士校 | |
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小学部(旧・富士南小学校) 中学部 | |
過去の名称 |
富士町立富士小中学校 佐賀市立富士小中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐賀市 |
併合学校 | 佐賀市立富士南小学校 |
校訓 | 至誠・努力(中学部) |
設立年月日 |
【小学校】 1975年(昭和50年)4月1日 【中学校】 1963年(昭和38年)4月1日 【小中一貫校】 2014年(平成26年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C141220100169 中学校) B141220100358 (小学校) | (
所在地 |
〒840-0521(小学部) 840-0501(中学部) |
佐賀県佐賀市富士町小副川1399番地3(小学部) 佐賀県佐賀市富士町大字古湯898番地(中学部) | |
外部リンク |
小学部 中学部 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
佐賀市立小中一貫校富士校(さがしりつしょうちゅういっかんこうふじこう)は、佐賀県佐賀市富士町にある市立の一貫校。
なお、小学部と中学部の校舎は、それぞれ富士地区の東部(小副川)と西部(古湯)にあり、離れている。
概要
[編集]- 歴史
- 小学校は明治に創立した小学校3校(古湯・関屋・市川)が1975年(昭和50年)に統合されて開校。2013年(平成25年)には富士南小学校を統合。
- 中学校は1947年(昭和22年)創立の中学校2校(小関・南山)が統合されて1963年(昭和38年)に開校。
- 2014年(平成26年)には、小・中学校を統合の上、小中一貫校となった。
- 校訓
- 「至誠・努力」(中学校)
- 校章
- 小学部 - 中央に校名の略称「富小」の文字を配している。
- 中学部 - 中央に「中」の文字を配している。
- 小中一貫校のシンボルマーク - 中央に英語表記で「FUJI SCHOOL」の文字(横書き)が入っている。
- 校歌
- 小学部 - 作詞は富士町の子どもたちと弓削田健介、作曲は弓削田健介による。歌詞は3番まであり、歌詞の最後に校名の「富士小学校」が登場。
- 中学部 - 1967年(昭和42年)制定。作詞は古賀残星、作曲は安西愛子による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「富士中学校」が登場。
- 通学区域
- 佐賀市富士町のうち、「大字内野、大字上熊川、大字下熊川、大字松瀬、大字梅野、大字市川、大字小副川、大字鎌原、大字杉山、大字関屋(1~1270番地を除く)、大字苣木、大字畑瀬、大字古湯」[1]。
沿革
[編集]小学校
[編集]- 旧・古湯小学校
- 1880年(明治13年)4月 - 小学校5校(畑瀬・古湯・鎌原・柚木・杉山・市川)が創立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、小城郡10村(古湯・畑瀬・市川・苣木・杉山・鎌原・上熊川・内野・下熊川・八反原)が合併し、「南山村」が発足。
- 1894年(明治27年)10月 - 尋常小学校4校(畑瀬・古湯・鎌原・柚木)を統合の上、「古湯尋常小学校」とする。
- 1901年(明治34年)4月 - 尋常小学校2校(杉山・市川)を統合の上、「杉山分教場」、「市川分教場」(後に「杉山分校」・「市川分校」)とする。
- 1902年(明治35年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「古湯尋常高等小学校」に改称。
- 1903年(明治36年)4月 - 高等科を4年制とする。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に、高等科が4年制から2年制に変更となる。
- 1927年(昭和2年)5月 - 講堂が完成。
- 1936年(昭和11年)10月 - 新校舎2棟(2階建て1棟・平屋1棟)が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「南山村古湯国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、 国民学校の初等科が、新制小学校「南山村立古湯小学校」(6年制)に改組・改称。高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「南山村立南山中学校」に改組され、小学校に併置される。
- 1949年(昭和24年)8月 - ジュディス台風により、木造2階建て校舎(北校舎8教室)が倒壊・流出[2]。
- 1950年(昭和25年)8月 - 南校舎が完成。
- 1951年(昭和26年)12月 - 校歌を制定。作詞は中島哀浪、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「古湯小学」が登場。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 3村(佐賀郡1村(小関)、小城郡2村(北山・南山)の合併により、佐賀郡富士村が発足。「富士村立古湯小学校」に改称。
- 1962年(昭和37年)4月 - 市川分校が富士村立市川小学校として分離・独立。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 町制施行により、「富士町立古湯小学校」に改称。
- 1972年(昭和47年)4月 - 杉山分校を廃止の上、本校に統合。
- 最終所在地(杉山分校) - 佐賀市富士町大字杉山1087番地(北緯33度23分29.3秒 東経130度10分03.0秒 / 北緯33.391472度 東経130.167500度)
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 統合のため、閉校。
- 旧・関屋小学校
- 1881年(明治14年)5月 - 「公立中等関屋小学校」が創立。
- 1887年(明治20年)12月 - 小学校令により、「佐賀郡十番学区公立尋常関屋小学校」(4年制)と改称。
- 1889年(明治22年)
- 1892年(明治25年)7月 - 尋常小副川小学校より分離の上、「関屋尋常小学校」として独立。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に変更となる。尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1919年(大正8年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「関屋尋常高等小学校」に改称。
- 1924年(大正13年)10月 - 新校舎が完成し、移転を完了。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「小関村関屋国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、 国民学校の初等科が、新制小学校「小関村立関屋小学校」(6年制)に改組・改称。高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「小関村立小関中学校」に統合される。
- 1953年(昭和28年)10月 - 佐賀県条例により、へき地学校1級地に指定される。
- 1955年(昭和30年)5月 - 講堂が完成。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 3村(佐賀郡1村(小関)、小城郡2村(北山・南山))の合併により、佐賀郡富士村が発足。「富士村立関屋小学校」に改称。
- 1960年(昭和35年)3月 - 校歌を制定。作詞は服巻紫浪、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「関屋小学校」が登場。
- 1962年(昭和37年)2月 - 校舎を改築。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 町制施行により、「富士町立関屋小学校」に改称。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 統合のため、閉校。
- 最終所在地 - 佐賀市富士町大字関屋2554番地(北緯33度24分46.4秒 東経130度14分03.1秒 / 北緯33.412889度 東経130.234194度)
- 旧・市川小学校
- 1880年(明治13年)- 「市川小学校」が創立。
- 1901年(明治34年)4月 - 統合により、「古湯尋常小学校 市川分教場」となる。
- 1904年(明治37年)9月 - 校舎を新築。
- 1936年(昭和11年)10月 - 新校舎が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 「南山村古湯国民学校 市川分校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 「南山村立古湯小学校 市川分校」に改称。
- 1948年(昭和23年)12月 - 校舎を増築。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 「富士村立古湯小学校 市川分校」に改称。
- 1962年(昭和37年)4月 - 「富士村立市川小学校」として分離・独立。
- 1963年(昭和38年)2月 - 校歌を制定。作詞は古賀残星、作曲は神代正之による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「市川小学校」が登場。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 町制施行により、「富士町立市川小学校」に改称。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 統合のため、閉校。
- 最終所在地 - 佐賀市富士町大字市川370番地(北緯33度21分31.0秒 東経130度10分04.4秒 / 北緯33.358611度 東経130.167889度)
- 統合・富士小学校
- 1969年(昭和44年)1月 - 富士町山村振興計画により、町立小学校3校の統合が計画される。
- 1973年(昭和48年)1月 - 校舎建設用地を取得完了。
- 1974年(昭和49年)9月 - 鉄筋コンクリート造4階(一部3階)建て統合校舎が完成。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 上記小学校3校(古湯・関屋・市川)の統合により、「富士町立富士小学校」が開校。
- 1976年(昭和51年)9月 - 体育館が完成。校旗が寄贈される。校歌を制定。作詞は松本虎夫、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「富士の小学校」が登場。
- 1979年(昭和54年)8月 - プールが完成。
- 1984年(昭和59年)12月 - 緯度・経度・標高表示盤が寄贈される。
- 1986年(昭和61年)8月 - 古湯出身の歌人、原初枝の短歌(「雪降れり炬燵に入りて今いちどおとぎ話をのう母上よ」)が刻まれた歌碑が寄贈される[3]。
- 1995年(平成7年)8月 - 国旗掲揚台を設置。
- 1997年(平成9年)8月 - パソコンが寄贈される。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 佐賀市との合併により、「佐賀市立富士小学校」と改称。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 佐賀市立富士南小学校を統合。築年数が浅く、新しい富士南小学校の校舎[4]に移転。校章と校歌を新たに制定。
- 旧・富士小学校 所在地 - 〒840-0501 佐賀県佐賀市富士町大字古湯898番地(北緯33度22分22.8秒 東経130度12分20.0秒 / 北緯33.373000度 東経130.205556度)
- 跡地の活用 - スポーツをメインとした合宿施設「SAGA FURUYU CAMP」にリノベーションされている。
中学校
[編集]- 旧・南山中学校
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革により、村内の国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校「南山村立南山中学校」が発足。古湯小学校に併設。
- 5月3日 - 開校式を挙行。生徒数155名でのスタート。
- 11月 - 校章を制定。
- 1949年(昭和24年)9月 - 前月の台風による小学校北校舎倒壊・流出で、教室不足となり、講堂と家事室を間仕切りして授業を再開。
- 1950年(昭和25年)8月 - 古湯三崎原に新校舎が完成。
- 1951年(昭和26年)6月 - 校歌を制定。作詞は古賀残星、作曲は村岡一による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「南山」が登場。
- 1953年(昭和28年)9月10日 - 佐賀県立佐賀農芸高等学校 定時制 南山分校が併置される。
- 1955年(昭和30年)6月30日 - 南山分校の独立校舎が完成し、移転を完了したため、併置を解消。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 「富士村立南山小学校」に改称。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 統合により閉校。
- 旧・小関中学校
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革により、村内の国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校「小関村立小関中学校」が発足。小副川の青年学校校舎に併設。
- 5月3日 - 開校式を挙行。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 青年学校が廃止される。
- 1949年(昭和24年)3月 - 新校舎が完成。
- 1954年(昭和29年)
- 4月 - 藤瀬・上関屋地区の生徒が転出。
- 9月 - 台風による土砂崩れで、新設校舎が大きな被害を受ける。
- 10月 - 校舎が復旧。
- 1955年(昭和30年)10月 - 雨天体操場を改築。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 「富士村立小関中学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)10月 - 創立10周年を記念して校歌を制定。作詞は平達二、作曲は中尾末治による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「小関中」が登場。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 統合により閉校。
- 統合・富士中学校
- 1963年(昭和38年)
- 4月1日 - 上記中学校2校(南山・小関)の統合により、「富士村立中部中学校」が開校。
- 9月 - 校章を制定。
- 1965年(昭和40年)11月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎(第一期・第二期)が完成。
- 1966年(昭和41年)
- 2月 - 中部給食センターが完成。
- 10月 - 町制施行により、「富士町立富士中学校」と改称。体育館が完成。
- 1967年(昭和42年)
- 6月 - 校歌を制定。
- 8月 - 運動場が完成。
- 1981年(昭和56年)12月 - 富士町学校給食調理場が併設される。
- 1992年(平成4年)3月 - コンピュータ教室を設置。
- 1994年(平成6年)
- 8月 - 校旗が寄贈される。
- 10月 - ASEAN諸国教師団18名が来校。
- 1996年(平成8年)3月 - 特別棟、部室棟、技術棟が完成。
- 1998年(平成10年)3月 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 佐賀市との合併により、「佐賀市立富士中学校」と改称。
小中一貫校
[編集]- 2014年(平成26年)4月1日 - 佐賀市立富士小学校と佐賀市立富士中学校を統合し「佐賀市立小中一貫校富士校」(現校名)と改称。
- 2015年(平成27年)2月 - 中学部の新校舎が完成。
- 2017年(平成29年)4月 - コミュニティ・スクールを開始。
交通
[編集]小学部
[編集]- 最寄りのバス停留所
- 昭和バス 古湯線 「小関橋」・「富士小学校前」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 国道323号・ 佐賀県道275号松尾湯の原線「上熊川」交差点
- 佐賀県道209号広滝大和富士線
中学部
[編集]- 最寄りのバス停留所
- 昭和バス 古湯線「フォレスタふじ前」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 国道323号
- 佐賀県道37号厳木富士線
- 佐賀県道209号広滝大和富士線
周辺
[編集]小学部
[編集]- 下小副川公民館
- フジカントリークラブ
- 熊川大明神
- 天満宮
- 白髭神社
- 鮎瀬発電所
- 天河川
中学部
[編集]- 古湯温泉
- 佐賀市役所 富士支所
- フォレスタふじ(佐賀市立富士公民館)・佐賀市立図書館富士館・佐賀市教育委員会富士出張所
- 佐賀市立富士運動広場
- SAGA FURUYU CAMP(旧・富士小学校校舎)
- 古湯郵便局
- JAさが佐賀市ふじ町支所
- 富士町観光案内所
- 古湯山中権現山公園・彦山大権現神社
- 天河川
脚注
[編集]- ^ “佐賀市立小・中学校通学区域一覧”. 佐賀市ウェブサイト. 佐賀市. 2024年8月25日閲覧。
- ^ a b 「富士小学校跡地活用計画策定委員会 ~最終報告書~」佐賀市、2016年3月29日、2022年7月17日閲覧
- ^ 原初枝 - 佐賀の歴史・文化お宝帳ウェブサイト
- ^ 旧・富士小校舎は1974年(昭和49年)完成。旧・富士南小校舎は2005年(平成17年)完成。
参考資料
[編集]- 「富士町史上巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.755~p.763 明治期の教育 - 佐賀市ウェブサイト
- 「富士町史上巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.766~p.772 大正・昭和初期の教育 - 佐賀市ウェブサイト
- 「富士町史上巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.773~p.775 戦時下の教育 - 佐賀市ウェブサイト
- 「富士町史下巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.264~p.304 教育・文化【現代】- 佐賀市ウェブサイト