松本孫右衛門
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松本 孫右衛門(旧字体:松󠄁本 孫右衞門、まつもと まごえもん、1873年(明治6年)1月16日[1][2][3] - 1948年(昭和23年)9月6日[1][4])は、明治後期から昭和初期の日本の実業家・政治家。衆議院議員。旧名・硯蔵[2][5]。
経歴
[編集]磐前県行方郡、のちの原町村[1](福島県[4]相馬郡原町村、原町、原町市を経て現南相馬市原町区)で、酒造業・松本仙蔵の長男として生まれる[2]。東京物理学校(現東京理科大学)を卒業[1][4][6]。1894年(明治27年)4月、家督を相続し[2]、同年6月、孫右衛門に改名[2]。酒造業を営む[2][6]。
三星炭鉱社長に就任し、その経営により信頼を得た[3]。以後、東京株式取引所理事、横浜取引所監査役、台湾拓殖監査役、東京信用銀行頭取、東神護謨工業社長、都新聞社取締役、大日本炭礦取締役、札幌木材取締役、東京信用商事取締役、熱海埋立取締役などを務めた[1][2][3][4][5][6]。
政界では若くして自由民権運動に加わり『福島民報』を経営した[1]。1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(福島県郡部、立憲政友会)で初当選し[7]、その後、第16回総選挙まで3回再選され、衆議院議員に通算4期在任した[4][6]。この間、政友会総務、同顧問、同常議員、鉄道会議議員、簡易生命保険積立金運用委員会委員なども務めた[4]。
国政選挙歴
[編集]- 第9回衆議院議員総選挙(福島県郡部、1904年3月、立憲政友会)当選[7]
- 第11回衆議院議員総選挙(福島県郡部、1912年5月、立憲政友会)当選[8]
- 第14回衆議院議員総選挙(福島県第10区、1920年5月、立憲政友会公認)当選[9]
- 第15回衆議院議員総選挙(福島県第10区、1924年5月、立憲政友会公認)落選[10]
- 第16回衆議院議員総選挙(福島県第3区、1928年2月、立憲政友会公認)当選[11]
- 第19回衆議院議員総選挙(福島県第3区、1936年2月、立憲政友会公認)落選[12]
家族
[編集]- 父・松本仙蔵 ‐ 福島県相馬郡原町の酒造業
- 妻・きさ ‐ 東京信用銀行頭取、広島屋旅館回漕業・井沢吉五郎の娘
- 二男・松本敬次郎 ‐ 満鉄社員、京都帝国大学政治科卒
- 二女・増山貞子 ‐ 回漕業・増山喜一郎(増山太助の兄)の妻
- 相婿・和合英太郎
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『福島県史 第22巻』464頁。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』ま65頁。
- ^ a b c 『福島誌上県人会』351頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』319-320頁。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』マ135頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』426頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』21頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』61頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』17頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』20頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』278頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』307頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
- 松沢忠雄編『福島誌上県人会』福島県友会出版部、1923年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。