伊東長裕
表示
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文化13年5月19日(1816年6月14日) |
死没 | 万延元年8月14日(1860年9月28日) |
改名 | 運之助(幼名)、長裕 |
戒名 | 泰性院万随義光大居士 |
墓所 | 倉敷市真備町川辺の源福寺 |
官位 | 従五位下若狭守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定、家茂 |
藩 | 備中岡田藩主 |
氏族 | 伊東氏 |
父母 |
伊東長禎、梅 伊東長之 |
妻 | 土方雄興娘 |
子 | 長とし(長) |
略歴
[編集]文化13年(1816年)5月19日、第8代藩主・伊東長寛の五男で世子だった伊東長禎の長男として生まれる。母は家女の梅と言われている。
天保7年(1836年)3月23日、長寛の十一男・長之の養子となる。養父長之は長寛の嫡子であった。天保15年(1844年)4月15日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年8月4日、養父長之は病気のために廃嫡となる。同年9月6日、長裕が祖父長寛の嫡孫となる。嘉永3年(1850年)8月11日、祖父長寛の死去により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下若狭守に叙任する。
万延元年(1860年)8月14日に死去した。享年45。跡を従弟で養子の長とし(長)が継いだ。