コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊号第三百五十二潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊352から転送)
伊号第三百五十二潜水艦
引き揚げられた伊号第352潜水艦 (1948年1月22日、呉港)
引き揚げられた伊号第352潜水艦
(1948年1月22日、呉港
基本情報
建造所 呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 潜水艦
級名 伊三百五十一型潜水艦
建造費 16,244,800円[注釈 1]
艦歴
計画 マル追計画
起工 1943年11月8日
進水 1944年4月23日
最期 1945年6月22日被爆沈没
その後 1948年1月22日浮揚
1948年3月31日解体終了
要目(計画)
基準排水量 水上 2,650トン
水中排水量 4,290トン
全長 111.00m
最大幅 10.15m
吃水 6.14m
機関 艦本式22号10型ディーゼル2基
2軸
出力 水上 3,700bhp
水中 1,200shp
速力 水上 15.8ノット
水中 6.3ノット
燃料 重油 590トン
航続距離 水上 14ノットで13,000カイリ
水中 3ノットで100カイリ
潜航深度 90m
乗員 定員76名
その他条件付き配置人員最大2名
特修兵教員最大61名
搭載能力 ガソリン 500キロリットル
兵装 三式8cm迫撃砲 連装2基
25mm機銃 3連装1基、連装2基
九五式潜水艦発射管4門(艦首)
九五式または九六式魚雷4本
レーダー 22号電探1基
13号電探1基
テンプレートを表示

伊号第三百五十二潜水艦[注釈 2](いごうだいさんびゃくごじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦伊三百五十一型潜水艦の2番艦。建造中に被爆し沈没した。

艦歴

[編集]
1948年1月23日解体のため入渠した伊号第352潜水艦

マル追計画の潜水艦補、第655号艦型の2番艦、仮称艦名第656号艦として計画。1943年11月8日、呉海軍工廠で起工。

1944年4月5日、伊号第三百五十二潜水艦と命名されて本籍を呉鎮守府と仮定し、伊三百五十一型潜水艦の2番艦に定められる。23日進水し、本籍を呉鎮守府に定められる。

1945年4月24日、艤装員事務所を呉海軍工廠内に設置し事務開始。6月22日、呉海軍工廠正面の突堤で伊号第二百四潜水艦と並んで繋留中、呉海軍工廠に来襲したアメリカ陸軍航空軍B-29爆撃機の爆撃により、両艦とも被爆し沈没した。沈没時の工事進捗率は90%だったとされる[注釈 3]。8月17日、本艦の工事中止が発令された。

1948年1月22日、本艦は解体のため浮揚後播磨造船所呉船渠に入渠し、1月27日から3月31日にかけて解体された。

艤装員長

[編集]
  1. 荒木浅吉 少佐:1945年6月8日 - 1945年8月9日

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 第81回帝国議会で成立した価格。
  2. ^ 本来の艦名表記は伊號第三百五十二潛水艦。
  3. ^ 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66によるが、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 海軍省
    • 昭和18年12月22日付 内令第2778号。
    • 昭和19年4月5日付 達第106号、内令第531号、内令第533号、内令員第545号。
    • 昭和19年4月23日付 内令第581号、内令員第713号、内令員第714号。
    • 昭和20年5月20日付 秘海軍公報 第5017号。
    • 昭和20年6月25日付 秘海軍辞令公報 甲 第1837号。
    • 昭和20年8月18日付 秘海軍辞令公報 甲 第1888号。
  • 『呉市の歴史』、呉市[1]
  • 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
  • 戦史叢書 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。