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会田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あいだむら
会田村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
錦部村中川村五常村会田村四賀村
現在の自治体 松本市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
東筑摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,630
国勢調査1950年
隣接自治体 錦部村、中川村、五常村、本城村
会田村役場
所在地 長野県東筑摩郡会田村会田
座標 北緯36度20分57秒 東経137度59分28秒 / 北緯36.34917度 東経137.99103度 / 36.34917; 137.99103座標: 北緯36度20分57秒 東経137度59分28秒 / 北緯36.34917度 東経137.99103度 / 36.34917; 137.99103
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会田村(あいだむら)は長野県東筑摩郡にあった。現在の松本市北東部の一角にあたる。

地理

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概要

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平安時代以降、会田御厨が成立し、江戸時代には北国西街道会田宿が置かれた。

歴史

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  • 1874年明治8年)1月23日
    • 筑摩県筑摩郡執田光村・井刈村・北山村・落水村・西宮村・宮本村・会田町村が合併して会田村となる。
    • 筑摩県筑摩郡谷原町村・七嵐村・赤怒田村・殿野入村・反町村・金山町村・保福寺町村・取出村・板場村・穴沢村が合併して刈谷原村となる。
  • 1881年(明治14年)8月25日 - 刈谷原村が分割して刈谷原町村・七嵐村・赤怒田村・殿野入村・反町村・金山町村・保福寺町村・取出村・板場村・穴沢村となる(刈谷原町村・七嵐村・赤怒田村・殿野入村・反町村・金山町村は町村制施行時に錦部村の一部となる)。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
  • 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、会田村・刈谷原村が東筑摩郡の所属となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、取出村・板場村・穴沢村および会田村の一部(宮本・会田町)の区域をもって会田村が発足(会田村の残部は五常村となる)。
  • 1955年昭和30年)4月1日 - 錦部村中川村五常村と合併して四賀村が発足。同日会田村廃止。
  • 2005年平成17年)4月1日 - 四賀村が松本市に編入。

交通

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道路

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現在は旧村域を長野自動車道が通過するが、当時は未開通。

その他

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村内ではマツタケが豊富に生産されており、1950年代には観光客向けの松茸狩りも盛んにおこなわれていた。1953年9月26日には、松茸狩りの客18人を乗せたオート三輪トラックが転落、15人が死傷する事故も起きている[1]

脚注

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  1. ^ 「オート三輪が転落」『朝日新聞』昭和28年9月27日夕刊3面

参考文献

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関連項目

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