佐藤富十郎
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佐藤富十郎 さとう とみじゅうろう | |
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生年月日 | 1861年11月21日 |
出生地 |
日本 陸奥国伊達郡 (現福島県伊達市) |
没年月日 | 1943年8月16日(81歳没) |
前職 | 森林業 |
所属政党 |
(立憲国民党→) (憲政会→) 立憲民政党 |
選挙区 | 福島県第10選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1924年5月 - 1928年1月21日 |
中村町会議員 |
佐藤 富十郎(さとう とみじゅうろう、1861年11月21日(文久元年10月19日[1])- 1943年(昭和18年)8月16日[2][3])は、明治から昭和前期の養蚕家、林業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]陸奥国伊達郡、のちの福島県[3]伊達郡小手川村[4][5](月舘町を経て現伊達市)で、佐藤長十郎の長男として生まれ[1]、1882年(明治15年)11月に家督を相続した[1]。漢学を修め[2][3][4]、のち早稲田大学校外生として政治経済学を学ぶ[2][3][4]。
養蚕について研鑽し[6]、養蚕実修学舎を設立して指導に当たり[6]、また各県に養蚕教師として出張した[2][3][4][6]。長年、森林業に従事し[2][3][4]、東洋木材を設立して社長に就任した[1][3][4][7]。
政界では相馬郡中村町会議員に在任[2][3][4]。相馬地方の開発に貢献した[2]。1924年(大正13年)5月、 第15回衆議院議員総選挙(福島県第10区、憲政会公認)では、前2回落選の同情票で有力候補松本孫右衛門を破って当選し[2][8][9]、その後、立憲民政党に所属して衆議院議員に1期在任した[3][4]。この選挙のための資金は浅虫温泉の別荘を売却して調達した[8]。
国政選挙歴
[編集]- 第11回衆議院議員総選挙(福島県郡部、1912年5月、立憲国民党)落選[10]
- 第13回衆議院議員総選挙(福島県郡部、1917年4月、憲政会)落選[11]
- 第14回衆議院議員総選挙(福島県第10区、1920年5月、憲政会公認)次点落選[12]
- 第15回衆議院議員総選挙(福島県第10区、1924年5月、憲政会公認)当選 [9]
脚注
[編集]- ^ a b c d 『福島誌上県人会』372頁。
- ^ a b c d e f g h 『福島県史 第22巻』231-232頁。
- ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』319-320頁。
- ^ a b c d e f g h 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』198頁。
- ^ 『福島県東海岸之人物』32頁。
- ^ a b c 『福島県東海岸之人物』33頁。
- ^ 『福島県東海岸之人物』35頁。
- ^ a b 『新代議士名鑑』118頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』20頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』61頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』91頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』17頁。
参考文献
[編集]- 太田桜洲『福島県東海岸之人物』広文堂、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 松沢忠雄編『福島誌上県人会』福島県友会出版部、1923年。
- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。