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佐賀市立小中一貫校富士校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐賀市立小中一貫校富士校

小学部(旧・富士南小学校)

中学部
過去の名称 富士町立富士小中学校
佐賀市立富士小中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐賀市
併合学校 佐賀市立富士南小学校
校訓 至誠・努力(中学部)
設立年月日 【小学校】
1975年昭和50年)4月1日
【中学校】
1963年(昭和38年)4月1日
【小中一貫校】
2014年(平成26年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C141220100169 ウィキデータを編集(中学校)
B141220100358 ウィキデータを編集(小学校)
所在地 840-0521(小学部)
840-0501(中学部)
佐賀県佐賀市富士町小副川1399番地3(小学部)
佐賀県佐賀市富士町大字古湯898番地(中学部)
外部リンク 小学部
中学部
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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地図
左が中学部の校地、右が小学部の校地

佐賀市立小中一貫校富士校(さがしりつしょうちゅういっかんこうふじこう)は、佐賀県佐賀市富士町にある市立一貫校

なお、小学部と中学部の校舎は、それぞれ富士地区の東部(小副川)と西部(古湯)にあり、離れている。

概要

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歴史
小学校は明治に創立した小学校3校(古湯・関屋・市川)が1975年昭和50年)に統合されて開校。2013年平成25年)には富士南小学校を統合。
中学校は1947年(昭和22年)創立の中学校2校(小関・南山)が統合されて1963年(昭和38年)に開校。
2014年(平成26年)には、小・中学校を統合の上、小中一貫校となった。
校訓
「至誠・努力」(中学校)
校章
  • 小学部 - 中央に校名の略称「富小」の文字を配している。
  • 中学部 - 中央に「中」の文字を配している。
  • 小中一貫校のシンボルマーク - 中央に英語表記で「FUJI SCHOOL」の文字(横書き)が入っている。
校歌
  • 小学部 - 作詞は富士町の子どもたちと弓削田健介、作曲は弓削田健介による。歌詞は3番まであり、歌詞の最後に校名の「富士小学校」が登場。
  • 中学部 - 1967年(昭和42年)制定。作詞は古賀残星、作曲は安西愛子による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「富士中学校」が登場。
通学区域
佐賀市富士町のうち、「大字内野、大字上熊川、大字下熊川、大字松瀬、大字梅野、大字市川、大字小副川、大字鎌原、大字杉山、大字関屋(1~1270番地を除く)、大字苣木、大字畑瀬、大字古湯」[1]

沿革

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小学校

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旧・古湯小学校
  • 1880年(明治13年)4月 - 小学校5校(畑瀬・古湯・鎌原・柚木・杉山・市川)が創立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、小城郡10村(古湯・畑瀬・市川・苣木・杉山・鎌原・上熊川・内野・下熊川・八反原)が合併し、「南山村」が発足。
  • 1894年(明治27年)10月 - 尋常小学校4校(畑瀬・古湯・鎌原・柚木)を統合の上、「古湯尋常小学校」とする。
  • 1901年(明治34年)4月 - 尋常小学校2校(杉山・市川)を統合の上、「杉山分教場」、「市川分教場」(後に「杉山分校」・「市川分校」)とする。
  • 1902年(明治35年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「古湯尋常高等小学校」に改称。
  • 1903年(明治36年)4月 - 高等科を4年制とする。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に、高等科が4年制から2年制に変更となる。
  • 1927年(昭和2年)5月 - 講堂が完成。
  • 1936年(昭和11年)10月 - 新校舎2棟(2階建て1棟・平屋1棟)が完成。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「南山村古湯国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、 国民学校の初等科が、新制小学校「南山村立古湯小学校」(6年制)に改組・改称。高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「南山村立南山中学校」に改組され、小学校に併置される。
  • 1949年(昭和24年)8月 - ジュディス台風により、木造2階建て校舎(北校舎8教室)が倒壊・流出[2]
  • 1950年(昭和25年)8月 - 南校舎が完成。
  • 1951年(昭和26年)12月 - 校歌を制定。作詞は中島哀浪、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「古湯小学」が登場。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 3村(佐賀郡1村(小関)、小城郡2村(北山・南山)の合併により、佐賀郡富士村が発足。「富士村立古湯小学校」に改称。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 市川分校が富士村立市川小学校として分離・独立。
  • 1966年(昭和41年)10月1日 - 町制施行により、「富士町立古湯小学校」に改称。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 杉山分校を廃止の上、本校に統合。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 統合のため、閉校。
旧・関屋小学校
  • 1881年(明治14年)5月 - 「公立中等関屋小学校」が創立。
  • 1887年(明治20年)12月 - 小学校令により、「佐賀郡十番学区公立尋常関屋小学校」(4年制)と改称。
  • 1889年(明治22年)
    • 4月1日 - 町村制施行により、佐賀郡2村(小副川、関屋)が合併の上、「小関村」が発足。
    • この年 - 統合により、「尋常小副川小学校 関屋分校」となる。
  • 1892年(明治25年)7月 - 尋常小副川小学校より分離の上、「関屋尋常小学校」として独立。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に変更となる。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1919年(大正8年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「関屋尋常高等小学校」に改称。
  • 1924年(大正13年)10月 - 新校舎が完成し、移転を完了。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「小関村関屋国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、 国民学校の初等科が、新制小学校「小関村立関屋小学校」(6年制)に改組・改称。高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「小関村立小関中学校」に統合される。
  • 1953年(昭和28年)10月 - 佐賀県条例により、へき地学校1級地に指定される。
  • 1955年(昭和30年)5月 - 講堂が完成。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 3村(佐賀郡1村(小関)、小城郡2村(北山南山))の合併により、佐賀郡富士村が発足。「富士村立関屋小学校」に改称。
  • 1960年(昭和35年)3月 - 校歌を制定。作詞は服巻紫浪、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「関屋小学校」が登場。
  • 1962年(昭和37年)2月 - 校舎を改築。
  • 1966年(昭和41年)10月1日 - 町制施行により、「富士町立関屋小学校」に改称。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 統合のため、閉校。
旧・市川小学校
市川公民館。旧市川小学校(1936年落成)の建物を利用。
  • 1880年(明治13年)- 「市川小学校」が創立。
  • 1901年(明治34年)4月 - 統合により、「古湯尋常小学校 市川分教場」となる。
  • 1904年(明治37年)9月 - 校舎を新築。
  • 1936年(昭和11年)10月 - 新校舎が完成。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 「南山村古湯国民学校 市川分校」に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 「南山村立古湯小学校 市川分校」に改称。
  • 1948年(昭和23年)12月 - 校舎を増築。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 「富士村立古湯小学校 市川分校」に改称。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 「富士村立市川小学校」として分離・独立。
  • 1963年(昭和38年)2月 - 校歌を制定。作詞は古賀残星、作曲は神代正之による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「市川小学校」が登場。
  • 1966年(昭和41年)10月1日 - 町制施行により、「富士町立市川小学校」に改称。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 統合のため、閉校。
統合・富士小学校
合宿施設"SAGA FURUYU CAMP"。旧富士小学校(1974年落成[2])の建物を利用
  • 1969年(昭和44年)1月 - 富士町山村振興計画により、町立小学校3校の統合が計画される。
  • 1973年(昭和48年)1月 - 校舎建設用地を取得完了。
  • 1974年(昭和49年)9月 - 鉄筋コンクリート造4階(一部3階)建て統合校舎が完成。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 上記小学校3校(古湯・関屋・市川)の統合により、「富士町立富士小学校」が開校。
  • 1976年(昭和51年)9月 - 体育館が完成。校旗が寄贈される。校歌を制定。作詞は松本虎夫、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「富士の小学校」が登場。
  • 1979年(昭和54年)8月 - プールが完成。
  • 1984年(昭和59年)12月 - 緯度経度・標高表示盤が寄贈される。
  • 1986年(昭和61年)8月 - 古湯出身の歌人、原初枝の短歌(「雪降れり炬燵に入りて今いちどおとぎ話をのう母上よ」)が刻まれた歌碑が寄贈される[3]
  • 1995年(平成7年)8月 - 国旗掲揚台を設置。
  • 1997年(平成9年)8月 - パソコンが寄贈される。
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 佐賀市との合併により、「佐賀市立富士小学校」と改称。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 佐賀市立富士南小学校を統合。築年数が浅く、新しい富士南小学校の校舎[4]に移転。校章と校歌を新たに制定。

中学校

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旧・南山中学校
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革により、村内の国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校「南山村立南山中学校」が発足。古湯小学校に併設。
    • 5月3日 - 開校式を挙行。生徒数155名でのスタート。
    • 11月 - 校章を制定。
  • 1949年(昭和24年)9月 - 前月の台風による小学校北校舎倒壊・流出で、教室不足となり、講堂と家事室を間仕切りして授業を再開。
  • 1950年(昭和25年)8月 - 古湯三崎原に新校舎が完成。
  • 1951年(昭和26年)6月 - 校歌を制定。作詞は古賀残星、作曲は村岡一による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「南山」が登場。
  • 1953年(昭和28年)9月10日 - 佐賀県立佐賀農芸高等学校 定時制 南山分校が併置される。
  • 1955年(昭和30年)6月30日 - 南山分校の独立校舎が完成し、移転を完了したため、併置を解消。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 「富士村立南山小学校」に改称。
  • 1963年(昭和38年)3月31日 - 統合により閉校。
旧・小関中学校
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革により、村内の国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校「小関村立小関中学校」が発足。小副川の青年学校校舎に併設。
    • 5月3日 - 開校式を挙行。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 青年学校が廃止される。
  • 1949年(昭和24年)3月 - 新校舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月 - 藤瀬・上関屋地区の生徒が転出。
    • 9月 - 台風による土砂崩れで、新設校舎が大きな被害を受ける。
    • 10月 - 校舎が復旧。
  • 1955年(昭和30年)10月 - 雨天体操場を改築。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 「富士村立小関中学校」に改称。
  • 1957年(昭和32年)10月 - 創立10周年を記念して校歌を制定。作詞は平達二、作曲は中尾末治による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「小関中」が登場。
  • 1963年(昭和38年)3月31日 - 統合により閉校。
統合・富士中学校
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月1日 - 上記中学校2校(南山・小関)の統合により、「富士村立中部中学校」が開校。
    • 9月 - 校章を制定。
  • 1965年(昭和40年)11月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎(第一期・第二期)が完成。
  • 1966年(昭和41年)
    • 2月 - 中部給食センターが完成。
    • 10月 - 町制施行により、「富士町立富士中学校」と改称。体育館が完成。
  • 1967年(昭和42年)
    • 6月 - 校歌を制定。
    • 8月 - 運動場が完成。
  • 1981年(昭和56年)12月 - 富士町学校給食調理場が併設される。
  • 1992年(平成4年)3月 - コンピュータ教室を設置。
  • 1994年(平成6年)
    • 8月 - 校旗が寄贈される。
    • 10月 - ASEAN諸国教師団18名が来校。
  • 1996年(平成8年)3月 - 特別棟、部室棟、技術棟が完成。
  • 1998年(平成10年)3月 - 創立50周年記念式典を挙行。
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 佐賀市との合併により、「佐賀市立富士中学校」と改称。

小中一貫校

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  • 2014年(平成26年)4月1日 - 佐賀市立富士小学校と佐賀市立富士中学校を統合し「佐賀市立小中一貫校富士校」(現校名)と改称。
  • 2015年(平成27年)2月 - 中学部の新校舎が完成。
  • 2017年(平成29年)4月 - コミュニティ・スクールを開始。

交通

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小学部

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最寄りのバス停留所
  • 昭和バス 古湯線 「小関橋」・「富士小学校前」停留所
最寄りの幹線道路

中学部

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最寄りのバス停留所
  • 昭和バス 古湯線「フォレスタふじ前」停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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小学部

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  • 下小副川公民館
  • フジカントリークラブ
  • 熊川大明神
  • 天満宮
  • 白髭神社
  • 鮎瀬発電所
  • 天河川

中学部

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  • 古湯温泉
  • 佐賀市役所 富士支所
  • フォレスタふじ(佐賀市立富士公民館)・佐賀市立図書館富士館・佐賀市教育委員会富士出張所
  • 佐賀市立富士運動広場
  • SAGA FURUYU CAMP(旧・富士小学校校舎)
  • 古湯郵便局
  • JAさが佐賀市ふじ町支所
  • 富士町観光案内所
  • 古湯山中権現山公園・彦山大権現神社
  • 天河川

脚注

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  1. ^ 佐賀市立小・中学校通学区域一覧”. 佐賀市ウェブサイト. 佐賀市. 2024年8月25日閲覧。
  2. ^ a b 富士小学校跡地活用計画策定委員会 ~最終報告書~」佐賀市、2016年3月29日、2022年7月17日閲覧
  3. ^ 原初枝 - 佐賀の歴史・文化お宝帳ウェブサイト
  4. ^ 旧・富士小校舎は1974年(昭和49年)完成。旧・富士南小校舎は2005年(平成17年)完成。

参考資料

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  • 富士町史上巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.755~p.763 明治期の教育 - 佐賀市ウェブサイト
  • 富士町史上巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.766~p.772 大正・昭和初期の教育 - 佐賀市ウェブサイト
  • 富士町史上巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.773~p.775 戦時下の教育 - 佐賀市ウェブサイト
  • 富士町史下巻 (PDF) 」(2000年(平成12年3月31日, 富士町)p.264~p.304 教育・文化【現代】- 佐賀市ウェブサイト

関連項目

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外部リンク

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