会田村
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あいだむら 会田村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 錦部村、中川村、五常村、会田村 → 四賀村 |
現在の自治体 | 松本市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 東筑摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,630人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 錦部村、中川村、五常村、本城村 |
会田村役場 | |
所在地 | 長野県東筑摩郡会田村会田 |
座標 | 北緯36度20分57秒 東経137度59分28秒 / 北緯36.34917度 東経137.99103度座標: 北緯36度20分57秒 東経137度59分28秒 / 北緯36.34917度 東経137.99103度 |
ウィキプロジェクト |
会田村(あいだむら)は長野県東筑摩郡にあった村。現在の松本市北東部の一角にあたる。
地理
[編集]- 河川:会田川
概要
[編集]平安時代以降、会田御厨が成立し、江戸時代には北国西街道の会田宿が置かれた。
歴史
[編集]- 1874年(明治8年)1月23日
- 1881年(明治14年)8月25日 - 刈谷原村が分割して刈谷原町村・七嵐村・赤怒田村・殿野入村・反町村・金山町村・保福寺町村・取出村・板場村・穴沢村となる(刈谷原町村・七嵐村・赤怒田村・殿野入村・反町村・金山町村は町村制施行時に錦部村の一部となる)。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、会田村・刈谷原村が東筑摩郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、取出村・板場村・穴沢村および会田村の一部(宮本・会田町)の区域をもって会田村が発足(会田村の残部は五常村となる)。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 錦部村・中川村・五常村と合併して四賀村が発足。同日会田村廃止。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 四賀村が松本市に編入。
交通
[編集]道路
[編集]現在は旧村域を長野自動車道が通過するが、当時は未開通。
その他
[編集]村内ではマツタケが豊富に生産されており、1950年代には観光客向けの松茸狩りも盛んにおこなわれていた。1953年9月26日には、松茸狩りの客18人を乗せたオート三輪トラックが転落、15人が死傷する事故も起きている[1]。
脚注
[編集]- ^ 「オート三輪が転落」『朝日新聞』昭和28年9月27日夕刊3面
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 20 長野県